37 / 71
魔法召いのブレェス
ドラゴン探し それぞれの想い
しおりを挟む
慣れないドラゴンの背中。落ちないようしがみついていれば向かい風が強く冷たい。リキの黒茶色の長髪が激しく靡(なび)いている。
「まずはあいつのもとへ行くとしよう」
「あいつって、知っているドラゴンさん?」
「いつも同じ穴倉に潜っている。以前の私と同じだ」
哀れな自分を思い出すかのようにドラゴンの瞳は今を映すのを忘れていた。
何時間か数十分か、空を浮遊している緊張のせいで体感ではわからないが、学園からほど遠い崖の上に到着した。ドラゴンから降り、前にも見たような洞穴を目にする。
「起きているか。出てきてくれまいか」
奥深いのか朝だというのに暗くなっている洞穴から一匹の灰色のドラゴンが出てきた。右目に一筋の線のような傷を負っていて、そのせいでその眼は閉じられたまま。厳つい顔はドラゴンの特徴で、体格は彼とほとんど同じ大きさ。
「私を陽のもとに出させるのはお前くらいだーーその小娘は……?」
「人間と私たちを繋ぐ希望さ」
灰色のドラゴンは左目にリキの姿を映す。長髪の子供のような可愛らしい顔立ちをした白肌で弱々しそうな女の子。まだ十数年しか生きていないのだろう。自分の十分の一しか生きてこなかった小娘が人間とドラゴンを繋ぐ希望だというのか。馬鹿げた話だが灰色のドラゴンは同じドラゴンの話を自然に聞き入れた。
サラビエル講師との交渉。人間はドラゴンを敵対することをしない。その代わりにーー。
「だから私たちは人間を攻撃しない。魔物を滅する」
「私たちも人間と同じということか。己の生命(いのち)を守るため他のものを手にかける。馬鹿げた話だまったく」
「腑に落ちないか?」
「いや。もともと人間など踏み潰そうと思えばいつでも踏み潰せた。しかしそうしてこなかったのは人間にまだ情(じょう)があったからなんだろうな。敵としてではなく別のものとして関わりたかった、だが関われなかった」
灰色のドラゴンは洞穴でくつろいだ姿のまま自分の手を見ていた。話を始める前にドラゴンがいつも通りの体勢でいいと言ったのだ。
「弱くも生きようと必死になっている人間が怖かった。同時に美しくもみえた、私たちと同じだと。手助けしたいとそう思って私は……、過ちを犯した」
そうして灰色のドラゴンは、過去を振り返る。
いつも藁(わら)でできた大きなカゴを持って、その中にあるたくさんの布を引かれたヒモに乗せていた。自然の風で揺らめく布。手助けしようと灰色のドラゴンは考えた。自分なら彼女より大きく力もあるし、それを口実に村の者と関われるかもしれないと興味と期待心を持って。
『化け物が……。誰かっ……! 助けてっ』
灰色のドラゴンを瞳に映すと女性は息を詰まらせながらにまわりに助けを求めた。恐怖にさいなまれる姿は見ていていいものではなく、自分に対してのものなのか納得いくのに時間がかかった。ドラゴンに会ったことがないのだろうと納得させたときには、なんだーーと弓など武器を持った数人の男たちが現れた。
『ドラゴンは人間に危害を加えるそうだ。ある学園でドラゴンに殺されたやつがいるらしい』
『ああ知ってる。ドラゴンは〝危険〟だって警告されてるしな。今まで魔物とは違うとみすみす逃していたが、とんだ騙しうちをくらったものだ』
予想もしていない発言が聞こえ、灰色のドラゴンはハトが豆鉄砲をくらったような顔をした。そんな話知らなかった、小耳に挟んでもいなかった。心ないセリフにふつふつと怒りのような、哀しみに似たような感情が湧き上がってきた。
化け物なんかじゃない。みすみす逃していたとはなんだ、私はお前らに敵わない相手ではない。私はお前らより強い、やろうとすればここにいるやつら全員ーー“コロセル”
(……私はなにを考えている……?)
弱い者にそういった感情を抱くのは容易かった。
脳裏にすっと浮かんだ四文字の言葉は黒背景に白文字で、すぐにでも赤色に移り変わりそうだった。
『化け物、さっさと去れ!』
『私は化け物などではない』
さすがに堪忍袋の緒が切れかかった。
人間の言葉を初めて発したドラゴンに男はおびえ、たじろぎそうになったが負けじと口を開く。
『だっ……だったらなんだっていうんだ。そんな顔してそんな体して、よく自分は化け物なんかじゃないっていえるな』
『私からすればお前らのほうがよっぽど化け物だ……』
つい本音が漏れた。何もしていない、手を貸そうとしただけで化け物扱いされーーそれは百歩譲って許すとするーー挙句には矢を向けられている。恐いのは仕方ない、だが刃向わなくてもいいだろう。こちらは何もする気はない。
『何言ってるんだ』
灰色のドラゴンの気持ちは微塵も伝わりはしていなかった。
私が心を開こうとしたのが悪かったのか? なぜ人間はこうも見た目の違うものを信じようとしない、馬鹿なのか? 人間はそれなりに利口だと思っていた。自問自答をしても話の通じない彼らの心は読めない。同じ言葉が喋れるというのに意思疎通を図ることができない。これでは言葉が存在する意味がないではないか。
『おい、何か言わないか』
さっきまで化け物が喋って驚いていたくせに今度は喋れだと? 勝手にもほどがある。
『もういい。殺(や)るぞ』
何も発さないドラゴンに先手を打った。いつも通り、と目配せをした彼らは同時に、ドラゴンと魔物を同等に扱うことを同意していた。彼らの目に映っていたのはドラゴンという魔物であり敵という存在ーー。
「ドラゴンは敬遠されていると知っていた。だが他のドラゴンが人間を殺しているなんて知らなかった。弱い者を、すぐに死んでしまうような者をわざわざ殺す意味がどこにあるのか、到底思いつかなかったな」
自分と同じドラゴンが人を一人殺しただけで化け物扱い。人間一人の命を軽くみているわけではない。ただ、何もしていない同じ姿形をしているというだけで同じだと思われるのがやるせない気持ちにさせた。今ではもうそれが当たり前。
「別に過ちなど犯していないだろう」
「犯したのさ。見えない境界線を越えようとして、もう人間を信じられなくなった」
灰色のドラゴンは人間を傷つけてもいないし、復讐もしていない、逆に傷つけられた。
「人間を信じられなくなったのなら、彼女を信じてくれないか」
そう言われリキを見るが、彼女は自分をずっと見つめたままで何を考えじっと見ているのか灰色のドラゴンにはわからなかった。
「その小娘を信じてなんになる。世界が変わるとでも言うのか」
純白のドラゴンの申し出をはねのけるというより、確認するよう尋ねる。
「世界が変わるとまでは言わない。だが私たちが生きやすい環境にはなる。穴倉に身を隠さなくてもよく……な」
灰色のドラゴンはどこか寂しそうで何か痛みを感じていてそうで、眼の傷は痛むのか、心の傷が痛んでいるのかーーそればかりリキは考えている。
「私が穴倉に身を隠していると言いたげだな」
そうだろう、と純白のドラゴンは見つめる。
「私は眠っていただけだよ。この世界とさよならしようと」
人が一人殺され、人間である魔法使いや武器使いたちの攻撃対象となったドラゴン。命を狙われる身となった一体である灰色のドラゴンはもうどうでもよくなった。いなくなってほしいと願っているのならそうするのもありだと思ってしまったのだ。誰にも存在を認められないのなら生きていても意味がないと拗ね、自ら自分を見捨てようとした。空気のようにさえ扱えてもらえない窮屈な世界で生きるのは思ったよりも息苦しく、それは死ぬよりつらく永遠に続くものだと感じた。
そんな彼に食料をたまに渡していた純白のドラゴンは遠い目をする。
「そんなふうに死んでいったであろうものを見てきた。抗おうとすれば簡単に自分の生きやすい環境をつくれただろうに。心優しい|ドラゴン(どうほう)ばかり」
生きやすい環境というのは、自分を敵対する者たちがいないーー人間がいない世界ということだ。
「人間と関わりを持ってきたものたちだろうな。年寄りばかりだ。そのものたちのおかげでその精神(こころ)を継がなければいけなくなった」
「そうするのは、それだけではないだろう」
人間がいくら手を出してこようとこちらは手を出さない。自分たちに殺意が向けられていようとこちらは受け止めるのみ。そんな精神をもてるのは長く生きてきたからこその余裕なのか。ドラゴンは生きようと思えば生き続け、終わらせたいと思えば死す。人間はそうではない。弱いためにいつ死んでもおかしくない状態の中、必死に生きようとしている。余裕がないため警戒心が強いのか。そのため冷静な判断がつかないのか。考えれば考えるほど人間のことがよくわからなくなっていく。自分と人間の境界線も曖昧になっていく。
「話が長くなったな。私はーー協力をする。だが、他のものたちも同じように上手くいくと思うなよ。私は弱っていたから手を貸すことでしか希望がみえなかっただけで、他のものは……どうだろうな。もう何年も会っていないから何を考えるか見当もつかない」
「どんなに反抗されてもいい。最後に納得をしてくれるのなら」
「納得をしなかったらーー?」
聞かないほうがいいか、迷いを含んだ声音。
「納得させるまでだ」
芯のある目標。いや、定めにも近いものを感じる。
「心強いな、さすが天使色のドラゴンだ」
「お前天使なんてまだ信じているのか」
「言葉の綾だろうが」
からかいあう二体のドラゴン。どこかふっと空気が軽くなった。
「お前、そういえばその小娘……、彼女に名前はもうもらったのか?」
ふと灰色のドラゴンが話題を変える。リキが視界に入ったのだ。純白のドラゴンは、はたととぼけた顔をする。これはつけてもらえていなさそうだ。
「すでにもらっていたのならその名で呼ぼうと思ったのだがな。お前、とかもう耳障りで言うのが面倒くさくてな」
「お前に名前に関する話をしただろうか」
「しただろう。記憶喪失か」
リキには二体の話していることがわからず、不思議そうに耳を傾けている。純白のドラゴンまでもが不思議そうにしているため話が掴めない。
「まあ、だいぶ前に話してくれたことだからな。忘れていても仕方ない。小さい女の子が自分に名前をつけようとしてくれたが、自分のせいでその機会を逃したと哀しそうにお前は言っていた。その小娘……彼女のことなんじゃないのかと思ったんだ」
「あたりだ。なぜわかる?」
「運命というものを感じてみたかったから、かな」
暖かい目をした灰色のドラゴンは続ける。
「お前に明かしていなかったが昔、私はユキと名付けられた。雪の降る日に出会った少年からもらったんだ」
単純な名前。それでも嬉しかった。今でもその光景は忘れられないーー数十センチ積もる雪、そこで偶然出会った少年。初めて会ったとき少年は、とても驚いたようなまんまるの瞳をしたが、すぐにそれが興味津々な瞳に変わっていくのを目にした。子供は純粋でこんなわかりやすい表情をするものだと初めて知った日である。警戒心はすぐにとけた、手のひらで雪が溶けるように自然と……少年の暖かい雰囲気の温度と笑顔によってーー。自分のために考えつけてくれた名前。たとえ簡単に浮かび上がったものだとしても嬉しかった。
目の前にいるドラゴンは彼女をずいぶんと信用しきっている様子。そうなるまでになにか大きな、心を預けてもいいと思えることがあったのだろう。そう考え、たとえばーーと浮かび上がったのが名前。ドラゴンにとって必要ないもので、実は一番欲するものでもあった。物心ついた頃には親の姿はなく、あるのは生するための知識……それが埋め込まれている機械のようなものだった。自分を確立させる名前の存在は知っていても、それをつけてくれるものはおらず。ドラゴン同士、名前の概念を知らないもの同士がつけようとしてもどうすればいいのかわかるはずもなく。会話ができるもの同士は、お前、とかで成り立っていたりする。
名前をつけようとしてくれたということは自分を受け入れてくれたということで、ドラゴンの心の中であまりいない貴重な人物となる。それがきっかけで距離が一気に縮むもので、一度そんな人物と会ったのだからもう一度その子と再会できたのなら運命ーー。少年と出会った自分を重ね合わせて、単純に運命(それ)を感じてみたかった。自分ももう一度会えたのならお礼を言いたい。
「灰色でオスなのにユキとはな」
「いいだろう」
純粋に嬉しそうに言われ、からかったはずの純白のドラゴンは同じように幸せを感じるように心の中で笑った。
「お前もはやくつけてもらえ。また機会を逃さないうちにな」
名前をつけてもらうのはやはり、好きな相手がいいだろう。
「さて、そろそろ行くとするか」
灰色のドラゴンは重い腰を上げた。どこに? と驚く純白のドラゴンをよそに洞穴から出て陽のもとへいき、顔をこちらに向けた。
「他のものに会ったら私が伝えてみようか」
サラビエル講師との交渉内容ーードラゴンが魔物を滅するかわりに人間はドラゴンを攻撃しない。それを伝えてくれるのだとわかった。願ってもないことだ。
「ああ、よろしく頼む。だが一度会っておきたい、リキにも会わせておきたいしな。それに……仲介だけで納得するようにも思えない」
「わかった。とりあえず私は栄養を補給するとするよ」
ドラゴンはある程度飲み食いしなくても死にはいたらないが永遠とそうしようと思えば餓死してしまう。今までは一、二週間ごとに灰色のドラゴンのもとへは果物などが運ばれていた。洞穴に閉じこもっていた灰色のドラゴンはそれによって食いつないでいた。生きたくもないが、同じドラゴンーー義理堅い純白のドラゴンが運んでくるものだからなんとなく口に運んだ。話し相手にもなってくれた純白のドラゴンとの間には友情が生まれつつあり。
初めて会ったのはやはりこの洞穴で、冬眠するように眠っていた灰色のドラゴンは話しかけられたのだ。なにかおかしな空気を感じとったのだろう。もう自分なんかどうでもいいーーと、この世界を切り捨てる行為が純白のドラゴンには、灰色のドラゴンが切り捨てられるように見えた。だから自分だけは見捨てぬようにと最低限のことをした。
食料を目的に羽ばたこうとしているのだとしてもその背中を見て純白のドラゴンは嬉しく感じた。なんせ灰色のドラゴンが空へ飛ぶのを初めて見たのだから。
リキと二人きりとなった純白のドラゴンは目を合わせずにいつも通りの声音で言った。
「焦らなくていい」
ーー名前ってとっても大事なものでしょ? 小さい頃のリキがそう言ったのを覚えている。明日絶対決めてくるねーーそう嬉しそうに言ってくれたのも。だから、急がせたくはなかった。名前を決めてくれているのならすぐにでも教えてほしいが、これからずっと長くいられるのだ、一度考えた名前を変えることだってできる。本当に気に入ったものが思い浮かんだのなら自ら教えてくれるはずだーーとびきり嬉しそうに。リキはそういう子だ。相手の嬉しいことを嬉しいと感じる。自分ではそんなこと感じたことなどないはずだがそういう子なのだ。
「まずはあいつのもとへ行くとしよう」
「あいつって、知っているドラゴンさん?」
「いつも同じ穴倉に潜っている。以前の私と同じだ」
哀れな自分を思い出すかのようにドラゴンの瞳は今を映すのを忘れていた。
何時間か数十分か、空を浮遊している緊張のせいで体感ではわからないが、学園からほど遠い崖の上に到着した。ドラゴンから降り、前にも見たような洞穴を目にする。
「起きているか。出てきてくれまいか」
奥深いのか朝だというのに暗くなっている洞穴から一匹の灰色のドラゴンが出てきた。右目に一筋の線のような傷を負っていて、そのせいでその眼は閉じられたまま。厳つい顔はドラゴンの特徴で、体格は彼とほとんど同じ大きさ。
「私を陽のもとに出させるのはお前くらいだーーその小娘は……?」
「人間と私たちを繋ぐ希望さ」
灰色のドラゴンは左目にリキの姿を映す。長髪の子供のような可愛らしい顔立ちをした白肌で弱々しそうな女の子。まだ十数年しか生きていないのだろう。自分の十分の一しか生きてこなかった小娘が人間とドラゴンを繋ぐ希望だというのか。馬鹿げた話だが灰色のドラゴンは同じドラゴンの話を自然に聞き入れた。
サラビエル講師との交渉。人間はドラゴンを敵対することをしない。その代わりにーー。
「だから私たちは人間を攻撃しない。魔物を滅する」
「私たちも人間と同じということか。己の生命(いのち)を守るため他のものを手にかける。馬鹿げた話だまったく」
「腑に落ちないか?」
「いや。もともと人間など踏み潰そうと思えばいつでも踏み潰せた。しかしそうしてこなかったのは人間にまだ情(じょう)があったからなんだろうな。敵としてではなく別のものとして関わりたかった、だが関われなかった」
灰色のドラゴンは洞穴でくつろいだ姿のまま自分の手を見ていた。話を始める前にドラゴンがいつも通りの体勢でいいと言ったのだ。
「弱くも生きようと必死になっている人間が怖かった。同時に美しくもみえた、私たちと同じだと。手助けしたいとそう思って私は……、過ちを犯した」
そうして灰色のドラゴンは、過去を振り返る。
いつも藁(わら)でできた大きなカゴを持って、その中にあるたくさんの布を引かれたヒモに乗せていた。自然の風で揺らめく布。手助けしようと灰色のドラゴンは考えた。自分なら彼女より大きく力もあるし、それを口実に村の者と関われるかもしれないと興味と期待心を持って。
『化け物が……。誰かっ……! 助けてっ』
灰色のドラゴンを瞳に映すと女性は息を詰まらせながらにまわりに助けを求めた。恐怖にさいなまれる姿は見ていていいものではなく、自分に対してのものなのか納得いくのに時間がかかった。ドラゴンに会ったことがないのだろうと納得させたときには、なんだーーと弓など武器を持った数人の男たちが現れた。
『ドラゴンは人間に危害を加えるそうだ。ある学園でドラゴンに殺されたやつがいるらしい』
『ああ知ってる。ドラゴンは〝危険〟だって警告されてるしな。今まで魔物とは違うとみすみす逃していたが、とんだ騙しうちをくらったものだ』
予想もしていない発言が聞こえ、灰色のドラゴンはハトが豆鉄砲をくらったような顔をした。そんな話知らなかった、小耳に挟んでもいなかった。心ないセリフにふつふつと怒りのような、哀しみに似たような感情が湧き上がってきた。
化け物なんかじゃない。みすみす逃していたとはなんだ、私はお前らに敵わない相手ではない。私はお前らより強い、やろうとすればここにいるやつら全員ーー“コロセル”
(……私はなにを考えている……?)
弱い者にそういった感情を抱くのは容易かった。
脳裏にすっと浮かんだ四文字の言葉は黒背景に白文字で、すぐにでも赤色に移り変わりそうだった。
『化け物、さっさと去れ!』
『私は化け物などではない』
さすがに堪忍袋の緒が切れかかった。
人間の言葉を初めて発したドラゴンに男はおびえ、たじろぎそうになったが負けじと口を開く。
『だっ……だったらなんだっていうんだ。そんな顔してそんな体して、よく自分は化け物なんかじゃないっていえるな』
『私からすればお前らのほうがよっぽど化け物だ……』
つい本音が漏れた。何もしていない、手を貸そうとしただけで化け物扱いされーーそれは百歩譲って許すとするーー挙句には矢を向けられている。恐いのは仕方ない、だが刃向わなくてもいいだろう。こちらは何もする気はない。
『何言ってるんだ』
灰色のドラゴンの気持ちは微塵も伝わりはしていなかった。
私が心を開こうとしたのが悪かったのか? なぜ人間はこうも見た目の違うものを信じようとしない、馬鹿なのか? 人間はそれなりに利口だと思っていた。自問自答をしても話の通じない彼らの心は読めない。同じ言葉が喋れるというのに意思疎通を図ることができない。これでは言葉が存在する意味がないではないか。
『おい、何か言わないか』
さっきまで化け物が喋って驚いていたくせに今度は喋れだと? 勝手にもほどがある。
『もういい。殺(や)るぞ』
何も発さないドラゴンに先手を打った。いつも通り、と目配せをした彼らは同時に、ドラゴンと魔物を同等に扱うことを同意していた。彼らの目に映っていたのはドラゴンという魔物であり敵という存在ーー。
「ドラゴンは敬遠されていると知っていた。だが他のドラゴンが人間を殺しているなんて知らなかった。弱い者を、すぐに死んでしまうような者をわざわざ殺す意味がどこにあるのか、到底思いつかなかったな」
自分と同じドラゴンが人を一人殺しただけで化け物扱い。人間一人の命を軽くみているわけではない。ただ、何もしていない同じ姿形をしているというだけで同じだと思われるのがやるせない気持ちにさせた。今ではもうそれが当たり前。
「別に過ちなど犯していないだろう」
「犯したのさ。見えない境界線を越えようとして、もう人間を信じられなくなった」
灰色のドラゴンは人間を傷つけてもいないし、復讐もしていない、逆に傷つけられた。
「人間を信じられなくなったのなら、彼女を信じてくれないか」
そう言われリキを見るが、彼女は自分をずっと見つめたままで何を考えじっと見ているのか灰色のドラゴンにはわからなかった。
「その小娘を信じてなんになる。世界が変わるとでも言うのか」
純白のドラゴンの申し出をはねのけるというより、確認するよう尋ねる。
「世界が変わるとまでは言わない。だが私たちが生きやすい環境にはなる。穴倉に身を隠さなくてもよく……な」
灰色のドラゴンはどこか寂しそうで何か痛みを感じていてそうで、眼の傷は痛むのか、心の傷が痛んでいるのかーーそればかりリキは考えている。
「私が穴倉に身を隠していると言いたげだな」
そうだろう、と純白のドラゴンは見つめる。
「私は眠っていただけだよ。この世界とさよならしようと」
人が一人殺され、人間である魔法使いや武器使いたちの攻撃対象となったドラゴン。命を狙われる身となった一体である灰色のドラゴンはもうどうでもよくなった。いなくなってほしいと願っているのならそうするのもありだと思ってしまったのだ。誰にも存在を認められないのなら生きていても意味がないと拗ね、自ら自分を見捨てようとした。空気のようにさえ扱えてもらえない窮屈な世界で生きるのは思ったよりも息苦しく、それは死ぬよりつらく永遠に続くものだと感じた。
そんな彼に食料をたまに渡していた純白のドラゴンは遠い目をする。
「そんなふうに死んでいったであろうものを見てきた。抗おうとすれば簡単に自分の生きやすい環境をつくれただろうに。心優しい|ドラゴン(どうほう)ばかり」
生きやすい環境というのは、自分を敵対する者たちがいないーー人間がいない世界ということだ。
「人間と関わりを持ってきたものたちだろうな。年寄りばかりだ。そのものたちのおかげでその精神(こころ)を継がなければいけなくなった」
「そうするのは、それだけではないだろう」
人間がいくら手を出してこようとこちらは手を出さない。自分たちに殺意が向けられていようとこちらは受け止めるのみ。そんな精神をもてるのは長く生きてきたからこその余裕なのか。ドラゴンは生きようと思えば生き続け、終わらせたいと思えば死す。人間はそうではない。弱いためにいつ死んでもおかしくない状態の中、必死に生きようとしている。余裕がないため警戒心が強いのか。そのため冷静な判断がつかないのか。考えれば考えるほど人間のことがよくわからなくなっていく。自分と人間の境界線も曖昧になっていく。
「話が長くなったな。私はーー協力をする。だが、他のものたちも同じように上手くいくと思うなよ。私は弱っていたから手を貸すことでしか希望がみえなかっただけで、他のものは……どうだろうな。もう何年も会っていないから何を考えるか見当もつかない」
「どんなに反抗されてもいい。最後に納得をしてくれるのなら」
「納得をしなかったらーー?」
聞かないほうがいいか、迷いを含んだ声音。
「納得させるまでだ」
芯のある目標。いや、定めにも近いものを感じる。
「心強いな、さすが天使色のドラゴンだ」
「お前天使なんてまだ信じているのか」
「言葉の綾だろうが」
からかいあう二体のドラゴン。どこかふっと空気が軽くなった。
「お前、そういえばその小娘……、彼女に名前はもうもらったのか?」
ふと灰色のドラゴンが話題を変える。リキが視界に入ったのだ。純白のドラゴンは、はたととぼけた顔をする。これはつけてもらえていなさそうだ。
「すでにもらっていたのならその名で呼ぼうと思ったのだがな。お前、とかもう耳障りで言うのが面倒くさくてな」
「お前に名前に関する話をしただろうか」
「しただろう。記憶喪失か」
リキには二体の話していることがわからず、不思議そうに耳を傾けている。純白のドラゴンまでもが不思議そうにしているため話が掴めない。
「まあ、だいぶ前に話してくれたことだからな。忘れていても仕方ない。小さい女の子が自分に名前をつけようとしてくれたが、自分のせいでその機会を逃したと哀しそうにお前は言っていた。その小娘……彼女のことなんじゃないのかと思ったんだ」
「あたりだ。なぜわかる?」
「運命というものを感じてみたかったから、かな」
暖かい目をした灰色のドラゴンは続ける。
「お前に明かしていなかったが昔、私はユキと名付けられた。雪の降る日に出会った少年からもらったんだ」
単純な名前。それでも嬉しかった。今でもその光景は忘れられないーー数十センチ積もる雪、そこで偶然出会った少年。初めて会ったとき少年は、とても驚いたようなまんまるの瞳をしたが、すぐにそれが興味津々な瞳に変わっていくのを目にした。子供は純粋でこんなわかりやすい表情をするものだと初めて知った日である。警戒心はすぐにとけた、手のひらで雪が溶けるように自然と……少年の暖かい雰囲気の温度と笑顔によってーー。自分のために考えつけてくれた名前。たとえ簡単に浮かび上がったものだとしても嬉しかった。
目の前にいるドラゴンは彼女をずいぶんと信用しきっている様子。そうなるまでになにか大きな、心を預けてもいいと思えることがあったのだろう。そう考え、たとえばーーと浮かび上がったのが名前。ドラゴンにとって必要ないもので、実は一番欲するものでもあった。物心ついた頃には親の姿はなく、あるのは生するための知識……それが埋め込まれている機械のようなものだった。自分を確立させる名前の存在は知っていても、それをつけてくれるものはおらず。ドラゴン同士、名前の概念を知らないもの同士がつけようとしてもどうすればいいのかわかるはずもなく。会話ができるもの同士は、お前、とかで成り立っていたりする。
名前をつけようとしてくれたということは自分を受け入れてくれたということで、ドラゴンの心の中であまりいない貴重な人物となる。それがきっかけで距離が一気に縮むもので、一度そんな人物と会ったのだからもう一度その子と再会できたのなら運命ーー。少年と出会った自分を重ね合わせて、単純に運命(それ)を感じてみたかった。自分ももう一度会えたのならお礼を言いたい。
「灰色でオスなのにユキとはな」
「いいだろう」
純粋に嬉しそうに言われ、からかったはずの純白のドラゴンは同じように幸せを感じるように心の中で笑った。
「お前もはやくつけてもらえ。また機会を逃さないうちにな」
名前をつけてもらうのはやはり、好きな相手がいいだろう。
「さて、そろそろ行くとするか」
灰色のドラゴンは重い腰を上げた。どこに? と驚く純白のドラゴンをよそに洞穴から出て陽のもとへいき、顔をこちらに向けた。
「他のものに会ったら私が伝えてみようか」
サラビエル講師との交渉内容ーードラゴンが魔物を滅するかわりに人間はドラゴンを攻撃しない。それを伝えてくれるのだとわかった。願ってもないことだ。
「ああ、よろしく頼む。だが一度会っておきたい、リキにも会わせておきたいしな。それに……仲介だけで納得するようにも思えない」
「わかった。とりあえず私は栄養を補給するとするよ」
ドラゴンはある程度飲み食いしなくても死にはいたらないが永遠とそうしようと思えば餓死してしまう。今までは一、二週間ごとに灰色のドラゴンのもとへは果物などが運ばれていた。洞穴に閉じこもっていた灰色のドラゴンはそれによって食いつないでいた。生きたくもないが、同じドラゴンーー義理堅い純白のドラゴンが運んでくるものだからなんとなく口に運んだ。話し相手にもなってくれた純白のドラゴンとの間には友情が生まれつつあり。
初めて会ったのはやはりこの洞穴で、冬眠するように眠っていた灰色のドラゴンは話しかけられたのだ。なにかおかしな空気を感じとったのだろう。もう自分なんかどうでもいいーーと、この世界を切り捨てる行為が純白のドラゴンには、灰色のドラゴンが切り捨てられるように見えた。だから自分だけは見捨てぬようにと最低限のことをした。
食料を目的に羽ばたこうとしているのだとしてもその背中を見て純白のドラゴンは嬉しく感じた。なんせ灰色のドラゴンが空へ飛ぶのを初めて見たのだから。
リキと二人きりとなった純白のドラゴンは目を合わせずにいつも通りの声音で言った。
「焦らなくていい」
ーー名前ってとっても大事なものでしょ? 小さい頃のリキがそう言ったのを覚えている。明日絶対決めてくるねーーそう嬉しそうに言ってくれたのも。だから、急がせたくはなかった。名前を決めてくれているのならすぐにでも教えてほしいが、これからずっと長くいられるのだ、一度考えた名前を変えることだってできる。本当に気に入ったものが思い浮かんだのなら自ら教えてくれるはずだーーとびきり嬉しそうに。リキはそういう子だ。相手の嬉しいことを嬉しいと感じる。自分ではそんなこと感じたことなどないはずだがそういう子なのだ。
0
お気に入りに追加
109
あなたにおすすめの小説

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
異世界着ぐるみ転生
こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生
どこにでもいる、普通のOLだった。
会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。
ある日気が付くと、森の中だった。
誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ!
自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。
幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り!
冒険者?そんな怖い事はしません!
目指せ、自給自足!
*小説家になろう様でも掲載中です
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜
二階堂吉乃
ファンタジー
瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。
白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。
後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。
人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話7話。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!
桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。
「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。
異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。
初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

おっさんなのに異世界召喚されたらしいので適当に生きてみることにした
高鉢 健太
ファンタジー
ふと気づけば見知らぬ石造りの建物の中に居た。どうやら召喚によって異世界転移させられたらしかった。
ラノベでよくある展開に、俺は呆れたね。
もし、あと20年早ければ喜んだかもしれん。だが、アラフォーだぞ?こんなおっさんを召喚させて何をやらせる気だ。
とは思ったが、召喚した連中は俺に生贄の美少女を差し出してくれるらしいじゃないか、その役得を存分に味わいながら異世界の冒険を楽しんでやろう!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる