【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり

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二十二、至宝と聖女

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 レティシアナは、ゆったりとした足取りで春の宮を歩く。
 向かうは、桜舞う庭園だ。
 あずま屋には既に小さなお茶会の準備が済んでいた。
 侍女たちは、離れた場所に待機している。
 死角にも、護衛の騎士が隠れているはずだ。

「大丈夫よ」

 静かにレティシアナは囁く。
 春の日差しを避け、あずま屋のテーブルについた。
 そして、穏やかな表情のまま、庭園の入り口を見つめる。
 かさり、葉を踏む音。
 入り口に姿を現した少女を見て、微かに目を見張るが、すぐに微笑を浮かべた。

「ようこそ、おいで頂きました。わたくしが、龍王の至宝にございます」

 立ち上がって、ドレスの裾を掴み軽く頭を下げた。
 ぎこちなく、少女もお辞儀を返す。
 綺麗な動きだとレティシアナは思った。

「お会いできて、嬉しいです。無理を言ってしまい、申し訳ありません」
「良いのです。わたくしも貴女に会いたかったのですから。さあ、椅子にどうぞ」

 レティシアナの柔らかな声に、少女はほっと息をはいた。緊張しているのだろう。
 少女は向かいの席に座る時に、また頭を下げた。
 そして、腰を下ろす。
 椅子に座ると、余計に少女の小柄さが際立った。
 確か、神殿を出た時に十四歳だったと記憶している。
 あれから、三年ほど経った。
 少女――聖女は、十六、七歳のはずなのだが。
 年齢よりも、ずっと幼い気がした。


 龍王から聖女が会いたがっていると聞き、不思議に思った。
 レティシアナと聖女には面識がない。
 何故、と思う。

「あの、無理に会わなくてもいいんだよ?」

 龍王が気遣ってくれたが、レティシアナは会いますと答えた。
 驚く龍王に、ただレティシアナは微笑んだ。
 カイトとの別離の始まりは、聖女だ。
 だけど、レティシアナのなかには恨みも憎しみもない。
 苦しみは、過去のもの。
 だから、聖女と会おうと決めた。
 過去の始まりと会い、未来を見ようと。


「その、驚きましたよね?」
「そうですね。今のわたくしにとって、世界の流れはとても遠いですから」
「そう、ですね」

 聖女は、空を見る。
 今日も春の宮は、晴れ渡っていた。

「外は、どうですか?」

 レティシアナの問いかけの意味を理解した聖女は、「土砂降りです」と、答えた。
 日常を取り戻した世界は、晴れも曇りも雨も平等にやって来る。

「ふふ。わたくし、久しく雨音を聞いていないの」

 聖女は息を呑む。
 だが、レティシアナ本人に悲壮感がないことから、肩の力を抜いた。

「貴女は、選んだのですね」
「ええ。だから、後悔はないのです」

 幸せに笑うレティシアナに、ようやく聖女も笑みを見せた。
 そして、言葉を選ぶように視線を動かす。

「至宝さま、私はずっと貴女に謝りたかった」

 聖女の言葉に、レティシアナは柔らかな微笑みを浮かべた。

「過去形ということは、今は違うのですね」
「はい」

 聖女は真っ直ぐにレティシアナを見る。
 幼いのに、強い意思を感じる眼差しだ。

「貴女は、私を責めていません。むしろ、優しい……感謝をしている。そう思ったのです」

 レティシアナは、彼女が人への観察眼に優れていると感じた。

「だから。ただの謝罪では、貴女の幸福を否定すると思いました」
「ええ。わたくしは、幸せですわ」
「……今回は、私の自己満足、です」

 ぽつりと、聖女は言う。
 少女は語った。始まりを。
 救いを求める声に、自分の自己満足で応えたこと。
 そして、仲間との出会い。
 最初に手を伸ばした相手であるカイトに対して、聖女は思い入れが強いようだった。

「……やっと、見つけたと思いました」

 神殿で歪な価値観の神官に囲まれ見下ろした先には、規律正しい騎士たちが居た。
 彼らの目は澄んでいて、自身の支えとなるものが明確なのだと感じた。
 そして、騎士のひとりであるカイトと出会い、聖女は信じるという気持ちに向き合うことができたという。
 治癒の力で人々を救う。
 それは、夢だけを見れば魅力的な環境だ。
 だが、聖女が救いたい相手は決まっていた。
 逃避するには、聞こえる声の悲痛さが深すぎた。
 世界を知らない少女には、信じられる仲間が必要で、その相手はカイトが良い。
 そう、強く思ったのだ。

「カイトさんには感謝してもしきれません」

 聖女にとって、初めて頼れた大人だ。
 そう語る聖女の目には、誠実な色しかない。

「……恋は、なさらなかったの?」

 聖女が萎縮しないように、穏やかに聞く。
 少女は、目を瞬かせる。

「釣り合いません」

 それは身分ではなく、そもそも聖女の居たところに貴族は居ないという。

「私は、子供です。この世界のひとは、きっと教育環境が違うのだと思います。皆さん、すごく大人です」

 そう言ってから、聖女は頬を染めた。

「恋は分かりますけど……」 

 聖女の様子から、元の世界に想う相手がいるのだと気づいた。
 落ち着く為か紅茶に口を付けてから、聖女はレティシアナを見た。

「だから、私が壊してしまったものを見る責任があると思いました」
「聖女さま……」
「私が居たから、世界は救われた。皆さん、そう言ってくれました。でも、世界という大きなものを救ったとしても……小さな世界を壊してしまった責が私にはあるんです」

 レティシアナとカイト。
 幼い頃からの婚約関係は、今は何も残ってはいない。
 無かったことにされた。
 レティシアナが龍王を選び選ばれたというのと、父王ができた最大限の愛情ゆえ。
 少しでもカイトとの関わりを失くすことで、娘への批難を減らそうとしたのだ。
 それを知り、聖女は自分を責めたのだろう。

「聖女さま。始まりは貴女でも、選んだのはカイトさまです。貴女の成したことは、わたくしも深く感謝しています。貴女のおかげで、愛する方の憂いが消えました。ありがとうございます」

 皮肉も蔑みもない、純粋なお礼の言葉に聖女は唇を噛む。

「……分かっています。貴女は私に優しい。だから、自己満足なんです」

 カイトは婚約者の行く末を知り、全て受け入れていた。
 聖女の手を取り共に旅に出た時点で、レティシアナとの未来がなくなることを覚悟していたのだから。
 カイトが聖女と行くと決めた時に、目には様々な感情が過ぎっていた。
 あの瞬間に、苦しみ、悩み、そして選んだ。

 ――あの方が、心から笑うことができる未来の為なら、何だってできます。

 凪いだ目に、穏やかな声。
 彼は全て呑み込み、そして、騎士として在ることにしたのだ。
 聖女にはあれほどの苦悩を覆い隠せる何かを、理解できない。
 それほどの経験を積んでいない。
 でも、あれが愛というものならば、聖女は自分が引き裂いた愛を、その末を見なくてはならないと思った。
 カイトは望まないだろう。
 彼は、愛する者の幸福が続くように、先を見て自分にできることを見つけている。
 目の前にいる、愛を捧げられた女性もそうだ。
 彼女は、愛する者、生きる場所、過ごす未来を選んでいる。

「貴女は、満足のいく答えが得られましたか?」

 レティシアナの言葉に、聖女は深く頷いた。
 その目に揺らぎはない。

「はい。私は私の行動による変化を受け入れられそうです」
「そう。顔色が良くなりましたね」
「ありがとうございます」

 聖女はすっきりした顔で笑う。
 迷いが消えていた。

「私、元の世界に帰ります」

 レティシアナは、聖女が嬉しそうなのに心が温かくなる。
 そういう気持ちにさせられる、晴れ晴れとした声音だった。

「お父さんやお母さん。お祖母ちゃんに会いたい。友達と笑い合いたい。ずっと帰りたかった」

 でも、自己満足だとはいえ、救いたい相手がいた。
 だから、全て我慢した。

「お気づきかもしれませんが、この世界に喚ばれた十三歳から、私成長していないんです」

 聖女が小柄な理由がわかり、レティシアナは目を見張る。

「きっと、私の帰る場所は日本にあるってことなんだと思います。神さまが、元の時間に戻してくれるそうなので、今は目一杯両親に甘えたい。名前で呼ばれたい。そんな気持ちです」

 朗らかに笑う聖女に、レティシアナはお腹を撫でて目を細める。

「……今のわたくしは、貴女のお母さまの気持ちで思ってしまうの。我が子を、抱きしめたいと」
「それは」

 愛おしげにお腹に触れ微笑むレティシアナを見て、聖女は目を輝かせる。

「おめでとうございます!」
「ふふ、ありがとう。だから、貴女がお母さまに甘えられる日々を取り戻した時に、思い出してね。お母さまは、貴女を愛している、と」
「はい!」

 そして、お茶会では穏やかな時間が流れた。
 聖女の笑顔は明るく、そして、目は未来を見ている。
 その姿に、レティシアナも惑うことなく未来へ行けると、心が温かくなったのだ。



「聖女さんの、心の憂いを晴らしたいんだ」

 アニーは、龍王に言った。
 元の世界に戻り、健康な心で過ごしてほしい。
 それは、友達としての願いだ。
 離れても、友達が笑顔で過ごしてくれる。
 これ程、嬉しいことはない。


 そして、願いは叶えられ。
 青空に向けて、一筋の光が伸びた。


 きっと、彼女は笑顔で家に帰っただろう。

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