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十七、未来を信じて
しおりを挟むランプの灯りを頼りに、椅子に座った女は編み物を進めていく。
床に転がる毛糸玉を、子猫が寝転びながらちょっかいをかける。
「メイ、いたずらは駄目よ?」
「にゃあー」
大きな目で、何もしてないよ? と見上げる様子に、幼かった息子の姿が重なる。
あの子は優しく、そして、やんちゃだった。
いや、大人になっても騒がしい子だ。
「あの子は、大丈夫かしら」
ルビーのように輝く目で、いつも楽しそうに駆け回っていた。
娼館の用心棒をして、娼婦を引退した母親の面倒をみる、孝行者。
優しい泣き虫、でもすぐに笑い出す。
皆が、あの子を愛した。
あの子が見る世界は、きっときらきらとしていたのだろう。
今は会えずとも、幸せでいてくれたらいい。
「……今日も、曇り空」
部屋の窓から見える空は、どんよりと厚い雲に覆われていた。
久しく空の色を見ていない。
窓の外は、庭に面していた。
そこには艷やかな黒髪を後ろで纏めた男が、細長い棒を振り回し鍛錬している。
年は五十を過ぎているのに、体は締まっていて若々しい。
横顔は、女の息子にそっくりだ。
「陛下。休憩にしませんか?」
窓を開けて声を掛ければ、男は首に掛けた布で汗を拭う。
「ミーチェ。私はもう龍王ではない」
「そうでしたね。アイルさま、お茶をいれますから、戻ってらして」
「すまない、助かる」
アイルと呼ばれた男は、玄関へ向かう。
その間に、テーブルにお茶とお菓子を用意した。
女―ーミーチェの息子が大好きだったドーナッツだ。
アイルはミーチェの家に来てからドーナッツを口にしたようだが、たいそう気に入ったようで、息子と同じ色の目を輝かせるのだ。
親子ね、とミーチェは思う。
「ほう」
テーブルの上にあるドーナッツを見て、アイルはやはり嬉しそうにした。
息子であったら小躍りしそうだが、彼は丁寧に椅子に座る。育ちの違いがそこにあった。
「ふむ。やはり、チョコレートのドーナッツは至高だ」
「ふふっ」
思わずミーチェは笑ってしまう。
息子も、チョコレートが大好物であったから。
「……そうか。あいつもか。もっと会話をしたかったものだ」
「ええ、いつもにこにこして食べていました」
好みが似通っている二人だから、もしも一緒に過ごしていれば話が弾んだことだろう。
主に息子が一方的に話すだろうが。
息子は、アイルが龍王であった頃に娼館に忍んで来た時に宿った子だ。
まさか国の頂点に立つ方だとは思わなかったが、品が良く美しさもあり、高貴な人物であることは分かっていた。
ミーチェが指名され、何度か夜を共にした。
当時のアイルは気まぐれだと言っていたが、ミーチェには彼が休息を必要としている気がして、自分の知る物語を聞かせ休ませる日もあった。
ほんの僅かな時間しか過ごさなかった高貴な方が、時を経て共に暮らすことになるとは思わなかった。人生とは不思議なものだ。
「名を取り戻し、次代が守ってほしいと願った。だから、今後は私が君を守護しよう」
そう言って、アイルはミーチェの家に来た。
まさか、先代龍王自らが用心棒になるとは思わず、絶句したのは良い思い出だ。
それから、静かに暮らしてきた。
アイルは武術に精通し、そして、器用に市井に馴染んだ。
メイと名付けた子猫は、アイルが拾ってきた。
「娘に似ていて、つい……」
龍王時代に生まれた子供は、ミーチェの息子とアイルと妃の間にできた娘の二人だ。
妃は、アイルが退位すると娘を連れて旅立ったと聞いた。
「お互い自由の身。これからは好きに過ごしましょう」
と、晴れやかに笑っていたらしい。
確か、今は南国にある修道院で子供たちに読み書きを教えているとか。
「私の至宝であれば、許されない事だが。彼女には自由が似合う。彼女が至宝でなくて、良かったと思う」
子猫を撫でながら、穏やかにアイルは言った。
きっと彼は、家族を愛していたのだろう。
「にゃーにゃー」
「メイ、駄目だ。お前にチョコレートは毒だ。代わりに煮干しをやろう」
「にー」
むしゃむしゃと煮干しを食べる子猫に、アイルは目元を和ます。
「娘も、食いしん坊だった」
「それはご本人には言わないほうがいいですね」
「そうなのか?」
「怒られます」
「そうか……あの子は怒ると怖いからな」
真面目に言うアイルに、ミーチェは微笑んだ。
しばらくドーナッツを食べる時間が過ぎる。
無言だが、馴染んできた穏やかな時間だ。
すると、窓の枠に白い鳥が留まるのが見えた。
「あれは……」
「ああ、動きがあったようだ」
アイルは窓を開けると、腕を出す。
白い鳥は、枠から腕に移動した。
「ふむ」
白い鳥の目が淡く輝き、文字が浮かび上がった。
そして、アイルが手を払うと消える。
そのまま鳥を空に放った。
「娘さんから、ですか?」
「ああ。無事に事を成せたようだ」
窓を閉めたアイルは、再び椅子に座る。
そして、微笑を浮かべた。
「私は、もはや龍王ではない。龍脈を制御する力は失われ無力であるが。動けば目立つ。手を貸せないのは辛いな」
「アイルさま……」
「騎士たちの身を優先すれば、聖女たちに任せるしかない。何より、囚われた神と縁が結べたのは聖女だけだ」
ミーチェはアイルからある程度の事を聞いていた。
神殿の暗躍。晴れない曇り空。世界の均衡が崩れようとしていることを。
「私にできることは龍王に現状を伝え、各地に支援する者を送るのみ」
「あの子は、大丈夫でしょうか……」
今の状況を息子が気にしないはずがない。
アイルは、沈痛な表情を浮かべた。
「……あいつには、辛い思いをさせた。龍脈に馴染みない身で重責を任せてしまった。龍脈が選んだとはいえ、急な譲位に戸惑ったことだろう」
次代は娘だと思っていた。
だが、龍脈の力は今の龍王に集まっていた。
「でも、あの子は責めなかったでしょう?」
「ああ。難しいと泣くことはあっても、恨み言はなかった」
アイルは、この深刻な状況での龍王が彼で良かったと思う。
歴代の龍王のなかで、ひときわ感情が豊かな子だ。
彼は泣くだろう、無力に打ちひしがれもするだろう。
だが、それでいい。
感情があるからこそ、彼は聖女たちに感謝できる。
アイルが龍王であった頃では、何も感じなかったはずだ。
誰かが成しても、それはその者に課せられた使命だと思い、当たり前だと判じたはずだ。
龍王は常に龍脈と在る。強い力に感情の振れ幅は消えた。
だから、自分では駄目だ。
龍脈と在りながら、揺れる感情のある彼だからこそ、全てを受け入れるだろう。
龍脈の乱れが、治まりつつある。
もうすぐ、空は晴れるだろう。
「……ミーチェ、私は不謹慎だが。騒ぎが起きたのが龍治大陸で良かったと思う」
「そう、ですね」
龍脈という大地の力が溢れる場所だからこそ、異変は最小限で済んだ。
収穫祭が開催されるぐらいだ。
陽の光がなくとも、作物は育つ。
それは大地の力ゆえ。
他の大陸では、保たなかった。
「辛くとも、至宝が支える。だから、信じよう」
「あの子の幸せを、私はいつも願っていますよ」
神殿は、大地の神々を否定し、龍王を憎んだ。
囚われた神を龍治大陸唯一の神とすべく動くなか、現れた龍王の至宝。
彼らの憎しみは、そこに集約しようとしていた。
龍脈を乱し、理を唯一の神に被せ、新たな理により至宝そのものを消そうと考えたのだ。
世界の在り方が変われば、龍王から至宝を奪えるだろう。
それは息子の幸福が消えることを意味した。
「私は唯人ですが、願い続けます。あの子の幸せを」
「ああ、それはきっと実を結びだろう。奇跡を起こすのは人間の特権だ」
そして、二人は笑い合った。
「にゃあ」
「ああ、駄目よ。メイ、それはアイルさまの襟巻なのよ」
子猫が机に置かれた編み物にじゃれつくのを、ミーチェは注意する。
アイルは目を瞬かせた。
「あれは、私のなのか」
「ええ。収穫祭が終われば寒くなりますから」
「……そうか。出来上がったら、龍王に自慢しに行くか」
「そうですね。あの子はどんな反応するかしら」
「楽しみだ」
二人は、未来の話をした。
必ず訪れると信じているから。
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