11 / 23
十一、名を失くした少女
しおりを挟む長年研究された術式は、神域にある神殿内にて描かれた。
石畳の床に緻密に彫り込み、神官たちは執念を燃やして術式は完成したのである。
望むのは、天の理も大地の理にも囚われていない存在。
理の外に居る者でなければ、何も成せない。
神官たちは神々の慈愛を疑っていない。
理の内にいる限りは、神々の庇護下に入ってしまう。
彼らが成す事には、世界の理に関係ない者が必要なのだ。
神官たちの神への敬愛は本物だ。
あまりにも強い思いは、外から見れば暗く淀んだ執念でしかなかったが、指摘してくれる存在は神域にはいなかった。
術式は力の巡りやすさから、円形が選ばれた。
そうして、理から外れる為に暗闇の神が眠る新月の夜を選んだ。
夜は天空神は存在できない。
天の神々とて眠るのだ。
だからこそ、最適の時間であった。
神官たちは術式を起動する。
長年の苦悩がようやく晴れるのだ。
彼らは盲目に天の神々を愛した。
自分たちこそが、神々の最大の理解者であると自負している。
ゆえに気づかない。
傲慢さ、盲信、濁る祈り。
全てが、毒と成り果てた。
すぐそばにある悲痛な叫びも、慟哭も、苦しみながら紡がれる救いを求めた声は届かない。
暗闇のなか、術式は眩い光を放つ。
術式を刻んだ部屋を埋め尽くす、強烈な輝き。
神官たちは歓喜に湧き、涙を流す。
我々の悲願が叶えられたのだ、と。
光は人の形を作り、集束していく。
神官たちの視界が正常な色彩を取り戻した。
光は弱まり、艷やかな黒い髪がさらりと揺れる。
まろやかな頬はみずみずしさがあり、閉じられたまぶたが上がれば、黒曜石のように深い色が現れた。
小さく色づいた唇は、少女の清らかな雰囲気を彩る。
小柄な体は、見た事もない不思議な意匠の服に包まれていた。
小さな足は、艶のある上質な靴が。
少女を包む全てが、未知に溢れていた。
神官たちは、咽び泣き、額を石畳に擦り付けるように頭を下げる。
大勢の大人が自身に向けてひれ伏す異様な光景に、少女は何も言わない。
ただ、目を僅かに細めた。
「おお、おお、理の外にある者よ」
「我らの願いに応えし者よ」
「我々に救いを」
さざ波のように、神官たちの願いが広がる。
少女は、神官たちを見渡した後に口を開いた。
「……貴方たちが、私を呼んだ声、ですか?」
それは年齢に見合わないほど、慎重な問い掛けだった。
だが、少女の容姿は神官たちが理想とした清らかで大人しい姿だった為に、彼らは彼女の問い掛けに深く考えずに答えた。
自分たちが、少女を呼んだのだと。
「ああ、貴女はまさしく我らが求めし者だ」
「聖女」
神官の誰かが言った言葉は、瞬く間に浸透していく。
「聖女様だ!」
「聖女様!」
この瞬間に、少女は聖女となった。
彼女の意思も、意見も、承諾もなく。
ただ、ただ、熱狂に支配された者たちの主観だけで決められてしまった。
相原楓という名前は、名乗る前から消えたのだ。
――お願い。
――助けて……。
――ああ、このまま、私は……。
こんなにもたくさんの人間がいるのに、これほど悲痛な悲鳴に気づかない。
ただ一人を除いて。
「……大丈夫。大丈夫、だよ」
名もなき存在となった少女の声は、神官たちの言葉にかき消された。
だから、悲鳴が僅かに和らいだことに気づいたのも少女だけだった。
321
お気に入りに追加
3,301
あなたにおすすめの小説

〈完結〉八年間、音沙汰のなかった貴方はどちら様ですか?
詩海猫
恋愛
私の家は子爵家だった。
高位貴族ではなかったけれど、ちゃんと裕福な貴族としての暮らしは約束されていた。
泣き虫だった私に「リーアを守りたいんだ」と婚約してくれた侯爵家の彼は、私に黙って戦争に言ってしまい、いなくなった。
私も泣き虫の子爵令嬢をやめた。
八年後帰国した彼は、もういない私を探してるらしい。
*文字数的に「短編か?」という量になりましたが10万文字以下なので短編です。この後各自のアフターストーリーとか書けたら書きます。そしたら10万文字超えちゃうかもしれないけど短編です。こんなにかかると思わず、「転生王子〜」が大幅に滞ってしまいましたが、次はあちらに集中予定(あくまで予定)です、あちらもよろしくお願いします*

婚約者の心の声が聞こえるようになったが手遅れだった
神々廻
恋愛
《めんどー、何その嫌そうな顔。うっざ》
「殿下、ご機嫌麗しゅうございます」
婚約者の声が聞こえるようになったら.........婚約者に罵倒されてた.....怖い。
全3話完結

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

貴方もヒロインのところに行くのね? [完]
風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは
アカデミーに入学すると生活が一変し
てしまった
友人となったサブリナはマデリーンと
仲良くなった男性を次々と奪っていき
そしてマデリーンに愛を告白した
バーレンまでもがサブリナと一緒に居た
マデリーンは過去に決別して
隣国へと旅立ち新しい生活を送る。
そして帰国したマデリーンは
目を引く美しい蝶になっていた


そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。
しげむろ ゆうき
恋愛
男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない
そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった
全五話
※ホラー無し

寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。

悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる