【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり

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ニ、わたくしの旦那さま

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 聖女をレティシアナは見たことがない。
 龍王ではなく、神を崇める神殿とは関わるなと、父親に言われていたからだ。
 もともとは海の向こうにある信仰を龍治大陸に持ち込んだのが、神殿だ。
 時の龍王が許したから、存在できた神殿。
 他の大陸では信者を得られるのは容易かったかもしれないが、龍治大陸では何百年経とうが、遅々として信者は増えなかった。
 龍王に支援を願い出て、ようやく成り立つ状況に焦ったのか、彼らは異世界へと手を伸ばし、年若い少女を招いたのである。
 少女を聖女として触れ回ることにより、人々の関心を得ることに成功したのだ。
 爆発的にではないにしろ、信者を増やすこととなった神殿は勢いづくこととなり。
 唯一神殿を建てることを許されていた神域と称する場所から飛び出し、各国に新たに神殿を建てるようになったのである。
 当然、龍王を蔑ろにする行為に王たちは抗議したが、神殿は統治が届きにくい辺境の民を味方に付けたのだ。
 元々不満の溜まっていた民は、神殿を守り、聖女を至高の存在とした。
 そうして、国の端とはいえ、神殿の存在を許してしまう事態が起きた。
 聖女が現れてから、たった一年のことである。
 だから、レティシアナは王の娘として、会うことはできなかった。
 王は、神殿と聖女を受け入れていないからだ。
 聖女について知っているのは、まだ十四歳だということ。
 病や傷を癒せることぐらいだ。
 当時、十六歳であったレティシアナは、ただ漠然と大変なことが起きたのだな、としかわからなかった。
 王宮の奥に住むレティシアナにとって、聖女とはとても遠い存在でしかない。
 ときおり、母親と共に慰問で訪れる孤児院の方が、まだ身近であった。

 そんな時だ。
 各国が話し合い、辺境の民に安寧を与えた聖女に感謝を捧げるという名目で騎士を神殿に派遣することが決まったのは。
 真の目的は、神殿の実態調査だ。
 神殿への牽制とすべく腕が立ち、国に忠実な者たちが選ばれた。
 その騎士たちのなかには、レティシアナの婚約者であるカイトも居た。
 とても名誉あることなのだと、皆が口々に言う。
 レティシアナも、カイトが騎士として忠誠心が高いことを知っていた。
 父親である王の信が篤い、素晴らしい騎士なのだと誇らしく感じた。
 だが、同時に危険に飛び込む彼の身を案じてもいた。
 だから、彼の目と同じ色のトパーズに願いを込めて魔除けとして贈った。
 カイトは目を細めて、トパーズと一緒に神殿に赴き。
 そして一年後、聖女と共に姿を消したのだ。

 ひらり、ひらり。
 薄桃色の花びらが視界の隅で舞う。
 窓辺に座るレティシアナは、刺繍の手を止めた。

「……旦那さま、何をしていらっしゃるの?」

 レティシアナの不思議そうな問いかけに応えるのは、窓の近くにある木に登っている龍王だ。
 金糸で彩られた白いシャツとズボンは、泥だらけである。漆黒のマントも、何故かよれていた。
 龍王はへらへらと笑うと、腰にさげた篭から花びらを掴み、レティシアナの方へと向けて放つ。
 無数の花びらが舞いながら、落ちていく。

「いや、執務に区切りついたのでな。そうしたら、庭にある桜の木が満開じゃないか! 桜と言えば可憐。可憐ときたら、レティシアナだ!」
「えっと、ありがとうございます?」

 褒められたのだと受け取り、お礼を言うレティシアナ。

「どういたしまして!」

 龍王は嬉しそうに笑うと、木から窓枠に飛び移る。

「まあ! 旦那さま、危ないです!」
「だーいじょうぶ! 子供の頃は、もっと無茶したからな!」

 そして、ひらりと部屋に入る龍王。
 篭を近くのテーブルに置くと、中から桜を模した髪飾りを取り出した。

「これは、俺が桜の花びらを拾っている間に、部下に買いに行かせた髪飾りだ。レティシアナへの贈り物だ!」
「まあ!」

 二十九歳の美の化身がせっせと桜の花びらを拾う姿を想像し、レティシアナは目を瞬かせた。
 見た目だけなら似つかわしくない行為だが、何故か簡単に思い浮かんでしまう。
 そして、部下とは龍王が一番信頼している宰相ではないだろうか。違っていてほしい。宰相とは気軽に使える存在ではない。
 しかし、龍王が簡単にお使いを頼むのは、彼しかいないのだ。
 他の臣下たちに頼むと凄く反発してくるから頼めない、と言っていたのを覚えている。

「旦那さま、嬉しいです。でも、お召し物が汚れてしまっていますよ」

 色々考えた末、レティシアナは無難なことを指摘した。

「あー、地べたに座ったからな。よし、レティシアナ。一緒に湯殿に行こう!」
「え、あの」

 無難を選んだら、とんでもない言葉が返ってきた。

「湯殿は遠いよな。そうだな、レティシアナ。俺が連れて行く!」
「は、あの。湯殿でしたら、夜に……」
「時間なんか、関係ない。俺が背中流すよ」
「そ、そんな、悪いですし、その」
「先触れを出す! 早く湯を沸かしてもらわないと!」

 慌てるレティシアナをよそに、龍王は軽々と彼女を抱き上げた。お姫様抱っこである。
 ちなみに、部屋には数名の侍女が控えていたが、龍王が部屋に飛び込んだ時点で皆お仕着せの裾を持ち、無表情で顔を伏せている。
 無我の境地に達しているようだ。
 龍王は尊敬すべき、統治者である。
 しかし、妻の前では無邪気な少年になるのは、ここでは常識だ。
 賢く従順で有能な彼女たちは、湯殿の単語が出た時点で既に連絡を出していた。もはや、言葉はいらないのだ。

「レティシアナ! 今日はもう寝室に……」
「だ、旦那さま!」

 直球過ぎる龍王の行動に、いつまでも慣れないのはレティシアナだけである。
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