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4巻
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しおりを挟むプロローグ
王家の庇護を受けて、国立魔術学園初等部に通っていた私――ミラは、四日前に魔力暴走を起こしてしまった。それ以来、フィーメリア城の迎賓棟の最上階に部屋を借り受けている。今、その部屋には音楽が流れていた。
音源は、窓際に置かれたテーブルの上にある大地の宝珠。音と映像を記録できる魔法の宝石だ。
同じテーブルの上で音楽に耳を傾けているのは、三頭身の精霊達。彼らは私の契約精霊である。
地の精霊グノー、風の精霊ルフィー、火の精霊サラ、水の精霊ディーネ。本来の姿は八頭身の美男美女なのだけど、私が小さくて可愛いモノ好きなせいか、おちび姿でいる事が多い。
部屋の中央には、軽やかなステップで踊る若い男女が一組。
少年の名はアインセルダ・ユル・フィーメリア様――通称、アイン様。この国の王子様である。金髪碧眼、眉目秀麗。甘い微笑みを浮かべてパートナーの少女をリードする姿は、まさに王子様。
そのアイン様に手を取られて頬を赤く染めているのは、イーメルディア・フィーア様。私はメルディ様と呼んでいる。彼女はアイン様に恋い焦がれ、婚約者候補筆頭の座を維持すべく、努力を重ねる公爵令嬢だ。ダンス中にアイン様に見とれていても、複雑なステップを難なくこなす。
なぜ二人が踊っているのかと言うと、私にダンスを教えるためだ。約一ヶ月後に行われる夏至祭で、私は勇者様と共にダンスパーティーへ参加する事となったのである。
その勇者様が、現在私の左隣に立つ美青年。長い黒髪に紫紺の瞳を持つ彼の名は、アーヴィル・ウェスティン様。八百年の眠りから目覚めた彼――ヴィル様は、魔王様でもあったりする。
かつて大陸を支配していた帝国の皇帝は、ドラゴンに匹敵する魔力と不老不死を得るべく、人の身に魔獣や魔物から得た魔石を埋め込んだ。その皇帝が攫った女性に産ませた子供がヴィル様で、彼はドラゴンの魔石を四つも埋められた実験体なのである。まったくもって酷い話だよね。
他にも犠牲者はたくさんいて、彼らは魔に隷属する者――魔属と呼ばれて日々実験に使われていた。しかし彼らはある夜、皇帝を討ち、実験に荷担した貴族や魔術師を根絶やしにしたのだ。
同日、騒ぎに乗じて逃げ出した魔獣や魔物が一般の人々をも襲い、帝都は一夜にして滅亡した。
以来彼らは、マゾクという呼称を音のみで聞いた人々によって、魔族――魔の眷属と伝えられ、ヴィル様は魔王と認識されたのだった。
そんなヴィル様が勇者となったのは、フィーメリア王国の祖、フラルカ・フィーメリア様と、彼女の婚約者トール様との出会いがきっかけである。諸々の事情を知ったフラルカ様達は、ヴィル様と一緒に帝国内に急増した魔獣や魔物を退治して回り、彼を勇者と称したのだ。
その裏で彼らは、人への憎しみに囚われて各地で暴れている魔族を倒し、あるいは倒したフリをして説得し、王都の北側にある標高が高く険しい山――ユグルド山の向こうへ送り返していたのである。
当時、魔王の仲間だと誤解され、人族との間に溝が広がる一方だった他種族達も、フラルカ様と出会い、ユグルド山へ移住したそうな。
フラルカ様が立てた計画は、粗方上手く進んでいた。しかし、〝魔王〟がいては民の不安が消えない。その不安は自然界の魔力を汚染し、動物を魔獣や魔物に変える。
ヴィル様はフラルカ様の『魔族を人に戻せる者を探し出す』という言葉を信じて、魔族一同、眠りについたのだった。
それから八百年の月日が流れ、最近異常な魔力を感じたヴィル様は目を覚まし、私と出会ったのである。他界したフラルカ様が異世界――地球で見つけた〝魔族を人に戻せる人〟候補の私と。
転生した私が膨大な魔力を持っていたのは、やっぱり意味があったのだ。
転生に至る経緯を思い出した私は、ついでに前世で通り魔に殺された事まで思い出しちゃったものだから、ショックで魔力を暴走させてしまった。
周囲に被害を出して、私自身も死にかけたわけだけど、その騒ぎをおさめてくれたのはヴィル様だ。
暴走したのが、ヴィル様と出会ってからで良かったよ。暴走を抑えるための魔法で大人の姿になっちゃって、学園には通えなくなったけどね。
その後、私は自力で制御可能な量まで魔力を消耗したら、一時的に六歳の姿に戻れるようにはなったが、魔力が回復してしまえば元の木阿弥。完全に実年齢の姿に戻るには、魔力の器である心か体の成長が必要らしい。
転生者としての使命を果たすのに、体の成長を何年も待ってもらうのはヴィル様に申し訳ない。だから今は、心の成長――精神力を高めて魔力を制御できるようになろうと、訓練をしてるところだ。
修業中の身らしく、滝行とかもすべきかな?
いや、でも今まで私は精神修養なんてした事がない。なのにこれまでは人より多い魔力を制御していたのだから、気がつかないうちに心の成長を促す出来事があったのかもしれない。
……本、だろうか? 前世で本を読んで得た擬似的経験、感動、思考、発想。それが今世で心の糧と呼ばれる物になっていたとしたら、本物の経験は、より大きく私の心を成長させてくれる気がする。
よし。もっとたくさん、色々な経験をしてみよう。とりあえず、やれる事からコツコツと、だ。
幸いと言ってはなんだが、私は大人姿でも果たせるお役目をいただいた。それは、ヴィル様の護衛である。
魔力と武に優れた跡継ぎを得て家を繁栄させるため、勇者であるヴィル様は、多くの貴族から娘婿にと狙われている。それらから護るのだ。さしあたっては、夏至祭におけるヴィル様のパートナー。お嬢様除けである。
子供姿でもできなくはないけれど、子供とべったり一緒だと、勇者がロリコンだと思われてしまうかもしれない。不名誉なレッテルが貼られるリスクは避けなきゃね。
ってなわけで、ただ今夏至祭で踊るダンスのレッスン中である。前世でのダンス経験は、運動会のフォークダンスのみ。今世の出身地、イルガ村の祭で踊っていたのも、似たような物だった。
だから社交ダンスっぽいこれは、めっちゃハードルが高い。さぞかし良い経験となるだろう。
曲の終了と共に足を止めたメルディ様とアイン様に、私は拍手を送った。
メルディ様がニコリと笑う。
「基本的なステップはこのような感じですわ。いかがです? ミラさん」
「壁と仲良くしていたいです」
「それでは虫除けになりませんわ」
ですよねぇ。でも正直な気持ちです。頑張るけれど、もう少し簡単なステップからレベルアップしていきたいです。
「足が縺れたり、お相手の足を踏んだりしそうですが、これが初心者用の基礎ステップなんですか?」
「ええ。縺れたり踏んだりは、初心者の誰もが通る道ですわ。練習するしかありませんのよ」
そう言ったメルディ様の靴には、凶悪な高さのヒールがある。そして私が履いている靴にもだ。
「足を踏まれる男性方に、同情を禁じ得ないですね」
思わずこぼれた感想に、アイン様が苦笑する。
「そうだね。ダンス教師は地属性が最適、なんて言われるくらいだよ。身体強化で硬化したら、痛みを感じにくくなるからね」
へえ。地属性が身体強化したら、膂力が上がる事は知っていたけど、硬化の補正もつくんですね。踏まれても痛くない人が、教師に向いてるってわけだ。
納得した私に、笑顔のアイン様が手を差し出した。
「だから気にせずに踏んでしまって構わないよ」
ああ、そういえば、アイン様は地属性でしたね。
彼は先日、大人姿の私に一目惚れして本気になったと言ってくれた。しかし元々は、高魔力保持者の血筋を王家に取り込みたいと、政略結婚を打診してきた方だ。腹黒さんは苦手である。
それに、王族のお役目を考えるとプレッシャーが半端ないので、彼のお相手はご遠慮したい。メルディ様とお友達になったから、彼女の真っ直ぐな恋も応援したいしね。ゆえに、この手を取るわけにはいかないのだ。
それでなくとも、パーティーでの私のパートナーはヴィル様である。本番まで一ヶ月を切っているのだから、本番と同じ相手で慣れておいた方がいいだろう。ヴィル様も踊れなかったら、二人して壁の花でいられたんだけど、彼は踊れるんだよね。
ヴィル様にダンスを教えたのは、フラルカ様らしい。曰く『覚えておいて損はない。無愛想でもダンスさえできれば、旅のスポンサーは釣れる』とのこと。なんというか、身も蓋もない。
ヴィル様を見上げた私に応えるように、彼は私に手を差し出す。
「踏まれても問題ない事が条件ならば、最初から俺が相手でも問題ないな」
「ですよね」
生半可な刃じゃ傷もつかず、体長三メートル近い魔獣を蹴り上げる頑強さを備えたヴィル様だ。小娘の体重がのったヒールに踏まれたくらいじゃ、ダメージにならないだろう。
私は彼の手を取って、部屋の中央へ移動した。アイン様の手には、メルディ様の手が重ねられる。
「もう一曲、お相手をお願い致しますわ」
アイン様と踊れる機会を逃さないメルディ様。積極的ですねぇ。その心意気や良しです!
私は恋愛経験なんてないから、具体的なアドバイスはできない。それでも彼女の行動をサポートするくらいならできる……と思う。
うん、たぶん的外れな事はしないよ? 恋人いない歴イコール年齢(前世含む)だけどね。
グノーが大地の宝珠を再生し、音楽が流れ出す。私はヴィル様のリードに合わせて一歩踏み出し――さっそく彼の足を踏みつけた。あうぅ。難しい……
第一話
数回踊って貧弱な私の体力が尽きかけた頃、本日のレッスンが終了する。私は疲れた体を引きずって、部屋の隅に寄せたソファーに腰掛けた。
いかん。パーティーまでに、もっと体力をつけないと。
みんなも苦笑しつつ、ソファーに座る。ダンスの後は、お茶会タイムだ。
「ミラさんって、本当に体力がありませんのね」
私付きのお世話係のカーラさんが入れてくれたお茶を飲みながら、メルディ様がしみじみと呟く。そんな彼女の前に、もう一人のお世話係のエメルさんが、クッキーをのせた小皿を置いた。
今日のおやつは絞り出しクッキー。みんなの前にも置かれ、グノー達が嬉しそうに齧りつく。可愛らしい姿に癒やされながら、私はメルディ様に同意した。
「一応、体力作りはしてるんですよ。走るのはすぐにバテるので、お散歩や軽い運動ですけど」
無理のない範囲から鍛えようというのは、やっぱり間違いだろうか?
メルディ様を見れば、すらりとした体に程良く筋肉がついている様子。私よりもダンスを踊ったのに、少しも疲れていないみたいだ。
ご令嬢はか弱いイメージがあるが、彼女は駆け出しとはいえハンターだから、それなりに鍛えているんだろう。
ハンターとは、魔獣や魔物を倒し、素材とか魔石を採集する人である。体力が資本だ。
凄いなぁと感心して眺めていたけれど、あまりジロジロ見るのは失礼かと思って視線を外し、クッキーを口に運んだ。
その時、メルディ様が手を打ち鳴らす。
「ミラさん、わたくしと一緒にハンター活動をしてみませんこと? ミラさんの魔力なら、魔物と遭遇しても戦えますし、庭園よりも起伏のある野山を歩いた方が、体力向上に効果的ですわ」
いい事を思いついたと言わんばかりに、顔を輝かせるメルディ様。確かに一理ある。そしてハイキングの経験値もゲットするチャンスだ。でも……
もぐもぐとクッキーを食べ終えた私は、体力が底辺であるがゆえの懸念を口にした。
「ある程度体力がつくまでは、しょっちゅう休憩を取っていただく事になりかねませんよ。ご迷惑ではありませんか?」
「構いませんわ。まずは薬草採集なんていかがかしら。わたくしが採集している間に休む事も可能ですし、薬草学の勉強になりましてよ」
薬草採集も、ハンターの仕事の一環である。採集中に魔物に襲われる危険があるからだ。
メルディ様がいいと言ってくれるのであれば、拒む理由はない。魔法を使うかもしれないので、万が一、私が魔力を暴走させた時のために、ヴィル様の同行も決定した。
アイン様からは、ニッコリ笑顔で「がんばって」と激励される。
「では、明日はハンター活動を行う時の装備を買いに、街へ行くのはいかがですか? 朝九時頃に、装備選びのアドバイザーを連れて参りますわ」
「はい。楽しみにしています」
私は魔力暴走を起こしてから、一般市民を巻き込まないよう、外出を制限されていた。人の少ない平原はともかく、城下街に行くのは禁止。けれど先日、魔力制御の試験で郊外の町に行った時、魔力を暴走させる事は早々ないとお墨つきをもらえたので、外出は解禁となったのである。
ちなみに魔力制御の試験を受けたのは、私の安全性を証明して、夏至祭に参加する許可をもらうため。夏至祭では、勇者であるヴィル様のお披露目を兼ねたパレードやダンスパーティーも行われる。だから彼狙いのご令嬢達がたくさん現れる可能性が高く、その虫除け役として参加したかったのだ。
「あ、そうだ。ヴィル様、明日は魔力を使う予定はありませんけど、よろしければ街までおつき合いいただけませんか?」
「武器や防具のアドバイスはできんぞ?」
ヴィル様の武器は、実体化した魔力でできていますもんね。参考にならないのは承知してます、と私は頷いた。
「フラルカ様とトール様が作り上げ、八百年かけて発展した国と街を楽しんでいただきたいんです。外食もしませんか?」
もしお二人がご存命の時代にヴィル様の封印が解けていたら、彼女達は自慢の国をあちこち案内しただろう。代わりと言うには、私の行動範囲が狭いので申し訳ないが、美味しいお店くらいは案内できる。
私の言葉にヴィル様は少し目を見張り、そして細めた。綺麗な顔に、微笑みが浮かぶ。
「ああ。そうしよう」
嬉しそうで何よりだ。それにしても、他の人の前でもこんなふうに笑ったら、周囲からの好感度はうなぎ上りだろうに。
……なぜだろう。今、胸の奥がモヤッとした。
ヴィル様が他の人と交流を持った時、彼が魔王だとバレないか、不安なのかな?
だけど、ヴィル様に友人が増えるのは悪い事じゃないはずだ。万が一正体がバレた時に、『なんだ、魔族と言っても自分達と変わらないな』と言ってくれるような友人が増えるといいなと思う。
そんな事を考えつつおしゃべりをしていると、メルディ様がキリのいいところで席を立って言った。
「そろそろお暇いたしますわ。ミラさん、後で必ずステップの復習をしてくださいましね」
「はい」
カーラさんがドアを開ける。すると、反対側の窓から強い風が吹き込んだ。空に、灰色がかった雲が急速に広がっている。開け放った窓のガラスが揺れて、大きな音を立てた。
「風が強くなってきましたね。雨が降るかもしれません。道中お気をつけて」
私の言葉に、メルディ様が頷く。
「ええ。ありがとう。それではごきげんよう、ミラさん、勇者様。また明日」
私のお見送りは戸口まで。執務に戻るアイン様が、彼女を階下まで送ってくださる。エメルさんとカーラさんは、お茶の道具を片付けるべく、部屋を出て行った。
「ヴィル様、おさらいに一曲、おつき合い願えますか?」
私がお願いすると、彼は手を差し出してくれる。
グノーが大地の宝珠を再生し、流してくれた曲にあわせて、私達は部屋の中央へ移動した。
思い切ってヴィル様に体を寄せ、リードされるままに足を動かしてみる。すると、驚くほど踊りやすい。でも、ずっとこの距離なのは恥ずかしいかも。
そう思った瞬間、彼の足を踏んだ。ギクリと体を強張らせると、ヴィル様が少し強引にリードして、立て直してくれる。
「ミラ。俺の足は踏んでも構わないから、動き続けろ。そうすれば、誰も気づかない」
ヴィル様の荒っぽいアドバイスに、私は目を丸くする。そしてクスリと笑って、彼を仰ぎ見た。
「粗探しに夢中な人は、見ているかもしれないですよ?」
「放っておけ。足元はドレスに隠れていて、ほとんど見えはしないのだ、言いがかりにしか聞こえまい」
確かに。本番で着るロングドレスは、つま先が出るかどうかギリギリの長さだ。そして大多数の人は他人の足元なんか見ていないから、私が踊り続ける限り、違和感は覚えないだろう。そんな中でミスを指摘しても、その人のイメージが悪くなるだけだ。
「でも人の足を踏んでおいて平然と踊るのは、難しいですよ?」
こんなヒールをぐっさり刺してしまうんだもの。普通、「うわっ、やっちゃった!」って、思うよね。
反射的に体が竦んでしまうのは、仕方ない。それとも、魔法が当たり前に使われるこの世界では、「身体強化していれば平気でしょ?」と素知らぬフリをするのが普通なんだろうか。
「ではこれ以降、すべて踏むつもりで踊ればいい」
「全力で踏みに来いと!? でもって踏み慣れろとおっしゃる!?」
ヴィル様ってば、時々突拍子もない事を言う。っていうか、他人様の足を踏み慣れるのは、やっぱりダメでしょ。
「さすがにそんな練習法はないですよ、ヴィル様」
「そうか。ああ、ちょうど曲が終わったな」
ダンスの後半は、おしゃべりしながら動いているうちに終わってしまった。
あれ? 私、もしかしてちゃんと踊れてた?
首を傾げている間に、再び音楽が流れ出す。
「もう一曲、踊っておくか?」
ヴィル様の問いに、私はコクリと頷いた。踊れるようになったかどうかは、やってみればわかる。
結果は――まあ、最初の時よりミスは減ったかなって程度。踊れたと思ったのは、気のせいだったらしい。メルディ様ならリベンジで「あと一回!」と言うのだろうけど、私は違う。宝珠を操作して音楽を止めた。
「もういいのか?」
「はい。カーラさん達がしばらく戻らなさそうなので、首輪を外すために水系浄化魔法を試してみたいと思います」
八百年前、皇帝が魔族達を支配するためにはめた犯罪奴隷の首輪。はめた者以外には外せないそれが、ヴィル様の首にもある。私はそれを他人に見られる前に外したくて、先日、彼の首輪を調べさせてもらった。
その時、私は首輪作製の犠牲となって囚われているという元精霊達に、うっかり精神だけ捕まってしまったのだが……。災い転じて福となす。そのおかげで、彼らを浄化できれば、首輪を外せると知ったのである。
からくも逃げ帰った私はヴィル様にそれを報告し、水系浄化魔法で彼らを浄化可能か試すと約束した。でも、なかなか約束を果たせなかったんだよね。
ヴィル様が魔族なのはもちろん、首輪をはめられている件も、王家とガイ――私の幼馴染みで、私と同じく王家の庇護を受けて学園に通う男の子以外には秘密。ゆえに、他の人がいては実験できなかったのだ。
夏至祭に参加するなら、礼服を作らなくちゃいけない。その採寸の際に、職人さんに首輪を見られてしまう可能性がある。それに備えたかったが――採寸は今朝行われてしまった。
夏至祭まで時間がないから、いつ職人さんが来てもおかしくはなかったんだけどね。できればその前に外しておきたかった。
首輪自体は、薄いチョーカーみたいな物。ヴィル様はハイネックのアンダーシャツを着て採寸を受けていたから、首輪は隠れていたけど、職人さんにバレないか、気が気じゃなかったよ。
職人さんは、顔色一つ変えずに仕事をこなして帰って行った。だから、気づかれなかったかどうかはわからなくて、ちょっぴりもやもやする。
でももう採寸しちゃったし、済んだ事を気にしても仕方ないよね。今後のために行動しよう。
私はヴィル様を手招きして、長ソファーに座ってもらった。そして、ディーネと合一する。
合一とは、精霊を体に受け入れて、一つになる事だ。魔法を発動させるのに必要な魔力を、精霊が直接摂取できる。つまり精霊が私の魔力に干渉可能なので、魔力暴走防止の一環となっている。
無詠唱でも魔法が使えて便利な合一だけど、使える魔術師は、今のところ私だけだ。
ディーネの姿が光となって消え、私の髪に軽くウェーブがかかる。合一は成功だ。
清浄なる水で手巾を湿らせた私は、お礼を言って合一を解く。合一した状態で首輪に触れて、何かあっては困るからね。
準備を終えた私は、襟を開いたヴィル様の隣に座った。
「まずは清浄なる水から。痛みや違和感があったら、言ってくださいね」
「ああ」
手巾でそっと首輪に触れる。チラリとヴィル様を見上げると、問題ないと返された。
そのままグルリと一周拭ってみたが、特に変化はない。試しに首輪と皮膚の境に指を引っかけようとしたけれど、無理だった。思わずため息をこぼす。
「……あいかわらず、引っかかりもしませんね。次はレベルを上げてみますが……」
「駄目で元々だ。気にするな」
ヴィル様はそう言ってくれても、私としては残念でならない。浄化魔法を使った事で、首輪に囚われている元精霊達が、喧嘩を売られたと思ってないかも気がかりだ。
元精霊達に反発されては浄化が難しくなるだろうし、彼らを傷つけるのは本意ではない。できれば彼らの様子が知りたいと思う。
でも、わざと捕まったら、ヴィル様やグノー達に心配をかけてしまうよね。
私はもう一度首輪に触れて、目を閉じた。元精霊達に届くとは限らないが……
(今のは攻撃じゃないからね。だんだん強い浄化魔法を試していくけど、君達を解放するためなの。だから怒らないで、素直に浄化されてね)
祈るように願ってみたものの、これで大丈夫だろうか?
なんせ今から私が試そうとしているのは、高位の水系浄化魔法・聖なる雫。しかも私の聖なる雫は、魔術師長のグリンガム様に、魔物にも通用するだろうと言われたくらい攻撃的なのである。
だからまずは、水で薄めた物を試すつもりだ。体に埋められた魔石の影響で、ヴィル様が魔物として怪我をしてしまうかもしれないからね。
でも、本当にやっていいのかな?
一度は納得したはずの疑問が、再び浮かんでくる。
わかってるんだよ。犯罪奴隷の首輪が外れなければ、今後もヴィル様の人生の邪魔になる。そして首輪に囚われている元精霊達は、いわば幽霊だ。このままでいいはずがない。
攻撃的でも、聖なる雫は浄化魔法。上手くいけば元精霊達は首輪から解放され、新たな命として生まれてくるだろう。だから、その過程における彼らの気持ちを重要視しなくても……
「いいわけあるかー!」
私は首輪から手を離し、拳を握って叫んだ。
「首輪は絶対外したいけど、攻撃魔法もどきな浄化魔法で元精霊達を傷つけるのは気が咎めるし! 彼らが反発したら、浄化が厳しくなるかもだし!」
背後でディーネ達が、「マスターがご乱心!?」なんて慌てているのは、スルーする。
だってもう、グルグル考えてしまって、胃がキューッとなるくらいにいっぱいいっぱいなんだもの。叫んで発散しないとやってられない。
だいたい、相手の気持ちを気にせず強制排除できる性格なら、こんなに悩んだりしていないんだよ。気になるんだから仕方ないじゃないか!
元精霊達は、人間の都合で魔力を搾り取られて死んだ。その苦しみや恨みすら魔道具の材料にされているのか、魂が首輪に囚われている。
できれば、元精霊達を説得して浄化したい。穏やかな気持ちで自由になって欲しい。
だけど説得するためにわざと元精霊達に捕まるのは、みんなを心配させてしまう。
「ヴィル様。私が使う浄化魔法が攻撃的な事、元精霊達にはせめて前もって伝えたいです。でも首輪越しじゃ、伝わった確証が持てません。直接会いに行ってはダメですか?」
突然叫び出した私に驚いていたヴィル様を見上げて、お願いしてみた。ヴィル様は無言で見下ろしてくる。
「……ダメ、ですか?」
もう一度聞いた私の表情は、へにょりと眉を下げた情けないものになっていただろう。そんな私の目元をなでて、ヴィル様が小さく息を吐いた。
「駄目だと言っても、聞き入れそうにない目をしている」
「でも、無断でわざと捕まったら、心配して怒るでしょう?」
小首を傾げて言った私に、ヴィル様はもう一度息を吐いた。
「一言断ればいい、というわけでもないと思うが?」
「そこを何とか。一度捕まって戻ってきていますから、戻るコツは掴んでますよ? 次もちゃんと帰ってくる自信、あります」
現実世界に大切なものがいっぱいある私は、元精霊達の恨みに呑み込まれたりしない。
「ダメですか?」
応援ありがとうございます!
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