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第1話

まだ結婚するつもりはなかった8

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 マージナルはリスルート殿下からも早く会いに行けと言われ、急ぎの職務だけ済ませると、王宮からセナリアンのいる領地のポート(出入りを制限した陣)に転移した。とにかく一刻も早く、弁解をしなくてはと焦っていた。

 セナリアンはここでも書類や本に埋もれている。片づけてよしと言われるまで、机は片づけてはならないらしい。

「事件のことは聞いたか」
「ええ、伺いました。イマーニュ・メーラ様はどうなるの?」
「彼女が一番の被害者だ。実はリリアンネ嬢が婚約者となる前にもう一度、結ぶ気はあるか聞いたのだが、もう殿下の婚約者にはなりたくないと」
「そう…」
「結婚したい相手がいれば力になると伝えてあるそうだ」
「彼女なら立派な王太子妃になれたでしょうに」
「リリアンネ嬢よりもか」
「リスルート殿下の好みは知りませんが、どう考えてもイマーニュ様の方が王太子妃には相応しいわ」
「リリアンネ嬢も相応しいと思うが」
「まあ、好みの問題でしょうね」
「私は最初からリリアンネ嬢の婚約者ではなく護衛だったんだ。男女が一緒にいるにはこの方法しかなかった。ご両親は知っていたが、君には話すことが出来なかった」

 いつ、誰から狙われるか分からないため、仮婚約ですらない、護衛であった。妬みは伴うがマージナルなら爵位的にも不自然さもなく、リスルートに会う機会もあり、立場的にも問題ない人選であった。

 実は現在マージナルとセナリアンが住んでいる、グロー公爵家別邸で王太子教育が内々に行われていたのだ。

「婚約者の件は驚かないのか」
「事情があるとは思っていましたので」
「ならば譲られたなどともう言わないでくれ」
「あなたのお気持ちまでは分かりませんわ」
「ずっとセナが好きだったんだ。初めて会った時は目を惹く程度だったが、気付けば君を目で追うようになって、婚約を申し入れたが、断られてしまい、リリアンネ嬢から婚約者は据えないと聞いた。だから護衛の話に乗ったんだ。君との接点も増えるだろうと思って。君は姉の婚約者だからだったかもしれないが、親しく話してくれて嬉しかったんだ」
「ずっとね?では今までの恋人のことはどう釈明されるの?」
「恋人?」
「お姉様の婚約の前から情報は入っておりますのよ」
「調べたのか」

 そこまで調べられていたとは思わなかった、セナリアンに婚約を断られて自棄になって、言い寄られた問題のなさそうな女性と数人、関係を持ったことがあったが、恋人でもない相手だった。

「当たり前でしょう?迷惑を掛けられたらたまらないもの。あなたも調べたでしょう?私は何も出なかったでしょうけど」
「それは言い寄られて、恋人と言えるような関係では無かったのだ」
「まあ、酷い」
「消せるものなら消したい過去だが、過去は変えられぬゆえ、不快だと言われても仕方ない」
「私がずっと好きで、でも別に女とは関係を持ち、リスルート殿下が婚約を発表するまでリリアンネと婚約して守り、時期が来たから私に結婚の話を持って来たと?」
「そ、そういうことになるな」

 何を言っても言い訳であって、誠実さに欠けることも分かっていたが、的を得た説明過ぎて、何も言えなかった。しかし、なりふり構っていられないマージナルはもう縋りつくしかなかった。

「別に私一筋に生きろなんて思っておりませんよ。男性はそういうものでしょう?でも別の方を愛することも出来るということですわ」
「それは出来ない」
「体面が悪いですか?大したことは無いですよ、公爵家なのですから。後妻という形なら高位貴族の方じゃなくともよろしいのではないですか」
「離縁はしない!頼むから何が嫌なのか、何をすればいいか教えて欲しい」
「情けないですわね」
「どんな男と結婚したかったんだ?結婚したい気持ちはあると聞いた」

 婚約中に聞いておくべき項目だろうが、想う相手がいたのかとは怖くて聞けなかったのだ。ここに来て、ようやく好みの相手を聞いている。

「お酒を造る方を狙っておりましたわ」
「領地にあればいいのか」
「自分の手でですわ、それを私も手伝って行きたかったのですわ。勉強もしておりますのよ?それで作ったお酒を一緒に飲むのです。それはきっと美味しいでしょう?」

 セナリアンはお酒が大好きである。体が持つまで飲みたいほどである。そして、それが自ら作りたいという気持ちを持つのは自然な流れである。

「今からでも間に合うか」
「無理でしょう?側近は?公爵家嫡男はどうするんですか」
「それは…」
「公爵家に合った方と再婚されて、王家に使えるのが仕事でしょう」
「セナがしてくれたらいい」
「嫌ですわ、私も忙しいんですの。中継ぎくらいの気持ちでやっておりましたので、もう充分だと思いませんこと?」

 セナリアンは訳ありなことも察しており、敢えて探るような事せず、いずれ離縁するだろうという心積もりで、侯爵家という地位から一度は高位貴族に嫁いだという皆への納得が欲しかっただけであった。だからあんなにあっさりと結婚を決めたのだ。

 そして自分の都合で勝手に押し掛けたため、話し合いもそこそこに忙しいのと追い出され、背中の哀愁をまた背負って渋々転移で戻ることとなった。


 同じくリスルート殿下の側近であるロゾート伯爵家の次男、カルバンは執務室で、一喜一憂するマージナルの姿に始めは戸惑っていたが、もはやこうなっているのは奥様のことだと学んだ。

「ワイン、ワインを探して、でもそいつに惚れたら、あああああ」
「どうしたんですか」
「いつから居たんだ?」
「先程から。奥様のことでしょうけど、何があったんですか」
「好みがワインだったんだ」
「はい?」

 結婚してから、いや婚約してから、にやにやしたり、あからさまに落ち込んだり、色男だったというべき存在となったマージナル。実は離婚を迫られていると打ち明けられ、もう?という顔をしてしまったのは許して欲しい。カルバンは第一王子に公爵家嫡男という恐れ多い存在のただの同級生であったが、意外と気さくな二人と親しくなるのは早かった。

「どんな人と結婚したかったのか聞いたら酒を造る人だと」
「そういうことですね、造ればとは言い難い話ですね、輸入してはどうですか?辺境の方ならお詳しいのでは?」
「なるほど、いや、惚れたらどうする?」
「ご結婚されている方に頼んだらどうですか」
「そうだな、奪い取るような質ではないはずだからな。ただそれで納得するとも思えないな。辺境が気に入ったら移住したいと言いそうだ」
「元々が王都にいませんからね、領地も辺境も変わりないでしょうし。私も結婚式で初めてお目にかかりました」

 随分、可愛くて美しいんだと惚気られていたが、本物を見て、確かにと思ったのは、この美丈夫であるマージナルと並んでも、霞まないというのは限られた人間にしかない特権だと思っていたからに他ならない。

「殿下とリリアンネ様に相談してみたらいかがですか、説得してくれるのでは?」
「うーん、多分あまり期待できない」

 結局、どうすればいいか分からず、美味しいと評判のワインも贈ったが、御礼ともう要らないという手紙だけが届いた。農園を造ることは可能だろうが、益々帰って来なくなることが問題なのだ。

「既婚者で、できればかなり年上で、若い女性に興味のない、酒を造るのに詳しい者を知りませんかっ!」
「ど、どうしたんだ」

 リスルートの前には美しい顔が鼻息荒く、至近距離にある。誰かに見られたら、誤解を生みそうな絵面である。そしておじ様世代にセナリアンは非常に好かれるのをマージナルは知らない。

「セナリアンが酒を造る者と結婚したかったと」
「お前、酒造りをするつもりか」
「そうするしか方法は無くてですね」

 顔は離れたが、目は若干血走っており、冗談ではないことは明らかであった。

「私にも責任がある上、どうにかしてやりたいが。買って来たものでは駄目なのか」
「一緒に造って飲みたかったと。輸入も考えましたが、辺境に住みたいと言い出しかねないと思いまして」
「ああ、言いそうだな。ぶどう農園とワイナリーを作るか」
「そうなると、益々帰って来なくなります。しかも、そこで働く者に心を奪われてしまったら?」
「狙っていたくらいだから、魅力的に見えるだろうから、あり得ないとは言えないな。プレゼントはどうした?」
「酒以外要らないと言われてしまって」
「酒は渡したのか」
「はい、でも自分で選んで買うからもう要らないと」

 セナリアンは経営や開発も行っているので、おそらく夫に頼らなくとも、確かにお金もあるだろう。

「ドレスも宝石も菓子も興味が無いようだものな」
「はい、ドレスは必要外着たくない、菓子は少しで充分、一番は酒だと」

 セナリアンは魔術師でもあるため、通常はパンツスタイルが基本である。ドレスを着るのはパーティーくらいのものである。贈ったとしても、着る機会があるまで、収められて終わりであろう。

「お前より酒か。折角の色男が台無しだな、あれだけの女を虜にして来たというのに。酒に負けるとは、はははっ」
「笑いごとではないのです」
「すまない。私のせいでもあるのだから何か名案を出さなくては、側近が酒造家になってしまう」
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