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第三章
第四十一話「今日は楽しい休息日アフター(前編)」
しおりを挟む目の前には、力なく倒れたティエラの姿がそこにあった。
虚ろな瞳で天を見上げ、半目に開かれた目は白目を剥きかけている。
口からは舌をはみ出させながら、ティエラはまるでひっくり返った蛙のような体勢でビクンビクンと震えていた。
「ふへぇ……ふぉぉっ……ぉぉっ……」
無念、最強のクラスメイト、ティエラは敗者たるぶざまな醜態を晒すのであった。
「また、つまらぬ技で致してしまった……」
血ぶるいをするように右手を振るうと、指先からピシャリと水滴がしたたり飛散する。
床はなんかもう、一部水浸しだ。後で掃除しないと。
……汗ですよ? 汗に決まってますよ? 卑猥は一切無い。いいね?
「指先がシワシワ……」
水気でふやけた自分の指を見やる。
匂いを嗅ぐのはなんか嫌だからやめておこう。
……汗ですよ? 汗に決まってますよ? 卑猥は一切無い。いいね?
――ってか、こんな勝ち方で大丈夫か?
問題しかないよな。
まぁ、ナニがあったかって言えば……まともにやっても勝てなかったから、ちょっと卑怯な手を使ったって訳だ。
本人もそれを望んでいたみたいだし、痛いことした訳じゃないし、いいよな?
アレからナニがあったのか、順を追って説明せねばなるまい。
まず、あの後、ちょっと真面目に寝技について訓練をしてみた。
けど、とんでもない泥仕合が続いた。
とてもお見せできる代物じゃねぇってくらいに酷かった。
なんせ、寝技なんて実戦じゃあまり使わない。
念のためにってちょろっとやった程度でろくに洗練されているはずも無いわけで……。
基本のチョークスリーパーと腕十字、膝十字くらいしか習わなかったからな。
後は見よう見真似でガードポジションとかマウントポジションとかやるんだけど……何をどうしたらいいかまったくわっかんねぇ。
しかも慣れない寝技はめっちゃ疲れる。お互いに汗まみれでくんずほぐれつビッチャビチャのヌルッヌルよ。
熱気で頬を染めあった二人がね、真剣な眼差しでね。
なんかもう傍から見てたら、イチャイチャしてるだけかよ、って思われかねないような運動しかできなかった。
ってか、寝技ってさ。結構、脚でガードしたりするんだよ。
だからさ……チラチラチラチラ見えてはいけないものがモロに見える訳ですよ。お互いはいてないから。
後アレな。お互い上下逆の体勢でさ、脚でガードしたりした時とかさ。もう丸見えだしさ。なんかもうアレな感じな訳でさ。
お互いに「何やってんだろね?」って感じになったりした訳だよ。
あんま気にすると技極められてやられちまうから、色々見えちゃっても無視したけどさ、はたから見たらかなり凄い光景だったと思うよ?
で、立ち技の稽古にも大分付き合ってもらったし、そろそろいいかな? ってさ。
ティエラの望む『何でもアリアリの寝技』にしてやるか……ってな訳で。
顔がめちゃくちゃ望んでたからな。そろそろ来て~って顔に書いてあったんだもん。
だから絡みつく樹枝でティエラの両腕を左腕一本でロックして、右手でソレを行った訳だ。
まぁ、ナニがあったかはご想像にお任せしよう。
何、ちょっと敏感な所とかをね。くすぐったりしただけですよ?
そう、ちょっと鋭敏な部分をだね? 撫でたりくすぐったりしすぎたら、なんかティエラがフニャフニャ~ってなってしまっただけなんダヨ~。
なんでカナ~? なんでダロ~?
断じて、くすぐったり撫でたりしただけだからな?
これは実にとても健全な行為。卑猥は一切無い。いいね?
尻尾の付け根のとこトントンしたりとかな。しただけだぞ? 尻尾の付け根トントンはな? 猫が喜ぶんだぞ?
……まぁ、とにかく色々と卑怯な手を尽くしたのだ。
相変わらずフニャフニャになりながら、くってりふにゃんと脱力しきった姿で倒れているティエラ。
「……おっほ……おほぉっ……」
凄い表情してるし。大丈夫かな?
まぁ、痛くしてないし、気持ちよくしただけだから……いいよな?
セーフだよな? 酷い事はしてないぞ……多分。
友情。大丈夫。きっとセーフ。
頬を赤く染めながら、ティエラは満足げな表情で放心したまま天を仰ぐのだった。
しっかし、まともにやって勝てたのは一回だけかぁ。
正攻法で戦ったらやっぱティエラは強いなぁ。
今のままじゃ勝てない。
こんな戦法、もし授業中にやったら「真面目にやれ」って怒られかねないしなぁ。
悔しい。何とか次までに勝てる技を用意しとかないと、だ。
そんなこんなで訓練は終わり、いつの間にやら日が傾いていた。
夕暮れの赤が眩しい。
屋敷に戻ると、パパさんが帰ってきていた。
「お、ミリア。ただいま」
「お帰りなさい」
「修行の成果はどうだった?」
「ん~……一回だけしか一本取れなかった」
「ほぉ、そいつは強敵だな。がんばれよ~」
「うん」
頭を撫でられる。
なんだかほわっと、暖かな気分になった。
「随分強いみたいだね」
ティエラを見てパパさんが微笑む。
「君は確か、ティエラちゃんだったかな?」
「はい、うち、ティエリア・ウィンドスレイヤー言います。本日はよろしくお願いします」
「ふむ、なかなかによくできた娘だ。うちのミリアとも末永く仲良くしてやっておくれよ」
「もちろん! うちらズッ友やもんな?」
「ね~」
二人で手を繋ぎ、繋いだ手をブンブン振り回す。
微笑ましい二人の姿がそこにあるのだった。
「おっとそうだ。帰ってきたら手洗いうがいを忘れずにね」
『はーい』
「そうそう、手洗いうがいと言えば……こんな話を知っているかね?」
唐突にパパさんが怪談口調で語りかけてくる。
「ある街でね。奇病が流行った事があったんだよ。夜中に集団で村人が徘徊している。その村に立ち寄った旅人が邪神崇拝を疑って冒険者ギルドに届け出たんだけどね。実は邪神崇拝などではなく、もっと恐ろしい災害の前触れに過ぎなかったんだ」
真面目な口調で語るパパさん。これが手洗いうがいとどう繋がると言うのだろうか。
「数日後、近くの村でも同じような例が目撃され、いよいよ邪神崇拝の疑いが強まった。だが彼らは一向に邪神崇拝について口を割ったりはしない。当然、調べた結果は白。邪神崇拝ではなかったんだ」
怪談を語る時特有の無表情フェイスなパパさん……顔が怖いです。
「調べていくうちにわかったのはね。彼らはどうにも画一的な行動しかしなくなっている事がわかったんだ。遊びが無い。無表情で無機質に淡々と同じ作業を繰り返す。淡白な返答のみで余分な会話は一切しない。会話を試みようにもどうにもテンプレートで画一的な答しか返ってこない。そして、毎日夜毎、深夜に謎の徘徊をする……。ある日、調査員の冒険者は見てしまったんだ。その、恐るべき正体を……」
極度の緊張に唾液を嚥下する。一体、何が手洗いうがいと関係しているというんだ……。
「バリバリバリッ!」
「ひぇっ」
「ひぃっ」
突如大声を叫ぶパパさん。そっち系の怪談はやめてくれぇ……漏らしかけたじゃないか。
「深夜、徘徊する村人の背中が突如、裂ける様にして割れ、中からは何と無数の大型ワームの群れが……」
「ひぇぇ……」
「ワーム達は、蛹のように割れて倒れた人間の体からウジュウジュ這い出ると、地表をニュルニュル滑るように走り回り、村の方々に散って行った。そしてしばらくしてから再び戻ってきて、裂け割れた村人だったものの体内へと入り込む。グジュリ、グジュリと蠢くようにね。そして……またその村人の体は活動を始めた。戻るまでの間に調べたらしいんだけどね……その体。完全な死体だったそうなんだよ」
「ひぃぃっ……」
「文献を調べても見つからない。未発見の魔物だったみたいでね。調べた結果わかったのは。そのワームは、人間の体を支配する寄生系のモンスターで、這い回った村の地面からは目に見えない極微小サイズの卵が発見されたそうなんだ」
それってもしかして……。
「手洗いうがいをしない悪い子は……寄生ワームの苗床にされちゃうぞ。というお話でした」
『ひいいいいいいっ』
恐怖に二人抱きしめあった後、ティエラちゃんと俺は猛烈な勢いで手洗いうがいをするのだった。
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