上 下
36 / 57
それは夜を統べるもの

黒き男の目的

しおりを挟む
「ほぉれほぉれ、振り落とされるぞぉ~?」



 騎士フルカスは馬をわざと暴れさせてジョンを振り落とそうとしている。

 最早フルカスに戦う気は無い。ジョンに一本取られて行動の自由を奪われた上に、アルベールとミリアムをジルベルタの元へ行かせてしまった。

 元々殺すつもりも無かったし、半ば遊びの心づもりだったのだ。時間は十分に稼いでおいたはずだし、これでジルベルタを殺すことが出来なかったのなら、それはアスワドが悪いとフルカスは結論付けた。



「おわぁ~!落ちる!落ちる!」



「ジョン、しっかり捕まえてなさいよ!落とされちゃ駄目!」



 セリエはフルカスの背中でブンブン振り回されているジョンを応援する。ミリアムまでもがジルベルタの元へ向かった時、彼女もジルベルタの元へ向かおうとしたがそれはやめておいた。

 流石にジョン一人にフルカスを任せっきりにする訳には行かなかったからだ。この老人の騎士は遊びと言ったが、だからと言って甘く見ていい訳では無い。何せその強さは本物なのだから。



「ほぉれ若いの、頑張れ頑張れ。」



 フルカスは立ち乗りの状態で上手くバランスを取っている。ジョンは何とか食い下がって耐えているものの、傍から見れば何とも滑稽だ。

 任せっきりにする訳には行かないとは思うものの、現状セリエに出来る事が無いのも事実である。ジョンが密着している以上、フルカスに魔術を使えばジョンに当たる可能性がある。



 結局、やきもきしながら見ているだけしかセリエには出来なかった。



 一方、ジルベルタは仲間の助力もあって無事立ち直っていた。

 認識する者が想いを強くする事でこの世界の住人と名実ともに認められたジルベルタは、この世界の根源である第一質量に触れこの世界のライカンスロープとして覚醒した。



「そんな、向こうの世界の幻想がこっちで確たる現実になるなんて・・・」



 アスワドはショックを隠し切れない。幻想と言ったって、彼女はなり切ってはいなかった。それどころかアスワドの言葉で向こうの世界での自分を思い出し人間に戻った節さえあった。

 なのに結果はこれ。ジルベルタは向こうの世界でのライカンスロープでは無く、こちらの世界でのオリジナルのライカンスロープとなってしまった。

 これでは夜中自我を失って暴走する事も無いだろう。

 人の内にあるミクロコスモスと自然界のマクロコスモス、この相互の影響がまさかこんな形でジルベルタをこの世界に定着させるとは夢にも思わなかったのだ。



 よろめきながらアスワドは立つ。普通の人間だったらならば即死するような蹴りだった。しかしアスワドの命を奪う所まではいかない。



「あの蹴りでまだ立てるの!?」



 ジルベルタの放った蹴りを至近距離で見ていたミリアムは驚愕する。フルカスの強さもそうだが、このアスワドも並大抵のものではない。

 予想してはいた事だが、改めてぞっとした。



「ふん、あんな攻撃で僕が死ぬ訳ないでしょ赤毛ちゃん。とは言え少し効いたかな、ほんの少しね。」



 若干足に来ている様に見えるが、それが演技なのか本当にそうなのか分からなかった。お道化た態度を崩さないのは、或いは自分が弱ったかどうかを敵に悟らせない為なのだろうか。

 少しふらつきながらアスワドは前に進む。



「あ~あ、全く。上手い事行かないもんだねぇ、もうつまづいちゃったよ。でもまぁ、幻想を定着させる新しい方法も分かった事だし、悪い事ばかりじゃなかったかな。」



 腕を広げてアスワドは言う。ジルベルタを殺す事こそ敵わなかったものの、彼にはそれでも得るものがあったらしい。その顔はそれなりに満足気だ。



「お前たちは、一体何者なんだ。この世界で何をしようとしている。」



 回復の魔術をかけ終えたアルベールがアスワドに問う。異界の門を繋げ、向こうの世界から魔物や人間を送り込む。この世界を害そうとしているのは分かるがその目的は謎のままだ。



「教えてあげる義務もないんだけどね。まぁ、いいか。」



 アスワドがアルベールに向き直る。



「僕らはさぁ、向こうの世界では純然たる幻想として物語の中に閉じ込められてしまったんだ。憎きプロビデンスの男の手によってね。でも癪じゃない?やられっぱなしっていうのもさ。だから今度はこっちの世界で好き放題やろうと思ってるんだ。だからそうだねぇ、この世界を名状しがたい恐ろしい何かにしようとしている。っていうのが一応答えになるのかな?」



 アスワドは答えたつもりなのだろうが、全く答えになってはいない。しかし、この世界にとことん害を振りまいてやると言う気概だけはアルベールにも伝わった。



 ここで倒してしまいたい。アルベールはぎゅっと剣を握りしめる。



「あはは、やる気になるのは良いことだけどさ、ここで僕一人を殺したって無駄な事だよ?僕らはアバタール。千の貌を持ち千の化身を持つ。本来なら人間風情がどうこう出来る存在じゃないのさ。」



 ことさら自分の強さを強調し始めるアスワド。先ほどよろけたのはブラフなのか、それとも効いているのを隠しているだけか。



「それでも、お前を放っておくわけにはいかない。」



 体勢を立て直すアルベール、隣にはミリアムも控える。ジルベルタは今にも飛び掛かりそうな勢いでアスワドを睨みつけている。



「まぁまぁ落ち着きなよ。狼少女は殺したかったけれど、だからって別に僕は君たちの命までは狙ってないんだ。少なくとも今の所はね?今日の所は引き下がらさせてもらうよ、おめおめと逃げ帰ろうって訳。」



 ニヤニヤと笑いながら言葉を続けるアスワド。しかしこのまま逃がせばまた碌でも無い事を考えるに違いない。

 まだ十分に話を聞けたわけでも無い。



「待て!」



 逃がすものかとアルベール達は駆け出す。その中でもジルベルタは飛び切りの俊足でアスワドに食って掛かった。



「逃がすか!」



 ジルベルタはアスワドをとっ捕まえようとするが、アスワドはひらりと身をかわした。



「おぉ、怖い怖い。これ以上は僕ちゃん怖くて泣いちゃうかもだから、お家に帰るね~。ばいばーい。」



 そう言って身をひるがえすとアスワドの姿は消えてしまった。辺りを見回すものの最早気配すらしない。呼びかけても無駄だろう、完全に逃げられてしまった。



「アバタール、黒きアスワドか。聞いた事でかえって分からない事が増えてしまったような気もするが。」



「でも、あんなのがこの世界をうろついてるって事は分かったね。それにジルも無事だったし。」



 アルベールとミリアムはジルベルタの方を向く。ジルベルタはおずおずとした調子で二人に歩み寄っていく。



「俺は、そのぉ・・・」



 何か言おうとするものの言葉が見つからないジルベルタ。異界の門を抜けて自己の存在が変質しかかっていたとはいえ、出自は全くのでたらめ。実際には暗黒街のせこい盗人だったのだ。

 アルベール達は仲間と言ってくれた。それは嬉しい。しかし、それでも本当に自分はここにいていいのかと悩まずにはいられない。



 アルベールもミリアムも、ただ黙ってジルベルタの肩に手を置いた。そして顔を上げたジルベルタに、二人は笑顔で以て答えを示した。



「過去に何があってもジル、君はもう私たちの仲間だ。これからは、この王国を君の故郷にすればいい。」



「そうそう。それにジルがライカンスロープって言うのは本当だったじゃない。普通の人間にあの蹴りは出せないからね。」



 笑いあう三人。彼らはとっくに仲間だった。他の誰が何と言おうとそれだけは変わらない。



「あぁ!」



 笑顔で頷くジルベルタ、その顔は明るい。それでいいんだと二人も頷く。

 例えアバタールが再度ジルベルタの心を攻撃しようとも、仲間達は彼女を信じ、彼女は自分自身を信じるのだ。ライカンスロープとしての自分自身を。



 三人が振り返る。ジョンとセリエのいる方へ。そこにはうなだれて意気消沈しているフルカスがいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

チート幼女とSSSランク冒険者

紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】 三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が 過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。 神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。 目を開けると日本人の男女の顔があった。 転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・ 他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・ 転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。 そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語 ※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

脳筋な家族に育てられた令嬢は生産職に憧れる

新川キナ
ファンタジー
よくある異世界転生から始まったはずだった。 なのに、どうしてこうなった? 生産職を希望したのに生まれた先は脳筋の貴族の家。 そして貴族子女なのに筋肉を鍛えさせられている。 「筋肉。筋肉。筋肉を鍛えろエレス!」 「はい。お父様!」 「筋肉は全てを解決してくれる!」 「はい。お父様!」 拳を振るい、蹴り足を鍛えて木の棒を振り回し鍛錬をする毎日。でも…… 「こんな生活は嫌だ! 私の望んだこと違う!」 なので家出をすることにした。そして誓う。 「絶対に生産職で成功して左団扇で暮らすんだ!」 私の新生活が始まる。

憧れの召喚士になれました!! ~でも、なんか違うような~

志位斗 茂家波
ファンタジー
小さい時から、様々な召喚獣を扱う召喚士というものに、憧れてはいた。 そして、遂になれるかどうかという試験で召喚獣を手に入れたは良い物の‥‥‥なんじゃこりゃ!? 個人的にはドラゴンとか、そう言ったカッコイイ系を望んでいたのにどうしてこうなった!? これは、憧れの召喚士になれたのは良いのだが、呼び出した者たちが色々とやらかし、思わぬことへ巻き添えにされまくる、哀れな者の物語でもある…‥‥ 小説家になろうでも掲載しております。

【完結】口は災いの元って本当だわ

kana
恋愛
ずっと、ずっと後悔してる。 初めて一目惚れをして気持ちがたかぶってたのもある。 まさか、聞かれてたなんて・・・

森の王子様

紅茶ガイデン
ファンタジー
 男爵令嬢のアリアンナは、子爵家の嫡男エドワードと婚約をしていた。  ある日のこと、彼から呼び出されると驚くことを告げられる。 「私は君との婚約を解消して、君の妹リーシャと結婚をすることにした」    二人の裏切りを知ったアリアンナは、失意のあまり全てを捨てたい衝動に駆られた。子爵邸から帰る途中、『迷いの森』へと向かった彼女は、曰く付きの森に足を踏み入れる。  ……そして深く入り込んだ森の中。見知らぬ館を見つけたアリアンナは、そこで王子と出会うことになった。 ※四話で終わる短いお話です。ざまぁものに挑戦しようとしたら、何かちょっと違う感じになりました。 ※他サイト様でも投稿しております。

処理中です...