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異変は急に

魔術師シルヴェストル

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 魔術師には長命な者が多いと言われているが、実際にどれほど長く生きた者がいるのかを知っている物はいない。中には千年を生きた者がいるとか、魔術の神髄にまで至った者は死ぬことが無いなどとか言われているものの、飽くまで噂話や言い伝えの類に過ぎない。何故なら、それを見た者がいないからだ。



 その中で、ある魔術師を紹介しよう。



 彼の名はシルヴェストル。彼は幼少の頃に魔術師に弟子入りを果たし、自らも魔術師となった。そして師の研究を受け継いで、人里離れた山奥でずっと続けてきたのだ。不老不死の研究を。

 魔術師となった者で不老不死を研究する者は多い。さても便利な魔術の数々、研究に研究を重ねれば不老不死の魔術だとて生み出せるに違い無いと考えるのはそこまで不思議な事でも無いだろう。そしてシルヴェストルはその研究の過程で、寿命を大きく引き伸ばす魔術の開発に成功した。



 この魔術の開発に最初の内は喜んだシルヴェストルだったが、しばらくすれば歓喜の熱も冷めた。寿命を延ばす術は飽くまでも延ばすに留まるものだと。不老不死とは限界が無くなる事を指す。であれば寿命を延ばすこの術は、失敗とまではいかずとも成功ではない。まぁ、使いはしたのだが。



 百年、或いは二百年経ったのか分からないが、シルヴェストルは研究を続けた。文字通り寝食を忘れて。そして彼は遂に思い至る。不老不死の魔術、そして不老不死の魔術師の在り方というものに。

 その頃には永く続く研究の缶詰め生活でシルヴェストルはすっかりおかしくなっていた。何分一人きりで大分長い時間研究に打ち込んできたのだ。延命の術を開発出来ていなければこうなる前に死ねたのだろうが、腕のいい魔術師である事がこの場合災いした。



 シルヴェストルはこれこそ正解と突っ走った。魂と肉体の接続を維持するアミュレットを作成し、魂から出る魔力を導線にして体を動かせば良い。要するにシルヴェストルの自我が恒久に保てれば良いと解釈したのだ。それが不老不死かどうかは議論の分かれるところであろうが。



 彼の魔術は成功、と言うより彼の思惑通りと言った所だった。



 肉体がどうなろうとアミュレットで強引に繋がれている以上魂が剥離しない、形はどうあれ死ぬことは無くなった。それに魂がきちんとあるので自我も保てているし魔術の行使も可能だった。

 ただ少し思惑から外れた所もあった。彼の思惑では魔力を体中にみなぎらせる事で肉体の劣化を防げると考えたのだ。第一質量から精製した純粋な力である魔力ならば、生命力の代替になりえると考えていたからだ。しかし、それは最早どうでもよかった。



 多少思惑とは違ったものの、大方では成功だった。勿論彼にとってはだが。



 しかししばらく経って後、彼は凄まじいほどの後悔に苛まれる事になる。

 最初は不老不死を達成したと喜んでいた彼であったが、肉体が劣化して骨と皮の皮の部分すらなくなった時に正気に戻った。脳が無くなったために思考が魂のみで行われるようになったからだ。肉体の与える魂への影響が極度に少なくなったために起こった悲劇と言えた。

 人は失って初めて大切なものに気付くと言う。この時のシルヴェストルが正にそうだった。



 正気になったシルヴェストリは自分の姿を映してみたが、どこからどう見ても骨だった。劣化した肉体はその都度綺麗に片づけていたので不快な見た目では無いものの、それにしたって綺麗な骨である。ローブに身を包めば多少はマシな見てくれになるかと思ったものの、論点はそこでは無いとすぐさま思い直した。



 肉体を再生すればいいと思って癒しの術をかけたが、これは大失敗だった。



 術をかけた瞬間凄まじい激痛に襲われたのだ。最初は訳が分からなかったが、どうやら魂は自分の元の肉体を記憶しているものの、アミュレットによって今の骨の状態の体と結びついている。現在の骨の体が通常の状態と魂は認識させられていたのだ。しかし元の肉体の記憶もあるので術の行使の際その矛盾が魔力を暴走させたのだと結論付けた。



 我ながら良い理論だと自画自賛していたシルヴェストルだが、勿論そんな事をしている場合ではない。暇はいくらでもあるが、しかし再生が無理となると後は邪悪な考えしか思いつかなかった。



 自らが生み出しえぬのなら、持っている者から奪えばいい。しかし彼は意外と優しかったのかその考えを自らで否定した。他人の自由意志を、生命を自分勝手に良い筈が無いと。



「いやいや、その考えは正に正解。貴方に残された唯一の方法ですよ。」



 不意に後ろから声がした。振り返ってみてみると男が一人立っていた。

 ただでさえ人里離れた山奥で、しかも人の家に勝手に入り込んで来たこの男。不審極まる。しかし男は自分の考えを肯定した。声に出して言っていたかどうか怪しい所もあるが。



「お前が何者かは知らないが、正しいとは聞き捨てならないな。こんな方法は邪悪に身を染めた者のそれだ。およそ魔術を探求する者がしていい考えでは無い。」



 シルヴェストルは反論した。魔術師は大いなる者だ。だからこそみすみす邪悪に手を染める者であってはならないのだ。



「でも、貴方の様な素晴らしい魔術師が、その姿では化け物呼ばわりではありませんか?」



 息はしていないはずだがシルヴェストルは息が詰まった。ローブを着て体を隠してはいるが、ドクロの顔では見た人間は逃げるだろう。



「貴方がその様な姿になってしまった事も、そのせいで悩んでおられることも私は知っています。私も魔術師の端くれでして、ある術を使っている最中に偶然貴方様を発見したのですよ。そして素晴らしい研究をしておられることも。」



 男はニッコリと笑う。自分の姿を恐れないので言っていることは本当かも知れない。しかし何故、何のために来たのかが分からない。



「ご安心を、別に貴方の研究を盗もうだなどと思ってやってきた訳ではございません。しかしその研究がもし完成したとして、貴方の偉大さを世に知らしめる時がやって来たとして、その時にその姿で人は惜しみない拍手を貴方に贈るでしょうか?残念ながら私にはそうは思えません。」



 この男は自分の研究の内容を知っている様子だった。だがこの研究が欲しいと言う訳では無いと言う。まぁまだ完成していないし、そこまでの価値は無いとは思うが。すこし微妙な気分だった。

 しかし完成すれば話は別だ。不老不死が現実のものとなれば、あらゆる意味で私は至高の存在と言ってもいい。なにせ誰も回避する事の出来ない死を回避しえたのだから。魔術を記すいかなる書、いやあらゆる歴史書にシルヴェストルの名が記されるに違いないのだ。



 だが確かにこの骨の外見では、完成したとしてもまず話すら聞いて貰えそうになかった。



「だからこそ、ですよ。貴方の研究が完成した暁には、貴方は世界に認められてしかるべきなのです。なのに貴方は、貴方に比べれば取るに足らない凡夫の命を鑑みてその栄光をふいにしようとしている。考えられない事です。」



 そう言われると、そうだという気もしてくる。自分の研究は偉大だ。それは疑いようも無い。とは言え。



「他者の命を奪って、体を奪って、果たして良いものかと言われれば・・・」



「ならば奪うのではなく借り受ければ良いのですよ。器物に魂を封じ込め、あぁ、これは身に着ける物が良いかも知れませんね。そしてその器物を身に着けた者に貴方の意思が宿る様にすれば良いのです。そうすれば命を奪わなくとも済むし、その者も貴方と共にその栄光を身に受ける事が出来るのですから。むしろ得をするではありませんか。」



 男は食い気味に畳みかけてきたが、男の言うやり方ならば確かに誰も損をしないとは思った。いや、ともすればいい考えだとも。自分の意思を宿せば、元手無しで歴史的偉人になれるのだから。



 シルヴェストルの眼窩の奥で、赤い光が強くなった気がした。



「おぉ、どうやら私のこの案に賛成のご様子。であるならば私、協力を惜しみません。この器物をお譲りしましょう。それを身に着けた状態でこの魔術を使えば、貴方の魂はこの器物の中に取り込まれます。そしてこの器物は中に魂が入っている状態で誰かが身に着けると、その器物の中の魂の意思を発現するのです。」



 男はそう言って首飾りをシルヴェストルに渡した。



「選ばれた者にこの器物を装着させた後は、貴方はそのアミュレットを外せば良いのです。そうすれば肉体との繋がりも外れ、貴方は無事に協力者と共に栄光を受ける準備を完了するのです。」



「これらの魔術と器物は私の研究の成果なのですが、何回か実際に試してもいます。なので、結果についてはご安心を。貴方の納得のいくものになるでしょう。」



 男はそう言ってニコリと笑う。屈託のない笑顔だ。



「それは分かった。しかし今更だが聞かせてくれ、なぜ私にこうも協力するのだ?自分の研究の成果を渡してまで。」



 シルヴェストリは少しだけ、しかし当然の疑念を抱いた。魔術師にとって自らの研究はそれこそ命よりも大事なものだ。生半可な人助けで渡すほど軽い物ではない。



「ごもっともですな。しかし、私のこの魔術は使用する者を選ぶのです。貴方の様な特殊な事情を抱えた方でない限りその必要性は皆無と言って良いでしょう。しかし、貴方が私のこの魔術を使って歴史に名を残せば、それはつまり間接的に私の魔術もが認められたという事になるでしょう?」



 シルヴェストリは一応得心がいった。自分の様に一目で偉大だとわかる研究をする者もいれば、この男の様に一見何のために使えばいいのか分からない研究をする者もいる。それが魔術師なのだ。

 しかしせっかく短くは無い時間を使ってまで研究した魔術の成果を、何らかの形で実績にしたいと考えたのだろう。この男はおそらくそれをするために、自分の様な特殊な事情を持つ者をそれこそ必死になって探していたのかもしれない。



「成程な、お前の事情は分かった。」



「先ずは私の魔術を試してみるといいでしょう。気持ちを新たにして研究に打ち込むためにも、新しい環境が必要かもしれませんからね。では、私はこれで。貴方の研究の発展をお祈りしていますよ。」



 男は背を向けて歩き出した。



「まて、お前の名は何と言うのだ?」



 シルヴェストルは聞いた。自分に手を貸してくれた男の名前を知らないではどうにも収まりが悪いと思ったからだ。



「ニーグルムと言います、私の名前は。宜しく良く覚えておいてくださいね。」



 そう言い残すと、男は今度こそ行ってしまった。不思議な男だったが、まぁいい。



「確かに試してみる事は必要だ。」



 シルヴェストルは器物を首にかけ、ニーグルムの残した呪文を唱えた。後は誰かにこの首飾りを掛ければいいだけだ。



「まぁ、男で良いだろうが。しかしあんまり不細工と言うのも嫌だな。」



 シルヴェストルは気付いていない、自分が既に狂気に片足を突っ込んでいることを。自分がいるのは尋常の場所ではなく、もう二度と這い上がってこれない淀みの底である事を。

 シルヴェストルは自分の名前を封印した。栄光を受けるその日まで、本当の名前を伏せておこうと。そして名乗ったのだ、リッチと。

 それは昔の言葉で、死体を意味する。シルヴェストルは自嘲気味の冗談でこの名前を付けたのだろう。しかし他者から見ればそれは十分に狂っていた。



 山奥の研究所から出て来た死体は、名実ともに生者の体を求めて彷徨う邪悪なアンデッドであった。彼の昔の名前はシルヴェストル。今は魔術を操るうごめく死体、リッチである。
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