極夜のネオンブルー

侶雲

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1バースデー

2ケーキのトラウマ

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カウンターの席でアンディは私に
優しい声で話しかけた。

「大丈夫かい?」(アンディ)

「全然大丈夫。」(コリンナ)

「辛いことがあるなら、話してくれていいんだよ。」
(アンディ)

話すつもりはなかったのに…
私は催眠術にでもかかったかのように、
苦い思い出を話してしまった。

「ケーキには、嫌な思い出があるの、
ケーキっていうか、誕生日に、っていうか…」
(コリンナ)

「嫌な思い出って?」(アンディ)

アンディは私のトラウマのことを知っていて、
知らないふりをしている。
白々しい態度にちょっとイラついた。

私は自分の過去の話を始めた。

私の誕生日は、いつも私とママ(ビーナ)と
おじいちゃんの三人で祝ってくれた。
でも、十一歳の誕生日だけは違った。

これからパーティを始めようというタイミングで
ママに連絡がきた。

「コリンナ、ごめん!
どうしても行かないといけないの、
お誕生日おめでとう!
パパ、後お願い。」(ビーナ)

そう言い残して、ママは出ていった。

極夜の世界は、時間の感覚を狂わせる。
私はケーキに手をつけず、
おじいちゃんが速く食べようと言うのも聞かず、
ママを待ち続けた。
早朝の五時を過ぎた頃、ママは帰ってきた。

「何やってんの、こんな時間まで!」(ビーナ)

帰ってくるなり、怒鳴った。

「やっと帰ってきた、おかえり。
ビーナと一緒じゃなきゃ嫌だって、
コリンナが聞かないんだ。
歌を歌ったり、ゲームをしながら待ってたんだ、
プレゼントはもう渡したけどね。
さあ、もういいだろ?
ケーキを食べよう。」(ゴルドー)

ママを待ってたのに…
こんなに待ったのに…
ママと一緒が良かったのに…

私は怒られたことが納得できなくて、
ケーキを床に投げ、無言のまま、
泣きながら部屋に入っていった。

その翌年も更にその次の年も、
私の誕生日はおじいちゃんと二人で祝った。

三年後、十四歳の誕生日は、
さすがに許してあげようと思った。
ママも一緒に、三人で祝いたい、という話をしたら、
ママは喜んでくれた。
でも、ママは私の誕生日から三日間、
家に帰ってこなかった。

おじいちゃんは、ママの居場所を
知っているようだった。
でも、私には教えてくれなかった。
四日後、何事もなかったかのように帰ってきた。

翌年もその次の年も、誕生日にママは帰ってこない。

「つまり、コリンナは悪くないのに
怒られたことが、納得いかなかったのかい?」
(アンディ)

それまで静かに相づちを打っていたアンディが
質問してきた。

「そこじゃない、そういうことじゃなくて…」
(コリンナ)

「ビーナのために、待っててあげたのに、
みたいな感情からかな?」(アンディ)

「うん、多分、それ。
それだけでは、ないけど。」(コリンナ)

「そうか、ビーナから聞いた話と少し食い違うが、
これでようやく話が見えてきた。」(アンディ)

その言葉を聞いて、私はゾッとした。
やっぱり、全部知ってやがった。

「ビーナは、話がまとまってないのに勢いで喋るし、
その上、当時は感情的になっていたから、
話が見えなかったんだ。
ゴルドーからも客観的な話は聞いていたけど、
いつかコリンナからも話を聞きたいと思っていた。」
(アンディ)

ここから、先生の長くてありがたいお説教が始まった。

「君の十四歳の誕生日、ゴルドーから俺のところに
突然連絡がきて、娘がいなくなったって言われて、
すぐに探しに出たんだ。
案外、すぐに見つかったよ。
俺とビーナとクラークの思い出の場所で、
ベンチに腰かけて、
極夜の景色を眺めながら泣いていた。

隣に座ってもいいかい?
って聞いたら、遅刻だよって言われた。

俺が座って、約束なんてしてたっけ?
って聞いたら、してなーいって言いながら
くっついてきた。
それからいろいろ話をして、俺の家に連れて帰って、
三日間、ビーナは俺の家にいた。」(アンディ)

聞き捨てならない!
この人は、いや、コイツは、
人の母親を家に連れ込んで何をやってるんだ?
…うちのママだから仕方ないかもしれないが。

しかし、それで今まで知らないふりをしてたなんて、
どういう神経をしてるんだ?
私には全く理解できない!

「仕事にも行かずに、人んちでずいぶん
好き勝手やってくれたよ。
でも、俺があいつに、
もうずっとこの家にいていいよって言ってやったら、
その日の内に帰っていった。
ゴルドーからはあらぬ疑いをかけられたよ、
帰ってきたビーナが満面の笑顔で、
コリンナの頭を撫でるわ、ゴルドーに抱きつくわで、
おかしなテンションになってるって、
何か、良からぬことでもしたんじゃないかってさ。」
(アンディ)

そういえば、そうだった。
あの時、ママはえらく上機嫌だった。

「ところでコリンナは、ビーナがなぜ
泣いてたのか、わかるかい?」(アンディ)

いきなりクイズを出されて、
すぐには答えが出せなかった。
思い返せば、ママが何を考えてたかなんて、
考えたこともなかった。

「…私の、せい?」(コリンナ)

「具体的に言うと?」(アンディ)

アンディから責められているような気分になった。
何で、そんな事追求されなきゃいけないんだろう?

「怒ったりしたから、…生意気だった?」(コリンナ)

「ああ、俺の聞き方が悪かったな。
別にそういう意味じゃない。
確かに、君のせいでもあるし、
ビーナ自身のことも責めてた。
コリンナは、ビーナと仲良くしていたかったから、
ケーキを投げたんだろ?
それと同じぐらい、ビーナもコリンナと
仲良くしたいと思っていたんだ。
君の十一歳の誕生日、ビーナは君を祝いたかった、
でも、職場から連絡がきて、
急に従業員が休んで、団体客が来てどうにもならない、
助けてほしいと言われてね。
ビーナは何度も断ったけど、結局断り切れなかった。
ゴルドーもいることだし、なんとかなると思ったんだ。
でも、翌日帰ってみると、
幸せそうに眠っているはずの娘がじっと待ってて、
それが見るに堪えなくて、思わず強い口調で
言葉を発してしまったって、
そう言ってひどく後悔していたよ。」(アンディ)

その話を聞いて、初めて、
ケーキを投げたことを後悔した。

「ビーナは、寂しい少女時代を過ごした。
だから、娘には同じような思いをさせたくないんだ。
それにゴルドーも、ビーナに寂しい思いを
させたことを後悔してるから、
同じ失敗を繰り返したくないと思ってる。

ビーナが産まれたとき、ゴルドーはまだ十九歳だった。
若すぎたのもあるけど、それ以上に運命が過酷だった。

ティナはミュージシャンで、
ゴルドーがまだ駆け出しの頃に
面倒をみてくれてたそうだ。
ティナとゴルドーはいつしか恋仲になり、
周囲の反対を押しきって結婚して子供を授かった。
その子供が、ビーナだ。

ティナは当時売れっ子だったから経済力もあったし、
二十八歳のしっかりした大人だったのが
救いだったけど、ビーナを産んですぐに
亡くなってしまって、残されたゴルドーは、
音楽に没入することしかできなかった。
そのおかげでミュージシャンとしては成功したけど、
ビーナのことは親戚にあずけて、
面倒をみることができなかったんだ。

ビーナが十歳の時にようやくゴルドーが迎えにきて、
一緒に暮らすようになった。
でも、幼少時代の空白を埋めることができなくて、
ビーナは十四歳の時に高い場所から飛び降りた。
幸い命には別状はなかったけど、足を怪我してね、
入院した病院で、俺と出会った。
ビーナが学校に行けないから、
家庭教師を頼まれたんだ。
それが、俺が家庭教師になったきっかけだ。

俺は当時七歳だったけど、体格も知能も
大学生レベルだったから、
ビーナは俺が七歳だなんて信じなかったよ。
なんの冗談だ?って、笑ってたっけ。」(アンディ)

アンディは特殊な病気で、
通常の三倍の速さで歳をとる。
脳は常に活発な状態で、眠ることはない。

「ずいぶん明るい性格で、
よく笑ってよく喋る人だと思った。
でも、その笑顔の裏でいろんな事をこらえてた、
というか、住所を転々とした過酷な幼少期が、
彼女をそんな性格にしたのかもしれない。

クラークは脳外科の医者だった。
俺は親と仲が悪くて、クラークは唯一の理解者だった。
ビーナにクラークを紹介して、
よく三人で会うようになった。

ビーナとクラークが恋仲になって、
結婚するって言った時、ビーナはまだ十六だった。
でも、誰も反対しなかったんだ。
それどころか、今まで仕事しか頭になかったクラークが
結婚することを、親族は喜んだはずだった。
ゴルドーは、心の中では反対、でも、
ビーナを寂しくさせた自分が悪いからと、
止めることができなかった。

それなのに、クラークが急死すると、
こっちの親族は急にビーナに冷たくなった。
当時のビーナが妊娠してることを知っていて、
お腹の子供だけは引き取るから、
ビーナはゴルドーの元に帰ってほしいと
言い出した。

ビーナとコリンナを引き離すわけにはいかないから、
俺とゴルドーはこっちの親族と戦う羽目になった、
裁判所でね。
幸い、クラークの知り合いに凄腕の弁護士がいたから、
その人に頼んで難なく勝てた。

それから数年ぶりにビーナに会った時、
彼女は飲み屋の従業員をやっていた。
自分の力で、娘を養ってあげたいんだってね。
その時にようやく、俺が通常の三倍の速さで
歳をとる事を信じてくれたよ。

話が長くなったけど、
俺から君に言いたいこと、いや、言うべきことは、
君はもっと、自らが愛されているという事を
自覚すべきだ。

コリンナを喜ばせてあげられなくて
ビーナが苦しんでる姿は何度も見た。
でも、コリンナのせいでビーナが辛そうに
してたことなんて、一度もないよ。」(アンディ)

先生の長い話が終わった。
後ろでは、みんながワイワイ騒いで、楽しんでる。
私は、アンディのおかげで止まった涙が、
アンディのせいで止まらなくなった。
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