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わたしをもう一度(三)
しおりを挟む妹のリノは崩れ落ちたお母さんの肩に手を置いて、それはメールの署名通りに大人びた態度だった。
年齢に似合わないその行為に、わたしは少しだけ戸惑う。
もしかしたら後悔に苦しむお母さんの姿が年齢相応の成長を許してくれなかったのかも知れない。
わたしのあとをいつも追いかけて来たリノ。一緒にたくさん遊んで、悪戯ばかりでお母さんに怒られたわたしたち。チラチラと脳裏に浮かび出した記憶は、もう続きがない過去の出来事。
だけど、それでも。もう一度、リノに出会えた。ただそれだけ嬉しいんだ。
わたしは自分でも不思議なぐらいに落ち着きを取り戻していた。
右手のブレスットは、ほんのりと温かくわたしを励ましてくれるようだ。
涙腺が崩れると格好悪いから、そこはきゅっと引き締めて、姉としての自負を保ちつつ、妙音鳥に顔を向けると、その表情は彼の声と同じぐらいに優しかった。
きっとわたしが死んでいて幽霊になっていることを、最初から分かっていたんだと思う。狭間の世界を訪れて妖怪と出会った今なら、自分が幽霊という非常識な存在だとしても、
わたしはちゃんと理解できる。
リノにようやく身体を起こされたお母さんを正面から見つめた。
よく似ていると言われたお母さんは、わたしを早くに生んでいるから六年が過ぎても四十代前半。黒々とした髪質はあの頃と変わらずに、今は真ん中で綺麗に分けている。だけど肌は昔のきらめきを失っていて、目尻にも記憶にない錆びた皺が増えていた。ここに来た理由がお母さんを蝕んでいるのは明らかだった。
死ぬ間際まで、わたしはお母さんを恨んでいた。わたしが接続していた小さな世界からコードを全部引っ張り抜いて、さらに白い空間に閉じ込めて、そしてわたしは死んでしまった。
だけど。それでも……それでもお母さんともう一度、会えた。
意地悪く言いたい文句は沢山ある。どうしてあの時、と喉が割れるぐらい叫びたい。だけど永遠に会えない人との、奇跡としか言いようがない逢瀬は抱きしめたくなるぐらいに愛おしい。今この瞬間、わたしは五十センチの距離でお母さんを全身で感じているんだ。だから、わたしの瞳孔はきっと開いている。
わたしはリノに顔を向けた。
「えっと、リノちゃんは十二歳だよね?」
「え、はい、わたし言いましたかね?……」
驚いたリノの顔は、小さい頃の面影があって、ひどく懐かしい。
「そのぐらいかなと思って。じゃあ、お姉さんが生きていたらわたしと同じぐらいかな」
リノの不思議そうな瞳でわたしを捕らえ、「……そうですね……同じぐらいです……」と小さく囁いた。
わたしはお母さんの方を向いて、その瞳をしっかりと見つめた。
「亡くなられたお嬢さんを病室に閉じ込めてしまったと言われましたが、そのことがリエコさんの……後悔となっているのですか」
「……はい。そうです。どうやっても病気は治らなかったと思いますが、せめてまだ身体がちゃんと動かせるうちに、自由にさせてあげるべきだった……少しでもカノコが楽しい記憶に囲まれて旅立てたら……私はそれだけでよかったはずなのに……うぅ、それが出来なかった。カノコに目に映る最後の世界をあの部屋にしてしまった……」
滲んだ文字のようなお母さんの声音に、わたしも泣きたくなる。だけど今、わたしが泣き崩れても何も変わらない。未来があるのは目の前の二人だ。これからも生きていく人の前を塞ぐ後悔を消化させてあげたいとわたしは思う。
「妙音鳥さんどうですか。この後悔は解消できますか?」
目線に自分の思いを含ませて、妙音鳥に総身を向ける。
妙音鳥は頷いて、お母さんとリノに詳しく説明した。
お母さんはカウンセリングだと思っていたようで、妖怪と聞いたら流石に怪訝な顔をしたけど、反対にリノは、「そのぐらい不思議なことがないと、歴史と記憶を改変するなんて無理だよ」とお母さんを説き伏せた。
お母さんは赤紙にちゃんと名前を書けたから、あとは『後悔石』を見つけるだけ。
妙音鳥によると十二月二十三日に『幻灯の夜市』が出現するという。
わたしが玄関で、「必ず探しますから二十四日に、またここで会いましょう」と伝えると、二
人は深々と頭を下げて帰っていった。
玄関の扉が閉まると、自分を入れ替えるつもりで深く深呼吸して、それから書斎に戻っていった。
妙音鳥は自分の椅子に座っていて、わたしは机を挟んで立ったまま彼の顔を見つめている。
聞くこともあるし、話すこともある。
だけど耳は少し怖がり、唇は動くことを躊躇っていた。
「カノコ。ちょっといいかな……もう分かっていると思うけど話した方がいいだろう」
少し深めに顎を引いてから、はい、と答えた。
「カノコは……もう死んでいるんだ。つまり、幽霊です」
既に気づいていたけど、面と向かって言われると少々きつい。
きっと神妙な顔つきだろうから、そのまま頷いた。
「はい。分かっています。妙音鳥さんは……最初から分かっていたんですね」
「ええ……この家に来た日のこと、覚えていますか?」
「はい、ええと……赤いブレスレットを貰って……」
「それよりも前のことは?」
「……いえ、ほとんど覚えていません。さっき生きていた時の記憶は取り戻しましたが、死んでしまってからの記憶はほとんど……」
妙音鳥は机の引き出しから赤紙を取り出してわたし前で揺らした。なんとなく見覚えがあるような気がする。
「これがなんだか分かりますか?」
「何となく、見覚えがある、気がします……」
「カノコはこの赤紙を拾って、バイトの面接に来たのです。この紙は、人間には見えない特殊なもの。僕は特異な能力がある助手を探していたのです」
わたしの脳裏に白い閃光が走った。
「あ……わたし、神社でそれを拾って……なんで、忘れて……」
「幽霊が出来事を覚えていられるのは、わずかな時間だけです。こうやってきっかけを与えると浮かび上がってきますが、自分で思い出すことはできない。カノコに幽霊の自覚がなかったのは、死んだことを忘れていたからです。染み付いた習慣を覚えていることは稀にありますが、生前の記憶の大半は、肉体が失われた時にいわば魂の中に封印されてしまっていたのです」
「じゃあ、どうして、生きていた時の……記憶が全部、戻ったのですか?」
「それは、お母さんと妹との再会が成し得た奇跡と言っていいでしょう。極めて珍しいケースだと思います」
思わず両手で自分を抱きしめる。この記憶だけは消えないで欲しいと願いながら。
「妙音鳥さん、このブレスレットって一体……」
右手をゆらっと上げた。手首には力は入っていない。
「そのブレスレットの紐は、人縛糸(じんばくし)という特殊な糸を使って作られています。本来は、妖怪に仮初めの人間的外見と肉体を与えるもの。かつて人が妖怪を使役して争っていた時代があってね。その時代の遺産です。そして赤い鉱石は肉体に記憶を保存するための触媒。その証拠に、ブレスレットを手に付けてからの記憶はちゃんとあるでしょう? 加えて紐の効果で肉体があった頃、つまり生前の記憶が浮かび易くなっていたはずです。だから初日から料理もできた」
確かに身体は手順を覚えていてすぐに作ることができた。
「……はい」
「カノコがこの家に来た日に着ていた服と靴も消えてしまっていませんか? カノコの身体から離れると形を保つことができず、数時間程度で消滅してしまうのです」
そう。あの日に着ていた黒いワンピースと靴はいくら探してもみつからない。
「そっか————」
全てに合点がいくと、なぜかふっと気が抜けた。
立ったままだったわたしは、ソファーにぽんと座った。
手足を軟体動物のようにだらんとさせて、天井にふーと息を吹きかけた。
「じゃあ、やっぱり妙音鳥さんは、わたしを拾ってくれたんですね」
「そうですね。そうでなければ、誰かに取り憑くか……」
「あ、でも今はある意味、妙音鳥さんに取り憑いていますよ」
身体を起こし、テンプレートなお化けの両手を真似てぺろっと舌を出す。
「ははっ、確かに。カノコよく食べるから食費が……ただ、物質化された肉体を保つために、同じ物質エネルギーを大量に必要としている、と考えることもできます」
なんだか恥ずかしくなって下を向いた。
「妙音鳥さん……あの、思い出したのですが、わたし、入院する前から、お母さんに食費がかかり過ぎて困ると愚痴をこぼされていて……幽霊とか関係ないかもです」
妙音鳥は、『鳩が豆鉄砲を食らう』を見事に実演してみせて、それから大声で笑った。
「わたし、お母さんの後悔……消化してあげたいです」
妙音鳥はしばらく無言のままだったが、静かに椅子から立ち上がり、カノコの向かいに座った。
「カノコ。先に言っておくことがあります。カノコは今、外見的には確かに二十歳前後です。それはカノコが死ぬ前に残した願望、いや夢とも言うべき『大学生になりたかった』が強く反映されているからでしょう。動けない身体だからこそ強く願い、やがてそれは後悔となってカノコは幽霊になったのです」
確かにわたしは閉じ込められた病院のベッドの上で、永遠に訪れない大学生活に思いを馳せていた。
「もしお母さんの後悔が消化されて、つまりカノコが最後の時間を病院ではなく自由に過ごしたとなると……カノコ自身が残した強い後悔が消えてしまう可能性があります」
「つまり……わたし、消えちゃうかもしれないんですね」
「その可能性は否定できません。それでもいいのですか?」
あの時、わたしの未来は暗闇に溶け込んでしまってそれが恐ろしくて、お母さんを否定したけど、治療という選択に良し悪しはないと、今ならちゃんと理解できる。
奇跡の順番が回ってこなくて、結果が伴わなかっただけだ
消えちゃうのは怖いけど、それでもお母さんを苦しめる棘を抜いてあげたい。
先立つ親不孝をその後も引きずらせるなんて、わたし、最低だ。
「はい。それでも、わたしはお母さんの後悔を消化させてあげたいです」
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