古い家の一年間

神崎

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 町にある高級住宅街。その一角にある高層マンションの一室。そこからの夜景は見事なモノだった。まるで宝石をちりばめたような世界だった。
 しかし私にはそんなモノに心は揺さぶられない。そんなモノよりも、倒れてしまった律の方が気になる。
「律…。」
 もう半日になるだろうか。
 時計も取り外された部屋の一室に、私はずっと閉じこめられていた。誰もここには来ていない。
「…誰か。」
 さっきからずっと呼んでいるが、誰も来ない。もう声が枯れてしまった。
 そのときだった。
 ドアが開いて、若い男性が入ってきた。
「…すいません。こんなところに軟禁するみたいなことをしてしまって。」
「…律は…北川律はどうなったかご存じですか。」
 その男に見覚えはあった。私を連れ去ったとき、運転していた男。確か沖田といっていた。
「大した怪我ではないそうです。両手足をすりむいたくらいで。」
「…そうですか。」
 ほっとした。しかしそれが真実とはわからない。声を聞くまでは信用できないのだ。
 それにすりむいただけだったらどうして倒れていたのだろう。さっきよりも心配の種が大きくなっているようだった。
「北川律とは恋人同士ですか。」
「…はっきりとは…恋人関係だとは言えない関係です。」
「そうでしたか。では社長が気を回したのは取り越し苦労だったわけですね。」
「え?」
「…心配なら声を聞かせてくれといっていたので。」
 そう言って沖田さんは私に携帯電話を見せた。
「…聞きます。聞かせてください。」
 すると彼は微笑んで、私に携帯電話を渡した。
 ダイヤルをしようとして、はっと気がついた。律の携帯番号なんか、覚えているわけがない。
 どうしたらいいのだろう。
「どうしました?」
「いいえ。」
 どうしよう。かけないでいたら変に思われる。
 はっ。そうだ。
「もしもし。」
 ダイヤルをしてかけてみた番号。それはシーサイドの番号だった。きっと誰かいる。そう思ってかけてみた。
 思った通り人はいた。
「周?大丈夫か。」
 それは楓の声だった。
「こっちは大丈夫。律は…大丈夫なの?倒れていたわ。」
「大丈夫だ。車に振り落とされたけど、擦り傷くらいで骨折なんかはしていない。」
 楓の後ろで、何か叫んでいる声が聞こえた。女性の声と男の声。それは律と光の声だった。
「律に代わる。」
「お願い。」
 すぐに律の声が聞こえた。
「周。大丈夫か。」
「えぇ。」
「すぐに迎えにいく。どこにいる?」
「今…。」
 そのとき耳からぱっと携帯電話が取り除かれた。ふと上を見ると、そこには社長の姿があった。手には携帯電話が握られている。
「沖田。よけいなことをするなと言ってあっただろう。」
「すいません。」
 携帯電話のスイッチを切り、沖田さんの元へ投げた。
「…ますます小娘だな。私を救ってくれたあんな絵を描くものとは思えない。」
「…だったら早くここから出してください。」
「…。」
「シーサイドに戻りたい。」
「いずれあそこは無くなる。今年いっぱいだ。」
 わかっている。私が残したいと願っても、そんなことはかなわないことなどわかっている。でも私のいるところはこんな高いところじゃない。
 潮の匂いがするあの場所でもない。
「…ここから出る方法はただ一つ。」
「…。」
「絵を譲れ。」
 それだけはイヤだ。あんなに自分で納得していない絵を、他の人に譲るなんて出来るわけがない。自分の芸術家としてのプライドを持っても無理だ。
「出来ません。」
 すると彼はニヤリと笑う。その笑顔を知っている。あぁ。思い出した。
 楓の笑顔だった。
 いつもの笑顔ではなく、あのときの笑顔だ。無理矢理私にキスをしたあのときの楓の笑顔。思わず後ずさりをした。そして部屋の中を見渡す。さっきまでいた沖田さんがいない。
 壁際まで追い込まれ、私は身動きがとれなかった。
 怖い。近づいてくるこの男が。
「怖いのか?」
 壁際に追い込まれ、しゃがみ込んだ。
「いい大人だろう。それに楓ともそういうことはしているだろうし。」
「楓と?」
 どうして楓なのだろう。わからない。
「電話をしていたのは楓とだろう。楓が言っていた「好きな女がいる」というのはお前のことだ。違うか?」
「違います。」
「隠さないでいい。それに楓とは一緒になることはないのだから。」
 一緒になることはない?どうしてそんなことも知っているの?
 聞こうとして、うつむいていた顔を正面に向けた。すると思ったよりも体が近いのに驚いた。
 なんだかいい匂いがすると思った。彼の香水の匂いなのだろう。
「…やっとこっちを向いた。力ずくでこっちを向かせてもいいが、舌を噛まれてもイヤだからな。」
 そう言って彼のしなやかな指が私の顎に延びた。
「イヤです。」
 また顔を背ける。しかしそれは許さなかった。両手で顔を挟まれ彼の方に顔を向かせられた。
「こんな子供みたいなのは相手にしないんだがな。仕方がない。強情な女にはこれが一番だ。」
 顔が近い。もう逃げられないだろう。唇に吐息がかかる。そして彼は私の唇に口づけをする瞬間、私は目を閉じた。せめて律を、律を感じたいと思いながら。
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