守るべきモノ

神崎

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栄華

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 法事は自宅ではなく、寺で行われるらしい。忍が運転する車に乗り込み、春樹はその町並みを見ていた。確かに温泉が各所に沸いていて、立ち寄り湯も沢山ある。観光地らしく、土産物屋や馬車なんかも走っているがあとは普通の街で、スーパーやドラッグストアなどどこの街にでもあるものが立ち並んでいる。
「田舎でしょう?」
 助手席に乗っている栄輝が春樹に声をかける。
「うちの田舎よりは街っぽいね。」
「藤枝さんはどちらですか。」
 運転をしながら忍はそう聞いてきた。
「もっと先の海辺の街ですね。ドラッグストアもないし、コンビニがかろうじて一件あるだけ。それでも活気づいてきてます。」
「どうして?不便そうですけどね。」
「都会に出た人がまた戻ってきて、漁業をしたり山でみかんを作っていたりしますよ。正月に帰ったときには若い人が増えた気がします。」
「物珍しさでしょう。いずれまた都会に帰ります。便利な方にみんな逃れるのですから。」
「兄さん。」
 倫子がたまらず声をかける。忍の気持ちが分からないでもないからだ。忍は本当は都会に出たかった。だが家に年老いた両親を残して自分伸したいことを貫けるほど無慈悲でもなかったのだ。
「何だ。」
「みんな希望を持って帰ってきたのよ。それを……。」
「ここだって田舎暮らしをしたいと若い夫婦が来ていることもある。だが結局温泉は手間がかかるし、人は寄ってこないし、結局廃れていっているようだ。いい起爆剤になったと思ったんだけどな。」
「何が?」
「商店街の方に、カフェが出来たんだ。今は都会でもあるだろう。「ヒジカタカフェ」と言うところだ。」
 その名前に思わず倫子は驚いて商店街の方をみる。
「一号店はこの街にあるし、今でも継続中だ。そのコーヒーを飲んでみんな希望を持ったらしいが、結局素人の付け焼き刃では甘い考えだろう。」
「「ヒジカタカフェ」ってここが一号店なのね。知らなかったわ。」
「ずいぶん美味しいコーヒーだった。今でもたまに飲みに行くことはあるな。温泉街の喧噪とは無縁だと思うし、あそこにいれば本の一冊はすぐに読み終えてしまうな。」
 おそらく忍の唯一の娯楽なのだ。五百円のコーヒーとその空間が贅沢なのだと思う。
「そう……。」
 信号に引っかかり、車が停まる。ふと見ると、そこには池が見えた。釣り竿を持った人が行き交っているところを見ると、何か釣れるのかもしれない。だが倫子はそちらの方向を見ようともしない。おそらくここが、祖母のしていたカルチャーセンターがあったところなのだろう。

 寺は山の方にあり、後ろには墓地が見える。そこに祖母や祖父が眠っているのだ。数台の車が停まっている。親戚が来ているらしい。
「忍。帰ってきたの?」
 寺の入り口から母が喪服姿でやってきた。
「あぁ。」
「「まるや」さんの所に人数が増えても大丈夫か確認してもらえる?青田の叔父さんが急に来ると言いだしたから。」
「奥様は?」
「奥様は来れないけれど、叔父さんだけね。」
「一人ならいけるんじゃないのか。ちょっと連絡をしてみよう。」
 そういって忍は携帯電話を取り出した。そして母は倫子の方をみる。
「あら、栄輝はちゃんと喪服で来たのにあなたは喪服で来なかったの?」
「今日は「新緑荘」に泊まるから。」
「そう。別に良いけど。そちらが例の方?」
 春樹を見ていぶかしげな顔をしている。こんな時に来るような非常識な男だと思っていたのに、意外とちゃんとした男のようだ。
「初めまして。藤枝と言います。」
 そういって春樹は名刺を取り出した。すると母親はその名刺を受け取り、じっとそれをみる。
「編集長ってことは、倫子の担当かしら。」
「デビュー以来のつきあいです。」
 この男が倫子を小説家にしたのだ。忌々しい。倫子が人殺しの文章を書いて、一人前の小説家気分でいるのもこの男が仕立て上げたのだ。そう思うと腹が立つ。
「その担当編集者さんが、作家に手を出すなんてね。」
「その辺は否定できませんね。俺もそうしようと思っていたわけではないので。」
「作家に手を出すような編集者さんが、他の人に転ばないとは限らないでしょう?」
「今は倫子さんだけですよ。」
 その言葉に倫子は不安そうに春樹を見上げた。言い方は柔らかいが、トゲのある言い方だと思う。
「まぁ……いい組み合わせなのかもね。色欲魔と手の早い編集者だったら。」
 そういって母親は寺の方に戻っていった。
「春樹。」
 倫子が気を使って声をかける。だが春樹は気にしていないようにいった。
「手厳しいね。想像はしていたけど。」
 そこまで言うことはないだろう。栄輝はそう思いながら、周りを見渡す。
「着替えした方が良いですよね。どっか着替えるところないかな。」
 すると寺の横にある自宅の方から、一人の女性が出てきた。女性は栄輝を見て少し笑う。
「栄輝。」
「胡桃か?」
「えぇ。あなた変わらないわねぇ。」
「三笠の嫁に行ったって聞いたけど、マジだったんだ。」
「えぇ。この間結婚したの。あぁっ。栄輝のお姉さん。」
 騒がしい女性だな。倫子はそう思いながら、ひきつった笑顔を浮かべた。
「あたし、旧姓加賀胡桃です。「新緑荘」の。」
「あぁ。あの女将さんの妹さんだったかしら。」
「えぇ。そうです。あの……あとで出いいんで、サインもらえませんか。」
「サイン?」
「今あたし妊娠しているんですけど、動けないからずっと本ばかり読んでて。」
「胎教に悪いよ。」
 栄輝がそういうと胡桃は頬を膨らませていった。
「るさいなぁ。好きなものを好きなだけ読みたいのよ。」
 その言葉に倫子は初めて笑った。どこか泉とかぶる女性だと思ったから。
「あとで本にサインをするわ。あと、どこか着替えられるところはないかしら。」
「あぁ、法事でしたね。うちの自宅で良ければ使ってください。」
 胡桃はそういって自宅のドアを開ける。古い家はどこか倫子の部屋を想像させた。
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