守るべきモノ

神崎

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一室

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 閉店時間近くになっても今日の分の豆ははけそうにない。礼二はそう思いながらコーヒー豆の入っている瓶をみる。あまり揃っていない豆だ。これだと味にばらつきがでるだろう。そう思いながら、オーダーをこなしつつ豆のより分けをしていた。
 すると副店長がキッチンスペースからやってくる。
「川村店長。何しているんですか。」
「豆の大きさを揃えているんです。マニュアルにありますよね。」
 すると副店長は首を傾げていった。
「どうせ挽いてしまうんだから別にそんなに細かくしなくてもいいんじゃないんですか。」
 その言葉に礼二は首を横に振る。
「焙煎するんですよ。大きさがバラバラだと豆の味が変わってくる。一杯一杯に味のばらつきがでるとこっちは濃くてこっちは薄いなんて事になるから。」
 そんな細かい味の違いなんか客にはわからないのに。そう思いながら副店長は、ペーパータオルを出す。
「その細かさってどれくらいの人がわかっているんですか。」
「は?」
「コーヒーなんて所詮飲み物ですよ。」
 いらっとさせられる男だ。このカフェの本来の存在意義すら薄れかけている。
「普通のカフェじゃないんですよ。ここは。のどを潤すだけならスポーツドリンクでも水でも良い。コーヒーは嗜好品です。贅沢な時間を過ごすために……。」
「客層にも寄りますよ。ここって、どういう客層かわかってます?」
 確かにここの客層は「book cafe」とは違う。どちらかというと近所のおばさんが旦那のグチを話に来たり、定年になったおっさんが懐かしんでくるようなところですよ。」
「……。」
「喫煙だって許可して欲しいのに。」
「そんな場所じゃない。この店は……。」
「土地に合ったやり方をしたらいいのに。詳しい味の違いなんかわからないんだから。」
「客を馬鹿にしてんのか?」
 ついに礼二が立ち上がって副店長を見下ろした。それを見てウェイトレスが噂を始める。
「やっぱり元ヤンでしょ?」
「柄が悪いって。素顔が見えた感じ?いやーね。」
 どう見てもこっちの分が悪い。だがこのままだと会社自体の評価も悪くなるだろう。そのためには妥協はしたくない。
 そのときだった。一人の女性が店に入ってきた。その人を見て、礼二は言葉を失う。それは芦刈真矢だった。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか。」
「一人。カウンターに座って良いですか。」
「はい。どうぞ。」
 真矢は礼二の方をみないでカウンター席に座る。そしてメニューを手にした。
 相変わらず地味だ。だが素材は悪くないし、何より胸が大きいのが男の目を引くだろう。
「すいません。」
 カウンターにいた礼二に声をかけて、はっと息を飲んだ。だがもう水やおしぼりも置いてもらっている。ここで出ますとは言えないだろう。
「はい。」
「ブレンドを。」
「はい。ありがとうございます。」
 ため息をついてメニューを置くと、バッグの中から本を取りだした。池上雅也の新刊のように見える。それを眼鏡の奥の目が文字を追う。少し動揺はしたようだが、もうこちらのことは気にしていないように、本の世界に入っていったのだ。
「川村店長。俺、淹れますよ。豆の仕訳をしたいんでしょ?」
 そう言って副店長が、礼二と変わった。どうせ真矢の胸を見て、手を出したいとかそんなことを考えているのだ。下心が見え見えだ。そう思いながら豆をより分けていた。
 豆自体はどこの店も変わらない。だが水によって焙煎具合は違ってくる。ここの水は「book cafe」よりも少し濃いめにしないといけないだろう。そのこともわかっていないのだ。
「お待たせいたしました。ブレンドです。」
 コーヒーを淹れ終わった副店長が、カップを真矢の前に置く。すると真矢は本を目から離さずに、少しうなづいただけだった。愛想は全くない。相変わらずだと礼二は思いながら、また豆を仕分ける。そのときだった。
「あの……。」
「はい?」
 全く愛想のない真矢が、副店長に声をかける。何かあったのだろうか。礼二もそう思って視線をあげた。
「これってここのブレンドですか?」
「えぇ。」
「別物みたいですね。」
「は?」
「美味しくない。」
 そう言ってカップをおろす。
「店によって味が違うと思うんですけど……。」
「いいえ。美味しくないんです。別店舗のモノを飲んだことがあるんですけど、もっと香りも高かったし変な雑味があるような……。何ですか。これ。」
 その言葉に副店長が言葉を詰まらせた。すると礼二が立ち上がって、カウンターを出ると真矢の前に立つ。
「お客様。申し訳ございません。もう一度淹れ直してもよろしいでしょうか。」
「えぇ。お願いします。」
 すると礼二はカップを下げてシンクに置く。そして棚にある瓶に入った豆を一つ一つ確認した。
「これかなぁ……。」
 そう言って礼二はその豆を取り出すと、豆を挽き始めた。
「川村店長。それ……。」
「黙ってあんたは裏に行ってろ。」
 礼二はそう言って豆を挽いていく。丁寧に淹れるしかない。この豆でもぎりぎりだ。あとは礼二の腕にかかっている。
 そう思いながら、お湯を注ぐ。すると本に目を移していた真矢がこちらをみる。そしてその口元は少し微笑んでいた。
「お客様。大変失礼いたしました。ブレンドです。」
 カップにコーヒーを入れて、真矢の前に置いた。すると真矢は本を閉じてそのコーヒーに口を付ける。
「美味しい……。」
「良かった。」
「すいません。わがままを言ってしまって。」
「いいえ。お代をいただくのですから、そのお代にあったものを淹れなければ意味がないですし。」
 正直ほっとした。豆は不揃いだが、何とか丁寧に淹れることで味には近づいたらしい。
 そして礼二はキッチンへ向かうと、仕込みをしている副店長に近づいた。
「どんな淹れ方をしたらあんな味になるんですか。」
「それは……。」
「店舗ごとで味が違うってのは一番良くないって言っているでしょう。客層なんかでこの程度で良いなんて考えは捨ててください。美味いモノを提供して値段以上だったって思うからリピートになるんでしょ?」
「あの豆……廃棄しようとしてたヤツなのに……。」
「何を言ってるんですか。焙煎後三日目のモノを出す。そう決まってるでしょう?」
「焙煎したての方が良いって。」
「誰が言ったんですか。あなたの独自の解釈でしょう?違うんです。その考え方を捨ててください。ここのやり方でやって。じゃないと、他の店舗がもっとあげようとしてるのに、ここだけで評価を落としてるんですよ。」
 元々の店長は気が弱い方だ。この副店長に良いようにされていたのだろう。ため息をついてまた表に出て行った。
「オーダーです。」
 ウェイトレスに言われて、礼二はそのオーダーの紙をみる。一人でした方が良い。そう思いながらまたコーヒー豆を用意した。
 その様子に赤毛のウェイトレスが、呆れたように礼二を見ていた。ワンマンなのは変わっていないのだと。
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