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一室
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観光地特有の甘いお菓子なんかは職場の人は喜ばないと、春樹がみやげに買ってきたのは甘くない煎餅だった。少し摘むくらいだと、職場の人は喜んでそれを口にしていたのを見て、少し春樹はほほえむ。だが心の中は複雑だった。
子供は今は欲しくないと倫子が言う。産むのは倫子だし、薬さえやめれば出来ないことはないだろう。正直、欲しいと思う。倫子を愛しているからこそ、その愛の結晶が欲しいと思っていた。それに春樹はもうあまり若くないのだ。子供を作ったとして成人する頃にはいくつになるのだろうと計算してしまう。
パソコンを見てため息をつくと、加藤絵里子がコーヒーを飲みながら少し笑った。
「温泉に行っては根を伸ばした割には疲れてます?」
「いいや。体はリフレッシュできたよ。おかげさまでね。」
「それは良かった。」
そのとき入り口から少し遅れてくると連絡のあった女性社員が、今やってきたようだ。あまり顔色は良くない。
「すいません。遅れてしまって。」
春樹にそう言うと、春樹は心配そうに女性に声をかけた。
「無理はしなくてもいいんだけど、大丈夫?」
「あ……病気ではないし、大丈夫です。」
そう言って女性は自分のデスクに戻る。すると絵里子がため息をついた。
「木元さん。大丈夫ですかね。」
「辛そうだね。」
その女性は妊娠している。だが結婚はしていなかった。噂では既婚者の男と不倫をしていて、妊娠したのだという。だが男は更々妻と別れる気はなく、私生児でも良いから産みたいらしいのだ。
「……そんなに簡単な問題じゃないと思うんですけどね。」
「小泉先生の「煉獄」のようだ。」
「えぇ。あれは確か、私生児で産まれた子供が、知らん顔で家庭を持っている男を殺す話でしたよね。それを操っていたのが、男の妻だって。」
「奥さんも辛いと思うよ。甲斐性がなければ浮気はしないことだ。」
人のことは言えないが。自分だって不倫をしていたのだ。それを倫子の両親に言えるだろうか。
「駄目。淹れ直して。」
××街のカフェにいた礼二の厳しい言葉が、店内に響く。あまりお客がいない店舗で良かった。だがこの広さがあるのに、人件費や家賃、光熱費の方が無駄にかかっているような気がする。
「そこ、いつまでテーブルが片づかないの?帰ってくると二にカップの一つ、皿の一つ下げてくるんだ。」
煙たそうに副店長が礼二をみている。礼二の方が年下なのに、偉そうにしているのが鼻につくのだ。
「川村店長。もっと穏やかにいきましょうよ。」
「出来ればそうしたいですよ。でも朝からあの調子じゃ、無理ですね。」
夕べは掃除機をかけたのだろうか。それくらい床がざらざらしている。テーブルも拭かずに開店しようとしている。ついに耐えきれなかったのだ。
「開店を遅らせても良いから掃除機をばっとかけて。終わったらテーブルといすを拭いて、あんたは陳列棚の埃をとって拭いて、あんたはトイレ掃除。」
「しましたよー。」
「手荒い場の石鹸も切れていたし、シンクはもっと磨いて水気がないようにして。」
頭が痛い店舗だ。これを許していた店長は相当頭が悪い。そう思いながら休憩にはいる。バックヤードでエプロンを取っていたときだった。茶色い髪を一つにまとめたウェイトレスが、バックヤードに入ってきた。その顔を見て、ため息をつく。
「そんなに厳しくしてたら、誰もついてこないよ。礼二。」
「俺の店舗はついてくるよ。」
「あぁ。あの男みたいな女でしょ?どっちなんだって。」
そう言って女は礼二に近づいてくる。
「今日、飲みに行かない?」
「行かない。帰るから。」
一度寝た女だ。泉が居なければほいほいついて行くのかもしれないが、もう遊びたくはない。
「ふーん。もう興味ないって事?」
「無いね。俺、彼女いるし。」
「離婚してあまり時間が経ってないのに?」
「別に良いじゃん。」
そう言って礼二は裏口から出て行く。そして携帯電話を手にした。泉も今は休憩中だろうか。だがそれよりも文句を言いたいところがある。そう思いながら携帯電話にコールした。
「あー。今大丈夫ですか?赤塚さん。」
あまり忙しくないようだ。店舗に電話をして大和を呼び出した。
「ふざけんなって感じですよ。何ですか。このくそ店舗。え?……言いたくもなりますよ。店長変えた方が良いですね。頑張ってんのはわかりますけど、副店長もバイトもやる気無いのわかりますから。」
クレームが良くこれくらいで済んだと感心する。それくらい、自分の店舗でしていたこととかけ離れていたのだ。
電話を切られて、大和は少し笑った。やはりあっちに礼二を送って正解だった。これであっちの店舗も少し変わってくれるといいのだが。
「赤塚さん。カップケーキが残り一個です。」
泉がキッチンに顔を見せる。皿を洗っていた大和はその声に反応してうなづいた。
「わかった。時間的にあと五個もあればいいか。」
「いいえ。もう少し必要だと思います。」
「十個もいるか?」
「女性が多いので。」
相変わらず腐女子が多いらしい。大和はため息をついて、時計をみる。
「良いよ。十個ね。」
そう言って洗い終わった皿を食洗機にかける。そしてキッチンスペースに戻った。
「なぁ。阿川、賭をしないか。」
「賭?」
「十個全部はけたら、お前の勝ちな。何でも言うことを聞いてやるよ。そのかわりはけなくて廃棄になったら、俺の勝ちな。何でも言うことを聞けよ。」
「そんな賭をするんですか?馬鹿じゃない?」
すると大和は卵を取り出して、泉を見下ろす。
「昨日、ヤツの所に行ったんだろ?今日も行く気か?」
「……赤塚さん。私、礼二に言ったんです。」
「……知ってるよ。だから賭。乗る?」
表にいる客を計算する。あまり今は入っている方ではない。いつもよりは少ないのだ。だが十個ならはけるかもしれない。
「私が買ったら、もう手を出さないでください。」
「良いよ。じゃ、俺が買ったら飯を奢ってよ。」
きっと食事だけではない。ホテルにでも連れ込むはずだ。表から声が聞こえる。泉はいつもの顔をよそって、フロアに出て行った。
その後ろ姿を見て大和は少し笑う。どっちが勝つかなど大和にもわからない。だが少し希望が持てる。泉をまた抱けるかもしれないと言う希望だ。
「ガキでも作ってやろうか。」
頭の中で伊織の言葉がずっと響いていた。惚れているんだろうと。確かに惚れているかもしれない。夕べ礼二にきっと抱かれていた。それだけでいらついてくるのだ。これが恋心ではなければ何だろう。
子供は今は欲しくないと倫子が言う。産むのは倫子だし、薬さえやめれば出来ないことはないだろう。正直、欲しいと思う。倫子を愛しているからこそ、その愛の結晶が欲しいと思っていた。それに春樹はもうあまり若くないのだ。子供を作ったとして成人する頃にはいくつになるのだろうと計算してしまう。
パソコンを見てため息をつくと、加藤絵里子がコーヒーを飲みながら少し笑った。
「温泉に行っては根を伸ばした割には疲れてます?」
「いいや。体はリフレッシュできたよ。おかげさまでね。」
「それは良かった。」
そのとき入り口から少し遅れてくると連絡のあった女性社員が、今やってきたようだ。あまり顔色は良くない。
「すいません。遅れてしまって。」
春樹にそう言うと、春樹は心配そうに女性に声をかけた。
「無理はしなくてもいいんだけど、大丈夫?」
「あ……病気ではないし、大丈夫です。」
そう言って女性は自分のデスクに戻る。すると絵里子がため息をついた。
「木元さん。大丈夫ですかね。」
「辛そうだね。」
その女性は妊娠している。だが結婚はしていなかった。噂では既婚者の男と不倫をしていて、妊娠したのだという。だが男は更々妻と別れる気はなく、私生児でも良いから産みたいらしいのだ。
「……そんなに簡単な問題じゃないと思うんですけどね。」
「小泉先生の「煉獄」のようだ。」
「えぇ。あれは確か、私生児で産まれた子供が、知らん顔で家庭を持っている男を殺す話でしたよね。それを操っていたのが、男の妻だって。」
「奥さんも辛いと思うよ。甲斐性がなければ浮気はしないことだ。」
人のことは言えないが。自分だって不倫をしていたのだ。それを倫子の両親に言えるだろうか。
「駄目。淹れ直して。」
××街のカフェにいた礼二の厳しい言葉が、店内に響く。あまりお客がいない店舗で良かった。だがこの広さがあるのに、人件費や家賃、光熱費の方が無駄にかかっているような気がする。
「そこ、いつまでテーブルが片づかないの?帰ってくると二にカップの一つ、皿の一つ下げてくるんだ。」
煙たそうに副店長が礼二をみている。礼二の方が年下なのに、偉そうにしているのが鼻につくのだ。
「川村店長。もっと穏やかにいきましょうよ。」
「出来ればそうしたいですよ。でも朝からあの調子じゃ、無理ですね。」
夕べは掃除機をかけたのだろうか。それくらい床がざらざらしている。テーブルも拭かずに開店しようとしている。ついに耐えきれなかったのだ。
「開店を遅らせても良いから掃除機をばっとかけて。終わったらテーブルといすを拭いて、あんたは陳列棚の埃をとって拭いて、あんたはトイレ掃除。」
「しましたよー。」
「手荒い場の石鹸も切れていたし、シンクはもっと磨いて水気がないようにして。」
頭が痛い店舗だ。これを許していた店長は相当頭が悪い。そう思いながら休憩にはいる。バックヤードでエプロンを取っていたときだった。茶色い髪を一つにまとめたウェイトレスが、バックヤードに入ってきた。その顔を見て、ため息をつく。
「そんなに厳しくしてたら、誰もついてこないよ。礼二。」
「俺の店舗はついてくるよ。」
「あぁ。あの男みたいな女でしょ?どっちなんだって。」
そう言って女は礼二に近づいてくる。
「今日、飲みに行かない?」
「行かない。帰るから。」
一度寝た女だ。泉が居なければほいほいついて行くのかもしれないが、もう遊びたくはない。
「ふーん。もう興味ないって事?」
「無いね。俺、彼女いるし。」
「離婚してあまり時間が経ってないのに?」
「別に良いじゃん。」
そう言って礼二は裏口から出て行く。そして携帯電話を手にした。泉も今は休憩中だろうか。だがそれよりも文句を言いたいところがある。そう思いながら携帯電話にコールした。
「あー。今大丈夫ですか?赤塚さん。」
あまり忙しくないようだ。店舗に電話をして大和を呼び出した。
「ふざけんなって感じですよ。何ですか。このくそ店舗。え?……言いたくもなりますよ。店長変えた方が良いですね。頑張ってんのはわかりますけど、副店長もバイトもやる気無いのわかりますから。」
クレームが良くこれくらいで済んだと感心する。それくらい、自分の店舗でしていたこととかけ離れていたのだ。
電話を切られて、大和は少し笑った。やはりあっちに礼二を送って正解だった。これであっちの店舗も少し変わってくれるといいのだが。
「赤塚さん。カップケーキが残り一個です。」
泉がキッチンに顔を見せる。皿を洗っていた大和はその声に反応してうなづいた。
「わかった。時間的にあと五個もあればいいか。」
「いいえ。もう少し必要だと思います。」
「十個もいるか?」
「女性が多いので。」
相変わらず腐女子が多いらしい。大和はため息をついて、時計をみる。
「良いよ。十個ね。」
そう言って洗い終わった皿を食洗機にかける。そしてキッチンスペースに戻った。
「なぁ。阿川、賭をしないか。」
「賭?」
「十個全部はけたら、お前の勝ちな。何でも言うことを聞いてやるよ。そのかわりはけなくて廃棄になったら、俺の勝ちな。何でも言うことを聞けよ。」
「そんな賭をするんですか?馬鹿じゃない?」
すると大和は卵を取り出して、泉を見下ろす。
「昨日、ヤツの所に行ったんだろ?今日も行く気か?」
「……赤塚さん。私、礼二に言ったんです。」
「……知ってるよ。だから賭。乗る?」
表にいる客を計算する。あまり今は入っている方ではない。いつもよりは少ないのだ。だが十個ならはけるかもしれない。
「私が買ったら、もう手を出さないでください。」
「良いよ。じゃ、俺が買ったら飯を奢ってよ。」
きっと食事だけではない。ホテルにでも連れ込むはずだ。表から声が聞こえる。泉はいつもの顔をよそって、フロアに出て行った。
その後ろ姿を見て大和は少し笑う。どっちが勝つかなど大和にもわからない。だが少し希望が持てる。泉をまた抱けるかもしれないと言う希望だ。
「ガキでも作ってやろうか。」
頭の中で伊織の言葉がずっと響いていた。惚れているんだろうと。確かに惚れているかもしれない。夕べ礼二にきっと抱かれていた。それだけでいらついてくるのだ。これが恋心ではなければ何だろう。
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