守るべきモノ

神崎

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 すでに暗くなった道を、真矢と伊織は歩いていた。伊織はあまり大きな人ではない。真矢は倫子と背丈は変わらないので、女性にしては少し大きな方だろう。どちらにしても並んでいてもカップルには見えない。地味な真矢と、少しちゃらく見える伊織。悪い言い方をすれば、真矢が伊織を買っているように見える。
「テレビでもインターネットでも大騒ぎをしていたから、心配になったんですか?」
「えぇ。とても大きな事件のように扱われてて。」
「……そうですね。少し前から倫子には言ってました。」
「え?」
「「月刊ミステリー」の対談は悪くなかったけれど、写真は誤解を与えるかもしれないって。」
「普通に立っているだけだったのに?」
「ホームページにはもう少し寄り添っているものもあったんですよ。春樹さんにも言ったけど、あまり近いと誤解するファンもいるんじゃないかって。」
「……。」
「倫子は見た目も悪くないし、荒田先生みたいなキャラの人のファンは嫉妬するんじゃないかって。それでなくても倫子にはちょっと噂が立っていることもあるし。」
「噂?」
「見た目でやっぱりこう……入れ墨があったり、ちょっと色気があるところかな。それから官能小説を書いたことも拍車をかけたんです。男好きなんじゃないかって。」
「とっかえひっかえしているみたいな?」
「えぇ。」
「そんな風に聞こえなかったけれど……。」
 話をすればするぼど仕事のことしか目に映っていない人だ。全てのことがネタになると思っているのかもしれない。
「今回のことも倫子ならネタにしますよ。」
「そんなに?」
「えぇ。」
 真矢はそう聞いて少し笑う。
「次作がストーカーのネタだったらそう思ってください。」
「ははっ。」
 真矢が笑うと眼鏡の奥の目が細くなる。ただそれが好きかと言われるとわからない。ただ真矢とキスをすることもあるし、抱きしめ合うこともある。それが伊織も望んでいることなのだろうかというと少し違う気がした。
「芦刈さん。俺……倫子に一度ネタを提供したことがあるんです。」
「ネタ?」
「俺、親の都合で世界を転々としてたんです。最初はヨーロッパの方で、アジアの方へ行ったこともあります。そこで麻の織物を身につけている人の話をしたことがあるんです。草木染めをしてました。」
「あぁ……この間発売されたものの短編の?」
「そうです。」
「麻からは大麻がとれますね。」
「種類のよってですけどね。」
「あの話はおもしろかったけれど……少し情景が浮かんでこなかった。実際には行ってないんだろうなと思ってましたけど、富岡さんのネタだったんですね。」
「えぇ。」
「楽しそうな国ですね。機会があったらいきたいです。」
「女性が一人でいけるようなところじゃないんですよ。」
「え?」
「今はそうでもないけれど、少し前までは女性の観光で一人でうろうろしていると、すぐに茂みに連れて行かされてレイプされたりするんです。」
 結婚すら自分たちで決められない国だった。だから性の溜まった男たちが後腐れのない観光客を捕まえてレイプするのは、日常だったのかもしれない。
「そうでしたか……。」
「あのとき、俺は倫子に表向きのことしか話をしなかった。だからそれを素直に文章にしたんだと思います。」
「実際はどんな国なんですか?」
 すると伊織は少し戸惑った。だが素直に真矢には言いたいと思う。真矢は春樹のことを言ったのだ。なのに自分のことを言わないのは卑怯だと思う。
「……聖なる川があるんです。宗教上、たたえたりあがめたりして、寺院に礼拝に行くときはそこで身を清めていくようになってます。ですが、実際は生活用水が垂れ流れてます。排泄物も、死体も、焼けた骨も全部その中に流れていくんです。」
「……。」
「現地の人は飲むこともあるみたいですけど、観光客は肌に触れただけでかぶれることもあるんです。そんなところです。」
「水道をひねっただけで飲める水が出てくるのが普通じゃないんですね。」
「えぇ。それからほとんどが貧困です。男性も女性も昼間は仕事をしてますけど、夜になれば観光客を相手に体を売ります。相当安いもので。」
「体を……。」
「初潮が始まっていない女の子から、閉経した女性まで。」
「……。」
「そんな国ですよ。」
「生活をするのに精一杯な国なんですね。そうではないと体を売ることなんかしないでしょう。でも、子供が出来たりしないんですか。そんなところだったら避妊なんて出来ないでしょう?」
 それが一番言いたくなかったことだった。だが隠せない。伊織は震える手を押さえて真矢に言う。
「死んだらまた作ればいいと言うところです。命が軽い土地でした。」
 暑い土地で馬小屋で首を吊っていたあの女の子の姿が今でも浮かぶ。そしてそれを降ろす大人たちの会話も。
「命が軽い……。」
「医療も遅れてて、病気になっても医者に見せることはほとんどない。だから大人になれない子供も多かった。だから子供は沢山産んで欲しいと思ってたみたいです。生活のためにもね。」
 死ねば川に流されて、神の元へ行ける。そんなわけはない。だから伊織は神なんかいないとずっと思っていたのだ。
「富岡さんは、その土地に馴染めなかったんですね。」
「綺麗だけど……汚いと思ってた。……俺、親の都合であの土地にいたんです。大使館にいて学校にも通ってたし、外部の子とのふれあいも出来た。その中で、現地の女の子と仲が良かったんです。毎日暗くなるまで遊んで、周りからも仲がいいと思われてたし親も黙ってみてました。」
 紙や鉛筆なんかはなかった。だからあの子が話してくれたお菓子のデザインを地面に書いてそれを見ていたのだ。自由で何も縛られていない発想は、今でも追いつかないと思う。
「羨ましかったなぁ。」
 きっとその子が好きだったのだろう。真矢は少し不安そうな表情になる。
「その子と連絡を取れるんですか?」
「取れません。死んだから。」
「え?」
「……俺、その子の母親にレイプされたんです。それを見て、首を吊ってた。でも周りの人たちが「死んで川に流せば神の元へ行ける」「死んでも代わりがいるから次がある」って言うことを言ってて、俺、もうあの土地に居れないと思って……。」
 伊織の顔が赤くなる。泣きそうなのだ。それを感じて真矢は伊織の手を握った。
「辛いなら言わなくてもいいのに。」
 すると伊織もその手を握った。そして少し笑う。
「あなたに聞いて欲しかったんです。あなたも辛いことを言ってくれたから。」
 手をつないだままアパートへ向かう。もう少しで家に帰ってしまうのだ。本当ならもっと一緒にいたいと思った。だが今日は帰らないといけないだろう。何より倫子が心配だ。
「そんなことがあったら、セックスだって怖いんじゃないんですか。」
 すると伊織は首を横に振った。少なくとも、倫子とセックスをしたときはそんなことを思わなかった。ただ倫子が欲しくて、倫子だけを感じたかった。だが今は倫子を見てもそう思わない。それはきっと真矢がそこにいるから。
「昔のことです。俺は今からをみたいから。あの子にはきっと適わないけど、デザインで生きていきたいと思います。」
 すると真矢は少し笑って、うなづいた。きっと伊織もまた前向きに生きていると思えたから。
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