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天気も良いし店内はごたごたしているしと、泉は近所にあるラーメン屋で昼食を済ませて一時間後ほどにまた店に戻ってきた。トークショーはもう始まっているらしく、少し笑いを交えながら話が進んでいるようだ。
「荒田先生の新作の「snow lounge」は雪山が舞台ですか。」
「えぇ。去年初めてスキーをして、ちょっと思いついたんですよ。小泉先生はスキーは?」
「したことがないですね。スケートは一度したことがありますけど。」
その言葉に泉は少し笑いながら二階に上がっていった。大学の時に、サークルのみんなでスケートへ行ったのを思い出す。最初は戸惑っていたようだが、慣れれば泉たちと一緒に滑れていたのを思い出した。運動神経は悪くないのだが、あまり体を積極的に動かすタイプでもないのだろう。
二階に上がると、先ほどよりも客足は閑散としていた。やはりみんなトークショーが目当てなのだ。
「戻りました。」
表に出ていたのは大和だった。そして裏から礼二もやってくる。
「店長。仕込みだいぶ出来た?」
「あとはサンドイッチの仕込みと、カップケーキがあと十分くらいで焼けます。」
「わかった。じゃあ、それは俺が引き継ぐよ。あんた休憩に行ったら?」
「え?」
二人きりにさせたくなかった。だからわざと抵抗したのだ。だが大和はにやっと笑って言う。
「トークショーってあとどれくらいで終わるの?」
「十三時三十分に始まって、二時間くらいですかね。」
「ちょうど良いじゃん。行って来いよ。」
しかしここで行きたくないなどとわがままは言えない。せめて出来ることをしておきたいと思った。
「阿川さん。ちょっと裏良い?」
「はい。どうしました?」
「スポンジの代えってどこだっけ。」
「えっとですね……。」
カウンターに入って、二人は裏へ行ってしまう。付けてやろうかと思った。だが客が伝票を手に大和を呼ぶ。
「すいません。」
「はい。ありがとうございます。」
そういって大和はレジの方へ向かった。お金を手にしながら心はやきもきしている。
「スポンジってもうだいぶ痛んでましたか。」
倉庫の奥にある食器を洗うスポンジを手にして、礼二は少し笑った。ほとんど食洗機が洗ってくれるようなモノなのだが、簡単な汚れを取ってからではないと汚れが残ってしまうのだ。
「少しね。」
「……まだ代える必要……。」
すると礼二はそのまま泉の二の腕を掴むと、自分の方に引き寄せた。そして顔をのぞき込むようにして、軽くキスをする。
「駄目だよ。礼二。」
「どうしてもしたかった。泉。」
「どうしたの?」
「あいつに気を付けて。」
その言葉に、泉は少しうなづいた。あいつというのは大和のことだ。何か知ってしまったのだろうか。そう思えて不安になる。
すると泉は礼二の首に手を回し、また軽くキスをする。そして二人は外に出ると、大和がカップを手にしてカウンターに戻ってきた。
「じゃあ、俺、休憩に行ってくる。ちょっと下の様子も見たいから。」
「結構人が多かったですよ。でも笑いもあって。」
「意外だな。小泉先生って笑うのか?」
「笑いますよ。倫子は笑い出したら止まらないから。」
「笑いの沸点は高いのに、笑い出したら止まらないからなぁ。」
一度大和が会ったときの倫子は、そんなタイプに見えなかった。だがあの入れ墨は少し気になるところがある。
礼二が階下へ行こうとしたときだった。階段を上がってくる音がする。そして見覚えのある人があがってきた。
「お、伊織君。いらっしゃい。」
「どうも。礼二さん。」
「一人?」
「本を買いに来ただけなんですけど、人が多すぎてちょっとお茶をしてからの方が良いかと思ってですね。」
「その方が良いかもしれないな。ごゆっくり。」
「休憩ですか?」
「うん。」
そういって礼二は階下に降りていく。そして伊織は泉を見て少し笑った。
「いらっしゃい。伊織。カウンターが良い?」
「そうしようかな。あ、ブレンドくれる?」
「えぇ。」
いつかの優男だ。礼二と寝た女と一緒に来て、仕事の話をしていた。少し大和は思いついたように、伊織に近づく。確かデザイナーか何かだったはずだ。
「どうも。」
「あぁ。こんにちは。えっと……。」
「本社からヘルプできてる、赤塚大和ってもんだけどさ。」
そういって大和は名刺を取り出して、伊織に手渡す。すると伊織もバッグから名刺を取り出す。それを見てやはり心の中で大和は微笑んだ。
「富岡伊織です。」
「デザイン会社の人か。ちょっと相談があるんだけど。」
「どうしました?」
出会って一言、二言目で相談を持ちかけられるとは思わなかった。
「直感で良いよ。あんたも口を出せる立場じゃないと思うし。一言でいいんだけど。」
「はぁ。」
「どっちが美味そう?」
そういって大和は春の新作デザートの案を書いた紙を伊織の前に置く。すると伊織は首を傾げて言った。
「一言でいいんですか?」
「あぁ。」
「どっちも別にって感じです。」
するとその言葉にコーヒーを淹れようとしていた泉の手が止まる。それ以上に大和が食いついた。
「なんでだよ。」
「ありふれてるから。どこでもありますよ。こういうデザート。カップケーキの方がSNS映えはしそうですけどね。」
そうだった。伊織もあまり口に蓋が出来ないタイプだった。大和の手がふるえているのがわかる。
「赤塚さん。伊織は最近デザートのポスターばかり手がけているんです。ほら……この間の高柳鈴音さんのお店のポスターも伊織が手がけたのよね。」
「昨日から張られてる。好評みたいで良かった。」
だが大和は引き下がらない。
「てめぇ。俺らがどんだけ……。」
「作った人がどれだけ苦労してるって言われても、その情熱で商品は売れませんよ。」
泉は黙ったままコーヒーを淹れていた。泉も同意見だったからだ。
「下に作家が来てるんですよね。」
「あぁ。」
「彼らは今時代の流れでスポットが当たっている。このままスポットが当たり続けるか、はずれてしまうかは彼ら次第。そしてスポットは当たらなくても彼ら以上に努力している作家も沢山居ます。でも報われていない。」
「……倫子が言ってたわね。努力って必ず報われるわけじゃないって。」
「その通りだと思うよ。」
涼しい顔をしてデザートの案を大和に手渡した。だがその大和は心の中で舌打ちをして、泉に言う。
「俺、裏にいるわ。」
「わかりました。」
気にくわない。プロのデザイナーだったら確かに仕事でもないことに口を出すことは出来ない。だから一言だけでも意見が欲しいと思っただけなのだが、とりつく島もない。
何より「泉」と呼び捨てで呼べるあの気軽さ。軽薄さ。腹が立つ。
「荒田先生の新作の「snow lounge」は雪山が舞台ですか。」
「えぇ。去年初めてスキーをして、ちょっと思いついたんですよ。小泉先生はスキーは?」
「したことがないですね。スケートは一度したことがありますけど。」
その言葉に泉は少し笑いながら二階に上がっていった。大学の時に、サークルのみんなでスケートへ行ったのを思い出す。最初は戸惑っていたようだが、慣れれば泉たちと一緒に滑れていたのを思い出した。運動神経は悪くないのだが、あまり体を積極的に動かすタイプでもないのだろう。
二階に上がると、先ほどよりも客足は閑散としていた。やはりみんなトークショーが目当てなのだ。
「戻りました。」
表に出ていたのは大和だった。そして裏から礼二もやってくる。
「店長。仕込みだいぶ出来た?」
「あとはサンドイッチの仕込みと、カップケーキがあと十分くらいで焼けます。」
「わかった。じゃあ、それは俺が引き継ぐよ。あんた休憩に行ったら?」
「え?」
二人きりにさせたくなかった。だからわざと抵抗したのだ。だが大和はにやっと笑って言う。
「トークショーってあとどれくらいで終わるの?」
「十三時三十分に始まって、二時間くらいですかね。」
「ちょうど良いじゃん。行って来いよ。」
しかしここで行きたくないなどとわがままは言えない。せめて出来ることをしておきたいと思った。
「阿川さん。ちょっと裏良い?」
「はい。どうしました?」
「スポンジの代えってどこだっけ。」
「えっとですね……。」
カウンターに入って、二人は裏へ行ってしまう。付けてやろうかと思った。だが客が伝票を手に大和を呼ぶ。
「すいません。」
「はい。ありがとうございます。」
そういって大和はレジの方へ向かった。お金を手にしながら心はやきもきしている。
「スポンジってもうだいぶ痛んでましたか。」
倉庫の奥にある食器を洗うスポンジを手にして、礼二は少し笑った。ほとんど食洗機が洗ってくれるようなモノなのだが、簡単な汚れを取ってからではないと汚れが残ってしまうのだ。
「少しね。」
「……まだ代える必要……。」
すると礼二はそのまま泉の二の腕を掴むと、自分の方に引き寄せた。そして顔をのぞき込むようにして、軽くキスをする。
「駄目だよ。礼二。」
「どうしてもしたかった。泉。」
「どうしたの?」
「あいつに気を付けて。」
その言葉に、泉は少しうなづいた。あいつというのは大和のことだ。何か知ってしまったのだろうか。そう思えて不安になる。
すると泉は礼二の首に手を回し、また軽くキスをする。そして二人は外に出ると、大和がカップを手にしてカウンターに戻ってきた。
「じゃあ、俺、休憩に行ってくる。ちょっと下の様子も見たいから。」
「結構人が多かったですよ。でも笑いもあって。」
「意外だな。小泉先生って笑うのか?」
「笑いますよ。倫子は笑い出したら止まらないから。」
「笑いの沸点は高いのに、笑い出したら止まらないからなぁ。」
一度大和が会ったときの倫子は、そんなタイプに見えなかった。だがあの入れ墨は少し気になるところがある。
礼二が階下へ行こうとしたときだった。階段を上がってくる音がする。そして見覚えのある人があがってきた。
「お、伊織君。いらっしゃい。」
「どうも。礼二さん。」
「一人?」
「本を買いに来ただけなんですけど、人が多すぎてちょっとお茶をしてからの方が良いかと思ってですね。」
「その方が良いかもしれないな。ごゆっくり。」
「休憩ですか?」
「うん。」
そういって礼二は階下に降りていく。そして伊織は泉を見て少し笑った。
「いらっしゃい。伊織。カウンターが良い?」
「そうしようかな。あ、ブレンドくれる?」
「えぇ。」
いつかの優男だ。礼二と寝た女と一緒に来て、仕事の話をしていた。少し大和は思いついたように、伊織に近づく。確かデザイナーか何かだったはずだ。
「どうも。」
「あぁ。こんにちは。えっと……。」
「本社からヘルプできてる、赤塚大和ってもんだけどさ。」
そういって大和は名刺を取り出して、伊織に手渡す。すると伊織もバッグから名刺を取り出す。それを見てやはり心の中で大和は微笑んだ。
「富岡伊織です。」
「デザイン会社の人か。ちょっと相談があるんだけど。」
「どうしました?」
出会って一言、二言目で相談を持ちかけられるとは思わなかった。
「直感で良いよ。あんたも口を出せる立場じゃないと思うし。一言でいいんだけど。」
「はぁ。」
「どっちが美味そう?」
そういって大和は春の新作デザートの案を書いた紙を伊織の前に置く。すると伊織は首を傾げて言った。
「一言でいいんですか?」
「あぁ。」
「どっちも別にって感じです。」
するとその言葉にコーヒーを淹れようとしていた泉の手が止まる。それ以上に大和が食いついた。
「なんでだよ。」
「ありふれてるから。どこでもありますよ。こういうデザート。カップケーキの方がSNS映えはしそうですけどね。」
そうだった。伊織もあまり口に蓋が出来ないタイプだった。大和の手がふるえているのがわかる。
「赤塚さん。伊織は最近デザートのポスターばかり手がけているんです。ほら……この間の高柳鈴音さんのお店のポスターも伊織が手がけたのよね。」
「昨日から張られてる。好評みたいで良かった。」
だが大和は引き下がらない。
「てめぇ。俺らがどんだけ……。」
「作った人がどれだけ苦労してるって言われても、その情熱で商品は売れませんよ。」
泉は黙ったままコーヒーを淹れていた。泉も同意見だったからだ。
「下に作家が来てるんですよね。」
「あぁ。」
「彼らは今時代の流れでスポットが当たっている。このままスポットが当たり続けるか、はずれてしまうかは彼ら次第。そしてスポットは当たらなくても彼ら以上に努力している作家も沢山居ます。でも報われていない。」
「……倫子が言ってたわね。努力って必ず報われるわけじゃないって。」
「その通りだと思うよ。」
涼しい顔をしてデザートの案を大和に手渡した。だがその大和は心の中で舌打ちをして、泉に言う。
「俺、裏にいるわ。」
「わかりました。」
気にくわない。プロのデザイナーだったら確かに仕事でもないことに口を出すことは出来ない。だから一言だけでも意見が欲しいと思っただけなのだが、とりつく島もない。
何より「泉」と呼び捨てで呼べるあの気軽さ。軽薄さ。腹が立つ。
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