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海岸
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静かな夜にパソコンのキーボードを叩く音だけが響く。清書を終えて、読み返しているのだ。倫子はその作業が一番楽しい。伝えたいことを書いているので、ここを付け加えようかここを削ろうかとか誤字脱字を修正する。そしてまた読み返す。それを何度も繰り返すのだ。そのとき、作っているという実感がわく。
それでも春樹をはじめとした編集者にだめ出しをされることもあるのだ。ヒドいときは全てを書き直すこともある。それは自分の実力不足なのだと、ふと壁に貼られているスケジュールを見た。
今度の日曜日。トークショーに出て欲しいという依頼が来た。人前に出るのは苦手なのだが、春樹から直々に依頼が来たのだから仕方がない。それにまだ冷えている時期だ。あまり肌を露出させなくてもいいだろう。
今日は、家に三人はいない。春樹はまだ帰ってきていないし、伊織は食事をしたら飲みに行くと言って出て行ってしまった。泉は明日休みなのだが、「book cafe」だけではなく、「book cafe」を含む「ヒジカタカフェ」のグループ内のコーヒーの監修をしている女性の所に行くのだという。この間できあがったデザートを持って、デザートに合うコーヒーを見てもらうらしい。
その人は相馬さんの弟子だという。倫子が幼い頃に、祖母が残していたあの縦の物片隅で喫茶店をしていた女性。その弟子と言うことは、倫子も会ったことがあるのかも知れない。だがあまり覚えていない。弟子にして欲しいという人は何人書いたようだが、相馬さんはそれを全て拒否していたし、事業提携しようと言う人も拒否していた。
あの空間でのんびりとコーヒーを楽しむ空間だけを大事にしていた。それだけに倫子がしたという建物を焼いた事件の時、祖母が倫子を責めたように、相馬さんも責めても良かったと思う。
なのに相馬さんは全く責めることもなく、お使いに胃かせたのが悪かったと謝罪をし、そのあと倫子を病院に連れて行ったのだ。
「……。」
人間が出来すぎている。本来なら、母のように倫子を責めても良いはずなのにと、倫子はずっと思っていた。
その弟子の女性。どんな人なのかは気になるが、倫子が行くことはないだろう。郊外にあるその土地は離れすぎている。
そのときだった。
「ただいま。」
玄関の方で声が聞こえた。春樹の声だった。できあがったデーターを保存したあとファイルにすると、新聞社に送る。そしてパソコンをスリープ状態にすると席を立った。そして居間へ向かう。
「お帰り。」
すると春樹はコートを脱ぎながら、倫子の方を振り向いた。
「ただいま。居たんだね。誰も居ないかと思っていたよ。」
「ちょうど今、新聞社の依頼の物が終わってデーターを送ったの。」
「仕事を詰めているんじゃないのか?正月前みたいになっているよ。」
「平気。ほら、今度の日曜日にはきっと帰れないと思ったから、ちょっと先に先にって仕事をしているだけ。」
「あぁ。そうだったね。」
マフラーとコートと荷物を手にすると、部屋を出ていった。そして倫子もファンヒーターをつける。そして台所へ行くと、伊織が作っておいたタケノコのに物に火をつけた。擂り身が入っていて、それが良い味を出している。あとは春キャベツのサラダやあじの開きを温める。
「良いよ。倫子。自分で出来るから。」
「ううん。させて欲しいの。」
仕事を最近詰め込んでいた。なので三人には少し素っ気なかったような気がする。だからせめてしたいと思ったのだ。それがわかって春樹も少し微笑んだ。
「ご飯は少しで良いよ。」
「あら。あまり食べないのね。」
「代わりのを買ってきたんだ。倫子もお茶を入れて食べよう。」
そういって春樹は紙袋を土佐し出す。すると倫子はそれを手にして、中身を見た。そこには箱が入っている。中身を取り出して蓋を開けると、チョコレートのエクレアが行儀良く並んでいた。
「どうしたの?」
「あの会社の近くにお菓子屋さんが出来てね。評判が良かったし、帰ろうとしたらまだ開いていたからついでに買ってみたいんだ。あまり甘い物が好きじゃないかも知れないけど。」
「そんなことはないわ。美味しそうね。あとで食べましょう。」
食事を食卓に並べて、倫子もテレビをつけるとニュースを見ていた。高速道路でトラックが横転して、道路一杯に鯖が広がっているところが映し出されている。
「擂り身になるわね。」
「こんなところで擂り身になってもね……。」
すっかり春らしいメニューになって、春樹は少し微笑んだ。だがテレビを見ていた倫子に声をかける。
「倫子。」
「どうしたの?」
「今度、日曜日にトークショーをするだろう?」
「えぇ。」
「俺、その日は出勤になるから、代休を取らないといけなくてね。」
「そうでしょうね。いつ取るの?」
「今月中に取らないといけないんだ。それでその日、デートをしないか。」
「デート?」
「伸ばしていたけれど、バイクを借りようと思っていてね。少しまだ寒いけれど、どうかな。」
すると倫子は少し笑って言う。
「良いわね。」
二人きりになればセックスばかりしているのだ。たまには羽を伸ばしたいと思う。
「二台借りるかな。」
「どうして?」
倫子は驚いたように春樹に聞く。
「え?君も持っているんだろう?大型。」
「持っているけれど、前にも言った。後ろに乗りたいって。慣れてないけれど良いかしら。」
すると春樹は少し笑って言う。
「疲れたら交代してくれる?」
「疲れたら休めばいいわ。ねぇ。私行きたいところがあるの。連れて行ってくれないかしら。」
「良いよ。どこに行きたいの?」
「温泉へ行きたいわ。でも私は入れ墨があるから、家族風呂があるような所じゃないと入れないわね。」
「そうだね。調べておくよ。」
そのとき玄関が開いた音がした。そして伊織の声がする。
「ただいま。」
すると倫子と春樹が声をかける。
「お帰り。」
ジャンパーを羽織っていた伊織は、居間に帰ってくると少し笑う。
「ここは暖かいね。外すごい冷えてる。」
「寒が戻ったかな。」
「そうね。この寒さでずっと政近は立ち尽くしていたんだから、恐れ入るわ。」
「風邪はひいたじゃない。結局、次の日に医者に行ったんだっけ?」
「連れて行ったのよ。聞かせてやりたかったわ。注射を打てば早く直るって言ったら、注射を打たれるくらいなら長引いて良いって言うのよ。」
「駐車嫌いか。子供かよ。ん?何か甘い物でも買ったの?」
「うん。伊織君も食べる?エクレア。」
「あぁ。春樹さんの会社の近くに出来た菓子屋?あそこ評判いいよね。あそこからも今依頼が来ててさ。」
「売れっ子ねぇ。伊織は。」
そういって倫子は立ち上がる。そして台所へ行くのを見て、伊織は座り込む。そして食事をしている春樹の横顔を見た。
「春樹さんさ。」
「ん?」
「芦刈さんとまだ連絡取ってる?」
「あぁ。芦刈さんが企画をしたイベントのポスターを作っていると言っていたね。俺は最近ずっと連絡を取ってないな。電車でも駅でも見かけることはなくなったし。」
「春樹さんが最近ずっと遅いからじゃない?忙しいの?校了が終わったのに。」
「池上先生の本が今度出るんだ。それで各所に連絡を取っていてね。」
するとお茶を手にした倫子が、少し笑った。
「本が出るんでしょう?池上先生。すごく楽しみ。」
「あれ?倫子は読んでないの?」
「あの先生は本編も楽しいけれど、ほら、本編の後ろについて行るショートも面白いのよ。」
シリアスな本編とは全くテイストの違ったコメディー色の強い作品だ。そっちの方が好きというのは、意外だと春樹は思っていた。
それでも春樹をはじめとした編集者にだめ出しをされることもあるのだ。ヒドいときは全てを書き直すこともある。それは自分の実力不足なのだと、ふと壁に貼られているスケジュールを見た。
今度の日曜日。トークショーに出て欲しいという依頼が来た。人前に出るのは苦手なのだが、春樹から直々に依頼が来たのだから仕方がない。それにまだ冷えている時期だ。あまり肌を露出させなくてもいいだろう。
今日は、家に三人はいない。春樹はまだ帰ってきていないし、伊織は食事をしたら飲みに行くと言って出て行ってしまった。泉は明日休みなのだが、「book cafe」だけではなく、「book cafe」を含む「ヒジカタカフェ」のグループ内のコーヒーの監修をしている女性の所に行くのだという。この間できあがったデザートを持って、デザートに合うコーヒーを見てもらうらしい。
その人は相馬さんの弟子だという。倫子が幼い頃に、祖母が残していたあの縦の物片隅で喫茶店をしていた女性。その弟子と言うことは、倫子も会ったことがあるのかも知れない。だがあまり覚えていない。弟子にして欲しいという人は何人書いたようだが、相馬さんはそれを全て拒否していたし、事業提携しようと言う人も拒否していた。
あの空間でのんびりとコーヒーを楽しむ空間だけを大事にしていた。それだけに倫子がしたという建物を焼いた事件の時、祖母が倫子を責めたように、相馬さんも責めても良かったと思う。
なのに相馬さんは全く責めることもなく、お使いに胃かせたのが悪かったと謝罪をし、そのあと倫子を病院に連れて行ったのだ。
「……。」
人間が出来すぎている。本来なら、母のように倫子を責めても良いはずなのにと、倫子はずっと思っていた。
その弟子の女性。どんな人なのかは気になるが、倫子が行くことはないだろう。郊外にあるその土地は離れすぎている。
そのときだった。
「ただいま。」
玄関の方で声が聞こえた。春樹の声だった。できあがったデーターを保存したあとファイルにすると、新聞社に送る。そしてパソコンをスリープ状態にすると席を立った。そして居間へ向かう。
「お帰り。」
すると春樹はコートを脱ぎながら、倫子の方を振り向いた。
「ただいま。居たんだね。誰も居ないかと思っていたよ。」
「ちょうど今、新聞社の依頼の物が終わってデーターを送ったの。」
「仕事を詰めているんじゃないのか?正月前みたいになっているよ。」
「平気。ほら、今度の日曜日にはきっと帰れないと思ったから、ちょっと先に先にって仕事をしているだけ。」
「あぁ。そうだったね。」
マフラーとコートと荷物を手にすると、部屋を出ていった。そして倫子もファンヒーターをつける。そして台所へ行くと、伊織が作っておいたタケノコのに物に火をつけた。擂り身が入っていて、それが良い味を出している。あとは春キャベツのサラダやあじの開きを温める。
「良いよ。倫子。自分で出来るから。」
「ううん。させて欲しいの。」
仕事を最近詰め込んでいた。なので三人には少し素っ気なかったような気がする。だからせめてしたいと思ったのだ。それがわかって春樹も少し微笑んだ。
「ご飯は少しで良いよ。」
「あら。あまり食べないのね。」
「代わりのを買ってきたんだ。倫子もお茶を入れて食べよう。」
そういって春樹は紙袋を土佐し出す。すると倫子はそれを手にして、中身を見た。そこには箱が入っている。中身を取り出して蓋を開けると、チョコレートのエクレアが行儀良く並んでいた。
「どうしたの?」
「あの会社の近くにお菓子屋さんが出来てね。評判が良かったし、帰ろうとしたらまだ開いていたからついでに買ってみたいんだ。あまり甘い物が好きじゃないかも知れないけど。」
「そんなことはないわ。美味しそうね。あとで食べましょう。」
食事を食卓に並べて、倫子もテレビをつけるとニュースを見ていた。高速道路でトラックが横転して、道路一杯に鯖が広がっているところが映し出されている。
「擂り身になるわね。」
「こんなところで擂り身になってもね……。」
すっかり春らしいメニューになって、春樹は少し微笑んだ。だがテレビを見ていた倫子に声をかける。
「倫子。」
「どうしたの?」
「今度、日曜日にトークショーをするだろう?」
「えぇ。」
「俺、その日は出勤になるから、代休を取らないといけなくてね。」
「そうでしょうね。いつ取るの?」
「今月中に取らないといけないんだ。それでその日、デートをしないか。」
「デート?」
「伸ばしていたけれど、バイクを借りようと思っていてね。少しまだ寒いけれど、どうかな。」
すると倫子は少し笑って言う。
「良いわね。」
二人きりになればセックスばかりしているのだ。たまには羽を伸ばしたいと思う。
「二台借りるかな。」
「どうして?」
倫子は驚いたように春樹に聞く。
「え?君も持っているんだろう?大型。」
「持っているけれど、前にも言った。後ろに乗りたいって。慣れてないけれど良いかしら。」
すると春樹は少し笑って言う。
「疲れたら交代してくれる?」
「疲れたら休めばいいわ。ねぇ。私行きたいところがあるの。連れて行ってくれないかしら。」
「良いよ。どこに行きたいの?」
「温泉へ行きたいわ。でも私は入れ墨があるから、家族風呂があるような所じゃないと入れないわね。」
「そうだね。調べておくよ。」
そのとき玄関が開いた音がした。そして伊織の声がする。
「ただいま。」
すると倫子と春樹が声をかける。
「お帰り。」
ジャンパーを羽織っていた伊織は、居間に帰ってくると少し笑う。
「ここは暖かいね。外すごい冷えてる。」
「寒が戻ったかな。」
「そうね。この寒さでずっと政近は立ち尽くしていたんだから、恐れ入るわ。」
「風邪はひいたじゃない。結局、次の日に医者に行ったんだっけ?」
「連れて行ったのよ。聞かせてやりたかったわ。注射を打てば早く直るって言ったら、注射を打たれるくらいなら長引いて良いって言うのよ。」
「駐車嫌いか。子供かよ。ん?何か甘い物でも買ったの?」
「うん。伊織君も食べる?エクレア。」
「あぁ。春樹さんの会社の近くに出来た菓子屋?あそこ評判いいよね。あそこからも今依頼が来ててさ。」
「売れっ子ねぇ。伊織は。」
そういって倫子は立ち上がる。そして台所へ行くのを見て、伊織は座り込む。そして食事をしている春樹の横顔を見た。
「春樹さんさ。」
「ん?」
「芦刈さんとまだ連絡取ってる?」
「あぁ。芦刈さんが企画をしたイベントのポスターを作っていると言っていたね。俺は最近ずっと連絡を取ってないな。電車でも駅でも見かけることはなくなったし。」
「春樹さんが最近ずっと遅いからじゃない?忙しいの?校了が終わったのに。」
「池上先生の本が今度出るんだ。それで各所に連絡を取っていてね。」
するとお茶を手にした倫子が、少し笑った。
「本が出るんでしょう?池上先生。すごく楽しみ。」
「あれ?倫子は読んでないの?」
「あの先生は本編も楽しいけれど、ほら、本編の後ろについて行るショートも面白いのよ。」
シリアスな本編とは全くテイストの違ったコメディー色の強い作品だ。そっちの方が好きというのは、意外だと春樹は思っていた。
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