守るべきモノ

神崎

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柑橘

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 伊織が風呂から出てくると、倫子と春樹が帰ってきたようだった。玄関の開く音がする。
「ただいま。」
「お帰り。田島が待ってるよ。」
 その言葉に倫子はひきつった笑いを浮かべる。政近が「ヒドいこと」と言ったくらいだ。よっぽどだったのかもしれない。
 居間のドアを開けると、政近は厚手のダウンジャンパーに身を包んでファンヒーターの前に座っていた。
「寒いの?」
 倫子が声をかける。すると政近はこちらを見て、少しうなづいた。
「寒気が収まらなくてさ。」
 その言葉に春樹は政近の方へ駆け寄る。そして額に手を当てた。
「つめてぇ!」
「そっか……帰ってきたばかりだもんな。」
 すると倫子はテレビの舌にある引き出しから体温計を取り出した。そして政近に手渡す。
「熱を計って。」
「やだよ。数値にしたら本格的に悪いって自覚するじゃん。」
「悪いと思ってるんだったら計りなさいよ。だいたい、こんな寒空でじっと待ってたら風邪を引くのなんか当たり前でしょ?」
 渋々体温計をシャツの中に入れる。そしてじっと待っていた。その間も鼻水なんかが垂れてきて、ティッシュで拭く。そして音が鳴って体温計を倫子に差し出した。するとその数字を見て呆れたように倫子は、伊織に告げた。
「春樹の部屋に布団を敷くわ。毛布が足りるかしら。」
「俺、あまり着ないからな。泉さんは帰ってくるのかな。」
「連絡する。帰ってこなければ毛布を借りましょうか。」
 そういって倫子はそのままバッグから携帯電話を取り出す。その間春樹は自分の部屋へ行き、布団を敷いた。そしてまだファンヒーターの前にいる政近を引きずるように連れて行く。
 そして春樹はそのまま政近を布団に寝かせると、また部屋の外に出て行った。そして居間に戻ると倫子に聞く。
「風邪薬とかはある?」
「一応あるわ。でもまぁ、効き目って人によるからどうかしらね。」
 テレビの下から薬を取り出す。すると伊織が倫子に声をかけた。
「俺、漢方薬を持っているよ。よく効くから。」
 そういって伊織は、立ち上がろうとした。だが倫子は首を横に振る。
「漢方薬は風邪のひきはじめならすごく効くけれど、本当にひいたものにはあまり効果がないの。」
「そうなの?知らなかったな。」
「伊織君は自分の体調をすごく気にしているよね。寒気がするって思ったらすぐに漢方薬を飲んでいるんだろう?」
「うん。風邪なんかひいたら、会社にも迷惑がかかるし。」
「俺もそうだよ。さて、俺はスポーツドリンクでも買ってくる。それから栄養剤と……。」
「果物の缶詰かヨーグルトとかがあると良いわね。」
「わかった。それを買ってくるよ。」
 そういって春樹は部屋の隅に置いてあったコートとマフラーを身につけた。そして財布だけを手にすると、また家を出ていく。そのとき倫子の携帯電話にメッセージが届いた。
「あぁ……今日は、泉は礼二の所にいるのね。毛布は勝手に持って行っても良いって。」
 倫子はそういうと部屋をでて泉の部屋にはいる。そして押入から毛布を取り出すと、春樹の部屋へ向かった。
「入るわよ。」
 部屋を開けると布団の中で顔を赤くしている政近がいた。鼻水もでているので、息がしづらいのかもしれない。倫子はかかっている布団の上に毛布を掛ける。
「重い。」
「我慢して。湯たんぽ入れるわよ。」
「そんなのいらねぇ。」
「病人が何を言っているのかしら。」
 テーブルの上にあるティッシュを手にすると、枕元においた。すると政近はそれに手を伸ばして鼻をかむ。
「あー。風邪なんかどれくらいぶりにひいたかな。」
「あなたも普通の人間ってことでしょう?」
「お前は普通じゃないみたいだな。」
 すると倫子は火傷の跡がある手を見せる。火傷をごまかすように入れた入れ墨が見えた。
「入れ墨はわからないけれど、少なくとも火傷が影響して皮膚の感覚が鈍いの。だから自分の体調管理には気をつけているつもり。特に、私たちの仕事は体が悪くなったら稼げないでしょう?」
「あぁそうだな。あー。しまった。明日、アシスタントに行くつもりだったのに。」
「今晩で熱が下がればいいわ。」
「気合いで下げるか。」
「うまく行くと良いわね。」
 すると政近は少し笑った。だがすぐに笑顔を消す。
「俺……お前にとんでもないことを言ったよ。」
「自覚はあったの。」
「……うん。だから謝りたかった。」
 すると倫子はその布団のそばに座る。
「ぎりぎりに追い込まれたときに出てくる言葉は本音なのよ。あの時に言ったあなたの言葉は、あなたの本音だった。」
 人の気持ちをもてあそぶ性悪女だと言っていた。確かにそうかもしれない。自分でもそう思うことがある。
 春樹のことが好きなのに、行為があるからと政近とも伊織とも寝てしまったのだ。答えてしまったのは、自分の甘さからかもしれない。
「取り消さなくてもいい。あなたは私をそういう目でしか見ていなかったのよ。」
「そうじゃなくて……。」
「今更何を言っても遅い。言葉というのは消せないのよ。あの時、あんなことを言って悪かったと謝罪しても、言われた方はずっと心に残っているのだから。」
「……。」
「でも、知れて良かった。」
 倫子はぽつりとそういうと、少しうつむいた。
「本音を知らなければ、これから付き合いは出来ないから。」
 これからという言葉に政近は思わず体を起こそうとした。だがそれを倫子が止める。
「寝てろって言ってんでしょ?」
「ったく……。そんな大病じゃねぇよ。たかが風邪だろ。」
「たかが風邪で死ぬ人だっているんだから。」
 すると政近は少し笑う。
「明日、熱が下がってなければ病院行くよ。」
「そうして。民間療法で出来ることはやっているけれど、結局は医者の手にかかった方が早く直るかもね。」
 政近は少し咳をする。そしてまた鼻をかんだ。
「……月子は、手を滑らせて手首を切っただけだ。大したけがじゃなかったけど、栄輝が少しパニックになったみたいだな。」
「栄輝は仕方ないわ。」
「え?」
「昔、火傷をして入院した。でも退院したとき、私は絶望して一度手首を切ったことがあるの。そのとき見つけてくれたのは栄輝だったから。」
 地だまりを作っていた倫子に、栄輝はパニックになった。急いで母に連絡をして命は取り留めたが、結局「自分がやったことをごまかすためにそうした」とやはり冷たい言葉を投げかけていたのだ。
「栄輝にも……心の傷があるの。それは私が作ったこと。悪いことをしたと思ってる。月子さんと付き合って、やっと人間らしくなったと思うわ。」
「あぁ……そうだな。」
 そのとき部屋に春樹が入ってきた。手にはスポーツドリンクや、栄養剤が握られていた。
「最近は風邪薬もコンビニで売っているんだね。二回分とかそれくらいだけど。」
「あら。そうだったの?じゃあ、コレ飲んで。」
 布団から体を起こして、政近は薬とスポーツドリンクを受け取った。そして薬を口にすると苦々しい表情になる。
「苦いなぁ。くそ。最近の薬ってもっと飲みやすいんじゃないのか。」
「我慢しなさいよ。それくらい。」
「子供みたいだね。」
「でっかい子供ねぇ。」
 春樹と倫子が言い合っているのを、政近は不機嫌そうにまた横になった。悔しいが、春樹と倫子がいるのが一番自然に見えて、やるせなくなったのだ。
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