守るべきモノ

神崎

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柑橘

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 ゆっくりと日は陰っていく。もう伊織は家に帰っただろうか。泉浜田仕事をしていると思う。だがまだ話は終わっていない。倫子は少なくなったレモネードを飲むと、真矢の方を見る。真矢はこのまま自殺でもしそうだ。
「姉がうらやましかった。」
 ぽつりとそういう真矢はからになったカップを見ているようだった。
「小さい頃から本ばかり読んでいた私と、外で近所の子供たちと海に行ったり山へ行ったりしている姉は対照的で、見た目はそっくりなのに中身が全然違うといわれてたんです。私は本の中にしか幸せを感じることが出来なかったし。」
 その辺は倫子もかぶるところだ。小さい頃は祖母の図書館でずっとあのコーヒーの匂いをかぎながら、本を読むのが好きだったから。
「中学生の時、姉が藤枝さんとつきあうことになったといってきたんです。藤枝さんはとても目立っていたし、友達も多かった。だから良かったねって姉には言ったんです。」
 しかし春樹が本当にそれを望んでいるのかはわからない。春樹もまたよく図書館に顔を出していた。数冊の本を手にして、受付をしている真矢にも優しく声をかけてくれたのだ。
「でも姉はずっと「つきあって何ヶ月もなるのに何もしてくれない」とグチってました。それを聞いて贅沢だなって思って。」
「……他の人とつきあったんですか。」
「高校が別々になったのもあって、姉はいつの間にか先輩とつきあってて、藤枝さんのことは口にも出さなくなったんです。」
 おそらく真優が春樹とつきあったのは、真矢への嫌がらせだった。春樹が図書館にやってきて、本の受付を真矢がする度に頬を染めていたのを知っていたから。
「そのころから好きだったんですか。」
「好きかと言われるとわからないんです。この歳ですし、藤枝さんのことを忘れていた時期もありましたから。」
 都会の町にいたとき、出会ったサラリーマンがいた。本が好きで、週に一度、数冊の本を借りる人。職員の中でもあの人は格好良いと噂になっていた。
 「笑うと可愛いですね」という言葉で舞い上がった。連絡先を交換して、仕事が終わって待ち合わせをして、数回飲みに行った。それでもその男は真矢に手を出すことはなかったのだ。
「紳士だと思いました。デートを重ねて、一年目にやっとキスをして、本当に大好きだったんです。」
 春樹のことをこうやって忘れていくのだろうと思っていた。三年間、ずっと付き合っていたのに地元に家族がいることを知らなかったのはそれだけ夢中だったのだろう。結婚をしたいという言葉を言ったとたんに、男から去っていった。
「やけになってました。友達の彼氏とか、妻子持ちとか、そんな人ばかりと付き合って、気が付いたら三十になってました。」
 実家に帰る度に大きくなる姉の子供。まだ結婚をしないのかと口うるさくなる両親。真矢はここにいても自分が何も変わらないと思った。
 だから不意にやってきた地方の図書館の司書の仕事にはいることにしたのだ。ここで一人で生きていく。そう思っていたのに、あの日、正月で実家に帰ったときには葉から聞いた。
「藤枝さんのところ、寂しい正月みたいね。春樹さんってあなたたちの同級生がいたでしょう?奥様が亡くなったみたいなの。」
 常連の客だし、近所だし、そう思いながら手を合わせにいこうと思った。するとそこには前と変わらない春樹がそこにいたのだ。そこで忘れかけていた感情を思い出す。
「それはやっぱり好きだってことでしょうか。」
「……藤枝さんは、まだ奥様を失ってそんなに時間がたっているわけではないんですよね。」
「えぇ。年末に亡くなられて。」
「姉は藤枝さんが安定した仕事に就いていて、見た目も悪くない。だから、藤枝さんと再婚をしたいといっていました。でもそんな理由で結婚するのは違うと思うんです。」
 ずいぶん双子の姉にコンプレックスを持っているんだな。倫子はそう思いながら、頭の片隅でこういうネタも良いかもしれないと思っていた。そう思わないと、真矢を責めてしまいそうだ。
「好きだったかもしれない。でもそれはもう過去だと思います。中学生の時の淡い恋心で、再燃することはありません。」
 倫子の前ではそう言わないといけないだろう。春樹ははっきり恋人がいると言っていた。そして名前こそ言わなかったが、その相手は倫子なのだ。だが倫子はその事実をひたすらに隠そうとしている。自分の立場と春樹の立場を考えれば、当たり前かもしれない。
「今は友人だと?」
「友人と呼べるかわかりませんが、お裾分けをするくらいの間柄になればいいと思います。」
 明らかに真矢は春樹に気がある。なのに必死にそれを隠しているのは何なのだろう。
 もう無くなってしまったレモネードを見て、倫子はため息を付く。そして携帯電話を見た。時間的にもう伊織が帰っている頃だ。食事の用意をしているだろう。
「そろそろ行きましょうか。最寄り駅は一緒でしたよね。」
「えぇ。ドラッグストアの裏手に住んでいて。」
 膝掛けをおいて席を立った。そのとき倫子は見覚えのある人達が後ろの席にいることに気が付いた。バッグを持ってその席に近づく。
「趣味悪い。」
 そこには政近と伊織がいたのだ。
「何だよ。連絡しろって言ったじゃん。」
 伊織は真矢の方を見て少し頭を下げる。昼間に打ち合わせをした仕事相手だ。
「話を聞いていたってわけ?」
「仲良く話をしているように見えなかったし、お前は話によっては不安定になる。そう思えば何を話してんのか気になるところじゃん。俺はそっちに会いたくなかったけどな。」
 そっちというのは真矢のことだろう。真矢は眼鏡をあげて、政近をみる。
「私は会いたくなかった。」
「狭い町で会わないってのは無理だろ?」
「姉はずっと一人で子供を育ててる。あなたの子供かもしれない子供をね。」
 伊織は驚いて政近を見た。まさか子供を作っておいて、そのまま放置するほど無責任だったのだろうか。
「俺の子じゃねぇよ。」
「みんなそう言うわ。でもあなたの子供の可能性もある。」
「入れてねぇのに、ガキが出来るわけねぇだろ。」
 その言葉に真矢は驚いたように政近をみる。
「入れてない?」
 すると政近は不機嫌そうに言った。
「厚志はずっと疑ってたみたいだけどな。俺、それだけは嫌だって言ったんだ。好きでもねぇ女に突っ込むほど不自由してねぇから。」
 コーヒーを飲み干して、政近も席を立つ。
「打ち合わせしようぜ。」
 倫子の方を見て、その腕を引こうとした。すると伊織がまた倫子の腕を引く。
「何?」
「あ……嫌……。」
 すると倫子は少し笑って言う。
「今日、食事は良いわ。食事をしながら打ち合わせをするから。」
 倫子もぎりぎりだった。まっすぐに春樹のことが好きだと言われたようで、やるせなかったから。
 だが真矢はきっと自分の言ったことに、後悔していなかった。自分はまっすぐに気持ちを伝えた。なのに倫子はそれを誤魔化した。仕事のネタだといいわけをして。
 卑怯者。
 心の中で悪態を付く。どうして春樹がこんな女性に惹かれているのかわからない。
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