守るべきモノ

神崎

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柑橘

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 気の利いた店だ。寒い客のために膝掛けを用意してくれって居るのだから。店内には家族連れなんかはいないようで、会社帰りのOL、今からまた仕事場に戻るであろう私服のクリエーター。まぁ、職業を聞いたわけではないので、そんな雰囲気の人というだけだが。
「今日は寒気が戻るといっていましたね。夜はもっと冷えると思いますよ。」
 芦刈真矢の格好は隙がない。黒いコートと、首もとには白いマフラー、手袋までしていたようだ。それに比べると倫子は明らかに軽装だ。
「感覚が鈍いんですよ。」
「え?」
「肌の感覚というか……火傷があるからかもしれませんけど。」
「火傷?」
 冬なのであまり露出はしていないが、手の先には確かに入れ墨と混ざって火傷の後がある。その火傷の跡のことを言っているのだろうか。
「広範囲なのですか?」
「えぇ。右の腕から肩、背中にかけて。よく生きていたと思いますよ。」
「火事で?」
「えぇ。」
 詳しくは言わないようだ。言う必要もないと思っているのだろうか。
「信じてもらえませんでしたけどね。」
「え?」
「レイプされたあと火を付けられた。気がついた私は図書館の本を運び出すのに、必死で肌が焼けているなんて気がつかなかったんです。」
 運び込んだ本の上に倒れ込み、気がついたら病院のベットの上だった。
「そんなことをされたんですか。ひどい。何で警察沙汰にならなかったんですか。」
「……言っても無駄です。真実は隠された。」
 レモネードを口に運んで、コップをおく。すると倫子は少し微笑んだ。
「そんな話もあるんです。まだプロットもたててない、メモの中の話ですけど。」
 小説の話だったのか。そう思って真矢はほっとした。本当の話だったら、大問題だろう。
「藤枝さんに話してるんですか。」
「反対されました。私の話は少し人間味を帯びてきた。それが受け入れられつつあるので、その方向でこれから作品を作っていただきたいと。」
「あぁ……「淫靡小説」の番外編ですね。」
「読まれましたか?」
「とても切なくて、作風が変わったと思いました。遊女と下男って本当は許されないでしょう?」
「そうみたいですね。でも無理でしょう。そうやって身を投げる人や、逃げる人も多かったようです。」
「……そうでしょうね。」
「知ってますか。昔はコンドームなんてあるわけがなかった。だから妊娠する遊女は沢山居たそうですが、子供を産んでも遊女でいられるのはある程度位の高い人でしかできなかったそうです。ほとんどの人は堕胎をさせられました。それも医師がするのではなく、素人が堕胎させるようなもの。子供が出来なくなってから、初めて遊女は一人前になれるそうです。」
「女性として、生きるなと言われているようですね。」
「芦刈さんは、子供を産んで初めて女性の価値があると思いますか?」
 すると真矢は首を横に振る。
「私、三十六になるんです。子供を作っても、育てられない。」
「……。」
「姉がいるんです。双子の。姉はもう今年高校生になる娘が居ます。この間、地元に帰ったときに、母から言われました。「お姉さんは子供を産んだけれど、あなたは仕事しかしなかったのね」と。」
「昔の人はみんなそういいますね。」
 ピルを飲んで、子供をわざと作らないようにしている倫子は何なのだろう。春樹のことを考えるとピルをやめた方がいいのだろうかと最近思うが、今は仕事以上に春樹を想えない。
「一人で生きていくなら、それで良いと、もう半分諦められています。小泉先生はまだ若いのでしょう?」
「二十六です。」
「……若いですね。」
 春樹は倫子を恋人だといっていた。嫌、正確には名前を出していない。だがきっと倫子が恋人なのだ。アンニュイで、色気があって、しかし真優のように下品に見えない。パンクロッカーのような容姿は、誰もが振り返る。
 春樹はこういう女性が好きなのだろうか。
「いつだったか……藤枝さんが、海産物を持って帰ったんです。」
「え?」
「奥様の四十九日法要の時でしたか。」
 ぎゅっと拳が握られる。あの日、春樹から抱きしめられそうになったのだ。あのときのことを思い出す。
「うちの地元の?」
「ではなかったんです。作っているところが違うとかではなく、魚が違ったので。」
「……。」
「もらったと言ってました。誰からとは聞きませんでしたけど。」
「あの……小泉先生。それは……。」
「あなたからでしょう。藤枝さんは、あまりプライベートまで友人を作る人ではないので。広く浅くという友人づきあいのようですし。」
 顔色が悪くなる。もうごまかしが利かない。
「小泉先生。あのとき、私が藤枝さんにお渡ししたんです。お世話をした方から毎年送られてくるんですが、一人で食べれる量ではなくて。藤枝さんしか思い浮かばなくて。」
「別に悪いことをしているわけじゃないでしょう。」
「え?」
「地元の同級生。それだけの関係なのでしょう?」
 すると真矢は倫子に言う。
「……私はずっと藤枝さんが好きだったんです。」
 しかし倫子の表情が変わらない。そして沈黙すると、倫子は一つ、ため息をついた。
「子供の頃から近所に住んでいると聞きました。そのころから?」
「こっちに出てきて、一通りいろんな人とつきあってみたんです。でも……どこかに藤枝さんが居て。」
「結婚されてましたよ。」
「そう聞きました。正直ショックで……。」
 拳が震えている。本当に好きだったのだろうか。
「奥様を失ったばかりです。その隙を付こうとしてますか。」
「そんなこと……。」
「あなたは先ほど、高校生になる娘のいる姉という言葉を発しました。三十六で十四、五の娘ということは二十一、二歳くらいの時に産んだのでしょう。あなたの口調からは、それが喜ばしいことではなかったと思う。おそらく計画されて産まれた子供ではない。」
「……そうです。どの人が娘の父親なのかわからない。」
「もしかしたら既婚者かもしれないし、歳ばもいかない子供かもしれない。」
 子供という言葉に真矢の表情が変わる。政近のことを思いだしたのだ。
「それで旦那さんに育てさせようと言うのは虫がいい。」
「その姉の血が流れているから、私もそうだと?」
「想像です。私がそういった話を書くならば、夫は子供か妻を殺すでしょう。」
 美味しいレモネードだ。なのに味が急に無くなったように感じる。実際、真優は子供の真美を夫に殺されかけた。だから逃げるように出て行ったのだ。
 父親が誰なのかわからない。だが娘は自分が産んだ子供だというのは、間違いないのだから。
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