守るべきモノ

神崎

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柑橘

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 駅前のマンションの一室がとある漫画家の仕事現場だった。女性漫画家で、アシスタントは数人居たがそのすべてが女性だった。政近は明らかに浮いている。
 だが仕事はその女性に合わせた仕事をしていた。少女漫画とレディースコミックの中間のような作品で、内容は貧乏な女性が歌を歌うことでオペラ界のシンデレラと言われる話だった。参考資料として渡されているホールの外装も、内装もまた煌びやかだ。こんなところには縁がない。
「はい。OK出たわー。お疲れさま。」
 やっと原稿がアップした。時計を見るともう夕方にさしかかっている。
「田島君。原稿のアップしたから、みんなで食事に行こうと思っていたんだけど、あなたどうする?」
 女性ばかりの職場だ。その中に政近が居るのは違和感だと思うが、その漫画家はそんなことを気にしていない。
 大御所と言われる女性漫画家なので、この人の下でアシスタントをするのも勉強になる。
「あー。すいません。これからネームに入らないといけなくて。」
「あぁ。連載が決まったんでしょう?連載始めたら、今度はあなたがアシスタントを雇う立場になるわねぇ。」
 その言葉に政近は少し笑う。
「そうですかねぇ。俺、アシスタントをするのは良いけど、アシスタントを雇うようなこと出来ないと思いますよ。」
「まぁ、柔軟に構えると良いわ。そうそう。最近はデジタルで描く人もいるし、そうなれば家に呼ぶこともないって言うしね。」
「そっちの方が良いかなぁ。」
 荷物をまとめ終わり、政近は荷物を持った。
「じゃ、お疲れ様です。」
「お疲れー。」
 そういって女性作家は政近を見送る。一番後にきたのに、一番最初に帰るのだ。政近はそういう人だ。あまり必要なことも話さないのは、情がわかないようにしているのだろう。
「田島さん、この間の読み切り評判良かったですもんね。」
「あぁ、小泉倫子さんとの合作?」
「田島先生の良さがすごい引き出されてたって言うか。あのゴシックロリータファッションって言うの、田島さん結構前から好きだって言ってたし。」
「あんな細かいレースとか、よく描けるわねぇ。一コマ一コマ丁寧だったし。それで筆が早いんだから、嫌みだわ。」
 女性作家にとっては驚異だった。この世界だっていす取りゲームで、押しのけないと上に上がれないのだから。

 マンションを出て、政近は携帯電話の画面を見る。メッセージが数件。仕事の依頼もあれば、企業のメルマガなんかもある。一度だけ面倒でインターネットでペンタブレットを注文したら、それから続けてメルマガが来るのだ。だらだらそれを見てると欲しくなるので、みないように心がけているが。
 倫子からの連絡はない。今日、打ち合わせをした内容を確認したかったのだが倫子もまた忙しいのだろうか。
「評価が高いと、次作のプレッシャーってハンパないわよ。気を付けてね。」
 先ほどの作家が言ったことだ。ヒットを量産できる作家は一部で、後はいくら作っても売れなかったりする作家が多い。音楽でもそうだ。
 何か目立ったことをしないと生き残れない。だから倫子は必死だ。
 新聞に載っていたショートストーリーを見て、ぞっとしたのを覚えている。ミステリーと言うよりもホラーに近い話だった。
 連絡してみるか。政近はそう思って、倫子にメッセージを送ろうとしたときだった。ガラス越しのカフェの向こうで、倫子が誰かと話をしているようだった。テーブルには何かカップがあるのを見ると、お茶をしているのだろうか。誰と仲良くお茶をしているのだろう。そう思って、相手を見る。その瞬間、顔がひきつった。そこには芦刈真矢の姿があったのだ。
 そういえば真矢は、図書館で司書をしているという。それに倫子とも知り合いだったようだ。お茶をするのも別に普通のことだろう。
 だがいつか春樹と倫子、そして甥っ子脱兎言った靖が居たときとは事情が違う。ずかずかと入り込むのは気が引けた。
「くそ。」
 諦めて缶コーヒーでも買おうかと思ったときだった。
「田島。」
 声をかけられて振り返ると、そこには伊織の姿があった。こっちも仕事が終わったのだろう。
「富岡、仕事が終わったのか?」
「あぁ、お前は?」
「そこにさ、玖珂冬美っていう作家のアトリエがあるんだよ。そこに呼ばれてた。」
「少女漫画じゃなかったかな。」
「アシに来いって言われたら、何でも描く。別にジャンルにはこだわらないけどな。」
「エロ漫画でも?」
「あぁ、明日エロ漫画のアシな。」
「現実離れしてるよな。あぁいうの。」
 そういって伊織も自動販売機にコインを入れる。ペットボトルのホットレモンを買ったのだ。
「……この間さ。」
「あ?」
「春樹たちに言った。課題のこと。」
「あぁ。まだお前こだわってんの?」
「こだわってんのはお前だろう。」
 同じモチーフ、同じ構図で描いた絵が並べられ、実力の差は歴然だと思っていたのに、評価は伊織の方が上だったのだ。
「仕方ねぇよ。それが教授の評価だったんだろう。」
「明らかにお前の方が良かった。」
「だと思うよ。」
 政近もコーヒーを買ってそれを手にする。
「でも俺のは上手いだけなんだよ。この間、倫子とか藤枝さんとかとプロット考えたじゃん。」
「あぁ、ファクトリーの話?」
 現代美術の巨匠の話だった。美術を工場で生産する。それはさながら大量生産の自動車と変わらない。
「俺の絵はそうだよ。心が無かった。」
「……。」
「お前の絵は伝えようとするモノがあった。だから教授にも高評価だった。そう思うけどな。」
「お前の解釈?」
「そうだな。そうじゃないと、本当にお前が教授に体を売ったんじゃねぇかって思うよ。あの教授から気に入られてたんだろ?」
「さすがに男を相手にしたくないな。」
 ペットボトルの蓋を開けて、ホットレモンを口に入れる。指の先から、体内まで暖かくなるようだ。
「倫子に会うまで、ずっと言われてた。俺の漫画には心が無いって。」
「倫子の作品もそういう評価だったな。でも倫子の作品は評価が高かったけど。」
「……倫子のモノは、心が無いように見えてメッセージ性が高い。気がつかなかったか?」
「何かを伝えようとしてる?」
 心当たりはあった。だがその男は「所詮本だ」という男だった。そしてその男は、人の命を踏みにじってまた這い上がろうとしている。
「だと思う。」
 そのメッセージとともに、政近の画力があれば読者に受け入れられるのは当然かもしれない。
「お前のデザインが最近受け入れられるのは、そういうところだろう?忙しいみたいじゃん。」
「あぁ。そういえば今日、図書館からの依頼が来てさ。」
「図書館?」
「結構大きい図書館だったな。イベントを立ち上げるらしくて、そのポスターの依頼に来たよ。」
「ふーん。俺には縁がねぇな。図書館なんかは。」
「行かないのか?」
「資料は自分の足で集めるか、手に入れる方だし。図書館って、借りるだけだろ?」
「古い資料なんかは図書館の方が良いよ。インターネットじゃ割と制限があるし。」
「そんなものかね。」
 倫子と真矢はまだ話をしているようだった。どちらの顔にも笑顔はない。楽しく談笑しているとは思えなかった。
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