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柑橘
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やっと帰ってきた泉は、スニーカーを脱いで家の中にあがる。すでに春樹や伊織は帰ってきているようだ。そして倫子の部屋からは光が漏れている。仕事をしているのだろう。
荷物を部屋に置いて、居間にはいると伊織がテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
「お帰り。」
「ただいま。あーやっと終わった。」
「限定のデザートの開発が終わったの?」
「うん。やっと形になってさ。」
「だいぶ苦労したね。」
「疲れた。」
開発部のメンバーは製菓の学校へ行っているとか、バリスタの上の資格を持っているとかという人も居たが、ほとんどはそんな経歴を持っていない。前職は車の板金をしていたという人もいる。畑違いにもほどがあると思っていた。
台所へ行くと、クリームシチューがある。温め直している間、ふと台所の中を見ると、見覚えのない段ボールがある。その蓋を開けると、中には大きなみかんが沢山入っていた。誰かからもらったのだろうか。
食事をおぼんに載せて居間に戻ると、伊織は携帯電話に何かメッセージを送っているようだった。それを終えると、またテレビを見ていた。ニュースではどこかの国でこの国の人がゴルフで順位を上げて、二日目に向かうと言っている。
「ねぇ。あのみかんどうしたの?」
「あぁ、春樹さんの実家から。」
「春樹さんの実家ってみかんを作ってるの?」
「春樹さんの実家は作っていないけれど、この時期は相当多いみたいだね。売り物にならない規格外のものだけどって言ってた。」
「八朔よね。」
「八朔?」
「みかんの種類。ちょっと苦いけれど、美味しいんだ。」
「グレープフルーツみたいな?」
「食べたこと無いの?もったいないな。」
クリームシチューは優しい味がする。伊織が作ったモノなのだろう。倫子が作るものとは少し違う。
そのとき頭を拭きながら春樹が居間に戻ってきた。
「帰ってたんだ。」
「ただいま。」
「お帰り。今日、実家から八朔を送ってきてね。」
「うん。見た。美味しいよね。でもあんなに沢山、食べれるかなぁ。」
「毎年送ってくるんだ。職場にも配ったりしてね。あぁ、職場の人によっては、ジャムにする人も居たなぁ。」
「ジャム?八朔で?」
「マーマレードみたいにしてね。皮が苦いから、結構手間みたいだけど。」
その言葉に泉は少し思いを巡らせていた。帰りがけに飲んだレモネードのことを思い出したのだ。
「あれって、手で剥ける?」
「剥けるよ。そりゃ、普通のみかんみたいな感じにはいかないけどね。」
伊織はあまり知らなかったのだろう。小さい頃からそういったモノには縁がなかったのだ。
「結構レシピがあるんだね。」
携帯電話で調べていると、ドレッシング代わりにしたりパウンドケーキに混ぜ込んだりしているモノもあるが、ジャムにすれば日持ちがするのでそっちの方が保存食として現実的だった。
「今度の休みに少し加工しようかな。」
泉はそういうと、春樹は少し笑って言う。
「かまわないよ。あのまま置いておいても腐るだけだしね。」
わくわくする。その様子を見て、春樹は泉はこう言うことが好きなのだろうと思っていた。あの店に残り、季節の限定品や新製品の開発にも関わることになるのだという。
「ヒジカタコーヒー」のことを思えば、諸手をあげて良いじゃないかとは言えないが、泉がそこまで首を突っ込むとは思えない。会社の大半は、会社の実態を知らないで働いているのだ。そっちの方が、自分の身のためだろう。伊織だってそうだ。ただ、伊織の会社は規模が小さい。伊織が気がつくのは時間の問題か。
春樹はそう思いながら、お茶に口を付ける。
「倫子はまだ仕事をしているの?」
「漫画のプロットを考えているね。評判が良くて良かった。」
この間発売された漫画雑誌に載せられた後編は、評価は上々だった。犯人が露呈したにも関わらず、部数は予想以上に上がっているらしい。それは慌てて倫子達が修正したページがスパイスになっているようだ。
「あの死体のシーン。グロいなって思ったけどね。」
「ラーメンを食べながら見れるものじゃないね。」
「やだ。そんなの気にする?」
泉はそういって笑う。きっと泉はそんなことを気にしないで食事をするのだろう。ただ食事をしながら、本を読むような真似はしないが。
「俺も少しまた勉強しないとな。」
「春樹さんが?」
「漫画の規制はどれくらいのモノなのか。どこまで出していいのかは、成人指定かどうかで決まるし。文章は割と緩いけれど、漫画は映像にしている分、突っ込まれやすいからね。」
「あの絵だったら、規制がすぐかかりそうだね。」
政近の絵はリアルなのだ。そして人物に血が通っていないと思っていた。だが今回の作品は少し違う。特に、トランスジェンダーの「美咲」のキャラクターの時々見える苦悩はとてもリアルだ。
「あぁ、そうだった。今度田島先生に会ったら、サインを貰っておかないと。」
「今更?」
春樹が驚いて、泉を見る。
「弟がファンらしいのよ。画集も持っているって。」
「へぇ……いくつだっけ?」
「高校二年。美大に行きたいみたいなのよ。」
「田島の絵はそんな感じだよな。美大生のお手本みたいな。あいつ、デッサンばっかりしてたし。」
今の画力の高さは、そのときの努力のたまものなのだ。
食事を終えた泉は、台所に戻る。そして春樹もテレビに目を移した。すると、拘置所で起きた容疑者の自殺についてニュースは言っている。どんな事件なのかを詳しく言うことはなく、ただ拘置所の怠慢を責めているようだ。そっちに意識が行かせるようにしているのだろう。
伊織は少しあくびをする。眠くなってきたのだろう。
「伊織君。」
「ん?」
「田島先生とは今は特に悪くない関係に見えるけれど、昔は何かあったの?」
すると伊織は少し笑って言う。
「んー……。何て言って良いかなぁ。とにかく女の関係じゃないんだ。気まずくなったのは。」
今は倫子のことで、気まずくなっている。どちらも春樹から倫子をとりたいと思っているのだから。
「……よくある話だよ。課題を出されて、作品を仕上げた。するとできあがったのは、田島と俺がよく似たモチーフで構図なんかもすべて似てたんだ。」
「モチーフも構図も一緒だったら、純粋に実力を見られるかな。」
「明らかに田島の方が出来が良かったんだ。俺、デジタルばっかしてたからキャンバスに描く事ってあまりなかったし、慣れてなかったから。並べられて、拷問だなって思った。」
しかし蓋を開ければ、評価は伊織の方が高かったのだ。それが意外だと思った。見る人がいればそんなモノなのだろうと伊織は思っていたが、それにかみついたのは政近の方だった。
「お前、えこひいきされてんじゃねぇよ。それか何か?お前、体でも使ってんじゃねぇだろうな。」
伊織にも意地があった。そこから派手に喧嘩をして、卒業まで口をきくこともなかった。同じ屋根の下で一緒に生活をしていたのに。
荷物を部屋に置いて、居間にはいると伊織がテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
「お帰り。」
「ただいま。あーやっと終わった。」
「限定のデザートの開発が終わったの?」
「うん。やっと形になってさ。」
「だいぶ苦労したね。」
「疲れた。」
開発部のメンバーは製菓の学校へ行っているとか、バリスタの上の資格を持っているとかという人も居たが、ほとんどはそんな経歴を持っていない。前職は車の板金をしていたという人もいる。畑違いにもほどがあると思っていた。
台所へ行くと、クリームシチューがある。温め直している間、ふと台所の中を見ると、見覚えのない段ボールがある。その蓋を開けると、中には大きなみかんが沢山入っていた。誰かからもらったのだろうか。
食事をおぼんに載せて居間に戻ると、伊織は携帯電話に何かメッセージを送っているようだった。それを終えると、またテレビを見ていた。ニュースではどこかの国でこの国の人がゴルフで順位を上げて、二日目に向かうと言っている。
「ねぇ。あのみかんどうしたの?」
「あぁ、春樹さんの実家から。」
「春樹さんの実家ってみかんを作ってるの?」
「春樹さんの実家は作っていないけれど、この時期は相当多いみたいだね。売り物にならない規格外のものだけどって言ってた。」
「八朔よね。」
「八朔?」
「みかんの種類。ちょっと苦いけれど、美味しいんだ。」
「グレープフルーツみたいな?」
「食べたこと無いの?もったいないな。」
クリームシチューは優しい味がする。伊織が作ったモノなのだろう。倫子が作るものとは少し違う。
そのとき頭を拭きながら春樹が居間に戻ってきた。
「帰ってたんだ。」
「ただいま。」
「お帰り。今日、実家から八朔を送ってきてね。」
「うん。見た。美味しいよね。でもあんなに沢山、食べれるかなぁ。」
「毎年送ってくるんだ。職場にも配ったりしてね。あぁ、職場の人によっては、ジャムにする人も居たなぁ。」
「ジャム?八朔で?」
「マーマレードみたいにしてね。皮が苦いから、結構手間みたいだけど。」
その言葉に泉は少し思いを巡らせていた。帰りがけに飲んだレモネードのことを思い出したのだ。
「あれって、手で剥ける?」
「剥けるよ。そりゃ、普通のみかんみたいな感じにはいかないけどね。」
伊織はあまり知らなかったのだろう。小さい頃からそういったモノには縁がなかったのだ。
「結構レシピがあるんだね。」
携帯電話で調べていると、ドレッシング代わりにしたりパウンドケーキに混ぜ込んだりしているモノもあるが、ジャムにすれば日持ちがするのでそっちの方が保存食として現実的だった。
「今度の休みに少し加工しようかな。」
泉はそういうと、春樹は少し笑って言う。
「かまわないよ。あのまま置いておいても腐るだけだしね。」
わくわくする。その様子を見て、春樹は泉はこう言うことが好きなのだろうと思っていた。あの店に残り、季節の限定品や新製品の開発にも関わることになるのだという。
「ヒジカタコーヒー」のことを思えば、諸手をあげて良いじゃないかとは言えないが、泉がそこまで首を突っ込むとは思えない。会社の大半は、会社の実態を知らないで働いているのだ。そっちの方が、自分の身のためだろう。伊織だってそうだ。ただ、伊織の会社は規模が小さい。伊織が気がつくのは時間の問題か。
春樹はそう思いながら、お茶に口を付ける。
「倫子はまだ仕事をしているの?」
「漫画のプロットを考えているね。評判が良くて良かった。」
この間発売された漫画雑誌に載せられた後編は、評価は上々だった。犯人が露呈したにも関わらず、部数は予想以上に上がっているらしい。それは慌てて倫子達が修正したページがスパイスになっているようだ。
「あの死体のシーン。グロいなって思ったけどね。」
「ラーメンを食べながら見れるものじゃないね。」
「やだ。そんなの気にする?」
泉はそういって笑う。きっと泉はそんなことを気にしないで食事をするのだろう。ただ食事をしながら、本を読むような真似はしないが。
「俺も少しまた勉強しないとな。」
「春樹さんが?」
「漫画の規制はどれくらいのモノなのか。どこまで出していいのかは、成人指定かどうかで決まるし。文章は割と緩いけれど、漫画は映像にしている分、突っ込まれやすいからね。」
「あの絵だったら、規制がすぐかかりそうだね。」
政近の絵はリアルなのだ。そして人物に血が通っていないと思っていた。だが今回の作品は少し違う。特に、トランスジェンダーの「美咲」のキャラクターの時々見える苦悩はとてもリアルだ。
「あぁ、そうだった。今度田島先生に会ったら、サインを貰っておかないと。」
「今更?」
春樹が驚いて、泉を見る。
「弟がファンらしいのよ。画集も持っているって。」
「へぇ……いくつだっけ?」
「高校二年。美大に行きたいみたいなのよ。」
「田島の絵はそんな感じだよな。美大生のお手本みたいな。あいつ、デッサンばっかりしてたし。」
今の画力の高さは、そのときの努力のたまものなのだ。
食事を終えた泉は、台所に戻る。そして春樹もテレビに目を移した。すると、拘置所で起きた容疑者の自殺についてニュースは言っている。どんな事件なのかを詳しく言うことはなく、ただ拘置所の怠慢を責めているようだ。そっちに意識が行かせるようにしているのだろう。
伊織は少しあくびをする。眠くなってきたのだろう。
「伊織君。」
「ん?」
「田島先生とは今は特に悪くない関係に見えるけれど、昔は何かあったの?」
すると伊織は少し笑って言う。
「んー……。何て言って良いかなぁ。とにかく女の関係じゃないんだ。気まずくなったのは。」
今は倫子のことで、気まずくなっている。どちらも春樹から倫子をとりたいと思っているのだから。
「……よくある話だよ。課題を出されて、作品を仕上げた。するとできあがったのは、田島と俺がよく似たモチーフで構図なんかもすべて似てたんだ。」
「モチーフも構図も一緒だったら、純粋に実力を見られるかな。」
「明らかに田島の方が出来が良かったんだ。俺、デジタルばっかしてたからキャンバスに描く事ってあまりなかったし、慣れてなかったから。並べられて、拷問だなって思った。」
しかし蓋を開ければ、評価は伊織の方が高かったのだ。それが意外だと思った。見る人がいればそんなモノなのだろうと伊織は思っていたが、それにかみついたのは政近の方だった。
「お前、えこひいきされてんじゃねぇよ。それか何か?お前、体でも使ってんじゃねぇだろうな。」
伊織にも意地があった。そこから派手に喧嘩をして、卒業まで口をきくこともなかった。同じ屋根の下で一緒に生活をしていたのに。
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