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褐色
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通常業務に戻って、春樹は担当をしている作家のチェックをしていた。真木孝弘という作家は、前に春樹を指導していた編集者から受け継いだ人で、この世界ではベテランになる。もちろん、倫子や荒田夕が「月刊ミステリー」の看板作家ではあるが、この作家も人気はある。ただ、倫子や夕のようにミステリーを本業としていない。元々は恋愛小説を書いていた。なのでその作風は、どちらかというと心情に重点を置いている。
心が摘まれるような母親の想いは、誰もが涙するだろう。だがトリックは少しありふれていて、読み進めると犯人はやっぱりそうだったかと思うくらいだ。
倫子と田島政近の合作の件もある。担当をこれ以上増やすわけにはいかない。そう思いながら、できあがったプロットに目を落とす。
他の担当者をつかせるか。ちょうど再来月号で、真木の作品は終わる。次の作品は違う担当者につかせても良い。この作家はあまり担当者にこだわらない。というか、担当者に口出しをさせないのだ。あまりよけいなことを言わなくて、意見を尊重できるような人が良い。
そうなってくると限られる。加藤絵里子は自分の担当で手一杯かもしれないが、絵里子ははっきりしたところがあるので作家に嫌われることもあるのだ。誰がいいだろう。そう思っていたときだった。
「編集長。藤堂先生のショートです。」
「あぁ。ありがとう。」
田端というこの間、異動になった女だった。元々は週刊誌に籍を置いていて、読み物のコーナーを担当していたらしく、編集者としてはもうキャリアは五年。二十八歳という歳だがしっかりしている。この女性なら良いかもしれない。
「田端さん。」
「はい?」
自分のデスクに戻ろうとした田端に声をかける。
「担当作家を一人担当してくれないかな。」
「え?私、異動してきたばかりですけど良いんですか?」
ショートボブの髪を揺らしながら、それでも少し顔を赤くして春樹に詰め寄る。担当編集になるというのは、田端にとって願っていることなのだろう。
「俺、担当が増えそうでね。少しずつ、みんなに担当して欲しいと思ってて。」
「誰ですか?」
「真木先生。」
その名前に絵里子がこちらをみた。
「真木孝弘先生ですか?」
「うん。俺がずっと担当してて、その前は赤坂さんがしてた。担当が変わるのを嫌がる人ではないと思うから。今度挨拶に行ってみようか。」
「お願いします。」
上機嫌に田端はまた自分のデスクに戻る。そして春樹もその原稿に手を伸ばした。そのとき絵里子が声をかける。
「良いんですか?」
「何が?」
「真木先生って、女性に手が早いじゃないですか。」
「そうだったの?」
「他部署の人から聞いたんですけどね。女性編集にすぐに手を出すって。」
「真木先生はもう六十近いよ。それにこの間孫もできたって言っていたし、そんな元気があるのかな。」
「男って何歳でも元気な人は元気ですよ。」
絵里子からそんな言葉が聞けるとは思ってなかった。春樹は少し笑って奥にいる男をみた。良い影響が出ているようだ。
そう思いながらコーヒーを口に入れる。そしてその横には綺麗にラッピングされた小さなチョコレートがあった。バレンタインデーで部署の女性社員たちが共同で、男性社員にまとめてチョコレートの箱を買っていたのだ。包みを開けて口に入れると、アーモンドの匂いがする。
バレンタインデーにあわせて、赤松日向子の新作である本が発売された。その評判は上々で、伊織はそのレビューを見て少し目を細める。大人の恋愛小説で、来年には映画化されるらしい。
だが相変わらず伊織への以来はお菓子のパッケージや本の表装が多い。ユニセックスだという評判は止まらないのだ。逆に言えば、男らしい、女らしいというものの仕事はほとんどない.それがコンプレックスになる。
「富岡さん。」
昼休憩にいこうと立ち上がった伊織に、同じ部署の女性が声をかけてきた。
「これ。どうぞ。」
ピンク色の包装紙の箱を手渡される。きっとチョコレートなのだろう。
「ありがとう。」
「あ……みんなに送ってるんですよ。お返しなんかは良いですから。」
よく見ると、他の男性社員のデスクにも同じような箱がある。バレンタインデーなんかを気にしないという女性社員も居て、こういう行事は個人的にしているらしい。この社員はまめな方だ。
「何か考えておくよ。」
「ははっ。だったら期待してます。」
どっちなんだ。そう思いながら、その箱をバッグに入れた。これで三つ目だ。生チョコなんかはないよな。そう思いながらバッグを手にしてオフィスの外に出る。すると後ろから声をかけられた。
「富岡。」
振り向くとそこには高柳明日菜がいる。前のごたごたで、少し大人しくなったようだ。会社周りをして挨拶をしていたのに、結局ここに在籍することになったので仕事が少し減ったようだ。これからまた新規開拓をしないといけないだろう。
「どうしたの?」
明日菜は口をとがらせて、伊織に近づくと黄色でラッピングされた小さな箱と緑色の小さな袋を差し出す。
「チョコレート?」
そう聞くと明日菜の顔が赤くなった。
「この間お世話になったら、そのお礼。姉さんと、兄さんが持っていけって。」
ということはこの黄色のラッピングは高柳鈴音の店のもので、それと併せて差しだした緑色の袋は高柳純のものなのだろう。
「ありがとう。」
素直に受け取ると、またそれをバッグに入れる。
「……他意なんか無いわ。」
「知ってるよ。お兄さんとお姉さんによろしく言っておいて。あぁ。午後からお兄さんの店に行くようになってたか。」
「え?」
「春の限定スイーツのポスターできたから。」
「……そう。」
妹なのに明日菜には声をかけなかった。それがまた悔しかった。
「高柳が言うように、食べにくいような感じのカップケーキだったね。だから少し改良したって。」
「その方が良いって言ったの。」
「高柳が口添えしたのか。良いじゃん。」
誉められるとまた顔が赤くなる。だが素直になれない。
「兄さん、天狗になってるもの。だから今度のカフェ事業、中止にしたって言ってちょっとほっとしてる。」
「え?中止?」
「人が集まらなかったって。目を付けてた人が、結局こっちに来なかったからって言ってた。」
「……。」
「ねぇ、その人って富岡の同居人でしょう?つきあってたって。」
「うん……。あぁ、泉は断ったんだね。」
自分で決めたことだろう。それに口を出す気はなかったが、礼二のためにそうしたというのであればそれは危険だと思った。
「兄さん……少し心配してたのよ。」
「泉に?」
「クリスマスの時にスイーツをあぁでも無い、こうでも無いって、言ってた阿川さんが一番良かったって。一緒に開発をしてて、一番使えると思ったって。でもあの中の開発部門にいたら、それが出来ないんじゃないかって。」
「……。」
「兄さんだって自己努力もあったり、PRが上手いところがあって何店舗か出せるようになったけれど、結局は運と自分の周りの人に支えられたから出来たって言ってた。あの会社じゃそれが出来ないんじゃないかって。」
「宝の持ち腐れだって言うこと?」
「まぁ……そういうことかな。」
「だからって泉に何も言えないよ。本人が決めたことだし。」
すると明日菜は首を傾げて言う。
「富岡って、結構そういうところが冷たいよね。」
外に出た伊織はその明日菜の言葉が頭の中で響いていた。
心が摘まれるような母親の想いは、誰もが涙するだろう。だがトリックは少しありふれていて、読み進めると犯人はやっぱりそうだったかと思うくらいだ。
倫子と田島政近の合作の件もある。担当をこれ以上増やすわけにはいかない。そう思いながら、できあがったプロットに目を落とす。
他の担当者をつかせるか。ちょうど再来月号で、真木の作品は終わる。次の作品は違う担当者につかせても良い。この作家はあまり担当者にこだわらない。というか、担当者に口出しをさせないのだ。あまりよけいなことを言わなくて、意見を尊重できるような人が良い。
そうなってくると限られる。加藤絵里子は自分の担当で手一杯かもしれないが、絵里子ははっきりしたところがあるので作家に嫌われることもあるのだ。誰がいいだろう。そう思っていたときだった。
「編集長。藤堂先生のショートです。」
「あぁ。ありがとう。」
田端というこの間、異動になった女だった。元々は週刊誌に籍を置いていて、読み物のコーナーを担当していたらしく、編集者としてはもうキャリアは五年。二十八歳という歳だがしっかりしている。この女性なら良いかもしれない。
「田端さん。」
「はい?」
自分のデスクに戻ろうとした田端に声をかける。
「担当作家を一人担当してくれないかな。」
「え?私、異動してきたばかりですけど良いんですか?」
ショートボブの髪を揺らしながら、それでも少し顔を赤くして春樹に詰め寄る。担当編集になるというのは、田端にとって願っていることなのだろう。
「俺、担当が増えそうでね。少しずつ、みんなに担当して欲しいと思ってて。」
「誰ですか?」
「真木先生。」
その名前に絵里子がこちらをみた。
「真木孝弘先生ですか?」
「うん。俺がずっと担当してて、その前は赤坂さんがしてた。担当が変わるのを嫌がる人ではないと思うから。今度挨拶に行ってみようか。」
「お願いします。」
上機嫌に田端はまた自分のデスクに戻る。そして春樹もその原稿に手を伸ばした。そのとき絵里子が声をかける。
「良いんですか?」
「何が?」
「真木先生って、女性に手が早いじゃないですか。」
「そうだったの?」
「他部署の人から聞いたんですけどね。女性編集にすぐに手を出すって。」
「真木先生はもう六十近いよ。それにこの間孫もできたって言っていたし、そんな元気があるのかな。」
「男って何歳でも元気な人は元気ですよ。」
絵里子からそんな言葉が聞けるとは思ってなかった。春樹は少し笑って奥にいる男をみた。良い影響が出ているようだ。
そう思いながらコーヒーを口に入れる。そしてその横には綺麗にラッピングされた小さなチョコレートがあった。バレンタインデーで部署の女性社員たちが共同で、男性社員にまとめてチョコレートの箱を買っていたのだ。包みを開けて口に入れると、アーモンドの匂いがする。
バレンタインデーにあわせて、赤松日向子の新作である本が発売された。その評判は上々で、伊織はそのレビューを見て少し目を細める。大人の恋愛小説で、来年には映画化されるらしい。
だが相変わらず伊織への以来はお菓子のパッケージや本の表装が多い。ユニセックスだという評判は止まらないのだ。逆に言えば、男らしい、女らしいというものの仕事はほとんどない.それがコンプレックスになる。
「富岡さん。」
昼休憩にいこうと立ち上がった伊織に、同じ部署の女性が声をかけてきた。
「これ。どうぞ。」
ピンク色の包装紙の箱を手渡される。きっとチョコレートなのだろう。
「ありがとう。」
「あ……みんなに送ってるんですよ。お返しなんかは良いですから。」
よく見ると、他の男性社員のデスクにも同じような箱がある。バレンタインデーなんかを気にしないという女性社員も居て、こういう行事は個人的にしているらしい。この社員はまめな方だ。
「何か考えておくよ。」
「ははっ。だったら期待してます。」
どっちなんだ。そう思いながら、その箱をバッグに入れた。これで三つ目だ。生チョコなんかはないよな。そう思いながらバッグを手にしてオフィスの外に出る。すると後ろから声をかけられた。
「富岡。」
振り向くとそこには高柳明日菜がいる。前のごたごたで、少し大人しくなったようだ。会社周りをして挨拶をしていたのに、結局ここに在籍することになったので仕事が少し減ったようだ。これからまた新規開拓をしないといけないだろう。
「どうしたの?」
明日菜は口をとがらせて、伊織に近づくと黄色でラッピングされた小さな箱と緑色の小さな袋を差し出す。
「チョコレート?」
そう聞くと明日菜の顔が赤くなった。
「この間お世話になったら、そのお礼。姉さんと、兄さんが持っていけって。」
ということはこの黄色のラッピングは高柳鈴音の店のもので、それと併せて差しだした緑色の袋は高柳純のものなのだろう。
「ありがとう。」
素直に受け取ると、またそれをバッグに入れる。
「……他意なんか無いわ。」
「知ってるよ。お兄さんとお姉さんによろしく言っておいて。あぁ。午後からお兄さんの店に行くようになってたか。」
「え?」
「春の限定スイーツのポスターできたから。」
「……そう。」
妹なのに明日菜には声をかけなかった。それがまた悔しかった。
「高柳が言うように、食べにくいような感じのカップケーキだったね。だから少し改良したって。」
「その方が良いって言ったの。」
「高柳が口添えしたのか。良いじゃん。」
誉められるとまた顔が赤くなる。だが素直になれない。
「兄さん、天狗になってるもの。だから今度のカフェ事業、中止にしたって言ってちょっとほっとしてる。」
「え?中止?」
「人が集まらなかったって。目を付けてた人が、結局こっちに来なかったからって言ってた。」
「……。」
「ねぇ、その人って富岡の同居人でしょう?つきあってたって。」
「うん……。あぁ、泉は断ったんだね。」
自分で決めたことだろう。それに口を出す気はなかったが、礼二のためにそうしたというのであればそれは危険だと思った。
「兄さん……少し心配してたのよ。」
「泉に?」
「クリスマスの時にスイーツをあぁでも無い、こうでも無いって、言ってた阿川さんが一番良かったって。一緒に開発をしてて、一番使えると思ったって。でもあの中の開発部門にいたら、それが出来ないんじゃないかって。」
「……。」
「兄さんだって自己努力もあったり、PRが上手いところがあって何店舗か出せるようになったけれど、結局は運と自分の周りの人に支えられたから出来たって言ってた。あの会社じゃそれが出来ないんじゃないかって。」
「宝の持ち腐れだって言うこと?」
「まぁ……そういうことかな。」
「だからって泉に何も言えないよ。本人が決めたことだし。」
すると明日菜は首を傾げて言う。
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