守るべきモノ

神崎

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移気

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 四十九日法要があって、春樹はまた実家に帰っていた。先週は激務だったため、お坊さんの声で眠気がくるようだったがそれでも膝をつねって眠気に耐えていた。
 そしてお墓にみんなで行く。少し山の上にあるお墓は、海が見えた。未来は無念のうちに死んでいったに違いない。だからせめて海が見えるところで眠って欲しいと思う。
 この場には青柳の姿はない。青柳は釈放されたが、会社の信用はがた落ちした。それを立て直すのに必死なのだ。当然、妻の姿もない。真理子の末の息子よりも、小さな子供の面倒を見ないといけないのだ。
 代わりにやってきたのは未来の実母だった。青柳の許可は得ていないが、母が連絡をしたらしい。ツーピースの喪服に身を包んだ母は、相変わらず風が吹けば飛んでいきそうなほど、はかなく弱々しい。
「食事にしましょう。栞さんも食べていってね。」
 しおりといわれた未来の母は、少し微笑んだ。青柳よりも春樹の母は、この女性に気を使っている。ずっと未来に会えなかったのだ。せめてお墓くらい自由に来て欲しいと思う。
「ここって、有名な小説家先生も眠っているのよね。」
 妹の真理子がそういうと、春樹は少しうなづいた。
「身寄りがなかった人らしい。遠い身内がいたみたいで、ここに収まることになった。ほら、そこの下に「三島出版」の支社があってね。そこにいるらしい。」
「普通の民家のようでしたよ。」
 克之はそういうと、春樹は少し笑っていう。
「古民家を改築したみたいですね。そういう職場は珍しくありませんよ。」
「そうね。あそこの家は寮にもなっていて、青年団にも入っているわ。年末の櫓を一緒に建ててた。」
 外からきた人にも寛容なのだ。この土地は過疎をしている。だがここの魅力に気がついた人が、盛り立てていこうとしているのは徐々に目に見えてきているようだ。
「今度の新入生、俺らの倍居るらしいんだ。」
 末っ子の寿が、口を尖らせていう。
「そうね。高橋さんの所も、吉田さんの所も、今度新入生ね。」
「良いなぁ。サッカー出来るし。」
 その言葉に春樹は少し笑った。
「靖君は願書、どこに出したの?」
 正月明けに靖は高校の願書を出した。克之は納得しないようだったが、真理子が靖の選んだことだからといって背中を押したのだ。
「隣町の学校。バスで通うよ。」
「俺が行ったところだね。あそこは今でも部活に力を入れてる?」
「うん。プールが屋内にあったよ。それから陸上トラックが立派だし、野球部なんか三軍まであるって言ってた。」
「昔から野球部は強かったね。」
 部活に力を入れていて、学力はそうでもない学校だ。父に言わせれば、春樹は妥協してここに入ったのだという。春樹の頭であれば、もう少し離れた進学校へ行っても良かったのかもしれないと言っていた。
「あっちの学校でも良かったのにな。」
 克之はそう口をこぼす。克之はまだ納得していなかったのだ。
「克之さん。俺、あそこの学校から大学へ行きましたよ。」
「あぁ。国立でしたね。」
 進学校にでも入っていないといけないような学校へ春樹は進学したのだ。
「泳ぐのは好きでしたけど、大会は年に一度くらいしか出なかったですね。あの学校も、大会にでるのは強制じゃないんですよ。」
「そうなんですか?」
 意外な言葉だった。部活に力を入れているような学校は、遠征だ、大会だと忙しいものだと思っていたのだが。
「運動で取られたような子は、遠征だ、合宿だと忙しそうでしたが、俺は別にそれで取られたわけじゃないんです。部活には出てましたけど、そこまでがっちがちじゃなかったんですよ。それに、俺、進学コースにいましたしね。」
「分かれているんですか。」
「入学したら分けられます。進学、就職、スポーツとね。ほかの部員からは「藤枝は気楽だな」と言われてましたけど。それにバスの時間もあったから、あまり遅くまで泳げないですし。」
「塾なんかには?」
「行かなかったです。あぁ。でもさすがに三年の夏と冬は集中型の進学塾へ通ったこともありますけど。要はやる気というか。」
「そうよ。克之さん。そんなものよ。」
「真理子。俺は靖のことを思ってだな。」
 すると母が口を挟んだ。
「はい。はい。そこまで。こんな日にそんな話をしないで。そんなに心配しなくても靖は、ちゃーんと勉強しているわよね。」
 そういわれると靖は自信がなくなってきた。まさか「落ちた」なんて言われると、顔向けが出来ないと思ったのだ。
「参考書欲しいな。」
「今度、こっちに来ることがあるだろう?足をまた病院で見てもらうのに。」
「うん。」
「そのときまた本屋に行こうか。何が出来ない?」
「数学苦手。」
 ぼそっとそう言う。だが靖の頭の中には、街へ出たらまた倫子に会えるかもしれないという期待があった。この辺では見ないような美人だったし、優しい人だと思う。克之はあまりいい印象ではなかったようだが、初めて会うようなタイプの大人だった。

 その頃、倫子は泉の店でコーヒーを飲んでいた。図書館で集めた資料をまとめるために、カウンター席に座って資料を眺めている。前の案は版元の都合で流れてしまったので、新たに出たテーマの資料を集めたのだ。
「これって何の資料?」
 泉が聞くと、倫子は少し笑っていう。
「昔の独裁者ね。海の向こうのことだけど、こちらにも資料があるので良かったわ。でも原書を見たいわね。」
「英語じゃないのに?」
「それは印象がわかればいいの。こっちの人の捉え方と、実際の向こうの考えは全く違うだろうから。」
 わからない言語でもわかろうとする。そうやっていつも倫子は平等な目で見て、そこから物語を紡ぎ出そうとしているのだ。
 そのとき入り口からバッグを持った礼二が戻ってきた。休憩が終わったらしい。
「倫子さん。来てたんだ。」
「えぇ。資料を見にね。」
「ゆっくりしていってよ。阿川さん。オーダーはどう?」
「今、淹れているので終わりです。」
「OK。だったら俺、ディッシャーに入るよ。」
 そう言って礼二はエプロンを巻くと、キッチンへ入っていこうとした。そのときふと倫子の方をみる。
「あ、そうだ。倫子さん。さっき下で政近にあったよ。」
「政近?」
「あとでここに来るって言っていたけれど。」
 その言葉の通り、五分もしないで政近があがってきた。そして倫子の隣に座る。
 距離が近い。泉はそう思いながら、政近のコーヒーを淹れていた。
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