守るべきモノ

神崎

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 連絡を入れるとすぐに編集長がやってきた。そして原稿が入った紙袋を手にして急ぎ足で言ってしまう。おそらくこの近所で待機していたのだろう。
 そのまま印刷所へ原稿を持って行くはずだ。政近と倫子はやっと一息付けると、片づける前に煙草を取り出した。
「浜田、どうなるかな。」
「どうでも良いわ。あの人。」
 軽率すぎる行動に、倫子も腹が立っているのだろう。不機嫌そうに煙を吐き出す。」
「悪いことばっかじゃねえと思うけどな。」
「何で?」
 政近の煙草を持つ手が、黒く染まっている。そしてそれは倫子も一緒だった。
「小説にしても映画にしてもだ。人それぞれの楽しみがある。お前、同じ小説を何度も読むタイプ?」
「そうね。小説はどうしてもざっと読んでから、そのあとじっくり読んでいく方よ。」
「ってことはだ。ミステリーなんかは犯人がわかった状態で読むってことだよな。」
「ジャンルによるわ。ミステリーは読んでいて、ハラハラするのが醍醐味よ。最初からじっくり読むわ。」
「そうだよな。それが普通の読み方かもしれない。だけどそのハラハラするのがイヤってヤツも居て、最初から犯人が分かっている方が良いってヤツもいる。犯人が分かった上でどう行動しているのかって読み解くヤツもいる。」
「そうね。世界的に有名なミステリーなんて、犯人はみんな知っているわ。なのに未だに売れているのは、そういうことなんでしょうね。」
「たぶん、今月号はまた売れるよ。」
「え?」
「つまり犯人が分かった上で、また読み返すヤツもいるってことだ。」
 そんな考え方はなかった。ただ軽率な行動をとった浜田が許せないとしか思えなかったのに、政近はもっとプラスにとらえていた。そこが羨ましいと思う。
「あなたはイヤになるほどプラス思考なのね。」
「そうしないと、やりきれないだろう。やってしまったことは仕方ないし、内心、腹は立つけどそれで浜田を責めても、見ちまったSNSのユーザーの記憶から犯人が消えるわけでもないし。」
「そうね……その辺はあなたを見習わないといけない。」
 携帯電話を手に取る。すると意外な人物から連絡があった。
「……礼二?」
 礼二からの連絡などいつぶりだろう。倫子はそう思いながらメッセージを送る。もう遅い時間だ。寝ているかもしれないと思ったから。
「礼二って泉の彼氏か。」
「えぇ。何の用事かしら。」
 しばらくすると礼二から電話があった。それを取ると、倫子は少し笑顔になる。
「えぇ……あなたも知っているの?情報早いわね。そう……その件で、こっちに来ていて……もう終わったわ。」
 礼二は漏洩のことを知っていた。その上で、何か対処をしているのだろうと思って連絡をしてみたのだ。もちろん、それをしろと言ったのは泉だったが。
「え……いいの?それは助かるけれど、もう遅いわよ。無理しなくてもここからタクシーで……そう……。わかった。こちらからまた連絡をするわ。」
 そういって倫子は携帯の通話を終わらせる。そしてうれしそうに携帯電話を見ていた。
「どうしたんだよ。」
「礼二が泉に言われたのね。こちらに来ているのだったら電車もないし、迎えに来てくれるそうよ。」
 余計なことをしてくれる。そう思いながら政近は少し舌打ちをした。
「とりあえず片づけたいわね。それから迎えに来てくれるんなら……。」
 煙草を消して、倫子は立ち上がろうとした。そのとき政近の手が鈴のの手を握る。
「何?」
「断れよ。」
「何で?」
「しようぜ。」
 ダイレクトに言ってくるな。だが流されない。倫子は首を横に振ると、手をふりほどいた。
「辞めとく。あなたも私も疲れてるでしょ?」
「だったら抱きながら寝るか。藤枝さんにしてるように。」
 そうしたかった。あの日、春樹に抱かれて感じまくっている倫子をどうやって奪ってやろうかと思いながら寝たのだ。だがどうにも出来ない自分がもどかしくて、悔しかった。
「しないわ。あれは春樹だから意味があるの。あなたがしても意味がないわ。」
「互いのことを何も知らないで好きなんて言ってるなんて、滑稽だよな。」
「知って幻滅するならそれまでだったのよ。」
 政近はもう根本まで燃えてしまった煙草を消すと、倫子に近づいていく。だが倫子はそのまま後ろに下がる。棚が背中に当たり、政近を見上げた。
「断れよ。じゃないとこの場で犯すから。」
「……どちらもイヤ。」
 すると政近は強引に棚に倫子を押しつけると、そのまま唇を重ねた。煙草とコーヒーの匂いがする。春樹とは違う匂いだった。
 唇を舌で割り、強引に絡ませてくる。ピアスの感触はしない。今日は取っているのだ。それが春樹と勘違いさせる。
 胸元に手を下げる。そしてそのまま服越しに、胸に触れてきた。指輪の感触もない。政近も必死で原稿を仕上げていたのだ。
「服越しでもわかる。もう立ってきてるな。」
「やめてよ。せめて手を洗ってから……。」
「あとで風呂に入ればいいだろ?」
 指が堅いところに触れる。器用にコリコリと弄んできて、倫子の頬が赤く染まってきた。
「んっ……。」
 その表情がたまらない。そう思いながら政近はまたキスをしようとした。そのとき、玄関のチャイムが鳴る。
「誰だよ。くそ。良いところだったのに。」
 すると政近は倫子から離れて、玄関へ向かっていく。そしてドアを開けると、そこには春樹の姿があった。
「今晩は。田島先生。」
「良く家がわかりましたね。」
「そちらの編集長に聞きました。差し入れでもしたいと思いましてね。」
「もう原稿は終わっちまったよ。」
「だったら、倫子はもうここにいる必要はないですね。」
 笑顔のまま政近の肩越しから倫子を見る。倫子は春樹の声に思わず立ち上がった。
「春樹。」
「帰ろうか。誰か迎えにくる?」
「あ……礼二が迎えに行こうかって言ってくれてたけど……。」
「あちらも明日は仕事だ。無理をさせてはいけない。社用車を借りた。明日朝一で返さないといけないけどね。」
 春樹のことだ。なんだかんだと言って、無理に借りてきたのだろう。
「田島先生。これ、差し入れです。」
 そういって春樹は、ビニールの袋を政近に手渡した。それはおそらくコンビニとか弁当屋の弁当ではなく、ちゃんとした料理屋で作った折り詰めのものだった。だが一人分しかない。
 倫子が居るのは知っていたはずだ。だが一人分ということは、きっと差し入れと言いながらも、原稿がアップしたことは知っていた。そして倫子をつれて変えるために、ここに来たのだろう。
「ありがたくいただきますよ。」
 政近はそういってそれを受け取る。だが心の中では嵐が吹き荒れていた。
「手を洗っていくわ。ちょっと待って。」
 倫子はそういって風呂場へ向かう。インクとか鉛筆のあとなどで手が黒く染まっていたのだ。
「浜田君の処遇はあちらの編集長に任せますが、ただでは済まないでしょう。」
「あいつが俺を見つけてくれたんだけどなぁ。」
「……感覚は悪くなかったですよ。頭が悪いだけです。それに運も悪い。倫子は相当嫌っていましたからね。あなたの担当だから、黙っていただけで。」
「漫画家なんてはいて捨てるほどいる。実力があれば芽が出るってもんじゃない。そういった意味では、見つけてもらってありがたいとは思いますよ。けど、あいつのやったことはルール違反だ。どうなっても仕方ないですね。」
「連載の件ですが。」
「あぁ。どうなりました?」
「当初の通り、浜田君が移動になる予定だった漫画雑誌に載ります。担当者は二、三日中に決定するでしょう。」
「あんたは関わらないのか?」
「出来ればそうしてもらいたいと言われています。ミステリーに関しては素人ばかりなので。それに……倫子のこともありますから。」
「倫子がなんかあるのか?」
「まぁ……今回のことで、更に倫子が難しい作家だというイメージがついてしまいましたから。」
「あいつには関係ないでしょ?」
「つまりですね……。倫子自身ではなく、倫子の作品をさっと読み解ける読解力が必要になってきます。それくらい読める人が、漫画に頼っていた人にとっては、難しいんでしょうね。」
 そんなことを考えたこともなかった。小説だ漫画だと垣根が無い気していた政近には、違和感しかなかったのだ。
「そんなもんかね。」
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