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やっと引っ越しが終わったのは夕方の時間だった。大きな荷物だけ運ぼうと思っていた春樹だったが、結局細々したところまで世話をしてしまった。伊織も同じだ。
礼二は電気関係の配線が全く出来なかったのだ。テレビの配線すらどこに何を刺していいのかわかっていなかったので、伊織や春樹が説明書を見ながら配線をした。
「冷蔵庫は夜くらいにコンセントを刺してください。」
「わかりました。」
動きやすいようにジャージを着ていた春樹は、時計をみる。今日倫子は仕事だといっていた。その仕事は打ち合わせなのか、資料集めなのかわからない。詳しいことは何も言っていなかったからだ。
倫子は年が明けてさらに忙しくなってきている。年末の追い込みほどではないが、最近はミステリーだけではなく本の帯の文句や解説などを頼まれることもあった。
デビュー作である「白夜」がヒットしたとき「所詮、ぽっと出の作家だ。」「すぐに飽きられる」と言われていた。読み物としては軽く何より情がない感じは、確かに飽きられるかもしれないと春樹も危惧をしていたところだ。
だがあの「隠微小説」でのショート枠が倫子の評価を変えた。内容はほとんど濡れ場だし、野外セックスのことだ。だがそうせざる得なかった二人と、決して結ばれることのない悲恋、そしてそれを見ていることしかできなかった本編の「夢見」の主人公の気持ちは、官能小説なのに心をつかまされる。
おかげで「月刊ミステリー」も部数が上がっているし、はじめから読みたいとバックナンバーが発注されることもあるのだ。
すでに倫子の仕事は春樹では把握が出来ない。それが少し寂しい気持ちにさせる。
「藤枝さん。伊織君。良かったら、今日食事でも行かないですか。みんなで。」
「みんな?倫子や泉さんも?」
礼二の申し出に、伊織が声を上げる。
「泉さんを待ってたら相当時間はかかりますよ。」
「泉にはすぐに帰ってくるように言いますし、こっちの時間も遅らせれば何とか。」
「それに昼もご馳走してもらったのに。」
「いいんですよ。引っ越し業者に頼むよりも、安くあがりましたから。本当だったら謝礼を包まないといけないのに。」
「そんな……良いですよ。じゃあ、伊織君。言葉に甘えようか。」
「そうだね。どこが良いかな。あぁ、泉はあの駅前の居酒屋が好きだったな。」
その言葉に礼二は少し笑う。
「焼き肉とかでもいいのに。」
「高くつきますよ。泉じゃなくて倫子さんが。」
食事代よりも酒代が高く付くのだろう。礼二は少し苦笑いをして、二人を送り出した。
わかってる。あの伊織とつきあっていた時期もあったのだ。つきあいならこっちの方が長い。なのに一緒に住んでいるのだ。だから好みも、何もかも知っているのだ。それが悔しいと思う。
携帯電話で倫子にメッセージを送る。すると倫子はもうすでに家に帰ってきているらしく、食事の用意はしていないと返ってきた。春樹は携帯電話をしまうと隣で歩いている伊織をみる。鈍い男だと思った。
「伊織君。さっきのはまずいな。」
「え?」
伊織は驚いて春樹を見上げる。
「礼二さんは確かにこの辺は詳しくないし、今から食事どころもスーパーも開拓していくのかもしれない。そういった意味では「あそこがおいしい」とか「あそこは安い」とかっていう情報はありがたいだろうね。だけど、泉さんがあそこの居酒屋が好きだっていうのは、余計だったかな。」
「何で?」
「……君らはつきあっていた時期があるだろう?」
その言葉に伊織は少し黙り込んでしまった。そういう意味だったのかと。
「俺だったらイヤだな。別の男が倫子の知らないエピソードなんかを話すのは。」
「そっか……ちょっと無神経だったかな。」
頭をかいて、伊織はそういう。すると春樹は少し笑った。
「俺の考え過ぎなのかもしれないし、まぁいいんじゃない?伊織君は明日も休み?」
「うん。」
「だったら礼二さんにつきあって飲んでみたらいいのに。」
「やだよ。倫子と同じでざるじゃん。あの人。俺、酒は人並みだし。」
年末に二人が顔色を変えずに酒を飲んでいたのを思い出す。倫子も礼二くらいではないと酒の相手は出来ないといっていた。
「人並みねぇ。」
「それに歳かな。ここの所酒が続いていたし太ってきた気がするよ。明日ジムにでも行こうかな。」
「良いねぇ。俺も行こうかな。」
「え?鍛えてるんだっけ?」
「ううん。泳ぐだけ。ひたすら遠泳してるよ。」
水泳選手のような体だ。肩幅が広く、腰が細い。この体が倫子が好きなのだ。
「倫子は鍛えていないのかな。」
伊織が聞くと、春樹は少し笑っていう。
「どうだろうね。前に聞いたときは「泳げない」とは言っていたけれど。」
「あまりスポーツ万能には見えないな。」
「怒られるよ。」
そんなことを言いながら、二人は家の玄関を開けた。玄関先に倫子のヒールの付いた靴がある。帰ってきているのだろう。
春樹は靴を脱いで倫子の部屋の前に立つ。
「倫子。」
「お帰り。」
その声がして部屋にはいる。すると倫子はパソコンの画面を見ながら煙草を吹かしていた。
「急な仕事?」
「うん。昨日送ったデーターのファイル形式が違って開けないって連絡があったの。どうやるんだっけなぁ。えっと……。」
倫子もパソコンは扱えないわけではないといった程度だ。だから予想もしないことを言われると、いらいらするようだった。
「あーもう。全部同じファイル形式にすればいいのに。」
「それを言ったら身も蓋もないよ。伊織君を呼んでこようか。」
「伊織も帰ってきた?良かった。」
そういって倫子はいすから立ち上がると、春樹の横をすり抜けて部屋を出ていく。慌ただしい人だ。そう想いながら、春樹は仕事机のパソコン画面に目を移そうとした。
だがそのディスプレイの側。銀色の何かがあるのに気が付いた。手にするとちゃらっと音がする。ネックレスのように見えた。そして十字架のモチーフがある。
こういうのは倫子の趣味ではない。だったら何だというのだろうか。春樹はそう思いながら、それを見ていた。メッキなどではなく、シルバーらしい。贈り物のように見える。
だったら誰に送られたのだろう。今日は仕事だと言っていた。仕事で誰に会っていたのだろう。不安が怒濤のように押し寄せる。
「悪いわね。帰ってきたばかりで。」
「メモしておいた方が良いよ。ほら、出版社とかによっては使っているファイル形式も、使っているソフトも、パソコンの機種も違うんだから。」
「そうね。」
声が聞こえて、思わずそのネックレスをポケットに入れた。そして二人が部屋に入ってくると、伊織が中腰になり倫子がパソコンをいじる。その距離が近くて、そこでも嫉妬しそうになった。
「伊織君。夜の分のご飯を冷凍しておこうか。」
「あとでしようと思ってたんだけど。」
「俺がしておくよ。洗濯物もよく乾いているね。それも取り込んでおこうかな。」
「あとでみんなで畳みましょう。私、コレが終わったらもう今日は仕事をしないから。」
「珍しい。明日雨かな。」
伊織の言葉に倫子は口をとがらせた。そんなに仕事ばかりしていないと反論したかったが、実際仕事しかしていないのだから文句は言えない。
礼二は電気関係の配線が全く出来なかったのだ。テレビの配線すらどこに何を刺していいのかわかっていなかったので、伊織や春樹が説明書を見ながら配線をした。
「冷蔵庫は夜くらいにコンセントを刺してください。」
「わかりました。」
動きやすいようにジャージを着ていた春樹は、時計をみる。今日倫子は仕事だといっていた。その仕事は打ち合わせなのか、資料集めなのかわからない。詳しいことは何も言っていなかったからだ。
倫子は年が明けてさらに忙しくなってきている。年末の追い込みほどではないが、最近はミステリーだけではなく本の帯の文句や解説などを頼まれることもあった。
デビュー作である「白夜」がヒットしたとき「所詮、ぽっと出の作家だ。」「すぐに飽きられる」と言われていた。読み物としては軽く何より情がない感じは、確かに飽きられるかもしれないと春樹も危惧をしていたところだ。
だがあの「隠微小説」でのショート枠が倫子の評価を変えた。内容はほとんど濡れ場だし、野外セックスのことだ。だがそうせざる得なかった二人と、決して結ばれることのない悲恋、そしてそれを見ていることしかできなかった本編の「夢見」の主人公の気持ちは、官能小説なのに心をつかまされる。
おかげで「月刊ミステリー」も部数が上がっているし、はじめから読みたいとバックナンバーが発注されることもあるのだ。
すでに倫子の仕事は春樹では把握が出来ない。それが少し寂しい気持ちにさせる。
「藤枝さん。伊織君。良かったら、今日食事でも行かないですか。みんなで。」
「みんな?倫子や泉さんも?」
礼二の申し出に、伊織が声を上げる。
「泉さんを待ってたら相当時間はかかりますよ。」
「泉にはすぐに帰ってくるように言いますし、こっちの時間も遅らせれば何とか。」
「それに昼もご馳走してもらったのに。」
「いいんですよ。引っ越し業者に頼むよりも、安くあがりましたから。本当だったら謝礼を包まないといけないのに。」
「そんな……良いですよ。じゃあ、伊織君。言葉に甘えようか。」
「そうだね。どこが良いかな。あぁ、泉はあの駅前の居酒屋が好きだったな。」
その言葉に礼二は少し笑う。
「焼き肉とかでもいいのに。」
「高くつきますよ。泉じゃなくて倫子さんが。」
食事代よりも酒代が高く付くのだろう。礼二は少し苦笑いをして、二人を送り出した。
わかってる。あの伊織とつきあっていた時期もあったのだ。つきあいならこっちの方が長い。なのに一緒に住んでいるのだ。だから好みも、何もかも知っているのだ。それが悔しいと思う。
携帯電話で倫子にメッセージを送る。すると倫子はもうすでに家に帰ってきているらしく、食事の用意はしていないと返ってきた。春樹は携帯電話をしまうと隣で歩いている伊織をみる。鈍い男だと思った。
「伊織君。さっきのはまずいな。」
「え?」
伊織は驚いて春樹を見上げる。
「礼二さんは確かにこの辺は詳しくないし、今から食事どころもスーパーも開拓していくのかもしれない。そういった意味では「あそこがおいしい」とか「あそこは安い」とかっていう情報はありがたいだろうね。だけど、泉さんがあそこの居酒屋が好きだっていうのは、余計だったかな。」
「何で?」
「……君らはつきあっていた時期があるだろう?」
その言葉に伊織は少し黙り込んでしまった。そういう意味だったのかと。
「俺だったらイヤだな。別の男が倫子の知らないエピソードなんかを話すのは。」
「そっか……ちょっと無神経だったかな。」
頭をかいて、伊織はそういう。すると春樹は少し笑った。
「俺の考え過ぎなのかもしれないし、まぁいいんじゃない?伊織君は明日も休み?」
「うん。」
「だったら礼二さんにつきあって飲んでみたらいいのに。」
「やだよ。倫子と同じでざるじゃん。あの人。俺、酒は人並みだし。」
年末に二人が顔色を変えずに酒を飲んでいたのを思い出す。倫子も礼二くらいではないと酒の相手は出来ないといっていた。
「人並みねぇ。」
「それに歳かな。ここの所酒が続いていたし太ってきた気がするよ。明日ジムにでも行こうかな。」
「良いねぇ。俺も行こうかな。」
「え?鍛えてるんだっけ?」
「ううん。泳ぐだけ。ひたすら遠泳してるよ。」
水泳選手のような体だ。肩幅が広く、腰が細い。この体が倫子が好きなのだ。
「倫子は鍛えていないのかな。」
伊織が聞くと、春樹は少し笑っていう。
「どうだろうね。前に聞いたときは「泳げない」とは言っていたけれど。」
「あまりスポーツ万能には見えないな。」
「怒られるよ。」
そんなことを言いながら、二人は家の玄関を開けた。玄関先に倫子のヒールの付いた靴がある。帰ってきているのだろう。
春樹は靴を脱いで倫子の部屋の前に立つ。
「倫子。」
「お帰り。」
その声がして部屋にはいる。すると倫子はパソコンの画面を見ながら煙草を吹かしていた。
「急な仕事?」
「うん。昨日送ったデーターのファイル形式が違って開けないって連絡があったの。どうやるんだっけなぁ。えっと……。」
倫子もパソコンは扱えないわけではないといった程度だ。だから予想もしないことを言われると、いらいらするようだった。
「あーもう。全部同じファイル形式にすればいいのに。」
「それを言ったら身も蓋もないよ。伊織君を呼んでこようか。」
「伊織も帰ってきた?良かった。」
そういって倫子はいすから立ち上がると、春樹の横をすり抜けて部屋を出ていく。慌ただしい人だ。そう想いながら、春樹は仕事机のパソコン画面に目を移そうとした。
だがそのディスプレイの側。銀色の何かがあるのに気が付いた。手にするとちゃらっと音がする。ネックレスのように見えた。そして十字架のモチーフがある。
こういうのは倫子の趣味ではない。だったら何だというのだろうか。春樹はそう思いながら、それを見ていた。メッキなどではなく、シルバーらしい。贈り物のように見える。
だったら誰に送られたのだろう。今日は仕事だと言っていた。仕事で誰に会っていたのだろう。不安が怒濤のように押し寄せる。
「悪いわね。帰ってきたばかりで。」
「メモしておいた方が良いよ。ほら、出版社とかによっては使っているファイル形式も、使っているソフトも、パソコンの機種も違うんだから。」
「そうね。」
声が聞こえて、思わずそのネックレスをポケットに入れた。そして二人が部屋に入ってくると、伊織が中腰になり倫子がパソコンをいじる。その距離が近くて、そこでも嫉妬しそうになった。
「伊織君。夜の分のご飯を冷凍しておこうか。」
「あとでしようと思ってたんだけど。」
「俺がしておくよ。洗濯物もよく乾いているね。それも取り込んでおこうかな。」
「あとでみんなで畳みましょう。私、コレが終わったらもう今日は仕事をしないから。」
「珍しい。明日雨かな。」
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