守るべきモノ

神崎

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血縁

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 いつもだったら川村礼二が先に休憩をとって、そのあとに泉の休憩に行かせる。店が忙しいと休憩がずれ込んで、食材などを運んでくれる配送が来る時間に間に合わないときもあるのだ。だが今日は、礼二があとに休憩に入った。その表情が少し暗い。
「戻ってきたから、一階に降りて良いよ。」
 書店のコーナーの店員に、そう声をかけると礼二はカウンターの中にはいる。
「オーダーは入っている?」
 泉に聞くと、泉は目の前に下がっているオーダーの紙を指さした。
「あとこちらですね。」
「こっちはもう仕上がる?」
「はい。」
「じゃ、こっちを淹れるよ。」
 手を洗ってきちんと消毒をする。そしてお湯のチェックをした。
「じゃ、私、下がりますね。」
 礼二の元の奥さんがここに乗り込んできて一悶着があった。その真実が知りたいと、書店の人たちは泉に聞こうとしているようだが泉はガンとして口を割らない。
「プライベートのことをペラペラ喋るのって、私だったらされたくないですね。」
 泉の言葉に納得していたが、噂話は女性の得意技だ。勝手な噂話が飛び交っている。そして泉の噂も飛び交っているのだ。
 ここを離れて本社に行くかもしれない。だがそれを嫌がって退職するかもしれない。つまり泉は柔軟に見えてわがままだと言うことだ。
 そうなればもしかしたら礼二が離婚したのも泉がきっかけかもしれないと、また噂になる。だから最近泉は肩身が狭いのだ。だが肝心の泉は気にしていない。相変わらずバックヤードで発売前の本を見ては、「これは売れそうだな」と思っていた。
 そして来月、倫子の本が発売される。「月刊ミステリー」で連載されたモノと、新聞社でずっと書きためていた短編集が同時発売されるのだ。どちらも新作というわけではない。だがどちらにも読み切りの短編を書いている。いつそんな時間があったのだろうと泉は不思議に思っていた。
 コーヒーを淹れた礼二は、それとサンドイッチを皿に載せるとカウンターに置く。そして泉がそれをトレーに載せて運んでいった。背の低い女性が、一人でテーブル席に着き本を読んでいる。そこにサンドイッチとコーヒーを置くと、お客さんが帰ったあとのテーブルの上に載っていたカップを片づけた。こういうところがあまり気が利かないのだ。
「阿川さん。これ。見てくれる?」
 カウンターに戻ってきた礼二が、ポケットに入っている封筒を泉の前に差し出した。それを開いて泉は驚いた。
「え……。」
 それは病院の診断書だった。離婚したい礼二と、離婚したくない奥さんの話し合いは全く進展していなかった。なので、奥さんが入院している間、奥さんの両親が子供のDNAを調べたらしい。
 奥さんの両親はあくまで今お腹にいる子供はともかく、上の子供である海香は礼二との子供だと信じていたのだ。だが結果は無惨なモノだった。
「親子ではないと……。」
 休憩の間に病院へ行ってきたのだ。その結果に両親は肩を落とし、父親は「あんな子ではなかったのに」と悔しそうだった。
 素行が悪かった礼二との結婚を許したのも、子供が出来たからだったのにその子供すら礼二の子供ではなかった。素行が悪かったのは礼二だけではなかったらしい。
「俺も悔しかったよ。子供は出来ないかもしれないって言われていたのに、出来たって聞いたとき「俺もまだ男で居ていいんだ」と思ったのに。」
 誰よりも悔しいのは礼二なのだろう。そして裏切られたと思っている。
「……店長。」
「悪いね。少しグチっちゃって。」
「ううん。私には聞くことしかできないから。」
 すると一階から、お客さんの声が聞こえた。泉は慌ててその封筒を礼二に返して、トレーと布巾を持つと片づいていないテーブルへ向かう。
「いらっしゃいませ。」
 その客に、泉は少し戸惑った。それは栄輝だったのだ。そして栄輝の前には、虎柄のスカジャンを着た男が歩いてくる。
「お二人様ですか。」
「えぇ。」
「テーブル席、カウンター席、どちらでも結構ですよ。」
 栄輝は泉に少し視線を送ってテーブル席に向かい合って座る。そして泉はテーブルを片づけると、お冷やとおしぼりを持ってテーブル席に近づく。
「コーヒーを二つ。」
「ホットコーヒー。フレンドでよろしいですか。」
「えぇ。」
「かしこまりました。」
 オーダーを打ち込んで、席を離れる。栄輝と向き合っている男は、大学の友人には見えない。かといってウリセンの客にも見えない。とすると同僚とかだろうか。
「阿川さん。配送が着たから、俺、そっちするよ。」
「え……。いいんですか。」
 いつもだったら泉の仕事だ。なのに礼二は裏口へ向かおうとしている。
「俺、しばらく頭を冷やしてくる。今の顔、お客さんの前に立つ顔じゃないし。」
 子供が欲しいと思ったことはない。子供は好きだが、自分が産むとなると想像もつかない。だがその礼二の行動に、少し心が揺れた。
 ざあっと音がする。窓から外を見ると、雨が降っているようだった。

 傘を借りて、槇司は倫子の家を出た。そして少しため息をつく。
 同居人が居るとは聞いていた。だが異性だと思っていなかったし、しかもあんなに年上の人だと思っていなかったのだ。
 三十歳の司よりは六歳ほど年上。「戸崎出版」に勤めている。司も愛読している「月刊ミステリー」の編集長だ。倫子とは長いつきあいで、デビューの時かららしい。
 だからといって一緒に住むのだろうか。気心知れているとは言っても男と女なのだ。
 そして少し違和感を感じたのはそれだけではない。春樹の目線だ。
 ヤクザのように感じる。
「……。」
 自分の本質が見えそうで怖かった。
「藤枝……か。」
 少し調べてみる価値はありそうだ。そう思いながら、雨で薄暗くなりつつある道を歩いていた。
 そして倫子の家の中では、倫子が洗濯物をたたみ終わりタンスにシャツを入れていた。そして下着を手にするとそれもタンスの中にしまう。
「倫子。」
 春樹は部屋の外から声をかける。
「どうしたの?」
 ドアを開けると、倫子はタンスの引き出しを閉めた。
「エプロンとったね。」
「もう必要ないじゃない。」
「着てほしいな。」
「……割烹着でも着ようかしら。」
 少し笑うと、春樹はその体を後ろから抱き寄せる。
「抱きたかったのに。」
「そうね……。」
 消してほしい。すべてを忘れてさせてほしいと思う。
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