守るべきモノ

神崎

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血縁

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 スーパーに寄って、伊織は満足していた。ぶりのあらが安くてあったのだ。大根とゴボウを買い、今日はこれを煮つけて食べよう。正月が過ぎて、魚はずいぶん安くなったと思う。そう思いながら家路を急いだ。
 そのとき前を歩く倫子を見かけた。そういえば今日は外出すると言っていたので、その帰りなのかもしれない。
「倫子。」
 声をかけると、倫子も振り返った。
「今帰り?」
「うん。今日は病院だって言っていたね。」
「えぇ。スーパーに寄ったの?」
「ぶりのあらが安かったよ。大根と煮つけよう。」
「美味しそうね。」
 言葉があまり饒舌ではない。何かあったのだろうか。病院で何か言われたのかと思った。だが倫子をよく見ると左の頬が少し赤く腫れている。
「どうしたの?そのほっぺた。」
 その言葉に倫子は思わず頬に触れる。
「やだ。目立つ?」
「叩かれたみたいだ。」
「貰い事故みたいな。」
「貰い事故?」
「打ち合わせをして資料を集めて、病院の時間まで少し時間があるから、泉の店で資料をまとめようと思っていたの。そしたら、礼二の奥さんがちょうど来てね。」
「あぁ。別れてないって言っていたな。」
 倫子はうなづくと、ため息をついた。
「あぁだ。こうだ言っていたから、つい口を出したのよ。そしたら殴られちゃって。」
 人と関わりたくないと言っている割には、つい口を出してしまう。そしてその口に蓋は出来ないタイプだ。それで怒りを買ったのだろう。
「人のことにはあまり口を出さない方が良いよ。」
「ネタになるかもしれないと思ったしね。」
 悪い癖だ。何でもネタにしようとしている。この調子でいろんな殊に首を突っ込みたくなるのだろう。だからこういう痛い目にも遭うのだ。
「無理をしない方が良い。俺、倫子がそんなに顔を腫らしているのを見るのは嫌だよ。」
「……気をつけるわ。」
 案外素直に受け入れた。倫子自身も反省しているのかもしれない。
 思わずその頬に手を伸ばす。
「何?」
 思わず手を振り払った。
「あ……。ごめん。冷たかったかな。手が冷えるんだ。」
「早く帰りましょう。」
 そういって倫子は足を早める。もう夕暮れになっていた。冬の夕暮れは早い。

 食事のあと、風呂にはいると倫子は居間に戻ってきた。そこにはもう泉の姿がある。伊織もテレビのニュースを見ていた。
「お帰り。」
「ただいま。今日は大変だったわね。倫子。」
 すると倫子は肩をすくませた。
「礼二の奥様は入院したんでしょう?子供さんはどうしたの?」
「子供さんは奥さんの実家に預けているんですって。近くに住んでいたから良かったけど……。あぁ。これ礼二から預かってた。」
 そういって泉は箸を置いて、脇に置いていた紙袋を倫子に手渡す。
「何?」
「迷惑料みたいな。」
「いいのよ。私が勝手に口を出したんだし。」
「……倫子が言わなかったら、私がいずれ言ってたかもしれない。都合が良い女性だと思うから。」
 泉がこんなに他人を悪く言うことがあっただろうか。どう考えても泉が悪くないときでも自分のせいだと自分を責めていたのに。それだけ礼二のことを本気なのだろう。
「倫子はまだ泉をかばっているの?」
「伊織。」
 伊織はそういって倫子を見上げる。
「何が?」
「礼二さんの奥さんだけが悪いって言うわけではないと俺は思うけどね。」
「……伊織。」
 注意をするように泉は言う。だが伊織は止めなかった。
「礼二さんはこのままだとまた同じ事をするよ。それに転んだ泉にも責任はあるし、礼二さんが見て見ぬ振りをする事だって出来る。」
「そんなの出来るわけ無いわ。」
「自分に子供が出来ないなら、他の人に頼むことは仕方がないことだと思う。そこまでしても子供が欲しかったんだろう。」
「だったら相談すれば良かったのに。黙って他の人の子供を作って、自分の子供として育ててもらうなんて厚かましすぎるわ。」
 こんな風に熱く二人が言い合うのを初めて見た。泉はおろおろしながら、二人を交互に見ていた。そのとき、玄関のドアが開く音がする。
「ただいま。」
 春樹の声だった。そして居間に春樹がやってくると、その険悪な空気に思わず泉を見下ろした。
「どうしたの?」
 すると倫子は不機嫌そうに首を横に振ると、何も言わずに部屋に戻っていった。

 昼間に集めた資料を広げて、プロットを練り直していた。こういうときは仕事をするに限る。そう思いながら、その修正をしていた。
「時代背景がもう少しわかればいいんですけど。」
 時代設定は、百年ほど昔。それくらいならどんな田舎でも電気も通っているだろう。そして漁業の街。潮の香りと、男たちの威勢の良い声。そんなモノが聞こえてくるだろう。
「倫子。」
 春樹の声がした。倫子は手を止めて部屋の入り口を見る。すると春樹はもう風呂に入ったのか部屋着だったし、髪も下りている。
「やっぱり頬を冷やしていないんだね。」
 そういって春樹は濡れたタオルを倫子に手渡した。倫子はそれを受け取ると、頬にそれを当てる。
「伊織って意外と気が強いわ。」
「今思った?俺、ずっと伊織君は気が強いなと思ってたよ。」
「殴られるかと思った。」
「伊織君が君を殴るんなら、俺が伊織君を殴るね。」
 そういうと倫子は少し笑った。
「確かに……ネタのために口を出したのも理由の一つだったわ。私は子供を作る気はないから、どうしても母性ってのはよくわからないし。」
 母性といわれて、春樹も妹の真理子を思いだした。確かに男の子三人を育てるのは大変だろう。時には手を出すこともあるらしい。だが根底は子供のことを思ってのことだ。
「どうしてそこまでして子供が欲しかったのかもわからない。」
「……倫子。あのさ……。」
「何?」
「だったら、作ってみる?」
「え?」
「子供。」
 驚いて倫子は春樹の方をみた。
「ピルを辞めたら、作れないことはないんだろう。」
「そうだけど……。」
「やってみる?」
 すると倫子は首を横に振った。
「わかっているでしょう?幸せ一杯な家庭で育ったわけではないの。どうしても子供や、結婚に希望を持てない。今は、子供が出来ても邪魔なだけだわ。」
「……。」
「あなたはもう時間がないのかもしれない。だけど作りたいなら別の人を選んでくれる?」
「いいの?」
「……嫌に決まってるわ。でも私は答えられない。だったら他の人に頼むしかないわ。」
「俺は君しか抱きたくないけどな。」
 よく見ると倫子の手が震えている。春樹が他の女を抱いているところを想像してしまったのだろう。それを見て、春樹は倫子を抱き寄せた。
「君しか抱きたくない。離したくないよ。」
「……春樹……。」
「少し出る?」
「ううん。でも……今日、抱きしめて寝てくれる?」
 すると春樹はそのままその頬に口づけをした。
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