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血縁
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街の書店では、ちょっとした事件が起きていた。それは官能小説の雑誌である「淫靡小説」の今月号が話題になり、書店の棚から消えたのだ。
「重版をかけてるんですけど、まだ追いついていないんですよ。」
それは正月ぼけを一気に覚ますような出来事だった。編集長である夏川英吾は、喜ばしいと思いながらも少し複雑な気持ちだった。
電話を切り、またパソコンの画面に目を移す。原因は小泉倫子の読み切りを載せたことだろう。「月刊ミステリー」で連載中の「夢見」と言う話の番外編という位置づけで、本編の遊女の先輩女郎が男衆と身を投げるきっかけになった話だ。
官能小説であるから、もちろん濡れ場しかないような内容だった。夏川の要望はこの作品には「愛」を見せて欲しいということで、倫子に頼んだ。そしてその作品の中には確かに愛はある。
「編集長。またクレームです。」
「重版はかけてるから、二、三日待って貰って。」
「はい。」
元々官能小説を載せた雑誌は、そんなに部数があるわけでもない。そして読者も限られる。それに置いてくれる書店も少ないのだ。なのにそのヒットは異常とも言える。
「……まさかここまでとはね。」
おそらく相当丁寧に書かれたものだ。心の動き、心情、そして読んでいるモノの心をぎゅっとつかむような苦しさ。それをうまく表現している。
この二人は悲恋になる。何せ、二人でどぶ川に身を投げるのだ。「夢見」の主人公の目の前で。
「それにしても……小泉先生ってだけでこんなに売れるものかね。」
古参の社員はそう言っていぶかしげに見ていた。
「連載って出来ないんですかね。」
他の社員が聞くと、夏川は首を横に振る。
「おそらく月刊のマンガ雑誌の原作をする。「月刊ミステリー」の連載もあるし、そのほかの出版社、新聞社の連載もあるからね。なかなかこっちまで手が伸びないよ。それに小泉先生の担当って誰が出来る?」
その言葉に社員たちは黙ってしまった。気難しいと噂の倫子だ。誰もが二の足を踏むだろう。夏川ですら、一から十まで関わっていたわけではない。ほとんどは春樹に任せていたのだから。
「藤枝編集長は何であんなに信頼されているんですかね。」
それが一番不思議だった。春樹ははっきりしたところがある。「駄目」と笑顔で突き返すことも出来るし、精神的に不安定でも何とかやっていけるのだ。
「さぁね。」
その理由は夏川にはわかる。まだ春樹の奥さんが生きていたときから、倫子と繋がりがあったのだ。だがそれを世に出すことは出来ない。自分の身が可愛いからだ。
そのころ、倫子は「三島出版」の会議室にいた。そこであらかたできあがったプロットを田島昌明に見せていたのだ。
「先生。これなんですけど。」
「はい。」
気難しいと噂があった倫子だが、そんなことは特にないと思う。理由を組み立てて、ここは変だといえば倫子は一度考えてくれるし、意見を全く聞かないわがままな人ではない。こだわりはあるようだが、それは違うといえば納得してくれるのだ。特に今はまだプロットの状態だし、まだ変更は自由に利く。
「人魚の伝説についての資料をもっと詳しくあればいいんですけど。」
「伝説は各地にありますが、もう少し詳しいことを知りたいんですよね。」
「図書館とかは行かれますか。」
「たまに。」
「この街の図書館は蔵書数も多い。もしかしたら資料があるかもしれませんね。少し南の方の土地には伝説も残っていますし。」
「なるほど……。その辺の飼料が合ればもっと詳しいことがわかるかもしれませんね。少し時間もありますし、これから寄ってみます。」
「出来上がったらまた連絡をしてください。」
「はい。」
そう言って資料をしまおうとした。そのとき、昌明が倫子の方を見ていう。
「それから……正月はいろいろとありがとうございました。」
「……何のことですか。」
「兄がお世話になったみたいで。」
「えぇ。にぎやかでした。」
すると昌明は脇にあった紙袋を倫子に手渡す。
「これ、地元のモノなんですけど。」
「何?」
「栗の甘露煮。」
「……へぇ……。きんとんにすると美味しそうですね。ありがたくいただきます。」
すると昌明は少しため息をついて倫子にいう。
「助かりました。」
「あぁ……妹さんのことですか?」
「あいつ、自傷の癖があったんです。医者にもずっとかかってたけど、あまり効果がなくて。先生が紹介してくれた医者が良かったみたいだ。」
「……私もかかっている医者です。」
「え?」
「私はあまりひどくないんですけどたまに不眠になるんで、弱い睡眠材を調合してくれるんですよ。」
「あぁ……。」
そういう作家は多い。案外繊細なのだ。考えると暗くなりそうで、倫子はずっと気になっていたことを昌明に聞いた。
「それにしても、ここの会社って副職禁止じゃなかったですか。」
「俺は趣味ですよ。金がもらえなくてもやりますし。」
「……そんなもんですか。恋人でも作れば満足できるでしょうに。」
「うーん。セックスだけならですね。俺の場合それだけじゃないし。」
「え?」
「人が好きなんですよね。あぁいうと頃にいるとみんな同じ目線で立ってくれるし。」
「そういうことなんですか?」
「出版社にいこうか、ゲイバーに勤めるか悩んだくらいですから。」
「ははっ。そうなんですか?」
すると昌明は少し声を潜めて倫子にいう。
「栄輝から聞いたんですけど……。圭吾さんのことを調べているんですか。」
「……言わないでくださいよ。」
「他言なんか出来ませんよ。ただ……あの人は、危険です。先生。売られるの覚悟ですか?」
「売られている人が?」
すると昌明はそのまま黙ってしまった。言えないこともあるのだろう。
「無理には聞きません。ヤクザなんかに、繋がりを持ちたくないですからね。」
「あぁ。「戸崎出版」から出てるヤクザの話は、リアルでしたね。どこからそのネタを?」
「友人に実家がヤクザの総本家って子がいるんですよ。その子に頼んで見せてもらいました。」
倫子らしい行動だ。普通なら、二の足を踏むだろう。だがこの性格で、ずばずばと切り込んでいったのだ。煙たがられるのもわかる気がする。
「重版をかけてるんですけど、まだ追いついていないんですよ。」
それは正月ぼけを一気に覚ますような出来事だった。編集長である夏川英吾は、喜ばしいと思いながらも少し複雑な気持ちだった。
電話を切り、またパソコンの画面に目を移す。原因は小泉倫子の読み切りを載せたことだろう。「月刊ミステリー」で連載中の「夢見」と言う話の番外編という位置づけで、本編の遊女の先輩女郎が男衆と身を投げるきっかけになった話だ。
官能小説であるから、もちろん濡れ場しかないような内容だった。夏川の要望はこの作品には「愛」を見せて欲しいということで、倫子に頼んだ。そしてその作品の中には確かに愛はある。
「編集長。またクレームです。」
「重版はかけてるから、二、三日待って貰って。」
「はい。」
元々官能小説を載せた雑誌は、そんなに部数があるわけでもない。そして読者も限られる。それに置いてくれる書店も少ないのだ。なのにそのヒットは異常とも言える。
「……まさかここまでとはね。」
おそらく相当丁寧に書かれたものだ。心の動き、心情、そして読んでいるモノの心をぎゅっとつかむような苦しさ。それをうまく表現している。
この二人は悲恋になる。何せ、二人でどぶ川に身を投げるのだ。「夢見」の主人公の目の前で。
「それにしても……小泉先生ってだけでこんなに売れるものかね。」
古参の社員はそう言っていぶかしげに見ていた。
「連載って出来ないんですかね。」
他の社員が聞くと、夏川は首を横に振る。
「おそらく月刊のマンガ雑誌の原作をする。「月刊ミステリー」の連載もあるし、そのほかの出版社、新聞社の連載もあるからね。なかなかこっちまで手が伸びないよ。それに小泉先生の担当って誰が出来る?」
その言葉に社員たちは黙ってしまった。気難しいと噂の倫子だ。誰もが二の足を踏むだろう。夏川ですら、一から十まで関わっていたわけではない。ほとんどは春樹に任せていたのだから。
「藤枝編集長は何であんなに信頼されているんですかね。」
それが一番不思議だった。春樹ははっきりしたところがある。「駄目」と笑顔で突き返すことも出来るし、精神的に不安定でも何とかやっていけるのだ。
「さぁね。」
その理由は夏川にはわかる。まだ春樹の奥さんが生きていたときから、倫子と繋がりがあったのだ。だがそれを世に出すことは出来ない。自分の身が可愛いからだ。
そのころ、倫子は「三島出版」の会議室にいた。そこであらかたできあがったプロットを田島昌明に見せていたのだ。
「先生。これなんですけど。」
「はい。」
気難しいと噂があった倫子だが、そんなことは特にないと思う。理由を組み立てて、ここは変だといえば倫子は一度考えてくれるし、意見を全く聞かないわがままな人ではない。こだわりはあるようだが、それは違うといえば納得してくれるのだ。特に今はまだプロットの状態だし、まだ変更は自由に利く。
「人魚の伝説についての資料をもっと詳しくあればいいんですけど。」
「伝説は各地にありますが、もう少し詳しいことを知りたいんですよね。」
「図書館とかは行かれますか。」
「たまに。」
「この街の図書館は蔵書数も多い。もしかしたら資料があるかもしれませんね。少し南の方の土地には伝説も残っていますし。」
「なるほど……。その辺の飼料が合ればもっと詳しいことがわかるかもしれませんね。少し時間もありますし、これから寄ってみます。」
「出来上がったらまた連絡をしてください。」
「はい。」
そう言って資料をしまおうとした。そのとき、昌明が倫子の方を見ていう。
「それから……正月はいろいろとありがとうございました。」
「……何のことですか。」
「兄がお世話になったみたいで。」
「えぇ。にぎやかでした。」
すると昌明は脇にあった紙袋を倫子に手渡す。
「これ、地元のモノなんですけど。」
「何?」
「栗の甘露煮。」
「……へぇ……。きんとんにすると美味しそうですね。ありがたくいただきます。」
すると昌明は少しため息をついて倫子にいう。
「助かりました。」
「あぁ……妹さんのことですか?」
「あいつ、自傷の癖があったんです。医者にもずっとかかってたけど、あまり効果がなくて。先生が紹介してくれた医者が良かったみたいだ。」
「……私もかかっている医者です。」
「え?」
「私はあまりひどくないんですけどたまに不眠になるんで、弱い睡眠材を調合してくれるんですよ。」
「あぁ……。」
そういう作家は多い。案外繊細なのだ。考えると暗くなりそうで、倫子はずっと気になっていたことを昌明に聞いた。
「それにしても、ここの会社って副職禁止じゃなかったですか。」
「俺は趣味ですよ。金がもらえなくてもやりますし。」
「……そんなもんですか。恋人でも作れば満足できるでしょうに。」
「うーん。セックスだけならですね。俺の場合それだけじゃないし。」
「え?」
「人が好きなんですよね。あぁいうと頃にいるとみんな同じ目線で立ってくれるし。」
「そういうことなんですか?」
「出版社にいこうか、ゲイバーに勤めるか悩んだくらいですから。」
「ははっ。そうなんですか?」
すると昌明は少し声を潜めて倫子にいう。
「栄輝から聞いたんですけど……。圭吾さんのことを調べているんですか。」
「……言わないでくださいよ。」
「他言なんか出来ませんよ。ただ……あの人は、危険です。先生。売られるの覚悟ですか?」
「売られている人が?」
すると昌明はそのまま黙ってしまった。言えないこともあるのだろう。
「無理には聞きません。ヤクザなんかに、繋がりを持ちたくないですからね。」
「あぁ。「戸崎出版」から出てるヤクザの話は、リアルでしたね。どこからそのネタを?」
「友人に実家がヤクザの総本家って子がいるんですよ。その子に頼んで見せてもらいました。」
倫子らしい行動だ。普通なら、二の足を踏むだろう。だがこの性格で、ずばずばと切り込んでいったのだ。煙たがられるのもわかる気がする。
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