守るべきモノ

神崎

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 奥さんが亡くなって、独り身になった。そして出版業といっても、「戸崎グループ」という将来は安定するだろうという職業の、しかも管理職。当然、春樹目当ての女が仏壇に手を合わせたいという名目で、春樹に色目を使う女も多い。
 だが肝心の春樹は全く興味を示さない。むしろ母親も「罰当たりな人だ」と怪訝そうな顔をして芦刈真優の後ろ姿を見ていた。
「春樹。あんな人には転ばないでよ。」
「真優はさすがにイヤだな。前のこともあるし。」
「あぁ。つきあってた時期もあったんですってね。あんなに見境がなかったかしら。」
 都会の方の短大を出て、どこかの会社に在籍したこともあるがすぐに辞めたらしい。そして水商売、風俗、AVに出るという話もあがったようだが、その直前につきあっていた男との間に子供が出来た。
 男は子供が出来た真優に暴力を振るうようになり、子供を連れて実家に逃げるように帰ってきたのだという。自業自得だと思った。
「あら。またお客様ね。はいはい。」
 母はそういって玄関の方へ向かう。するとそこには眼鏡の女性が立っていた。
「こんばんは。夜分遅く申し訳ありません。」
 春樹も玄関にやってきて、少し驚いた。そこには見覚えのある人がいたからだ。
「えっと……。」
「芦刈真矢です。そこのスーパーの……。」
「あぁ。はいはい。」
「お世話になってますし、本当は姉と来れば良かったんですけど、今、私もこちらに帰ってきたので。」
 真優の双子の妹だった。派手な姉とは違って、地味な印象の女だった。高校の時、ずっと図書委員をしていた真矢は、おそらく真優よりも顔を合わせることが多かったのだ。本を借りるとき、真矢がいつも処理をしてくれていたから。
「どうぞ。お上がりになって。お茶でも入れましょうか。」
「遅い時間ですので、お気遣い無く。」
 黒いコートを脱いで、家に上がる。そして仏間に通されると、真矢はその仏壇の前で手を合わせた。無表情で、あまりその時から愛想がない人だと思っていたが、今もそれは変わらないらしい。
「真矢さんは今どちらに?」
「街の方の図書館で、司書をしています。」
 ぴったりだと思った。美容室に行ったのはどれくらい前なのだろうというくらいの長い髪や、飾り気のない洋服は少し倫子を連想させる。
「藤枝さんが編集人になっている本も増えてきました。」
「それは良かった。」
「機会があったら、こちらにも見えてくださいね。では……。」
 そういって真矢は立ち上がる。本当に手を合わせて挨拶をしただけだ。その様子にお茶を入れようと思っていた母が、真矢を止める。
「あぁ……真矢さん。よかったら持って行って欲しいモノがあるの。」
 そういって母は、居間を通り台所へ行くとビニールにはいった漬け物を持ってきた。
「スーパーのモノでも何でもないんだけど……。」
「いいえ。嬉しいです。藤枝さんのお漬け物は好きですし、うちの母はこういったことをしないので。家は無理かもしれないですが、明日、持って帰ります。」
「あら、今日来てもう明日帰るの?」
「雑務が残ってますので。家にも顔を出すだけですし。」
 そういって玄関へ向かう。そして出て行った真矢に母はため息をついた。
「本当に双子なのかしら。」
「似てるよ。」
「顔はね。でも素っ気ない感じだし、愛想もないし、独身なのもわかるわ。」
 高校の時、春樹は真矢と少し話したことがある。饒舌ではないが、真矢のぽつりと言った一言を覚えていた。
「……本に囲まれて死にたい。本には世界があるの。その中で死ねるなら本望じゃない。」
 図書館にいるという。それはきっと真矢の天職だったのだ。そして倫子も同じことを言っていた。
 だが倫子のそばには春樹が居る。一人など言わせたくなかった。

 二番目で良いなんて言う男が居るだろうか。倫子はそう思いながら、風呂に浸かっていた。
 激しいキスをしたあと、伊織はそのまま服を脱がそうとしたが、倫子がそれを拒否したのだ。
「何で?」
「お風呂に入りたい。」
「冬で汗なんかかいてないよ。」
「何言ってるの?冬だからかいてるのよ。」
 コートなど普段着ない。だから汗をかいているのが気になったのだ。気を削がれたと思っているだろうか。いっそこのまま無かったことにしてくれないだろうかという、卑怯な自分が見えた。
 だがこのまま湯船に浸かっていてものぼせるだけだ。倫子はその湯船からでると、脱衣所で体を拭く。そして新しい下着を身につけ、その上から部屋着に身を包む。そして歯を磨いて髪を乾かすと、脱衣所をあとにする。
 居間へ行くと、伊織がお茶を飲みながらテレビを見ていた。ニュースをしているようだ。
「外国の新年って派手ね。」
 花火が上がったり、酒を飲んで大騒ぎをしている。
「そうだね。派手なのは先進国だけだと思うけど。」
「そうなの?」
「俺が居たところは、正月でも働いていたよ。子供も老人もね。」
「ご両親が帰ってこないのも、そのためかしら。」
「うーん。まぁ……なんかの感染症が流行っているからってのも聞いたけど。」
 テレビは明日の天気を言っている。明日も晴れだ。こうしていると先ほどの行為が嘘に感じる。
「本を読もうかな。仕事は明日からにして……。」
「部屋に戻るつもり?」
「え……。」
「俺の部屋じゃ駄目かな。」
 嘘じゃなかった。倫子は少しうつむいて、伊織に言う。
「あのね……伊織。やっぱり……。」
 したくないとでも言うのだろうか。伊織はテレビを消すと、立ち上がって倫子のそばへ近寄る。そしてその腕を握った。
「部屋に来て。」
「伊織……。」
 その伊織の手が震えている。それを感じて、倫子は首を横に振る。
「あのね……伊織。二番目なんて空しいだけじゃない?だって……私の一番は春樹なのよ。」
「わかってる。でも今日しかないんだ。」
「ずっと我慢していたんなら、これからもも我慢できるでしょう?出来ないなら家を出て。」
「今日だけ、わがままを言わせて。」
「あなたのは今日だけじゃないわ。」
 すると伊織はそのまま倫子を引き寄せると、その体を抱きしめた。
「今日だけ。俺の……。」
 少し離して倫子をみる。そしてその頬に手を添えた。またゆっくりと唇を重ねる。そのときだった。
「ただいま。」
 泉の声が聞こえて、二人は慌てて離れる。そして泉が居間に入ってきた。
「お帰り。どうしたの?今日は礼二さんの所に泊まるんじゃなかったの?」
「泊まるよ。そこで待ってる。荷物忘れて来ちゃっただけ。ん?二人は何をしていたの?」
「ニュースが終わったから、もう寝ようと思って。」
「相変わらず早いね。伊織。倫子。洋書どうだった?」
「ポルノ小説ばかりだったわ。」
「マジで?」
「表現の勉強になるわ。何冊か借りた。」
「英語?」
「うん。」
「ちょっと興味あるな。今度私にも見せて。」
「良いよ。」
 そういって泉は、居間を出て行く。そして玄関がまた開く音がした。
 すっかり気分を削がれてしまった。そう思いながら、伊織は倫子の方をみる。だが倫子はそのまま部屋に帰りそうだった。
「あのさ……倫子。」
「……伊織。やっぱり駄目よ。」
「え?」
「あぁやってずっと誤魔化すつもり?」
「……。」
「大人しくしましょう。ね?明日、春樹の顔をまともに見せないつもりなの?」
 だが伊織は首を横に振る。
「春樹さんにどんなに罵倒されてもいい。追い出されてもいい。俺……倫子が好きなんだ。」
 強情だ。それをさせたのは自分自身。倫子は少しうつむくと、伊織を見上げる。
「……ゴム、持ってる?」
「うん……。」
「一緒には寝ないわ。本を読みたいの。」
「うん……わかった。」
 そういいわけをした。倫子も自分の感情に、ずっと戸惑っていたのだ。
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