守るべきモノ

神崎

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 電車を乗り継いで、自分たちが住んでいる町へ向かう。その間にどんどん周りが暗くなっていく。冬は夜が早い。
 向かい合って倫子と伊織は、その暗くなっていく街を見ていた。
「本、読まない?」
 ずっと沈黙のままで、息が詰まりそうだった。伊織はそう思って倫子に声をかける。だが倫子は首を横に振ると、また外を見る。
「辞書がないと詳しい内容がわからないわ。帰ってから読む。」
 とりつく島もない。おそらく「綾子」という名前が気になっているのだろう。だが栄輝からも言われた。何でも人のことをネタにするから、嫌がられるのだと。
 聞きたいのに聞けない。そんなもどかしさが心を覆っているのだ。
「倫子。あのさ……さっき、円と文香って、俺の同級生なんだ。」
「そんな感じよね。円って人、本が好きなの?」
「特段、そんな感じに見えなかったけど、倫子の本だけは読んでるのかな。」
「映画がきっかけね。何にしても、きっかけがあって手に取ってくれるのは嬉しいわ。」
 映画がなければ手にも取ってもらえなかっただろう。そういった意味では、ドラマや映画などの媒体になるのは嬉しい。
「本が好きだったのは綾子って人でさ。」
「つきあってた人?」
「ちょっと違うかな。」
「ふーん。」
 隣町に住んでいた森綾子と同じクラスになって、途中まで行き帰りのバスが一緒だった。自然にバス通学する人たちはそれなりに仲良くなるものだが、綾子はそれをいっさい無視していつも耳にはイヤホンがはめられていたように思える。
「ずいぶん年上の彼氏が居るって噂だったな。だけど、その彼氏が死んだんだ。」
「死んだ?」
「ヤクザに拉致られて、変死体で発見された。綾子も危なかったみたいだ。」
「……。」
「それからずっと俺らも距離を取っててさ。円や文香だけだったんじゃないのかな。普通に話をしてたの。でも二人もただ綾子のアレコレが聞きたかっただけ。」
「……女ってそういう話題が好きだものね。」
「結局……高校卒業しないでどっか行ったみたい。それからずっと誰も行方が知らなかったんだけど。まさか近くにいたとは思わなかったな。」
 それだけではないと思う。それだけなら、伊織が過剰に反応しないだろうに。
「つきあってたの?」
「え?」
「彼氏が死んだあとでも、居たときでもいいんだけど。昔の話でしょう?」
「正確にはつきあってない。でもしたんだ。」
 セックスをしたということだろう。どんな流れでしたのかはわからないが、簡単に伊織がするとは思えない。きっとその綾子が好きだった時期もあったのだ。
 泉とつきあっていた期間はそこまで長くない。なのにキス以上のことをすることはなかった。
「……再会できると良いわね。」
「したくないよ。」
「どうして?」
「「ヤクザの女に手を出した」って家にまでヤクザが乗り込んできたから。」
「何それ。」
 あのとき姉にも迷惑をかけた。同意の上での行為だったと、証明できたのが奇跡だったように思える。
「結局金が必要だった。あっちの親も借金がかなりあったらしいし、俺がしたことで搾り取れると思ったのかもしれない。」
「……。」
「ネタにしないでよ。」
「さぁ……でも似たような話を聞いたことがあると思って。」
「え?」
「亜美のところが絡んでるわね。それ。」
 そうやって金を搾り取るのがヤクザのやることだ。珍しい話ではない。
「亜美って……「bell」の?」
「亜美の実家はヤクザの本家なのよ。」
「……マジで?」
「一度そういった話を書きたくて、亜美の実家へ行ったこともある。ヤクザってねいろんな手を使って金を搾り取ろうとするんだけれど、亜美のところの本家……つまり総本家ね。そこは女を使って搾り取ることが多いの。美人局を何人も囲っているって。」
「もしかして、亜美さんも?」
「亜美は別。娘だもの。いずれはどこかに嫁に行くんでしょうけど、それは自分の望む人とはいかないでしょうね。」
 血の繋がりを大事にするところだ。自分の一家のために、子供も道具にするだろう。
「……気分のいい話じゃないわね。」
 倫子はそういってまた外の景色を見る。もう暗くて景色は見えないが、流れる光だけを見ているのかもしれない。

 最寄り駅についてこれから食事を作るのも面倒だからと、駅前にある居酒屋で食事と酒を飲んだあと、倫子と伊織は並んで帰っていた。
 だが並んで帰っていても倫子の中で引っかかることがあった。その綾子という女性に、簡単に伊織は手を出したのだ。泉に手を出すことはなかったのは、泉を本当に好きだと思っていなかったからだろう。そんな気持ちでつきあって欲しくなかった。
 伊織はおそらく情に流されやすい。綾子という女性と簡単に寝てしまったのが、いい証拠なのだ。それに、倫子にも簡単にキスをしたり抱きしめたりすることがある。好きだという言葉が信用できないのは、そのためかもしれない。
「伊織。」
 ずっと黙っていた倫子が伊織に声をかける。
「何?」
「ずっと思ってたんだけど……あなた、やっぱりうちを出た方が良いわ。」
「何で?」
 伊織が倫子の家にこだわっている理由は、今日伊織の実家へ行ってみてわかった。古い家はどこか倫子の家とかぶるモノがある。だがそれだけならきっと倫子の家にこだわることはない。
 倫子自身が欲しいのだ。
「失恋した相手が、恋人とずっと一緒にいるのって耐えられてる?このままだったら、春樹は見境無くなるわ。あなたにも、政近にも嫉妬しているもの。」
「……。」
「今すぐにとはいわないわ。でも物件を探した方がいい。もう少ししたらいい物件が取られる時期になるし、今がチャンスよ。」
「やだよ。俺、あの家を気に入ってるんだ。」
「家だけじゃないんでしょう?」
「倫子。」
「私があなたを見ることはないの。私は……。」
 倫子の足が止まる。そしてよく見ると目に涙が溜まっていた。それを見て伊織は倫子のそばへ向かう。
「俺さ……二番目で良いよ。」
「え……。」
「倫子を忘れられない。」
「一緒にいるからでしょ?出て行けば忘れ……。」
「忘れられないんじゃない。忘れたくないんだ。好きだから。」
 流れている涙を指で拭う。そして手のひらを包み込むように握った。そこだけがとても温かい。
「倫子……俺……。」
「……駄目。」
 拒否しないといけない。そう思って倫子はその手を離した。だがまた伊織はその手を握ってくる。
 家に帰り着くと伊織は靴を脱ぐまもなく、玄関の壁に倫子を押しつけるとその唇にキスをした。頬を持ち上げて、夢中で舌を絡ませる。すると倫子もその首に手を回した。玄関に互いのバッグが落ちる音がする。
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