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山にある伊織の実家は田舎だが、大きな神社があるところでバスや電車の臨時便がでていた。初詣客に混ざって伊織と倫子は、駅の待合室で並んで座る。そして倫子はバッグの中から古い洋書を取り出した。
伊織の従兄弟は年上で、チェーン化されているカフェでずっと働いていたようだが満を持して、自分で店を持つことを決断したのだという。そしてその従兄弟の奥さんは、倫子のファンでインテリアにしようと思っていたその洋書を快く貸してくれたのだ。
「こういう物も読めるなんて、やっぱり作家先生は違いますね。」
奥さんから言われたことだ。普段の倫子なら機嫌が悪くなるのかもしれないが、その本を手にして機嫌が良かったのか聞いて聞かないふりをしていた。
「内容まではあの二人わからないのね。」
本を閉じて、倫子はその表紙を見ていた。茶色がもう薄くなってベージュが買った本は、端がもうぼろぼろだ。
「倫子はわかる?」
「詳しい内容は辞書がないとわからない。だけど軽く読んでみて、これはポルノ小説だってことはわかるわ。」
「ポルノ?官能ってこと?」
「そう。こっちはノーマルなものだけど、こっちはレズビアンのモノ。こういうのを訳していたの?」
「さぁ。俺、そこまでお祖母さんの仕事を見てたわけじゃないし、俺が子供の時はお祖母さんは、ずっと畑仕事をしていたよ。」
「昔はしていたのかもしれないわね。でもずっと大切にしていたんでしょう。」
「うん。お祖母さんが若い頃は戦中だった。洋書はどうしても外国のモノだからって処分を求められたらしいけど、隠れるように辞書と本を庭に埋めていたんだ。」
「きっと……戦争は長く続かない。いずれ終わると信じていたのね。」
それだけ自分を強く持っていたのだ。うらやましいと思う。
「伊織は、ずっとここにいたわけじゃないんでしょう?」
「高校からかな。この街には高校がなかったから、結局バスで通っていた。」
「スクールバス?」
「そんなのはでてなかったから、普通の乗り合いバスだよ。それも十八時で終わり。」
「部活は出来ないわね。」
「まぁ……出来ても入らなかったな。」
「どうして?」
「あのときは外国から帰ってきたばかりで、コミュニケーションも苦手だった。両親のおかげで話したり書いたりするのには不便だとは思わなかったけど、どうも考え方も全く違ったから。帰ってずっと絵ばっかり描いてた。」
「絵?」
「今となっては良かったよ。芸大にも行けたし。」
変人だと周りからいわれても辞めたくなかった。絵だけは屋ったらやった文だけ成果が出ていたのだ。
「モテてたでしょうに。」
すると伊織は伸びをして、倫子の方をみる。
「興味がなかったな。夏休みにずっと芸大へ行く人のための予備校に通って、裸婦なんかを描いてたこともあってかな。そういう対象にしか見えなかったな。」
「え?」
「たとえば、女性の裸を見ても「そそられる」とかは全く思わなくて、この構図で描いたらどうだろうとかばかり考えてた。」
「根っからの芸術家肌なのね。」
倫子はそういうが、自分も人のことは言えない。観光地へ行ってもここから突き落としたらわからないだろうとか、海で溺死をさせたときは何日で浮き上がってくるだろうとか、そんなことばかり考えている。
「ところで、今日は泉は礼二さんのところに行くの?」
「そうみたい。ったく……たかがはずれたみたいに一緒にいるんだから。」
「そう言わない。倫子だって春樹さんと二人で居たいとは思わない?」
「……体が持たないわ。」
「え?」
少しため息をついて倫子はいう。
「正直、春樹が実家に帰っていてほっとしてるのよ。春樹が居たら仕事は後回しにしたくなるし。」
「……。」
「いる時間っていうのはとても嬉しいわ。でも……同じくらい、書いている時間も楽しいと思えるから。」
「どっちが楽しいなんて選べないよね。」
「そう言うこと。」
残酷だと思わないのだろうか。自分だってこの時間を大事にしたいと思っている。倫子と二人で入れる時間なんてほとんどないのだから。今日だってデートのようだと思ったし、従兄弟から「彼女?」といわれたとき、どれだけ嬉しかったか。すぐに倫子が否定したが、現実になればいいと思う。
その時待合室に、二人の女性が入ってきた。茶色のコートを着た女性と、白いコートを着た女性だった。二人は座っている伊織と倫子を見てさっと近づいてくる。
「伊織。」
声をかけられて、伊織はそちらを見ると驚いたように声を上げた。
「あ……円と……文香。」
「やーだ。帰ってきてたんなら、連絡入れてくれれば良かったのに。」
「今朝帰って、もう帰るから。」
「えー?そんなに早く帰るの?」
一気に騒がしくなったと倫子は、また本を取り出そうとした。その様子にもう一人の女性が声をかける。
「小泉倫子先生ですか?」
白いコートの女性が、倫子に声をかける。
「あ、はい。」
「わぁ。私、ファンなんです。握手して貰っても良いですか?」
「えぇ。かまいませんよ。」
倫子はそう言って手を差し出した。その手には入れ墨がある。それを見て女性は少し戸惑ったようだが、その手を握った。
「文香。有名な人?」
「うん。ほら「白夜」の原作者。」
「あぁ。映画見ました。ずっと誰が犯人なんだろうって、はらはらして。」
「楽しんでもらえて良かったです。」
「で、伊織の彼女なんですか?」
その言葉に倫子はすぐ首を横に振る。
「伊織は……友人ですね。実家に洋書が沢山あるというので、拝見しに同席したんですよ。」
「あー。知ってる。伊織のお祖母さんが、昔、翻訳の仕事をしてたって言ってたね。」
「うん。あそこってカフェになるの?」
「従兄弟がそうするって言ってた。」
「良いかもね。この辺、そういう店がないから。」
「んー。そうなのかな。」
伊織は正直、あの家を古民家カフェにすると聞いたとき、売れるかと疑問に思ったのだ。神社のおかげで、正月は若い人などが訪れる地域ではあるが、普段の日は年寄りと子供しか居ないところなのだから。
「そうだ。伊織。街の方にいまいるんですって?」
「うん。」
「綾子が帰ってきて、そっちに住んでるって。」
「え?」
その名前に伊織の表情が少し固まった。その様子に二人は顔を見合わせる。
「やだ。伊織ったら、もう昔の話じゃない。綾子だって何も思ってないって。」
「……まぁ、でも見かけても挨拶もしないと思うよ。」
「根が深いわ。」
その時、待合室に子供を連れた男が二人に声をかける。
「円と文香。お土産はこれで足りる?」
手に持っている紙袋を二人に見せて、二人は笑顔になった。
「良いよ。あ、伊織。この人、うちの旦那。」
円と言われた女性が、そういって男を紹介する。
あのとき同じ目線だった同級生が、それぞれ幸せな家庭を持っている。伊織もそうできるはずだった。なのに、綾子という名前が伊織に影を落としたのだ。
伊織の従兄弟は年上で、チェーン化されているカフェでずっと働いていたようだが満を持して、自分で店を持つことを決断したのだという。そしてその従兄弟の奥さんは、倫子のファンでインテリアにしようと思っていたその洋書を快く貸してくれたのだ。
「こういう物も読めるなんて、やっぱり作家先生は違いますね。」
奥さんから言われたことだ。普段の倫子なら機嫌が悪くなるのかもしれないが、その本を手にして機嫌が良かったのか聞いて聞かないふりをしていた。
「内容まではあの二人わからないのね。」
本を閉じて、倫子はその表紙を見ていた。茶色がもう薄くなってベージュが買った本は、端がもうぼろぼろだ。
「倫子はわかる?」
「詳しい内容は辞書がないとわからない。だけど軽く読んでみて、これはポルノ小説だってことはわかるわ。」
「ポルノ?官能ってこと?」
「そう。こっちはノーマルなものだけど、こっちはレズビアンのモノ。こういうのを訳していたの?」
「さぁ。俺、そこまでお祖母さんの仕事を見てたわけじゃないし、俺が子供の時はお祖母さんは、ずっと畑仕事をしていたよ。」
「昔はしていたのかもしれないわね。でもずっと大切にしていたんでしょう。」
「うん。お祖母さんが若い頃は戦中だった。洋書はどうしても外国のモノだからって処分を求められたらしいけど、隠れるように辞書と本を庭に埋めていたんだ。」
「きっと……戦争は長く続かない。いずれ終わると信じていたのね。」
それだけ自分を強く持っていたのだ。うらやましいと思う。
「伊織は、ずっとここにいたわけじゃないんでしょう?」
「高校からかな。この街には高校がなかったから、結局バスで通っていた。」
「スクールバス?」
「そんなのはでてなかったから、普通の乗り合いバスだよ。それも十八時で終わり。」
「部活は出来ないわね。」
「まぁ……出来ても入らなかったな。」
「どうして?」
「あのときは外国から帰ってきたばかりで、コミュニケーションも苦手だった。両親のおかげで話したり書いたりするのには不便だとは思わなかったけど、どうも考え方も全く違ったから。帰ってずっと絵ばっかり描いてた。」
「絵?」
「今となっては良かったよ。芸大にも行けたし。」
変人だと周りからいわれても辞めたくなかった。絵だけは屋ったらやった文だけ成果が出ていたのだ。
「モテてたでしょうに。」
すると伊織は伸びをして、倫子の方をみる。
「興味がなかったな。夏休みにずっと芸大へ行く人のための予備校に通って、裸婦なんかを描いてたこともあってかな。そういう対象にしか見えなかったな。」
「え?」
「たとえば、女性の裸を見ても「そそられる」とかは全く思わなくて、この構図で描いたらどうだろうとかばかり考えてた。」
「根っからの芸術家肌なのね。」
倫子はそういうが、自分も人のことは言えない。観光地へ行ってもここから突き落としたらわからないだろうとか、海で溺死をさせたときは何日で浮き上がってくるだろうとか、そんなことばかり考えている。
「ところで、今日は泉は礼二さんのところに行くの?」
「そうみたい。ったく……たかがはずれたみたいに一緒にいるんだから。」
「そう言わない。倫子だって春樹さんと二人で居たいとは思わない?」
「……体が持たないわ。」
「え?」
少しため息をついて倫子はいう。
「正直、春樹が実家に帰っていてほっとしてるのよ。春樹が居たら仕事は後回しにしたくなるし。」
「……。」
「いる時間っていうのはとても嬉しいわ。でも……同じくらい、書いている時間も楽しいと思えるから。」
「どっちが楽しいなんて選べないよね。」
「そう言うこと。」
残酷だと思わないのだろうか。自分だってこの時間を大事にしたいと思っている。倫子と二人で入れる時間なんてほとんどないのだから。今日だってデートのようだと思ったし、従兄弟から「彼女?」といわれたとき、どれだけ嬉しかったか。すぐに倫子が否定したが、現実になればいいと思う。
その時待合室に、二人の女性が入ってきた。茶色のコートを着た女性と、白いコートを着た女性だった。二人は座っている伊織と倫子を見てさっと近づいてくる。
「伊織。」
声をかけられて、伊織はそちらを見ると驚いたように声を上げた。
「あ……円と……文香。」
「やーだ。帰ってきてたんなら、連絡入れてくれれば良かったのに。」
「今朝帰って、もう帰るから。」
「えー?そんなに早く帰るの?」
一気に騒がしくなったと倫子は、また本を取り出そうとした。その様子にもう一人の女性が声をかける。
「小泉倫子先生ですか?」
白いコートの女性が、倫子に声をかける。
「あ、はい。」
「わぁ。私、ファンなんです。握手して貰っても良いですか?」
「えぇ。かまいませんよ。」
倫子はそう言って手を差し出した。その手には入れ墨がある。それを見て女性は少し戸惑ったようだが、その手を握った。
「文香。有名な人?」
「うん。ほら「白夜」の原作者。」
「あぁ。映画見ました。ずっと誰が犯人なんだろうって、はらはらして。」
「楽しんでもらえて良かったです。」
「で、伊織の彼女なんですか?」
その言葉に倫子はすぐ首を横に振る。
「伊織は……友人ですね。実家に洋書が沢山あるというので、拝見しに同席したんですよ。」
「あー。知ってる。伊織のお祖母さんが、昔、翻訳の仕事をしてたって言ってたね。」
「うん。あそこってカフェになるの?」
「従兄弟がそうするって言ってた。」
「良いかもね。この辺、そういう店がないから。」
「んー。そうなのかな。」
伊織は正直、あの家を古民家カフェにすると聞いたとき、売れるかと疑問に思ったのだ。神社のおかげで、正月は若い人などが訪れる地域ではあるが、普段の日は年寄りと子供しか居ないところなのだから。
「そうだ。伊織。街の方にいまいるんですって?」
「うん。」
「綾子が帰ってきて、そっちに住んでるって。」
「え?」
その名前に伊織の表情が少し固まった。その様子に二人は顔を見合わせる。
「やだ。伊織ったら、もう昔の話じゃない。綾子だって何も思ってないって。」
「……まぁ、でも見かけても挨拶もしないと思うよ。」
「根が深いわ。」
その時、待合室に子供を連れた男が二人に声をかける。
「円と文香。お土産はこれで足りる?」
手に持っている紙袋を二人に見せて、二人は笑顔になった。
「良いよ。あ、伊織。この人、うちの旦那。」
円と言われた女性が、そういって男を紹介する。
あのとき同じ目線だった同級生が、それぞれ幸せな家庭を持っている。伊織もそうできるはずだった。なのに、綾子という名前が伊織に影を落としたのだ。
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