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家を出ると、周りを見渡す。都会のように自動販売機一つ、近所にあるわけではない。少し港の方へ行かないと無いのだ。
「小泉先生ってどんな人なの?」
「んー。若いよ。まだ二十六くらいだしね。それからいろんなところに入れ墨がある。」
「入れ墨?ヤクザなの?」
「いいや。こっちの方では入れ墨はヤクザじゃなくても入れている人がいる。」
「でも一生残るよね。」
「それを覚悟で入れているんだよ。確かに消すことは出来ないことはないと思う。だけど完全には消えない。」
倫子はそれを覚悟で入れたのだ。だが入れ墨以上に心の傷は一生消えることはないのだろう。
「俺の足も一生直らないって言われた。こうやって歩くのは良いけど、走ったり飛んだりは無理だって。」
妻の葬儀の直後に発症したらしい。今でもサポーターがないと歩けないのだ。年が明けたらまたリハビリをしないといけないのだろう。
「また走りたい?」
「……うん。俺、昔の物が好きでさ、音楽も漫画も小説も……あっ、小泉先生のは別で。そういうのを読んだり聴いたりしていたけれど、どっか心が空っぽって言うか……。やっぱ走りたいんだなって思って。満足できないんだ。」
「俺は逆かな。」
「え?」
「本を読んでいる時間だけが、俺らしい時間だと思った。今は煙草とコーヒーと本が読める空間があったら、それで満足できる。けれどたまには泳ぎたいって思うこともあるけれど、泳ぐだけでは体はすっきりするけれど、心までは満たされない。」
「……。」
「違う医者に俺は見て貰った方が良いと思うよ。ここでは限られるしね。その意味でも俺が住んでいる町に来ればいいと思う。」
すると靖は首を横に振った。
「良いよ。それなら別に……。」
「どうして?」
「だって、春樹さんの奥さんはその医者に見て貰っても死んだじゃん。たぶん意味ないよ。」
五年間も治療したのに意識が戻ることはなかった妻。それを言っているのだろう。
「妻は……意識が戻る確率が五パーセント未満って言われてた。」
「え?」
「それでも俺は戻るかもしれないっていう希望を持ってた。現代医療はそんなにバカじゃない。だけど……妻は戻らなかったのは、きっと……妻自身が戻りたくなかったからかもしれないと思う。」
「奥さんが?」
「五年の間に、妻しか見てなかったわけじゃなかったから。」
その倫子は今、伊織の実家に行っているのだろう。何もないとわかっている。だが心がこんなに不安になるのだ。
「それって……。」
「お母さんにまだ言わないで。いずれは連れてくるけど。」
「そっか。良かった。」
ほっとしたような表情だった。その顔に、春樹は少し違和感を持つ。
「良かった?」
「なんか……俺、あの奥さんをここに連れてきたときのことを覚えてるけど、なんか……こう……好きになれないって言うか。父さんと言い合っているのも見てたし。」
「克之さんと?」
「父さんも帰ったあと「あんな人が身内になるのはイヤだな」といってたのを覚えてる。それでも春樹さんが選んだ人だからって、母さんは言ってたけど、母さんも嫌がってた。」
「そっか……。」
案外気が強かったからかもしれない。
結局二人は港近くまで来てしまった。そして自動販売機で、春樹はコーヒーを買うと、またお金を入れる。
「レモネードがあるよ。」
「そうする。」
素直に靖はボタンを押すと、小さなペットボトルのレモネードが出てきた。手の先が温かくなる。
「靖。」
声をかけられて、靖はそちらをみる。そこには白いコートを着た同世代くらいの女の子がいた。ショートカットで、日によく焼けている。少し泉を想像させる感じがした。
「祭りの時来てなかったね。どっか行ってたの?」
「親の実家にね。」
「そっか。栄美も里香子も何で靖来てないんだろうねって言ってたのに。」
「来年は来れると良いけどね。」
コーヒーの缶を開けて、春樹はそれを口に入れる。美味しいわけでもまずいわけでもないが、年末は必需品だった。
「えっと……お兄さん?」
「あぁ。叔父さんだよ。」
「同級生?」
春樹はそう聞くと、女の子は少し笑った。
「芦刈真美です。」
「芦刈?あれ?俺の同級生にいたな。芦刈……なんだっけ。お母さんはスーパーの人じゃない?」
「あ、そうです。芦刈真優。」
どおりでよく似ていると思った。同級生の娘だったのだ。
「お母さんは元気?」
「はい。スーパーにいます。」
「そうか。よろしく言っておいて。」
「あ、今そこの物産館に行ってて、すぐ戻ってきますけど。」
「ううん。伝えるだけで良いよ。」
いい思い出はない。春樹もなるべくあのスーパーには行かないようにしているのだ。
「靖君。帰ろうか。あまり家を開けても悪いし。」
「そうだね。じゃあ、また。」
靖はそういって春樹についていく。それを見て、よく似ている二人だと思った。靖は人気がある。小さな小中学校で、クラスも一つしかない。その中のほとんどの女子が靖が好きだといっていた。
そして真美もまたその一人だった。だが告白できる勇気はない。
「真美。お待たせ。」
母がやってきて、真美は少し笑う。
「誰かと居たの?」
「靖が居て、叔父さんと一緒にいたの。」
「叔父……って、春樹さん?」
「うん。靖に似てる。かっこいい。」
驚いたように真優も、そのいってしまったあとを見ていた。
帰り道で、春樹は少しため息をついた。イヤな名前を聞いてしまったと思ったのだ。
「真美のお母さんって、なんか……都会の方にいって、帰ってきたっていってたかな。」
「そっか。」
「なんかあったの?」
「何で?」
「同級生だったら同窓会みたいなことをしたいと思わないのかなって思って。」
すると春樹はコーヒーを持ち直して、靖にいう。
「初めてつきあった人なんだよ。」
「え?」
「でもまぁ……中学まで一緒でも、高校は別だったし自然に別れたけどね。」
「……それだけ?」
「尋問する?」
「気になるじゃん。」
「まぁ……中学生には早いかな。」
「同じくらいの歳のことだろ?」
すると春樹は少しため息をついていった。
「……高校の時に二股かけられてた。同じ高校の先輩とつきあってたみたいでね。それからもう二度と会わなくなってたよ。」
「ふーん。それじゃあ、会いたくないか。」
すると靖もまたレモネードのふたを開ける。温かいのと甘いのだけが取り柄なようだ。
「靖君は彼女居ないの?」
「居ないよ。あぁ。そうだった。クリスマスの時にさ、手紙を貰ったんだ。」
「へぇ……どうするの?」
「どうしたらいいかな。」
思わず笑ってしまった。まだ恋だの愛だのには未成熟なのだ。
「自分が好きならつきあえばいいし、イヤなら断ればいいよ。」
「んー……でもさぁ……。ねぇ、春樹さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ。」
「ん?」
「周りの友達がさ、兄さんの持ってたDVD見せてくれたんだけどさ。」
「何の?」
「言わせないでよ。」
男が集まってみる物は一つしかないだろう。からかうように聞いたのだ。
「それで?」
「俺、あまり何も感じなくて。わざとらしいとか、そんなシチュエーションあり得ないとかっていうのが先に来て。」
「うん。」
「小泉先生の奴を読んでるほうがまだましって言うか……。」
「立つ?」
「春樹さん。言い方がえぐいね。」
「ははっ。そうかな。」
「……俺、おかしいのかな。映像よりも文章を読んで想像する方が良いって。もしかして、生身の女性を見てもだめなのかな。」
真剣に悩んでいる。春樹は懐かしいと思っていた。自分もそうだったのだから。文章の中の女だけが、おかずだった時期もある。
今は生身の倫子がいい。帰ったら、思いっきり抱きたい。誰にも邪魔が入らないところで求め合いたい。
「小泉先生ってどんな人なの?」
「んー。若いよ。まだ二十六くらいだしね。それからいろんなところに入れ墨がある。」
「入れ墨?ヤクザなの?」
「いいや。こっちの方では入れ墨はヤクザじゃなくても入れている人がいる。」
「でも一生残るよね。」
「それを覚悟で入れているんだよ。確かに消すことは出来ないことはないと思う。だけど完全には消えない。」
倫子はそれを覚悟で入れたのだ。だが入れ墨以上に心の傷は一生消えることはないのだろう。
「俺の足も一生直らないって言われた。こうやって歩くのは良いけど、走ったり飛んだりは無理だって。」
妻の葬儀の直後に発症したらしい。今でもサポーターがないと歩けないのだ。年が明けたらまたリハビリをしないといけないのだろう。
「また走りたい?」
「……うん。俺、昔の物が好きでさ、音楽も漫画も小説も……あっ、小泉先生のは別で。そういうのを読んだり聴いたりしていたけれど、どっか心が空っぽって言うか……。やっぱ走りたいんだなって思って。満足できないんだ。」
「俺は逆かな。」
「え?」
「本を読んでいる時間だけが、俺らしい時間だと思った。今は煙草とコーヒーと本が読める空間があったら、それで満足できる。けれどたまには泳ぎたいって思うこともあるけれど、泳ぐだけでは体はすっきりするけれど、心までは満たされない。」
「……。」
「違う医者に俺は見て貰った方が良いと思うよ。ここでは限られるしね。その意味でも俺が住んでいる町に来ればいいと思う。」
すると靖は首を横に振った。
「良いよ。それなら別に……。」
「どうして?」
「だって、春樹さんの奥さんはその医者に見て貰っても死んだじゃん。たぶん意味ないよ。」
五年間も治療したのに意識が戻ることはなかった妻。それを言っているのだろう。
「妻は……意識が戻る確率が五パーセント未満って言われてた。」
「え?」
「それでも俺は戻るかもしれないっていう希望を持ってた。現代医療はそんなにバカじゃない。だけど……妻は戻らなかったのは、きっと……妻自身が戻りたくなかったからかもしれないと思う。」
「奥さんが?」
「五年の間に、妻しか見てなかったわけじゃなかったから。」
その倫子は今、伊織の実家に行っているのだろう。何もないとわかっている。だが心がこんなに不安になるのだ。
「それって……。」
「お母さんにまだ言わないで。いずれは連れてくるけど。」
「そっか。良かった。」
ほっとしたような表情だった。その顔に、春樹は少し違和感を持つ。
「良かった?」
「なんか……俺、あの奥さんをここに連れてきたときのことを覚えてるけど、なんか……こう……好きになれないって言うか。父さんと言い合っているのも見てたし。」
「克之さんと?」
「父さんも帰ったあと「あんな人が身内になるのはイヤだな」といってたのを覚えてる。それでも春樹さんが選んだ人だからって、母さんは言ってたけど、母さんも嫌がってた。」
「そっか……。」
案外気が強かったからかもしれない。
結局二人は港近くまで来てしまった。そして自動販売機で、春樹はコーヒーを買うと、またお金を入れる。
「レモネードがあるよ。」
「そうする。」
素直に靖はボタンを押すと、小さなペットボトルのレモネードが出てきた。手の先が温かくなる。
「靖。」
声をかけられて、靖はそちらをみる。そこには白いコートを着た同世代くらいの女の子がいた。ショートカットで、日によく焼けている。少し泉を想像させる感じがした。
「祭りの時来てなかったね。どっか行ってたの?」
「親の実家にね。」
「そっか。栄美も里香子も何で靖来てないんだろうねって言ってたのに。」
「来年は来れると良いけどね。」
コーヒーの缶を開けて、春樹はそれを口に入れる。美味しいわけでもまずいわけでもないが、年末は必需品だった。
「えっと……お兄さん?」
「あぁ。叔父さんだよ。」
「同級生?」
春樹はそう聞くと、女の子は少し笑った。
「芦刈真美です。」
「芦刈?あれ?俺の同級生にいたな。芦刈……なんだっけ。お母さんはスーパーの人じゃない?」
「あ、そうです。芦刈真優。」
どおりでよく似ていると思った。同級生の娘だったのだ。
「お母さんは元気?」
「はい。スーパーにいます。」
「そうか。よろしく言っておいて。」
「あ、今そこの物産館に行ってて、すぐ戻ってきますけど。」
「ううん。伝えるだけで良いよ。」
いい思い出はない。春樹もなるべくあのスーパーには行かないようにしているのだ。
「靖君。帰ろうか。あまり家を開けても悪いし。」
「そうだね。じゃあ、また。」
靖はそういって春樹についていく。それを見て、よく似ている二人だと思った。靖は人気がある。小さな小中学校で、クラスも一つしかない。その中のほとんどの女子が靖が好きだといっていた。
そして真美もまたその一人だった。だが告白できる勇気はない。
「真美。お待たせ。」
母がやってきて、真美は少し笑う。
「誰かと居たの?」
「靖が居て、叔父さんと一緒にいたの。」
「叔父……って、春樹さん?」
「うん。靖に似てる。かっこいい。」
驚いたように真優も、そのいってしまったあとを見ていた。
帰り道で、春樹は少しため息をついた。イヤな名前を聞いてしまったと思ったのだ。
「真美のお母さんって、なんか……都会の方にいって、帰ってきたっていってたかな。」
「そっか。」
「なんかあったの?」
「何で?」
「同級生だったら同窓会みたいなことをしたいと思わないのかなって思って。」
すると春樹はコーヒーを持ち直して、靖にいう。
「初めてつきあった人なんだよ。」
「え?」
「でもまぁ……中学まで一緒でも、高校は別だったし自然に別れたけどね。」
「……それだけ?」
「尋問する?」
「気になるじゃん。」
「まぁ……中学生には早いかな。」
「同じくらいの歳のことだろ?」
すると春樹は少しため息をついていった。
「……高校の時に二股かけられてた。同じ高校の先輩とつきあってたみたいでね。それからもう二度と会わなくなってたよ。」
「ふーん。それじゃあ、会いたくないか。」
すると靖もまたレモネードのふたを開ける。温かいのと甘いのだけが取り柄なようだ。
「靖君は彼女居ないの?」
「居ないよ。あぁ。そうだった。クリスマスの時にさ、手紙を貰ったんだ。」
「へぇ……どうするの?」
「どうしたらいいかな。」
思わず笑ってしまった。まだ恋だの愛だのには未成熟なのだ。
「自分が好きならつきあえばいいし、イヤなら断ればいいよ。」
「んー……でもさぁ……。ねぇ、春樹さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ。」
「ん?」
「周りの友達がさ、兄さんの持ってたDVD見せてくれたんだけどさ。」
「何の?」
「言わせないでよ。」
男が集まってみる物は一つしかないだろう。からかうように聞いたのだ。
「それで?」
「俺、あまり何も感じなくて。わざとらしいとか、そんなシチュエーションあり得ないとかっていうのが先に来て。」
「うん。」
「小泉先生の奴を読んでるほうがまだましって言うか……。」
「立つ?」
「春樹さん。言い方がえぐいね。」
「ははっ。そうかな。」
「……俺、おかしいのかな。映像よりも文章を読んで想像する方が良いって。もしかして、生身の女性を見てもだめなのかな。」
真剣に悩んでいる。春樹は懐かしいと思っていた。自分もそうだったのだから。文章の中の女だけが、おかずだった時期もある。
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