守るべきモノ

神崎

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 明日、仕事が終わったら礼二が迎えにくる。湯船に浸かりながら、泉はそのことで頭が一杯になっていた。
 以前、礼二と寝たときは覚悟がないままだった。あれよあれよとベッドに押し倒されたのだ。自分に触れる手も、感覚も、自分ではないように思えた。恋心があるのかと言われたらわからない。そしてこんな貧相な体で礼二が満足しているのかもわからないのだ。
 グダグダ考えていても仕方がない。そう思って湯船をあがると、脱衣所で体を拭き部屋着に着替えた。そして風呂場を出たときだった。
「ただいま。」
 春樹が帰ってきたようだ。泉は玄関へ向かうと、春樹を迎える。
「お帰り。遅かったね。」
「女性社員を送っててね。泉さんは今風呂に入った?」
「うん。」
「だったら俺も入るよ。」
「ご飯は?」
「食べてきた。」
 そう言って春樹は自分の部屋へ向かっていく。だがその表情に泉は違和感を持っていた。どことなく春樹がおかしい気がしたから。
 確かに春樹は饒舌な方ではない。泉と居ても話を聞いてうなづいているだけだと思う。だがその顔には笑顔があった。そして今の春樹にはそれがない。疲れているのだろうか。毎日激務なのはどこも一緒なのに。
 そう思いながら泉は居間へ行き、台所でコップを取り出した。そして冷蔵庫から牛乳を取り出すと、それをコップに入れる。そして電子レンジに入れると、温め始めた。
「泉。春樹は帰ってきた?」
 倫子が台所に入ってきた。手にはポットが握られている。
「うん。さっきね。」
「そう……。遅かったのね。」
「もしかしたら二十九日は帰ってこれないかもって言ってたけど。」
「……泉。明日から、伊織が待ってるって言ってたから一緒に帰ってくればいいわ。」
 ポットに水を入れて、火にかける。あからさまにこちらも不機嫌そうだ。その理由はわかる。レイプされた相手にのこのこ送迎して貰ったのだ。何もないわけがないと思っていたのだろう。
「倫子。何でそんなことを勝手に決めるの?」
「あの男が何もしないわけ無いわ。最低だもの。」
 自分が強姦されたから、そう言っているのだろう。同じように強姦されたような形で処女を失ってしまった泉が、可愛そうに思えているのだ。
「店長はそんなこと……。」
「してるわ。十分よ。酔わせて、ホテルに連れ込んで、セックスを強要した。あなたが訴えないだけで、本当なら事件性もあるわよ。」
 言葉に詰まった。確かにそうかもしれない。だが礼二をそんな風に思いたくなかった。
「私がお酒と間違えて飲んだからいけないのよ。」
「……また自分が悪いって思ってる?言ったでしょう?あなたが悪かったことなんか何一つない。胸くそ悪いわ。」
「倫子。」
「泉。あいつに同情する余地なんかないの。奥さんのことだって、奥さんのしつけも出来ていない自分が悪いんだから。」
「そんなこと言ったらいけないわ。」
 電子レンジが鳴って、泉はカップを取り出す。すると倫子はため息を付いていった。
「初めて処女を捧げた相手だから、かばっているの?それともあなた、礼二を好きになったの?」
 その言葉に泉の頬が赤くなる。その様子に倫子はため息を付いた。
「辞めておいた方が良いわ。」
「何で?」
「尻が軽いのよ。あの男。言うかどうか迷ったけれど……礼二は一度私とも寝たわ。」
「え?いつ?」
 初めて聞く話だった。思わず手からコップが落ちそうになる。
「あなたが酔って帰ってきた時よ。結構前。でもあとから亜美に、妻帯者だって聞いた。今は違うのかもしれないけれど、そんな男はあなたと何かあっても、きっと別の女をみる。そういう人なのよ。」
 その言葉に泉は少しうつむいた。倫子と寝たことは初めて聞いたが、確かに亜美から女から声をかけられて断らない人だという話は聞いていた。
 それに家庭を持っているのに泉と寝たり、軽くキスをしたりするのはどう考えても軽い男だ。
「伊織の方が早く終わるかもしれないし、どちらかが早く終わって待ち合わせをすると良いわ。そうね……出来れば、あなたが早く終わったら店の中で待たせてもらえないかしら。」
 しかし泉は首を横に振る。その様子に倫子は呆れたように泉に言った。
「泉。」
「バカだって倫子は思うでしょう?そうかもしれない。私がしてるのも人道に反してる。だけど……忘れられないの。」
「よく考えて。あなたがしていることは、あなたのお母さんと同じ事よ。不倫をして、言われるままに死んだんでしょう?」
「今なら……お母さんの気持ちも分かる。」
「泉。」
「好きなの。」
 持っていたコップの中の牛乳がこぼれそうだ。倫子はため息を付くと、そのコップを手にしてシンクにおく。そしてお湯が沸いたのを見て火を止めた。
「強情ね。」
「……バカでしょう?」
「そうね。一般的に見ればね。でも……わからないでもないから。」
 自分だって春樹と不倫をしていた。意識がない奥さんから隠れるように逢瀬を重ねていたのだ。
「言っても止められないなら仕方がないわ。でも応援は出来ない。」
「倫子……。」
「伊織には泉を待ってなくても良いって伝えておく。」
 ポットにお湯を注いで、蓋を閉めた。
「ありがとう。」
「応援してないって言ってるでしょう?ったく……。本気で殴り飛ばしたい。」
 シンクの上のカップをまた取ると、泉は笑顔で台所を出て行く。その後ろ姿を見て、呆れていた。だが同時に少し嬉しいと思う。
 泉はいつも「かっこいい」とか「イケメン」だとか言うのをいつも言っているようだったが、それはつきあうとかそういうレベルではない。いつでも本気ではないのだ。
 反対されても何をしても、礼二を選んだ。それだけ好きなのかもしれないが、少し寂しいと思う。
 部屋に戻ると、ティーポットにお湯を注いでカップにお茶を入れる。そしてスリープ状態になっているパソコンを開いた。そのとき、その携帯電話に着信音が鳴る。手に取るとそこには政近の名前があった。
「はい……、え?何?明日?」
 マンガ雑誌に載る後半の差し替えを言われたらしい。それを明日中に仕上げないといけないのだ。
「は?ちょっと待ってよ。時間がないわ。……私も締め切りがかつかつだし、そっちに行く余裕なんかない。え……ここで?」
 確かにここで仕上げるのには、問題はないだろう。倫子はため息を付いて、それを了解した。
「わかったわ。明日ね。何時くらいに来るのかしら。」
 そのとき倫子の部屋のドアが開いた。そこには春樹の姿がある。
「わかった。じゃあ、また明日。」
 そういって倫子は電話を切ると、ため息を付いた。
「どうしたの?」
「マンガ雑誌の後半のページの差し替え。そこのページがなくなると困るんだけど。」
「そういえば浜田君が何か言っていたね。三人目の殺害がむごすぎるって。」
「……。」
「そうむくれない。差し替えはチャンスだって言ってるだろう?」
「そうね……。」
 三人目の殺害が一番面白かったのに、そう思いながらまたパソコンを開いた。
「倫子。まだ仕事をする?」
「そのつもりよ。寝たいならどうぞ。」
「今日は横にいてくれないか。」
 仕事をしたいと言っているのに、どうして聞き入れてくれないのだろう。無視をしてパソコンに向き合おうとすると、春樹は強引に倫子の手を引いて布団の上に座らせた。
「何……ちょっと、仕事したいって……。」
「田島先生と寝たんだろう?」
 その言葉に倫子の動きが止まった。そして春樹を見上げる。
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