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引抜
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私服に着替えて、スタッフルームで待ち合わせた。泉が礼二と出て行こうとすると、礼二に書籍の女性スタッフが声をかける。
「川村店長もう帰るんですか?」
「うん。こっちの仕事は終わったし。」
「えー?あたし送ってもらいたかった。」
「槇さん。家近所でしょ?みんなで帰ればいいよ。」
書籍は書籍で集まっているのだ。それを壊したくない。もう自分は居なくても良いのかもしれない。泉はそう思いながら、裏口を出て行った。
「阿川さん。」
慌てたような声で、礼二が後を追ってくる。
「先に行かないで。これじゃ、送る意味がないだろう?」
「……私、平気ですよ。そんなに気を使わなくても……。」
「俺が嫌?」
「そうじゃないです。」
泉はそういって少し頬を膨らませた。
「……勝手に移動の話が出たのは悪かったよ。」
ずっと不機嫌だった。移動の話は確かに気分が悪いだろう。自分が当事者なのに、何も知らないまま話が進んでいたのだから。
「店長はそれでいいんですね。」
「え?」
「確かにコーヒーなんかの淹れ方を覚えれば、接客なんかをしていた人なら私じゃなくてもやっていけると思いますよ。書籍だってそう。私じゃなくてもやっていくことは出来る。」
「そうじゃないよ。俺は阿川さんが相手だととても仕事はしやすいよ。」
カフェでバイトをずっとしていた。そこで仕事よりも人間関係が大変だったのを思い出す。新人の時は派閥に巻き込まれたりしたし、キャリアが長くなれば新人を指導するのに、ひいきをしていると噂されたり、言葉の端を捕まれて陰口を叩かれることもあった。
今の職場はやりやすい。確かに書籍のコーナーの人からは色目を使われることもあるが、あまり関わることもない。何より一緒に働いている泉はストレートに言いたいことを言ってくれるので、二人だと回しやすいと思う。仕事の面でもかゆいところに手が届いてくれるし、泉のフォローもしやすい。
「ショックだったんです。」
「え?」
「書籍の部門で、私は結局それだけの存在価値だったんだって思って。」
すると礼二は首を横に振って言う。
「俺は阿川さんじゃないと駄目だと思う。」
「……。」
「俺だって……ずっと隣にいて欲しかった。」
体を重ねたからではない。体を重ねただけなら倫子と一緒だ。だが倫子ではそう思わない。泉だから側にいて欲しいと思う。
「一度……高柳さんの所に話を聞きに行きます。」
鈴音の連絡先が書いてある名刺を置かれた。本当ならそれを破り捨てたい。鈴音に渡したくないから。
「移動、考えてる?」
「良い話だと思うんです。」
「うちほど良い豆を入れてくるとは思えないけど。」
「うちではそんなに良い豆を使っていないですよ。それでも倫子は嬉しそうです。」
泉の淹れたコーヒーが一番美味しいよ。そういってくれるのが嬉しかった。
「……どんな店か聞かせて欲しい。」
「それは……高柳さんに聞いてみないといけないでしょうけど……ライバル店になるんですよね。」
「うん。」
「漏らしますか?そんな情報。」
もう少しで駅に着いてしまう。二人で並んで歩くことは、もうあまりないかもしれないのにあっという間に時間は過ぎてしまう。
もっと一緒にいたい。
「……阿川さん。」
「はい?」
「家まで送ろうか?」
「終電に間に合いませんよ。店長、家はこの近くなんでしょう?」
「そう。だから、車で。」
足を止める。だが泉は首を横に振った。
「仕事の話はとにかく、高柳さんの話を聞かないと判断も付きかねます。」
「それだけじゃないよ。家まで距離があるんだろう?」
「自転車があるし……。」
「駄目。何かあったらどうするの。」
こう言うときの礼二はとても頑固だ。泉も頑固な方だが、礼二も負けていない。
「何もないですって。」
「何の保証があって言うんだ。君に何かあったら俺は耐えれないよ。良いから来て。」
そのとき泉の携帯電話がなった。泉はそれを取り出すと、そこには伊織の名前がある。
「もしもし……うん。聞いてる。駅までは店長が送ってくれたわ。」
相手は伊織だろう。泉の顔がほころんでいる。そう思って礼二はその電話に手を伸ばす。
「ちょっと……店長。」
嫉妬もあった。恋人だから心配する気持ちはわかる。許せないところがあった。
「もしもし。えぇ。店長の川村です。同居されている方だと聞きました。えぇ……。この辺で事件があったので、店でも女性は固まって帰ったり、男性が付いていたりしてます。……いいえ。家まで送ります。結構です。そちらも女性一人なんでしょう?」
そうだ。家には伊織がいるが、同時に倫子もいるのだ。伊織が泉を迎えに行けば、家には倫子一人になる。
倫子は昔、強姦されたのだ。もし今、強姦などされたら倫子は自殺してしまうかもしれない。それを危惧したのだ。
「いいえ。大丈夫です。俺は今は一人なので、気にしないでください。」
礼二はそういって携帯電話を切ると、泉に手渡した。
「さぁ、帰ろうか。」
「断れなくなった。」
唇をとがらせて、抗議する。だが礼二は少し笑うと、泉の手を引いて駅の横の道を歩いていく。駅の前は商業地区ではあるが、その裏手にはマンションやアパートがある。礼二がこのカフェに勤めるようになったと決まったときに、手狭だが歩いていける距離にあるアパートに決めたのだ。
その通りは居酒屋があったり、バーがある。昼間は洋服屋や美容室がひしめいているので、昼と夜では様相が違う。
しばらく行くと公園があり、この辺は会社で働いている人などがテイクアウトの弁当を買って食べたり一服するように作られているところで、遊具なんかはない。
その公園の側。一階は美容室で、二階は古着屋になっていた。三階以降は住宅になっているらしく、その地下に駐車場があった。
「っと……車の鍵を持ってきてなかったな。ちょっとあがろうか。」
「待っときます。」
「駄目。また危機感利がなってない。」
あなたに警戒しているだけだ。そう口から出そうになったが、本当に泉を心配しているなら、この一言は失礼だろう。そう思って、泉はぐっと言葉を飲んだ。
「川村店長もう帰るんですか?」
「うん。こっちの仕事は終わったし。」
「えー?あたし送ってもらいたかった。」
「槇さん。家近所でしょ?みんなで帰ればいいよ。」
書籍は書籍で集まっているのだ。それを壊したくない。もう自分は居なくても良いのかもしれない。泉はそう思いながら、裏口を出て行った。
「阿川さん。」
慌てたような声で、礼二が後を追ってくる。
「先に行かないで。これじゃ、送る意味がないだろう?」
「……私、平気ですよ。そんなに気を使わなくても……。」
「俺が嫌?」
「そうじゃないです。」
泉はそういって少し頬を膨らませた。
「……勝手に移動の話が出たのは悪かったよ。」
ずっと不機嫌だった。移動の話は確かに気分が悪いだろう。自分が当事者なのに、何も知らないまま話が進んでいたのだから。
「店長はそれでいいんですね。」
「え?」
「確かにコーヒーなんかの淹れ方を覚えれば、接客なんかをしていた人なら私じゃなくてもやっていけると思いますよ。書籍だってそう。私じゃなくてもやっていくことは出来る。」
「そうじゃないよ。俺は阿川さんが相手だととても仕事はしやすいよ。」
カフェでバイトをずっとしていた。そこで仕事よりも人間関係が大変だったのを思い出す。新人の時は派閥に巻き込まれたりしたし、キャリアが長くなれば新人を指導するのに、ひいきをしていると噂されたり、言葉の端を捕まれて陰口を叩かれることもあった。
今の職場はやりやすい。確かに書籍のコーナーの人からは色目を使われることもあるが、あまり関わることもない。何より一緒に働いている泉はストレートに言いたいことを言ってくれるので、二人だと回しやすいと思う。仕事の面でもかゆいところに手が届いてくれるし、泉のフォローもしやすい。
「ショックだったんです。」
「え?」
「書籍の部門で、私は結局それだけの存在価値だったんだって思って。」
すると礼二は首を横に振って言う。
「俺は阿川さんじゃないと駄目だと思う。」
「……。」
「俺だって……ずっと隣にいて欲しかった。」
体を重ねたからではない。体を重ねただけなら倫子と一緒だ。だが倫子ではそう思わない。泉だから側にいて欲しいと思う。
「一度……高柳さんの所に話を聞きに行きます。」
鈴音の連絡先が書いてある名刺を置かれた。本当ならそれを破り捨てたい。鈴音に渡したくないから。
「移動、考えてる?」
「良い話だと思うんです。」
「うちほど良い豆を入れてくるとは思えないけど。」
「うちではそんなに良い豆を使っていないですよ。それでも倫子は嬉しそうです。」
泉の淹れたコーヒーが一番美味しいよ。そういってくれるのが嬉しかった。
「……どんな店か聞かせて欲しい。」
「それは……高柳さんに聞いてみないといけないでしょうけど……ライバル店になるんですよね。」
「うん。」
「漏らしますか?そんな情報。」
もう少しで駅に着いてしまう。二人で並んで歩くことは、もうあまりないかもしれないのにあっという間に時間は過ぎてしまう。
もっと一緒にいたい。
「……阿川さん。」
「はい?」
「家まで送ろうか?」
「終電に間に合いませんよ。店長、家はこの近くなんでしょう?」
「そう。だから、車で。」
足を止める。だが泉は首を横に振った。
「仕事の話はとにかく、高柳さんの話を聞かないと判断も付きかねます。」
「それだけじゃないよ。家まで距離があるんだろう?」
「自転車があるし……。」
「駄目。何かあったらどうするの。」
こう言うときの礼二はとても頑固だ。泉も頑固な方だが、礼二も負けていない。
「何もないですって。」
「何の保証があって言うんだ。君に何かあったら俺は耐えれないよ。良いから来て。」
そのとき泉の携帯電話がなった。泉はそれを取り出すと、そこには伊織の名前がある。
「もしもし……うん。聞いてる。駅までは店長が送ってくれたわ。」
相手は伊織だろう。泉の顔がほころんでいる。そう思って礼二はその電話に手を伸ばす。
「ちょっと……店長。」
嫉妬もあった。恋人だから心配する気持ちはわかる。許せないところがあった。
「もしもし。えぇ。店長の川村です。同居されている方だと聞きました。えぇ……。この辺で事件があったので、店でも女性は固まって帰ったり、男性が付いていたりしてます。……いいえ。家まで送ります。結構です。そちらも女性一人なんでしょう?」
そうだ。家には伊織がいるが、同時に倫子もいるのだ。伊織が泉を迎えに行けば、家には倫子一人になる。
倫子は昔、強姦されたのだ。もし今、強姦などされたら倫子は自殺してしまうかもしれない。それを危惧したのだ。
「いいえ。大丈夫です。俺は今は一人なので、気にしないでください。」
礼二はそういって携帯電話を切ると、泉に手渡した。
「さぁ、帰ろうか。」
「断れなくなった。」
唇をとがらせて、抗議する。だが礼二は少し笑うと、泉の手を引いて駅の横の道を歩いていく。駅の前は商業地区ではあるが、その裏手にはマンションやアパートがある。礼二がこのカフェに勤めるようになったと決まったときに、手狭だが歩いていける距離にあるアパートに決めたのだ。
その通りは居酒屋があったり、バーがある。昼間は洋服屋や美容室がひしめいているので、昼と夜では様相が違う。
しばらく行くと公園があり、この辺は会社で働いている人などがテイクアウトの弁当を買って食べたり一服するように作られているところで、遊具なんかはない。
その公園の側。一階は美容室で、二階は古着屋になっていた。三階以降は住宅になっているらしく、その地下に駐車場があった。
「っと……車の鍵を持ってきてなかったな。ちょっとあがろうか。」
「待っときます。」
「駄目。また危機感利がなってない。」
あなたに警戒しているだけだ。そう口から出そうになったが、本当に泉を心配しているなら、この一言は失礼だろう。そう思って、泉はぐっと言葉を飲んだ。
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