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引抜
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洋酒の入っているカップケーキは、カフェで出すモノには向いていない。車で来る人のことを考えると、これはテイクアウトとして少し小さめに作り、カフェのモノは別に作ろうと満足そうに帰っていった。そしてまた試作ができたらここへ持ってくることを約束しているのを見て、礼二はさらに腹が立つようだった。
「川村店長。引き抜かれたりしたら困るよ。こっちの方に阿川さんを何とか引き留めてくれないか。」
無責任なエリアマネージャーは、礼二にそういうとさっさと帰って行く。
「……。」
閉店後の仕込みを並んでしながら、ふと泉の方をみた。引き留めるというのはおそらく情で止めろと言うことだ。つきあいは長くなった。バリスタの資格を取っただけでここに来た。接客も、コーヒーの入れ方も、仕込みも、礼二が教えてきたのだ。それをぽっと出てきた鈴音に渡したくないという気持ちと、泉自身を渡したくないと言う感情が複雑に絡み合う。
「カップケーキさ。」
礼二はそう言って、泉に話しかける。
「高柳さんの?」
「うん。ちょっと見せてくれないかな。」
その言葉に泉は冷蔵庫から小さめの箱を取り出す。そしてその箱を開けると礼二に差し出した。
「チョコレートのケーキか。」
「前に出していたフォンダンショコラのアレンジみたいですね。」
このカップケーキの中にはチョコレートのソースが入っているのだろう。食べるのに苦労しそうだ。
「ナイフとフォークを使って食べるのは、この店には合っていないって小泉さんが言っていたね。」
「前にですね。でもカフェが主体なら、それは考えなくても良いかと思います。それに中のチョコソースは、垂れるほど柔らかくないとか。」
「よく考えてあるね。」
この店でだ舌カップケーキをアレンジしたモノは、年明けから発売する。春らしく、モンブランではあるが緑ではなくピンク色の着色をしていた。見た目は可愛いが売れるかというと微妙だ。
「洋酒が入っているから、倫子か伊織に食べてもらおうと思って。でも今、倫子は忙しそうだし。」
「今はどこも忙しそうだ。正月に休みたいなら、その分働かないといけない。そのためにおせちって言うモノがあるんだよ。」
「おせちってそんな意味があるんですか。」
「生物がないだろう?主婦も正月くらいは休みたいんだろうし。」
毎年、妻の実家に帰るとおせちが用意してあった。礼二の実家ではあまりそういう習慣がなかったので、新鮮だと思っていたのを思い出す。今年は帰ることはない。実家はあまり離れていないし、何ならここを開けても良いくらいだ。
「阿川さんの所はおせちしないの?」
「実家では用意してますね。」
死んだ母はそういうことに疎い人だったが、新しい母はまめな人だ。実家に帰るとおせちや雑煮が用意してあり、年の離れた弟がお年玉をせっついてくる。
ほいほい帰れる距離ではない泉の実家だが、こういうときではないと帰らないので父からも、何日に帰るのかとずっと聞かれていた。
「小泉さんの所は?」
「倫子はあまりそういうのをしたがらないし、正月っていってもたぶん仕事をしているのかな。実家に帰りたがらないし。」
「そっか。」
肝心なことを聞けない。あの恋人の男はどうするのか。年上だと言っていたから、そんなにのんびり恋人だとか何とか言う歳ではないだろう。つまり、結婚とかそういうことは考えていないのだろうか。
「店長はどうするんですか。」
「実家には帰りづらいな。離婚したばかりだし。実家の母から「甲斐性なし」って言われたよ。」
「それって甲斐性なんですかね。」
少し笑う。普通の会話だった。だがその会話すら、今後あるかわからない。泉は高柳鈴音の店へ行かなくても、本社へ行くかもしれない。または別の店に移動になるかもしれない。ずっと隣にいるものだと思っていたのに。
「やっと終わった。」
棚卸しと通常営業を平行していたのだ。時計を見ると、すでに定時はとっくに過ぎている。礼二は明日休みだ。その次の日は泉が休みで、二日間二人は顔を合わせることがない。
エリアマネージャーは移動させるなら、春にはさせたいといっていた。新入社員なんかが来る時期に合わせて、移動もそうさせているのだ。そうなると時間はもうあまりない。二人でいれる時間は限られているのだ。
「一階も終わったかな。」
「どうでしょうね。毎年思うけど、私たち先に帰っていいんですかね。」
「良いよ。あっちはこっちの棚卸しを手伝ってくれたわけじゃないだろう。」
「そうですけど……。」
書籍の方に籍がある泉には、まだばたばたしている一階を置いて帰るのが心苦しいのだ。
「それにいつもそうだけど、俺らとそんなに変わる時間に帰る訳じゃないよ。あっちは人数いるし、棚卸し用の人材も入れているみたいだしね。」
「うーん。」
昼間にエリアマネージャーと言い合ったのだ。書籍の人間だと言ったからにはそっちを手伝わないといけないと思っていたのだが、あっちはあっちで人がいるからと言われているようで心苦しい。
自分の代わりはいるんだからと言われているようだった。だから、ここの会社でも、高柳鈴音でも、泉が必要だと言われているのはそれだけで嬉しいと思う。
「遅くなったね。電車がある?」
「大丈夫ですよ。電車って、十二時まであるんですから。」
そういってキッチンを出ていく。そしてガスの元栓などをチェックして、電気を切ろうとしたときだった。一階から書籍の店長が上がってくる。
「あー。まだいた?」
「えぇ。そっちは?」
「こっちももう終わり。今年は早く終わって良かった。あと、俺が残って報告するだけなんだけどさ、阿川さん。」
「はい?」
「今日は川村店長に駅まででも送ってもらって。」
「え?何で?」
「ここにいたからわかんないかもしれないけど、さっき警察やらが表で行き交っててさ。」
「何かあったんですか?」
「年末になるとほら、一人歩きの女の子を連れ込むような人が出てくるんだよ。」
その言葉に泉は顔色を悪くした。連れ込まれるというのは、強姦でもするつもりなんだろう。
「一応捕まったみたいだけど、今日はうちも女の子は家の人に迎えに来てもらったり、同じ方向の人はまとまって帰ってもらうようにしようとしてて。」
すると泉は笑って言う。
「大丈夫ですよ。私服着たら男の子にしか見られないし、連れ込まれませんって。」
手を振りながらそういうが、礼二がそれを止める。
「阿川さん。そういうことを言ったらいけないな。」
「え?」
真剣に言い聞かせるように礼二が言ってくるので、泉は少し驚いて礼二をみる。
「男はね、女の子を見たらどんなに男装なんかしていても、だいたいわかるものだ。それが原因で連れ込まれたりしたら、俺もだけど、この店も、会社にも迷惑がかかる。」
その言葉に書籍の店長もうなづいた。
「最近、阿川さんを見て「男の子だ」って言う人は少なくなってきたよ。それだけ女らしくなったのかもしれないし、それは喜ばしいことだと思う。だけど警戒はしないといけない。男の手には女はかなわないんだから。」
それは身に染みてわかっていた。礼二にいくら抵抗しても、力付くで抱かれてしまったのだ。問題はその礼二に送ってもらうというのが困ったポイントなのだ。
「書籍の人で集まって帰りますし……。」
「こっちは阿川さんと同じ方面の人がいないんだよ。何?川村店長と帰るの嫌?」
「そういう訳じゃないです。」
慌てて否定した。見透かされそうだったから。
「川村店長。引き抜かれたりしたら困るよ。こっちの方に阿川さんを何とか引き留めてくれないか。」
無責任なエリアマネージャーは、礼二にそういうとさっさと帰って行く。
「……。」
閉店後の仕込みを並んでしながら、ふと泉の方をみた。引き留めるというのはおそらく情で止めろと言うことだ。つきあいは長くなった。バリスタの資格を取っただけでここに来た。接客も、コーヒーの入れ方も、仕込みも、礼二が教えてきたのだ。それをぽっと出てきた鈴音に渡したくないという気持ちと、泉自身を渡したくないと言う感情が複雑に絡み合う。
「カップケーキさ。」
礼二はそう言って、泉に話しかける。
「高柳さんの?」
「うん。ちょっと見せてくれないかな。」
その言葉に泉は冷蔵庫から小さめの箱を取り出す。そしてその箱を開けると礼二に差し出した。
「チョコレートのケーキか。」
「前に出していたフォンダンショコラのアレンジみたいですね。」
このカップケーキの中にはチョコレートのソースが入っているのだろう。食べるのに苦労しそうだ。
「ナイフとフォークを使って食べるのは、この店には合っていないって小泉さんが言っていたね。」
「前にですね。でもカフェが主体なら、それは考えなくても良いかと思います。それに中のチョコソースは、垂れるほど柔らかくないとか。」
「よく考えてあるね。」
この店でだ舌カップケーキをアレンジしたモノは、年明けから発売する。春らしく、モンブランではあるが緑ではなくピンク色の着色をしていた。見た目は可愛いが売れるかというと微妙だ。
「洋酒が入っているから、倫子か伊織に食べてもらおうと思って。でも今、倫子は忙しそうだし。」
「今はどこも忙しそうだ。正月に休みたいなら、その分働かないといけない。そのためにおせちって言うモノがあるんだよ。」
「おせちってそんな意味があるんですか。」
「生物がないだろう?主婦も正月くらいは休みたいんだろうし。」
毎年、妻の実家に帰るとおせちが用意してあった。礼二の実家ではあまりそういう習慣がなかったので、新鮮だと思っていたのを思い出す。今年は帰ることはない。実家はあまり離れていないし、何ならここを開けても良いくらいだ。
「阿川さんの所はおせちしないの?」
「実家では用意してますね。」
死んだ母はそういうことに疎い人だったが、新しい母はまめな人だ。実家に帰るとおせちや雑煮が用意してあり、年の離れた弟がお年玉をせっついてくる。
ほいほい帰れる距離ではない泉の実家だが、こういうときではないと帰らないので父からも、何日に帰るのかとずっと聞かれていた。
「小泉さんの所は?」
「倫子はあまりそういうのをしたがらないし、正月っていってもたぶん仕事をしているのかな。実家に帰りたがらないし。」
「そっか。」
肝心なことを聞けない。あの恋人の男はどうするのか。年上だと言っていたから、そんなにのんびり恋人だとか何とか言う歳ではないだろう。つまり、結婚とかそういうことは考えていないのだろうか。
「店長はどうするんですか。」
「実家には帰りづらいな。離婚したばかりだし。実家の母から「甲斐性なし」って言われたよ。」
「それって甲斐性なんですかね。」
少し笑う。普通の会話だった。だがその会話すら、今後あるかわからない。泉は高柳鈴音の店へ行かなくても、本社へ行くかもしれない。または別の店に移動になるかもしれない。ずっと隣にいるものだと思っていたのに。
「やっと終わった。」
棚卸しと通常営業を平行していたのだ。時計を見ると、すでに定時はとっくに過ぎている。礼二は明日休みだ。その次の日は泉が休みで、二日間二人は顔を合わせることがない。
エリアマネージャーは移動させるなら、春にはさせたいといっていた。新入社員なんかが来る時期に合わせて、移動もそうさせているのだ。そうなると時間はもうあまりない。二人でいれる時間は限られているのだ。
「一階も終わったかな。」
「どうでしょうね。毎年思うけど、私たち先に帰っていいんですかね。」
「良いよ。あっちはこっちの棚卸しを手伝ってくれたわけじゃないだろう。」
「そうですけど……。」
書籍の方に籍がある泉には、まだばたばたしている一階を置いて帰るのが心苦しいのだ。
「それにいつもそうだけど、俺らとそんなに変わる時間に帰る訳じゃないよ。あっちは人数いるし、棚卸し用の人材も入れているみたいだしね。」
「うーん。」
昼間にエリアマネージャーと言い合ったのだ。書籍の人間だと言ったからにはそっちを手伝わないといけないと思っていたのだが、あっちはあっちで人がいるからと言われているようで心苦しい。
自分の代わりはいるんだからと言われているようだった。だから、ここの会社でも、高柳鈴音でも、泉が必要だと言われているのはそれだけで嬉しいと思う。
「遅くなったね。電車がある?」
「大丈夫ですよ。電車って、十二時まであるんですから。」
そういってキッチンを出ていく。そしてガスの元栓などをチェックして、電気を切ろうとしたときだった。一階から書籍の店長が上がってくる。
「あー。まだいた?」
「えぇ。そっちは?」
「こっちももう終わり。今年は早く終わって良かった。あと、俺が残って報告するだけなんだけどさ、阿川さん。」
「はい?」
「今日は川村店長に駅まででも送ってもらって。」
「え?何で?」
「ここにいたからわかんないかもしれないけど、さっき警察やらが表で行き交っててさ。」
「何かあったんですか?」
「年末になるとほら、一人歩きの女の子を連れ込むような人が出てくるんだよ。」
その言葉に泉は顔色を悪くした。連れ込まれるというのは、強姦でもするつもりなんだろう。
「一応捕まったみたいだけど、今日はうちも女の子は家の人に迎えに来てもらったり、同じ方向の人はまとまって帰ってもらうようにしようとしてて。」
すると泉は笑って言う。
「大丈夫ですよ。私服着たら男の子にしか見られないし、連れ込まれませんって。」
手を振りながらそういうが、礼二がそれを止める。
「阿川さん。そういうことを言ったらいけないな。」
「え?」
真剣に言い聞かせるように礼二が言ってくるので、泉は少し驚いて礼二をみる。
「男はね、女の子を見たらどんなに男装なんかしていても、だいたいわかるものだ。それが原因で連れ込まれたりしたら、俺もだけど、この店も、会社にも迷惑がかかる。」
その言葉に書籍の店長もうなづいた。
「最近、阿川さんを見て「男の子だ」って言う人は少なくなってきたよ。それだけ女らしくなったのかもしれないし、それは喜ばしいことだと思う。だけど警戒はしないといけない。男の手には女はかなわないんだから。」
それは身に染みてわかっていた。礼二にいくら抵抗しても、力付くで抱かれてしまったのだ。問題はその礼二に送ってもらうというのが困ったポイントなのだ。
「書籍の人で集まって帰りますし……。」
「こっちは阿川さんと同じ方面の人がいないんだよ。何?川村店長と帰るの嫌?」
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