守るべきモノ

神崎

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 最近食事は倫子が用意する。年末まで他の三人は忙しいのでぱっと用意できるモノをさっと作り、倫子もまた部屋にこもるのだ。忙しいのは三人だけではない。伊織が帰ってきても、倫子は部屋にこもっていてパソコンとにらめっこをしているようだった。
「ただいま。」
 伊織は一応声だけをかけると、倫子は伊織の方を見ることもなく声だけをかける。
「お帰り。お風呂はさっき入ったわ。食事をしたらあなたも入ってしまって。」
 そしてまたパソコンのキーボードをたたく音が部屋に響く。伊織にも泉にもこの調子だ。だが春樹は違う。春樹が帰ってきて風呂に入ったあと、倫子の部屋へ春樹は行く。そして倫子を守るように二人で眠っているらしい。
 会話はなくてもセックスが出来なくてもいい。二人でいられればそれで良いというのは、伊織が泉にしていたことだ。わかっている。なのにもやもやしていた。
「ただいま。」
 牛丼を作っていてくれて、それをご飯の上に載せていると泉が帰ってきた。
「お帰り。」
「今日牛丼?」
「うん。」
「やった。沢山食べよう。」
 泉の胸にはもう指輪はない。恋人関係が解消されたわけではないが、のんきにそれを付ける気にもなれないのだろう。
「あー。倫子、ポット持って行っているね。」
 コーヒーやお茶を飲む度に台所へ行く手間を惜しんでいるのだろう。魔法瓶を持って行ってお湯だけ入れ、あとはティーポットに茶葉を入れているらしい。
「締め切りが近いのかな。」
「毎日のように締め切りがあるって言ってた。納品しても修正したりしてるし。」
 忙しいのはどこも一緒だ。そう思いながら、食事を居間へ持って行く。
「そういえば、新しいカフェが駅前に出来るって言ってたね。」
「うん。やっぱ、こんなにカフェが出来たら飽和してくるよ。なんか変わったモノがないとね。」
 店長の礼二も、そしてエリアマネージャーもそれを気にしていた。外国のチェーン店は、デザートがごてごてしている。雑誌やテレビで取り上げられているのを見ると、女の子はこういうモノが好きなのだろうと思う。
「まぁ……見た目って大事だしね。」
「伊織もそう思うの?」
 見た目だけでは男の子と変わらない泉が、一番コンプレックスに思っていることだった。
 礼二が離婚することは、何日かして本屋の人たちも知ることになった。ずっと礼二を狙っていた本屋の女性があらか様に、礼二を誘っているのを見てしまった。礼二は相手にしていないようだったが、それでも複雑な気分になる。
「俺の仕事の話だよ。本の表装も、お菓子のパッケージも、最初にタイトルを見るよりまず本のデザインを目にするだろう?」
「そうね。それで手に取ることもあるわ。」
 すると食事をしながら、泉は思い出したように言った。
「どうしたの?」
「昔ね、大学の時、私も倫子も文芸サークルに入ってたの。そこで年に一度、学祭の時に同人誌を発行してたのよ。」
「泉も書いてたの?」
「書いてたけど、今は読む気にならないわ。」
 他のサークルは学祭が収入源になると屋台なんかを出していたようだが、文芸サークルはあくまで文芸だからと同人誌やしおりなどを売っていた。当然、あまり売れることはなかったがそもそも発行部数も少ないので、手に持っている人は少ないだろう。
「その表装はプロじゃなくて、美術部に頼んだの。でも間に合わなくて、結局無地の表装になったわ。」
「それじゃ、ノートと勘違いするかもね。」
「だと思う。だから手に取られなかったのよ。」
 どんな話を書いていたのか気になるところだが、今は本を読む気も起きない。明日菜のことも気になるからだ。
「テレビ、つけて良い?ニュースしてるかな。」
 リモコンでテレビをつけると、歌番組がしていた。アイドルが愛想を振りまきながら歌っている。
「あぁ。この曲知ってる。よくラジオで流れてるし。」
「年末は歌番組が多くなるね。」
 だがそのアイドルの上。ニュース速報が入ってきた。「青柳グループ」の総帥が、強制送還されたらしい。
「え……。やっと戻ってきたの?」
 ニュースに変えると、フラッシュを浴びていた「青柳グループ」の総帥である青柳達彦が神妙な面もちで空港のゲートをくぐっていた。
「今から取り調べか。正直に話すとは思えないな。」
 倫子は何を思うだろう。

 今日は棚卸しだ。通常営業をしながら、在庫を数えていかないといけない。カフェはともかく、本屋は臨時のバイトを入れないと徹夜をしてしまう。あまり見覚えのない人たちを見ながら、泉も二階へ上がっていく。
「おはよう。」
 礼二は窓を開けながら、泉に声をかける。
「おはようございます。」
 礼二の家にはもう奥さんも子供もいない。礼二に告白したその数日後に、実家へ帰って行ったらしいのだ。年明けに礼二もそこを引き払うらしい。一人で住むには広すぎるのだろう。
「あぁ、なんか雨が降りそうだね。」
 外はどんよりと曇っている。それに今日は冷えているので、雨というより雪が降りそうだと思った。
「夜が遅くなると大変ですね。なるべく早く棚卸ししないと。」
「今年は阿川さんは本屋の方へ手伝いは行かなくていいの?」
 手が足りないときは、カフェが終わったあとの閉店後、泉も本屋の棚卸しにつきあうことがあるのだ。
「今年は良いそうですよ。臨時の人が、去年来た人が来てくれたみたいで。」
「手慣れている人がいた方がいいよね。」
 人の心配は出来ない。こっちは助けを呼ぼうと思っても今日は呼べないのだ。休憩すら外には出られないかもしれない。
「棚卸しの紙足りましたっけ。」
 そういってカウンターの中にはいると、キッチンへ向かう。そしてファックスやノートパソコンがあるスペースへ行き、用紙のチェックをした。そのときその舌にファックスの用紙があるのに気が付いた。
「何……これ……。」
 その用紙を手にして、泉は立ち尽くしていた。そこへ礼二が入ってくる。
「用紙、足りそうかな。」
 立ち尽くしている泉に礼二が声をかける。すると泉はその紙を礼二に見せた。
「何ですか。これ。」
 そこには辞令が書いてあった。泉が本屋の方から、正式にカフェへ移動すること。そして店舗の勤務ではなく、開発部へ移動することが書いてあった。
「……辞令。」
「わかってますよ。文字は読めるんですから。何で私が……。」
「前から言われてた。春には開発部に阿川さんを移動させて欲しいって。」
「嫌です。」
 礼二が言い終わる前に、泉はその紙を見てうつむいていた。
「阿川さん。バイトならそれが言えるけど、君は社会人なんだから。会社がそうしろって言うんだったら、そうしないといけないんだよ。」
「拒否は出来ますよね。私、接客がしたい。」
「駄目。会社がそうしろって言うんだったら、そうしないといけないんだよ。」
「ここ、誰か来るんですか?」
「他店舗の人だね。キャリアは結構長い人。」
「……。」
「阿川さん。」
 ため息を付いて礼二は泉に近づく。泉がもう泣きそうだったから。そして肩に触れた。
「俺個人的には離れたくないんだけど。」
「……。」
「……君と離れるのは嫌だ。」
「直談判したらいけないですか。そもそも……勝手に会社を移籍させられたの、気分が悪いし。」
 そういうのが精一杯だった。本音を言えば、すべてが出てしまう。
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