守るべきモノ

神崎

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露呈

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 風呂から上がって、居間に戻ってきても泉も春樹の姿もない。倫子は少し不思議に思いながら、テレビを見ていた伊織に話しかける。
「まだ二人とも帰ってきていないの?」
 すると伊織はテレビの画面を指さした。そこには作家が自殺したと報道されている。
「自殺?」
 それは「月刊ミステリー」にも掲載していた作家だった。倫子はこの作家の作品はあまり読んだことがない。トリックはありふれているし、心情を重視しているのかと思ったがそれは荒田夕の作品よりもその心情の表現が足りないと思ったからだ。
「知ってる?この作家。」
「えぇ。一度謝恩会で会ったことがある。」
 おどおどした感じがした。眼鏡で着飾っているのもどこか借りてきたような感じがして、自分に何か非があったのだろうかと思ったのだ。だが春樹に言わせると、この作家は昔働いていたところで職場の人間関係から躁鬱になったらしい。だから人間関係が苦手だと言っていた。気にしなくても良いと気遣ってくれたのだ。
「自殺ね……。」
「春樹さんが担当していたらしい。だから警察に事情を聞かれている。遺書に「仕事上のストレスが溜まっていた」と書いていたらしいしね。」
「そう……。SNSか何かに書かれていたのかしら。」
 倫子はSNSをしていないが、ネット通販などのレビューを目にすることもある。そこには自称評論家気取りの顔の見えない読者からの、厳しい言葉が連なっていた。
「倫子はそういうの気にする?」
「特には。あぁ、暇なんだなぁって思うだけ。」
 倫子は気にしていないようだが、言葉の暴力というモノはある。書き込まれた言葉をまともに受け取る人も多いのだ。
「……そういえば、この人「西島書店」にも書いていたわね。」
「「西島書店」って……ここに盗撮機とか仕掛けていた?」
「あそこのやり方は卑怯だったわ。もしかしたらそっちの方なのかもしれないわね。」
 だとしたらその死に追い込んだ輩は雲隠れしたことになる。もう「西島書店」の痕跡はない。発売されていた既存の書籍の権利を、「戸崎出版」や「三島出版」をはじめとする他の出版社が買い取ったのだから。
「……でもその事件って警察が入り込んだだろう?盗撮してた画像とか、警察が管理していないのかな。」
「横流ししていたのかもしれない。」
「え?」
「前に春樹さんが脅されたと言っていたし……。まぁ、警察も当てにならないのはわかってたけどね。」
 自分の主張も通らなかったのだ。それから倫子は警察をあまり信用していない。何かあれば当てに出来るのは、自分しかいないのだ。
「俺らは信用して良いから。」
 伊織の言葉に倫子は少し笑う。心を見透かされたようだったから。
「そうね。頼りにしてる。それにそうじゃないとここで住みましょうとは言わないわ。」
 倫子はそう言って台所に入る。お茶をいれると、ふと居間の方へ視線を向けた。
「伊織。お茶いる?」
「うん。もらえるかな。」
 伊織の声が聞こえて、倫子はカップをまた用意した。そしてお茶が入ったカップを二つ用意すると、居間へ向かう。
「ありがとう。」
 カップを受け取ると、伊織はまたニュースを見ていた。外国に子供を横流しされていた親たちが、被害を訴えている。それを見て倫子は少しため息をついた。
「こんなに必死になるんだったら、自分で育てようと思わなかったのかしら。」
「出来ないこともあるよ。例えば、つきあっていたときは優しい男だったのに、結婚して子供が出来たら子供に手をかけすぎて、自分に振り向かなかった。だから妻に暴力を振るい、子供にも手をかけた。だから家を出たけれど、結局子供を育てるための経済力がない。そのために一時的に子供を預けた。」
「まるで見てきたようなことを言うのね。」
「そういう人がいたんだよ。昔ね。」
 それは自分の勤めている会社の社長の話だった。上岡富美子は、そうやって子供を預けたあと、二、三年で起業したのだ。子供は大学を来年卒業する。
「うちの栄輝と同じ歳ね。」
「あぁ。俺、会ったことないんだよな。倫子の弟。お兄さんは一度温泉街で会ったけど。」
「どうだった?」
「んー。疲れない?あのお兄さん。うちの姉とどっこいどっこいだね。」
 弁護士をしている姉だという。倫子は会ったことがないが、あまり進んで会おうという人ではなさそうだ。
「疲れるわ。今度のお正月はどうしようかしら。出来れば帰りたくないわ。」
「うちも両親は帰ってこれないと言っていたし……。」
「お姉さんの所に行ったりしないの?」
「姉夫婦の所に行くのなんか、お年玉をばらまきに行くようなものだよ。一日だけお婆さんの所の墓には行こうと思うけど。」
 伊織らしい言葉に倫子は少し笑う。
「春樹さんは戻らないといけないでしょうし、泉はどうかしらね。あまり実家に戻りたがらないけれど……。」
 血の繋がりのない母に遠慮しているのかもしれない。だが泉の話によると、悪い人ではないと言っていた。
 もし正月に春樹も泉もいなかったら二人でいるのかもしれない。そのとき冷静でいれるのだろうか。政近も寝たのかもしれないと思うと、今すぐ押し倒したいと思うのに。
「伊織さ、泉の里帰りにつきあったら?」
「え?」
「別に遊んでつきあっているわけじゃないんでしょう?挨拶くらいしたらどうかなと思っただけ。」
「……どうだろうね。」
「別にやりたくないならそれでいいんだけど。」
 倫子はそう言ってため息をはく。やっぱり煮え切らない男だ。それにどうして泉とつきあっているのかもわからない。
「伊織。あのね……。」
 倫子はいつも春樹が座るその席に座り、伊織と向かい合った。その行動に伊織の方が驚いて身構える。
「夕べ、何もなかったんでしょう?」
「うん。」
「うん、じゃないわよ。何で泉とつきあっているの?遊び?つきあっているんならさっさとしたら?」
 すると伊織は首を横に振る。
「何で?」
「泉が……レイプされたって聞いた。」
 その言葉に倫子は驚いて伊織をみる。
「え……嘘……。ちょっといつ?何で?」
 伊織に詰め寄って倫子はまるで伊織を押し倒しそうだった。
「落ち着いて。倫子。」
「落ち着かれるか。誰がしたのよ。」
 そのまま乗り込みそうな勢いだ。思わず伊織はその倫子の両手を両手で握る。
「落ち着いて。」
「伊織。あんたそれで黙ってんの?何でその男を殴りに行ったりしないわけ?」
「倫子。」
 興奮していた倫子を落ち着かせるように、その握っている手を口元に持ってくる。すると倫子のその手の甲に柔らかくて温かい感触が伝わってきた。
「……伊織。」
「良いから。落ち着いて。」
 泉をレイプした人は知っている人だ。だからいずれ話を付けないといけないだろう。だがそれは今じゃない。
 それに泉を今の状態で抱いても恐怖にしかならない。自分とその男を重ねるだろうから。
「だから……とりあえず抱きしめることしかできなかった。それでも強引に大丈夫だよって言って抱くことの方が良い?」
「……私なら……その大丈夫は何の根拠があるのかって思うわね。」
「うん。だから……今俺が出来る精一杯はそれしかなかった。」
 すると倫子はその手を離して、頭を抱える。
「……どこのバカがしたのかしら。ったく……。」
 倫子はそういうと、不機嫌そうにテーブルにひじを突いた。その様子を見て、伊織はそれ以上に理由があることを言えなかった。
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