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真意
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春樹のアパートは、公園からほど近い。相変わらずつけられているような気がしたが、アパートは中にはいると入り口は二つだが、階段を上がって部屋へ行くと向かいのアパートのせいで外からはどこには行ったのかわからない。だから亜美と倫子が何号室に入っていったかなど中に入らないとわからないだろう。
アパートの中にまでは入ってこないようだ。用事がないのに入ったり、そこでじっとしていれば他の住人が通報するかもしれないのだから。
「わぁ。すごい部屋ね。ここ。」
亜美は思わず声を上げた。壁という壁に本棚があり、それでも入らない物は床に置いてあった。倫子の部屋も本が沢山あるようだが、ここには負けるだろう。
そのかわり生活必需品はあまりない。キッチンにあるのは小型の冷蔵庫と、電子レンジ。洗濯機はないらしく、汚れた洗濯物が袋に入っていた。
「藤枝さん。今、ここに住んでるの?」
「そうよ。」
亜美は感心したように本を一冊手に取った。それは自殺をした作家の初期の本だった。
「で、何で不倫なんかしてたの?泉が一番嫌がるでしょうに。」
唯一あるベッドは、パイプベッド。そこに亜美が腰掛けると、倫子はホウキとちりとりを持ってその床を掃き出す。
「泉は未だに反対している。」
「そうでしょうよ。お母さんが不倫の果てに自殺をしたなんて、不倫に対してイヤな気持ちしかないに決まってるわ。」
「そうね。」
「泉が嫌がっていることをしたくないって言っていたのに。」
「それでも止められなかったの。」
友達よりも自分の感情を優先した。最初は確かにネタのためだった。だがネタのためであれば政近でもかまわなかったはずなのに、政近と体を重ねてわかったのは、愛情のない相手とのセックスはどこか空しいと言うだけだった。
「倫子……。よく考えてよ。奥さんが居たのよ。もう亡くなったかもしれないけれど、あなたが藤枝さんと付き合っていたときはまだ奥様は生きてたでしょう?」
「えぇ。」
「顔向けが出来ないとは思わないの?」
「それ、泉にも言われた。」
床を掃きながら、倫子はそういった。
「下手をしたら、作家としての人生は終わる。指一本動かすことの出来なかった奥様から、旦那を寝取ったんだから。」
「わかっているなら辞めなよ。」
「辞められないのよ。」
倫子の手が震えている。それを見て、亜美は少しため息を付いた。
「好きなの。」
こんな倫子を初めて見た。いつも我が儘で、自信があって、感情の起伏が激しくて、だから危ない橋を渡ろうとしていたときには手をさしのべていたし、先回りをして釘を差すこともあったのに。
こんなに弱々しかっただろうか。
「……倫子さ、だったら、藤枝さんが書くのを辞めろって言ったら辞めれる?」
「え?」
「藤枝さんと付き合っていたら、きっと遅かれ早かれそういわれると思う。」
「何で?」
「……気になったのよ。」
いつか倫子が飲みに来ていたとき、春樹が隣に座ったことがある。そのときからだろうか、少し二人に違和感を持った。ただの編集者と作家の距離ではないと思っていたのだ。
「藤枝さんの亡くなった奥様は、「青柳グループ」の娘ね。」
「……そうみたい。」
「わかっていて付き合っていたの?」
「わかってたらあの家の敷居なんかまたがせないわ。」
「……そうよね……。」
ゴミを集め終わり、バケツに水をくむと倫子はひざを折って雑巾を絞る。拭き掃除をするためだ。
「クソみたいな会社のトップよ。」
「ヤクザに言われたらお終いね。」
「ヤクザよりたちが悪いわ。義理も人情もあったもんじゃない。だから傾きかけてるのに。」
亜美はそういってテーブルの上の灰皿を手に持った。安っぽい灰皿はきっと、百円くらいだろう。
「藤枝さんは知ってたのかしら。」
「私のこと?」
「えぇ。」
「知ってたらたちが悪いわ。青柳よりもね。」
「……。」
「きっと心を弄んで楽しむような人なのよ。」
「だったらさっさと追い出したらいいのに。そうでしょ?デメリットしかないわ。倫子。」
「それでも!」
まだ話はあったのに、倫子は亜美の言葉を遮るように言葉を発する。
「それでも……好きなのよ。」
「バカね。」
床に手を置いて、倫子は亜美の方を見ようともしなかった。肩が震えている。人のためにこんなになっている倫子を初めて見た。
亜美は少しため息を付くと、煙草に火をつける。そしてベッドから立ち上がると、窓から外を見た。カーテンはしているがあまり光は入ってこない。わずかにかび臭いのはそのせいだろうか。
「それでわかったわ。」
「え?」
「さっきからつけられていると思ったの。ほら、そこにいるわ。」
涙を拭って倫子は立ち上がると、ドアの方へ近づく。家からずっとつけられていたように思えた。だが姿は見えなかったが、ここからならはっきりわかる。
黒いスーツを着たサングラスの男だ。
「……。」
「見覚えがある?」
「……。」
倫子は青い顔をしたまま、その男を見ていた。その様子に亜美は、倫子の肩に手を置く。
「あいつも?」
「覚えてる……。」
すると亜美は少し笑っていった。
「倫子。このあと、桃子のところへ行きましょう?」
「桃子?」
「私の恋人よ。ミイラ取りがミイラになった精神科医だけどね。」
そういって亜美は倫子が持っている雑巾を手にすると、またバケツの中で雑巾を洗い始めた。
「掃除と、洗濯だけしているの?」
「あ、食事を持ってきたんだった。」
震える手を押さえて、倫子は持ってきたバッグの中からタッパーを取り出した。そして食べられた空のタッパーをまたバッグの中に入れる。
食事のやりとりや洗濯物だけで自分たちがつながっているような気がした。
アパートの中にまでは入ってこないようだ。用事がないのに入ったり、そこでじっとしていれば他の住人が通報するかもしれないのだから。
「わぁ。すごい部屋ね。ここ。」
亜美は思わず声を上げた。壁という壁に本棚があり、それでも入らない物は床に置いてあった。倫子の部屋も本が沢山あるようだが、ここには負けるだろう。
そのかわり生活必需品はあまりない。キッチンにあるのは小型の冷蔵庫と、電子レンジ。洗濯機はないらしく、汚れた洗濯物が袋に入っていた。
「藤枝さん。今、ここに住んでるの?」
「そうよ。」
亜美は感心したように本を一冊手に取った。それは自殺をした作家の初期の本だった。
「で、何で不倫なんかしてたの?泉が一番嫌がるでしょうに。」
唯一あるベッドは、パイプベッド。そこに亜美が腰掛けると、倫子はホウキとちりとりを持ってその床を掃き出す。
「泉は未だに反対している。」
「そうでしょうよ。お母さんが不倫の果てに自殺をしたなんて、不倫に対してイヤな気持ちしかないに決まってるわ。」
「そうね。」
「泉が嫌がっていることをしたくないって言っていたのに。」
「それでも止められなかったの。」
友達よりも自分の感情を優先した。最初は確かにネタのためだった。だがネタのためであれば政近でもかまわなかったはずなのに、政近と体を重ねてわかったのは、愛情のない相手とのセックスはどこか空しいと言うだけだった。
「倫子……。よく考えてよ。奥さんが居たのよ。もう亡くなったかもしれないけれど、あなたが藤枝さんと付き合っていたときはまだ奥様は生きてたでしょう?」
「えぇ。」
「顔向けが出来ないとは思わないの?」
「それ、泉にも言われた。」
床を掃きながら、倫子はそういった。
「下手をしたら、作家としての人生は終わる。指一本動かすことの出来なかった奥様から、旦那を寝取ったんだから。」
「わかっているなら辞めなよ。」
「辞められないのよ。」
倫子の手が震えている。それを見て、亜美は少しため息を付いた。
「好きなの。」
こんな倫子を初めて見た。いつも我が儘で、自信があって、感情の起伏が激しくて、だから危ない橋を渡ろうとしていたときには手をさしのべていたし、先回りをして釘を差すこともあったのに。
こんなに弱々しかっただろうか。
「……倫子さ、だったら、藤枝さんが書くのを辞めろって言ったら辞めれる?」
「え?」
「藤枝さんと付き合っていたら、きっと遅かれ早かれそういわれると思う。」
「何で?」
「……気になったのよ。」
いつか倫子が飲みに来ていたとき、春樹が隣に座ったことがある。そのときからだろうか、少し二人に違和感を持った。ただの編集者と作家の距離ではないと思っていたのだ。
「藤枝さんの亡くなった奥様は、「青柳グループ」の娘ね。」
「……そうみたい。」
「わかっていて付き合っていたの?」
「わかってたらあの家の敷居なんかまたがせないわ。」
「……そうよね……。」
ゴミを集め終わり、バケツに水をくむと倫子はひざを折って雑巾を絞る。拭き掃除をするためだ。
「クソみたいな会社のトップよ。」
「ヤクザに言われたらお終いね。」
「ヤクザよりたちが悪いわ。義理も人情もあったもんじゃない。だから傾きかけてるのに。」
亜美はそういってテーブルの上の灰皿を手に持った。安っぽい灰皿はきっと、百円くらいだろう。
「藤枝さんは知ってたのかしら。」
「私のこと?」
「えぇ。」
「知ってたらたちが悪いわ。青柳よりもね。」
「……。」
「きっと心を弄んで楽しむような人なのよ。」
「だったらさっさと追い出したらいいのに。そうでしょ?デメリットしかないわ。倫子。」
「それでも!」
まだ話はあったのに、倫子は亜美の言葉を遮るように言葉を発する。
「それでも……好きなのよ。」
「バカね。」
床に手を置いて、倫子は亜美の方を見ようともしなかった。肩が震えている。人のためにこんなになっている倫子を初めて見た。
亜美は少しため息を付くと、煙草に火をつける。そしてベッドから立ち上がると、窓から外を見た。カーテンはしているがあまり光は入ってこない。わずかにかび臭いのはそのせいだろうか。
「それでわかったわ。」
「え?」
「さっきからつけられていると思ったの。ほら、そこにいるわ。」
涙を拭って倫子は立ち上がると、ドアの方へ近づく。家からずっとつけられていたように思えた。だが姿は見えなかったが、ここからならはっきりわかる。
黒いスーツを着たサングラスの男だ。
「……。」
「見覚えがある?」
「……。」
倫子は青い顔をしたまま、その男を見ていた。その様子に亜美は、倫子の肩に手を置く。
「あいつも?」
「覚えてる……。」
すると亜美は少し笑っていった。
「倫子。このあと、桃子のところへ行きましょう?」
「桃子?」
「私の恋人よ。ミイラ取りがミイラになった精神科医だけどね。」
そういって亜美は倫子が持っている雑巾を手にすると、またバケツの中で雑巾を洗い始めた。
「掃除と、洗濯だけしているの?」
「あ、食事を持ってきたんだった。」
震える手を押さえて、倫子は持ってきたバッグの中からタッパーを取り出した。そして食べられた空のタッパーをまたバッグの中に入れる。
食事のやりとりや洗濯物だけで自分たちがつながっているような気がした。
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