147 / 384
嫉妬
147
しおりを挟む
二、三日して、未来は息を引き取った。側には春樹とその両親がいただけで、未来の両親は居なかったのだ。何の用事があるのかわからないが、娘の危篤にもつきあわなかったのだ。
「……。」
白い布を顔にかぶせられた未来は、まるで他人のようだ。春樹はそう思いながら、ぼんやりとベッドを見ていた。
「春樹。」
年老いた母は、ずっと春樹が未来に寄り添っていたことも知っていた。だからわずかに痩せたような春樹に気を使っている。
「会社、何日か休まないとな。」
「こんな時に仕事は気にしないの。あなた……本当に仕事とここしか来ていなかったのね。」
「あぁ。そうだね。」
涙も出ないほど落ち込んでいるように見えた。好きで一緒になった二人だから春樹の好きなようにさせていたが、春樹は未来の誌をどう受け取っているのだろう。盛大な結婚式を挙げて、新婚旅行に行ったその帰りのタクシーで事故に巻き込まれたのだ。同棲もしていなかったのだから、新婚生活など全く出来なかっただろう。ただしごとと病院と家の往復の六年間だった。
幸せそうだが、どこか人間味のない春樹がやっと幸せをつかんだと思っていたのに。こんな形で別れるとは、神様も無碍なことをするものだ。
「向こうの両親は?」
「葬儀の手配をしてもらっている。」
喪主は春樹だ。そんなときに冷静になれるのだろうか。
「母さん達は一度帰るよね。」
「えぇ。お通夜は明日かしら。真理子達にも連絡をしたわ。夫婦揃ってくるわ。」
「子供達が居るんじゃないのか。」
「向こうの両親が見てくださるそうよ。」
普通の親ならそうするだろう。兄妹の妻が亡くなったのだ。それくらいの理解はする。
「悪いね。本当なら向こうで式をするんだろうに。」
「ご立派な家だもの。こちらの方が何かと都合も良いでしょうし。あなたもこちらでお世話になった人の方が多いでしょう?」
そんなものなのだろうか。家を考えるなら、藤枝家と近い家で葬儀をあげるものと思っていた。
「向こうの親に遠慮しなくていいのに。」
「本音を言うとね。」
母は少し延びをして言う。
「あちらのご両親は苦手なのよ。田舎で葬儀をするなんて言ったら、何かしら口を挟むでしょう?再婚された奥様もたぶん葬儀のことなんかわからないでしょうし。」
「そうだね。」
母らしいと思った。さっぱりして、わかりやすい。これで気が強かったら倫子に似ていると思った。
「あぁ……連絡を付けないといけないところがあった。」
「会社には連絡したんでしょう?」
「今、同居している人が居るんだ。」
「え?同棲しているって事?」
驚いたように母が聞く。しかし春樹は首を横に振った。
「いいや。同居人は俺を含めて四人。作家先生の所に間借りをしててね。」
「そう……。」
ずいぶんぼろいアパートに十年も暮らしていたのだ。何度か行ったことはあるが、アパートへ行くたびに本が増えてトランクルームを借りていると言っていた。図書館でも作るつもりかと、冗談混じりで言ったのを覚えている。同居しているのが作家というのも理解は出来る。きっと似たような人たちが集まっているのだろう。
「伊織君?あぁ……。悪いけれど、今日は帰れないかもしれない。倫子さんに伝えておいて……うん。大丈夫だ。やらないといけないこともあるし……。明日の朝に一度帰るから。うん……。葬儀場は……。」
少し人間味が出てきたと思ったのは、おそらくこの同居人達の影響だろう。そして作家。悪い人ではなさそうだ。
「藤枝さん。」
葬儀社の人が声をかけてくる。いろんな手続きをしないといけないのだろう。
「朝にそのお家へ帰るの?」
「うん。」
「必要なものは私が取りに行くわ。住所を教えてちょうだい。」
「良いよ。母さんも実家に帰るだろう?」
「そっちはいいのよ。お父さんが行くんだから。こっちへ来るときには真理子達と一緒にくるし、心配はしていないわ。」
父は転勤が多い人だった。だから身の回りのものは割と自分で何でも出来る。母が着いていなくてもいいのだろう。
小さい頃からこれが普通の夫婦だと思っていた。だが倫子とは離ればなれになりたくない。できれはずっと一緒に居たいと思う。
電話を切ると伊織はため息をついた。そして隣にいる泉を見る。
「春樹さん何だって?」
「亡くなったそうだ。」
「そう……。」
覚悟はしていただろう。だがこんなに急だと思っていなかった。倫子は二、三日前から部屋を出ていない。二人が居ないときは部屋を出ているようだが、食事すらまともにとっていないようだった。何か急ぎの仕事があるのかと思っていたが事情は違うようだ。
倫子は情緒が不安定なところがある。急に怒り出したり、泣き出すこともあったりするのは自分の中の感情の整理が出来ないからだ。
「……明日の朝に一度帰ってくるって。」
「倫子のことを見てくれるかしら。」
「え?」
「確かに倫子のしていることは不倫だわ。でも……いつも言ってた。倫子は本当に人を好きになったことがないって。それでも春樹さんのことを止められなかったのは、不倫でも何でも止められないような感情が倫子の中に生まれたから。」
「初恋って事?」
「だから恋の話をかけなかったの。自分が実際体験していなかったから。」
「……。」
「どうしたらいいのかわからないのね。でも私たちが声をかける事じゃない。」
「かけても何て言えばいいかわからないよ。」
そのとき玄関からチャイムの音が聞こえた。時計を見るともう十一時をすぎている。こんなに遅い時間に誰だろう。
「はい。」
伊織が立ち上がり、玄関へ向かった。そして電気をつけると、ドアの鍵を開ける。
「どちら様……。」
そこには田島政近が居た。倫子のことは何も知らないのだろう。不機嫌そうにそこに立っている。
「よう。」
「どうしたんだ。こんな夜遅く。」
「あらこっちでネームが出来たから送ったのに返事がねぇし、電話してもでねぇから来たんだよ。困るんだよ。こっちだって締め切りがあるんだし。」
「あとにしてくれないか。」
「何で?仕事だろ?チェックしてもらわねぇとこっちだって原稿に移れねぇんだよ。原稿やってから没なんて言われたら、時間の無駄だろ?」
「仕事どころじゃないんだ。」
「仕事よりも大事な事って何だよ。こっちは飯の種だぞ。」
「倫子には言っておくから、今日は帰ってくれないか。」
「うるせぇ。そんなの関係あるか。」
伊織と政近が言い合いをしていると、奥から泉がやってきた。
「誰?伊織。」
政近の顔に、泉は首を横に振る。
「倫子に用事なら、今日は無理。」
「一日のロスがどれだけこっちが苦痛になると思ってんだよ。」
「閉じこもっているんだから。」
「閉じこもる?」
その言葉に伊織が泉の方を振り向く。言ってはいけないと。
「何があったか何てしらねぇよ。ちょっと会わせろ。」
そう言って政近は強引に家の中に入っていく。そして伊織が止めるのを聞かず、さっさと倫子の部屋のドアを開けた。
「……。」
白い布を顔にかぶせられた未来は、まるで他人のようだ。春樹はそう思いながら、ぼんやりとベッドを見ていた。
「春樹。」
年老いた母は、ずっと春樹が未来に寄り添っていたことも知っていた。だからわずかに痩せたような春樹に気を使っている。
「会社、何日か休まないとな。」
「こんな時に仕事は気にしないの。あなた……本当に仕事とここしか来ていなかったのね。」
「あぁ。そうだね。」
涙も出ないほど落ち込んでいるように見えた。好きで一緒になった二人だから春樹の好きなようにさせていたが、春樹は未来の誌をどう受け取っているのだろう。盛大な結婚式を挙げて、新婚旅行に行ったその帰りのタクシーで事故に巻き込まれたのだ。同棲もしていなかったのだから、新婚生活など全く出来なかっただろう。ただしごとと病院と家の往復の六年間だった。
幸せそうだが、どこか人間味のない春樹がやっと幸せをつかんだと思っていたのに。こんな形で別れるとは、神様も無碍なことをするものだ。
「向こうの両親は?」
「葬儀の手配をしてもらっている。」
喪主は春樹だ。そんなときに冷静になれるのだろうか。
「母さん達は一度帰るよね。」
「えぇ。お通夜は明日かしら。真理子達にも連絡をしたわ。夫婦揃ってくるわ。」
「子供達が居るんじゃないのか。」
「向こうの両親が見てくださるそうよ。」
普通の親ならそうするだろう。兄妹の妻が亡くなったのだ。それくらいの理解はする。
「悪いね。本当なら向こうで式をするんだろうに。」
「ご立派な家だもの。こちらの方が何かと都合も良いでしょうし。あなたもこちらでお世話になった人の方が多いでしょう?」
そんなものなのだろうか。家を考えるなら、藤枝家と近い家で葬儀をあげるものと思っていた。
「向こうの親に遠慮しなくていいのに。」
「本音を言うとね。」
母は少し延びをして言う。
「あちらのご両親は苦手なのよ。田舎で葬儀をするなんて言ったら、何かしら口を挟むでしょう?再婚された奥様もたぶん葬儀のことなんかわからないでしょうし。」
「そうだね。」
母らしいと思った。さっぱりして、わかりやすい。これで気が強かったら倫子に似ていると思った。
「あぁ……連絡を付けないといけないところがあった。」
「会社には連絡したんでしょう?」
「今、同居している人が居るんだ。」
「え?同棲しているって事?」
驚いたように母が聞く。しかし春樹は首を横に振った。
「いいや。同居人は俺を含めて四人。作家先生の所に間借りをしててね。」
「そう……。」
ずいぶんぼろいアパートに十年も暮らしていたのだ。何度か行ったことはあるが、アパートへ行くたびに本が増えてトランクルームを借りていると言っていた。図書館でも作るつもりかと、冗談混じりで言ったのを覚えている。同居しているのが作家というのも理解は出来る。きっと似たような人たちが集まっているのだろう。
「伊織君?あぁ……。悪いけれど、今日は帰れないかもしれない。倫子さんに伝えておいて……うん。大丈夫だ。やらないといけないこともあるし……。明日の朝に一度帰るから。うん……。葬儀場は……。」
少し人間味が出てきたと思ったのは、おそらくこの同居人達の影響だろう。そして作家。悪い人ではなさそうだ。
「藤枝さん。」
葬儀社の人が声をかけてくる。いろんな手続きをしないといけないのだろう。
「朝にそのお家へ帰るの?」
「うん。」
「必要なものは私が取りに行くわ。住所を教えてちょうだい。」
「良いよ。母さんも実家に帰るだろう?」
「そっちはいいのよ。お父さんが行くんだから。こっちへ来るときには真理子達と一緒にくるし、心配はしていないわ。」
父は転勤が多い人だった。だから身の回りのものは割と自分で何でも出来る。母が着いていなくてもいいのだろう。
小さい頃からこれが普通の夫婦だと思っていた。だが倫子とは離ればなれになりたくない。できれはずっと一緒に居たいと思う。
電話を切ると伊織はため息をついた。そして隣にいる泉を見る。
「春樹さん何だって?」
「亡くなったそうだ。」
「そう……。」
覚悟はしていただろう。だがこんなに急だと思っていなかった。倫子は二、三日前から部屋を出ていない。二人が居ないときは部屋を出ているようだが、食事すらまともにとっていないようだった。何か急ぎの仕事があるのかと思っていたが事情は違うようだ。
倫子は情緒が不安定なところがある。急に怒り出したり、泣き出すこともあったりするのは自分の中の感情の整理が出来ないからだ。
「……明日の朝に一度帰ってくるって。」
「倫子のことを見てくれるかしら。」
「え?」
「確かに倫子のしていることは不倫だわ。でも……いつも言ってた。倫子は本当に人を好きになったことがないって。それでも春樹さんのことを止められなかったのは、不倫でも何でも止められないような感情が倫子の中に生まれたから。」
「初恋って事?」
「だから恋の話をかけなかったの。自分が実際体験していなかったから。」
「……。」
「どうしたらいいのかわからないのね。でも私たちが声をかける事じゃない。」
「かけても何て言えばいいかわからないよ。」
そのとき玄関からチャイムの音が聞こえた。時計を見るともう十一時をすぎている。こんなに遅い時間に誰だろう。
「はい。」
伊織が立ち上がり、玄関へ向かった。そして電気をつけると、ドアの鍵を開ける。
「どちら様……。」
そこには田島政近が居た。倫子のことは何も知らないのだろう。不機嫌そうにそこに立っている。
「よう。」
「どうしたんだ。こんな夜遅く。」
「あらこっちでネームが出来たから送ったのに返事がねぇし、電話してもでねぇから来たんだよ。困るんだよ。こっちだって締め切りがあるんだし。」
「あとにしてくれないか。」
「何で?仕事だろ?チェックしてもらわねぇとこっちだって原稿に移れねぇんだよ。原稿やってから没なんて言われたら、時間の無駄だろ?」
「仕事どころじゃないんだ。」
「仕事よりも大事な事って何だよ。こっちは飯の種だぞ。」
「倫子には言っておくから、今日は帰ってくれないか。」
「うるせぇ。そんなの関係あるか。」
伊織と政近が言い合いをしていると、奥から泉がやってきた。
「誰?伊織。」
政近の顔に、泉は首を横に振る。
「倫子に用事なら、今日は無理。」
「一日のロスがどれだけこっちが苦痛になると思ってんだよ。」
「閉じこもっているんだから。」
「閉じこもる?」
その言葉に伊織が泉の方を振り向く。言ってはいけないと。
「何があったか何てしらねぇよ。ちょっと会わせろ。」
そう言って政近は強引に家の中に入っていく。そして伊織が止めるのを聞かず、さっさと倫子の部屋のドアを開けた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
恋愛
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。



とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる