守るべきモノ

神崎

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指輪

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 今日と明日で有給をもらった泉と伊織は、住んでいる町から二時間ほど行ったところにある温泉街にいた。田舎の駅だが、観光客向けの街なのだろう。駅の前には土産物屋や馬車なんかも走っている。
「近くに牧場があるみたいだよ。」
 伊織はしっかり用意していたガイド本を手にして、泉に見せた。
「面白そう。行ってみたいわ。」
 最初、泉は最初にデートをしたときの格好をして部屋を出てきた。だが伊織がそれを反対したのだ。こことは寒さが段違いだ。きっと寒さで凍えてしまうから、スカートよりもズボンにした方が良いと忠告した。それは倫子も同じ意見で、この季節になれば雪が降ることもあるらしい。地元の人はこの季節にスカートなど履いている人は居ないと、倫子は言った。今でこそ、倫子はミニスカートやショートパンツをはいて、わざと足を見せるような格好をしていることもある。
 だがこの街にいたときは、決してそんな格好をしなかったらしい。
 まぁ、今は倫子のことは考えないようにしよう。せっかく伊織と居るのだ。伊織と一緒の時間を楽しもう。
「バスで行けるみたいだね。」
「時間は?」
「少しあるから、少し街を散策しよう。荷物、コインロッカーに置いてさ。」
 そう言ってその駅に備え付けられているコインロッカーに伊織は、荷物を持っていった。そのときだった。
「阿川さん?って言ったか。」
 振り向くと、そこにはトレンチコート姿の男が立っていた。すらりとした身長と、オールバックの髪。とても堅気の人に見えない。
「あ、忍さん。」
「観光か。」
「はい。」
 泉の隣には男がいる。恋人なのだろう。だが男か女かわからないようなきれいな顔をしている。
「泉……誰?」
「あぁ。倫子のお兄さんよ。」
「倫子……さんの?」
 その姿から少し納得した。倫子も背が高くすらっとしているのは、きっと兄妹で似ているからだろう。そしてとても気難しい人だという。一緒に住んでいるなど言わない方がいいだろうと、わざと普段はしない「さん」をつけたのだ。
「忍さんは、今日遅出ですか?」
「あぁ。ちょっと母が入院していてね。」
「え?」
 倫子からそんな話は聞いていない。倫子ならすぐにでも様子を見に行きそうなのだが。
「聞いてない……。」
「言っていないのだから当然だ。それに、母は骨折をしているだけで今日退院するから、その手続きへ俺が行っただけだ。」
「あぁ……そうだったんですか。」
 とは言っても、不自然なことはある。どうして父親なり、奥さんなりが行かないのだろう。仕事を休んでまで忍が行く理由はない。
「牧場へ行くのか。」
「えぇ。そのつもりです。」
「いい身分のようだ。それに比べて倫子は……。」
 相変わらず倫子には否定的だと思う。家を買ったときも、泉と同居をすると言ったときも、ただ頭ごなしに反対をするだけだった。
 あまりいい関係ではなさそうだ。そう思って伊織は、周りを見渡す。すると駅の外に足湯が出来るところがあった。タオルだけは買わないといけないが、それが入浴料みたいなものだろう。
「泉。時間まで足湯に入らない?」
 伊織はそう言って泉を促す。すると泉の顔に笑顔が戻った。
「うん。そうだね。じゃあ、また。」
「ゆっくり楽しんで。」
 前に見たときは男か女かわからない感じだった。だが少しは女らしくなったように見える。男が出来るとそんなモノなのだろう。倫子もそうなればいいと思いながら、駐車場へ向かおうとした。
「あ、伊織。お金払ってくれたの?」
「良いよ。これくらい。」
「前もそんなことを言って。」
 伊織という名前に思わず振り返った。倫子は泉の他に同居している人がいるのだという。それは伊織という名前だった。名前から女性だと思っていたが、男だったのかもしれない。そう思うと、忍はその後ろ姿をじっと見ていた。

 バスで牧場へ向かっている途中、バス停が湖の側で停車した。街中にある湖は住んでいる人の憩いの場らしい。バスに乗っている人の中には釣り道具を持っている人もいる。
「何が釣れるのかな。あの湖。」
 伊織はそう言ってその湖を見ていた。だが泉はその湖を見て、さっと視線を逸らす。
「何だろうね。淡水だし……ヤマメとかかな。」
「ウナギは居ないのかな。」
「ウナギは川だよ。」
 泉はそう言って少し笑った。
「後であそこにも行ってみない?ガイドブックに載ってる。散歩コースにちょうどいいんだって。」
 すると泉は少し首を横に振る。
「何で?」
「あの湖、たぶんだけど……。」
 あの湖の側に、倫子の祖母がしていたカルチャーセンターがあったはずだ。火事で焼けてしまったので、今は何も無くなっているが。
「カルチャーセンター?」
「私も話しか聞いたことがないの。……倫子の母方のお祖父さんが残した遺産だって言ってたわ。」
「それがカルチャーセンターだったの?」
「元々はそのお祖父さんの持ち物だったみたい。だけど、それを維持できなくなったし、建物自体にも歴史があったから市に寄贈したんですって。」
 どうやらずいぶん資産家だったらしい。だがそれもなくなってしまえば終わりだ。
「それに、牧場は結構遊ぶところがあるよ。散歩なんか出来るかしら。伊織、普段ずっと座りっぱなしでしょ?」
「体力はあるよ。」
「どうかな。あぁ、そうだ。あそこのソフトクリーム食べたい。搾りたての生乳で出来てるんですって。」
 バスが動き出して、泉はいつも通りになった。バスから少し学校が見える。おそらく、そこが忍のいる高校なのだろう。
 そして倫子もここに通ったのだ。倫子はこの街では肌を隠すように過ごしていたらしい。なるべく目立たないように、なるべく空気で居るように。
 今の倫子からは考えられない。
 この街にはいたるところに倫子の痕跡が見える。「こんなことをしたのではないか」と想像できた。
 もし倫子と一緒だったら、そう言うことも話せたのかもしれない。伊織はそう思いながらガイドブックに目を落とした。
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