135 / 384
指輪
135
しおりを挟む
厚手のパーカーの下はセーターを着ている。セーターの下から手を入れればすぐにその胸に触れることが出来るだろう。目線はにらんでいるが、顔は赤い。さっきのキスできっと感じてしまったのだ。だとしたら胸に触れれば完全に求めてくる。政近はそう確信して、セーターの下から手を入れようとした。そのときだった。
テーブルの上の携帯電話が鳴る。それに反応して一瞬手が止まった。倫子は政近の体を押しのけると、テーブルに置いていた携帯電話を手にした。相手は「戸崎出版」となっている。
「もしもし……あ、はい。先ほど届きました。」
相手は春樹だ。倫子が予想したとおり、送ってきた本はサインをして送り返して欲しいというモノだったのだ。
「見開きですか?はい……。いつまでに……。」
もう仕事の顔だ。こちらを見ることはないのだろう。政近は体を起こすと、その流れているDVDの再生を止めた。そしてソフトを取り出すと、倫子も電話を切る。
「忙しいみたいだな。」
「帰って。」
「また来るよ。」
「打ち合わせなら外でするわ。それに連絡してくれないと困るのよ。」
それにこんなことが何度もあっては困るのだ。そう言いたかった。なのに、政近は反省するどころか、無防備にノートを片づけている倫子の手を引くと、また軽く唇を重ねた。
「何するのよ。」
「嫌じゃねぇんだろ。」
「勝手に想像しないで。」
ため息をついて、倫子はストーブの火を消した。
かすかに聞こえたのは何だったのだろう。女のあえぎ声にも聞こえたが、資料としてAVでも観ていたのだろうか。春樹はそう思いながら、電話を受話器に置く。
今日の夜は伊織も泉も居ないはずだ。妻のところへ行って、そのまままっすぐ帰ろう。こんな日は滅多にないのだ。ゆっくり倫子との時間を過ごせればいい。そう思っていた。
「編集長。」
今日は加藤絵里子がいない。有給をまとめてとって、海外へ行っているらしいのだ。なので、絵里子の仕事の分も分担してみんなでこなしているが、どうしてもわからないことなどは春樹に聞いてくる。だから春樹も仕事がなかなか進まない。
「そうだね。こっちのレイアウトが良いかな。それから吉村先生の次作だけど、出来たらチェックしたいからこっちに回してくれるかな。」
「はい。」
絵里子を明らかに狙っているであろう男は、絵里子がいないからだろうかどことなく覇気がない。こんなことでは困るんだが。春樹はそう思ってパソコンに目を移す。
だがその男とは違って、自分は浮かれている。絵里子が居ない分、仕事が多いが、早く片づけて妻のところへ行く。そして家に帰って倫子と過ごしたい。セックスはしてもしなくてもいい。ただ一緒にいたいというだけだ。
そしてしばらくするとオフィスに浜田高臣がやってきた。
「お疲れさまです。」
周りの人たちに挨拶をして、まっすぐに春樹のところへやってくる。そしてその手には何か資料が握られていた。
「藤枝編集長。ちょっと良いですか。」
あまり良くはないが、浜田も忙しいのだ。それにきっとここにやってきたのは倫子と田島政近の合作の読み切りの話だろう。
「どうしたの?」
「人物設定の修正があるということで、田島先生から送られてきたんですよ。」
「まだ人物設定の話をしているの?二号連続の読み切りといっていたけれど、ちょっと時間がかかりすぎじゃないかな。」
「浜田先生は筆が早いから、話さえ決まればすぐに描いてくれるんです。でも……ちょっと見て欲しいんですよ。」
そう言って浜田は持っていた資料を春樹に手渡した。それを観て春樹は少し驚いたように資料をみる。
キャラクター設定の中で、倫子と政近が希望したとおり女装した男がいた。どこかの国の映画に出てくるベルベットをふんだんに使ったフリル付きのジャンパースカート。背は高いのに十センチはありそうなピンヒールを履いて、その身長はどのキャラクターよりも背が高い。だからこそ、このキャラクターがキーマンになるといっていた。
最初の設定では、この男は女装が趣味で男装も出来るということだった。だが今回の設定では、もうこの男は男に戻ることは出来ない。裸になれば胸がある。女性のような体つきなのに、性器だけはあるという設定になっていた。
「これは……話には聞いたことがあるけど、シーメールってヤツだね。」
「えぇ。今の流行りで男の娘っていうのを出すっていうのは、ある程度上にも理解されていたんです。でもこれは違う。相関図では死んだ男の恋人という形ですが、浮気相手は女性です。」
「博愛だねぇ。」
その設定を見て春樹は少し笑った。だが浜田は真剣に春樹に言う。
「あり得ないだろうと上が言ってるんです。男も女も愛せるなんて……。」
「バイセクシャルと言うことだろう。そしてその相手が異性だと同性だろうと、安心は出来ないと言うことを言いたいのかもね。」
倫子らしいと思った。男だの女だのという性差を嫌っている。それは恋愛に対しても一緒なのかもしれない。
「けれどこれは読者層を限らせる。前の設定に戻してもらえるように、小泉先生に言ってもらえませんか。」
おそらく浜田の口から田島に言ったのだろう。だが田島は聞く耳を持たない。だから春樹の口から倫子に言って、止めてもらおうと思っていたのだ。
だが春樹は、少し笑っただけで机の上に資料を取り出した。
「浜田君。これを見て。」
「……何ですか?」
「今うちで書いている小泉先生の「花柳」という小説の設定。そこに「葉叶」という遊女が出てくる。主人公である花柳よりも上位の遊女で、葉叶は絶対に人に体を見せない。男をとることがあっても、男にも体を見せない。それは、葉叶が両性具有だからという設定だ。」
「両性……。」
男の性器も、女の性器も持ち合わせた人。今であれば、どちらかを選択するのだろうが、その時代に出来るわけがない。
「最初に設定を見たときに確かに驚いた。だけど無い話ではないし、そう言う人が生きづらいというのもスポットを当てている。プロットが出来次第、もしそのシーメールを出す意味を見いだせなければ、前の設定に戻してもらえばいいだろう。」
「しかし……。」
「小泉先生は一貫して、性差別というのを嫌っている。もし君がシーメールについて気分が悪いというのであれば、小泉先生はきっと二度と君とは仕事をしないだろうね。」
「……わかりました。プロットを見て判断します。」
「じゃあ、そう言うことだ。」
春樹はそう言って資料をしまうと、元の仕事に戻った。浜田はため息をつくと、オフィスをあとにする。やはり相手にはしてもらえなかったと。
そしてやはり倫子をかばっている節があると確信した。
元々春樹は作家に対して思いやりが深く、それが作家の信頼を得ているところに繋がるのだろう。だが倫子に対しては少し異常だと、前々から言われていることだった。
前から二人で歩いているところを見たり、一緒に暮らしているという噂もあるくらいだ。だが春樹には妻がいる。五年間も寝たきりの妻だが、まだ妻なのだ。
それを裏切って倫子に転がったとなれば、春樹の地位が危うくなるだあろう。それを狙っている人がいるのもまた事実なのだ。
テーブルの上の携帯電話が鳴る。それに反応して一瞬手が止まった。倫子は政近の体を押しのけると、テーブルに置いていた携帯電話を手にした。相手は「戸崎出版」となっている。
「もしもし……あ、はい。先ほど届きました。」
相手は春樹だ。倫子が予想したとおり、送ってきた本はサインをして送り返して欲しいというモノだったのだ。
「見開きですか?はい……。いつまでに……。」
もう仕事の顔だ。こちらを見ることはないのだろう。政近は体を起こすと、その流れているDVDの再生を止めた。そしてソフトを取り出すと、倫子も電話を切る。
「忙しいみたいだな。」
「帰って。」
「また来るよ。」
「打ち合わせなら外でするわ。それに連絡してくれないと困るのよ。」
それにこんなことが何度もあっては困るのだ。そう言いたかった。なのに、政近は反省するどころか、無防備にノートを片づけている倫子の手を引くと、また軽く唇を重ねた。
「何するのよ。」
「嫌じゃねぇんだろ。」
「勝手に想像しないで。」
ため息をついて、倫子はストーブの火を消した。
かすかに聞こえたのは何だったのだろう。女のあえぎ声にも聞こえたが、資料としてAVでも観ていたのだろうか。春樹はそう思いながら、電話を受話器に置く。
今日の夜は伊織も泉も居ないはずだ。妻のところへ行って、そのまままっすぐ帰ろう。こんな日は滅多にないのだ。ゆっくり倫子との時間を過ごせればいい。そう思っていた。
「編集長。」
今日は加藤絵里子がいない。有給をまとめてとって、海外へ行っているらしいのだ。なので、絵里子の仕事の分も分担してみんなでこなしているが、どうしてもわからないことなどは春樹に聞いてくる。だから春樹も仕事がなかなか進まない。
「そうだね。こっちのレイアウトが良いかな。それから吉村先生の次作だけど、出来たらチェックしたいからこっちに回してくれるかな。」
「はい。」
絵里子を明らかに狙っているであろう男は、絵里子がいないからだろうかどことなく覇気がない。こんなことでは困るんだが。春樹はそう思ってパソコンに目を移す。
だがその男とは違って、自分は浮かれている。絵里子が居ない分、仕事が多いが、早く片づけて妻のところへ行く。そして家に帰って倫子と過ごしたい。セックスはしてもしなくてもいい。ただ一緒にいたいというだけだ。
そしてしばらくするとオフィスに浜田高臣がやってきた。
「お疲れさまです。」
周りの人たちに挨拶をして、まっすぐに春樹のところへやってくる。そしてその手には何か資料が握られていた。
「藤枝編集長。ちょっと良いですか。」
あまり良くはないが、浜田も忙しいのだ。それにきっとここにやってきたのは倫子と田島政近の合作の読み切りの話だろう。
「どうしたの?」
「人物設定の修正があるということで、田島先生から送られてきたんですよ。」
「まだ人物設定の話をしているの?二号連続の読み切りといっていたけれど、ちょっと時間がかかりすぎじゃないかな。」
「浜田先生は筆が早いから、話さえ決まればすぐに描いてくれるんです。でも……ちょっと見て欲しいんですよ。」
そう言って浜田は持っていた資料を春樹に手渡した。それを観て春樹は少し驚いたように資料をみる。
キャラクター設定の中で、倫子と政近が希望したとおり女装した男がいた。どこかの国の映画に出てくるベルベットをふんだんに使ったフリル付きのジャンパースカート。背は高いのに十センチはありそうなピンヒールを履いて、その身長はどのキャラクターよりも背が高い。だからこそ、このキャラクターがキーマンになるといっていた。
最初の設定では、この男は女装が趣味で男装も出来るということだった。だが今回の設定では、もうこの男は男に戻ることは出来ない。裸になれば胸がある。女性のような体つきなのに、性器だけはあるという設定になっていた。
「これは……話には聞いたことがあるけど、シーメールってヤツだね。」
「えぇ。今の流行りで男の娘っていうのを出すっていうのは、ある程度上にも理解されていたんです。でもこれは違う。相関図では死んだ男の恋人という形ですが、浮気相手は女性です。」
「博愛だねぇ。」
その設定を見て春樹は少し笑った。だが浜田は真剣に春樹に言う。
「あり得ないだろうと上が言ってるんです。男も女も愛せるなんて……。」
「バイセクシャルと言うことだろう。そしてその相手が異性だと同性だろうと、安心は出来ないと言うことを言いたいのかもね。」
倫子らしいと思った。男だの女だのという性差を嫌っている。それは恋愛に対しても一緒なのかもしれない。
「けれどこれは読者層を限らせる。前の設定に戻してもらえるように、小泉先生に言ってもらえませんか。」
おそらく浜田の口から田島に言ったのだろう。だが田島は聞く耳を持たない。だから春樹の口から倫子に言って、止めてもらおうと思っていたのだ。
だが春樹は、少し笑っただけで机の上に資料を取り出した。
「浜田君。これを見て。」
「……何ですか?」
「今うちで書いている小泉先生の「花柳」という小説の設定。そこに「葉叶」という遊女が出てくる。主人公である花柳よりも上位の遊女で、葉叶は絶対に人に体を見せない。男をとることがあっても、男にも体を見せない。それは、葉叶が両性具有だからという設定だ。」
「両性……。」
男の性器も、女の性器も持ち合わせた人。今であれば、どちらかを選択するのだろうが、その時代に出来るわけがない。
「最初に設定を見たときに確かに驚いた。だけど無い話ではないし、そう言う人が生きづらいというのもスポットを当てている。プロットが出来次第、もしそのシーメールを出す意味を見いだせなければ、前の設定に戻してもらえばいいだろう。」
「しかし……。」
「小泉先生は一貫して、性差別というのを嫌っている。もし君がシーメールについて気分が悪いというのであれば、小泉先生はきっと二度と君とは仕事をしないだろうね。」
「……わかりました。プロットを見て判断します。」
「じゃあ、そう言うことだ。」
春樹はそう言って資料をしまうと、元の仕事に戻った。浜田はため息をつくと、オフィスをあとにする。やはり相手にはしてもらえなかったと。
そしてやはり倫子をかばっている節があると確信した。
元々春樹は作家に対して思いやりが深く、それが作家の信頼を得ているところに繋がるのだろう。だが倫子に対しては少し異常だと、前々から言われていることだった。
前から二人で歩いているところを見たり、一緒に暮らしているという噂もあるくらいだ。だが春樹には妻がいる。五年間も寝たきりの妻だが、まだ妻なのだ。
それを裏切って倫子に転がったとなれば、春樹の地位が危うくなるだあろう。それを狙っている人がいるのもまた事実なのだ。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
恋愛
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。



とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる