守るべきモノ

神崎

文字の大きさ
上 下
128 / 384
素直

128

しおりを挟む
 自転車を引きながら、二人で家へ帰っていた。恋人ではなくても、男女の組み合わせの二人をナンパしようという人は居ない。それだけでも春樹が居て良かったと思う。
「いつもよりも荷物が多いね。」
 春樹の荷物は仕事の道具と妻の洗濯物が詰まったバッグだが、倫子はいつもよりも大きなバッグを持っていた。家出でもするような荷物だと思う。
「カフェで仕事をしていたわ。」
「作家によっては自宅よりもカフェなんかの方がはかどるって人もいるけどね。君はそういう風に見えなかったんだけど。」
「雑音があると気が散るわ。かといって音楽には興味がないし。」
「格好だけでいうとハードロックとか、パンクが好きそうに見えるけどね。」
「そういえば政近も同じことを言われたって言ってたわね。でも彼の場合、音楽を全く聴かないってわけじゃないみたい。」
 政近とは気が合う感じがした。だがもう家に呼ぶことはないだろう。打ち合わせにしてもカフェを選択しよう。
「田島先生はもう家に呼ばないで欲しい。」
 春樹は倫子の頭の中がわかっているかのようにそういった。
「私もそう思っていたわ。二人きりの状況は良くないみたい。一緒の布団にいても何もないから油断したのが悪かったのね。」
「それも嫉妬したよ。」
 一緒の布団で寝ることはほとんどなかった。何度かセックスをしたがそれは隠れながらの行為で、表だって堂々と出来ることではなかった。泉にも伊織にも内緒にしないといけないのだ。
 布団で寝るくらいなら、倫子も何も思わなかったはずだ。だが不意にキスをされたのだという。それがきっかけで、おそらく政近は倫子の性癖に気がついた。だからカフェで仕事をしていた倫子に声をかけてきたのだ。
「政近は家に来いって言っていたけれど、もう二人きりにはならないわ。」
「家に?」
 のこのこ襲われに行くようなものだ。そんなことをしたくない。
「漫画は、小説と違って制約が多すぎるわね。だからチェックして欲しいとは思ったけど……。」
「詳しいことは浜田君に聞いた方がいいかもしれないな。」
「あの人も嫌よ。」
「悪い人じゃないよ。強引だけどね。」
「思い出したのよ。あの人。」
 大学の時、倫子はほとんどの時間を講義、サークル、バイト、残った時間を執筆と、図書館で過ごしていた。サークルの中でも執筆しかしていなかった倫子は浮いていたのだろう。
 大学の学食で定食を食べていた倫子の隣に座ってきた浜田は、自分が入っていたサークルのメンツと、漫画の話をしていた。
「漫研だったのよ。」
 そこでの会話を倫子は覚えている。小説よりも漫画の方が優れているとずっと言っていたのだ。それに倫子は腹を立てて、食べ終わった定食のトレーを手に返却口へ行こうとした。そのときだった。
「小泉さん。漫研のホープが居るんです。ほらあなた、この間、小説のデビューが決まったって聞いたし、原作を書いてもらえませんか。」
 これだけ小説をバカにしていたのに、その原作を書けと言う浜田の図々しさに倫子は少し呆れていた。
「やです。さようなら。」
 そういって倫子はもう二度と浜田に近づこうとはしなかった。あの男が持ってきた話であれば、プロになって売れっ子になったとしても受けることはないだろうと思っていたのだ。
「なのに、結局は受けた。」
「そうね。浜田さんよりも、政近のあの絵には少し注目するところがあったから。」
 絵は綺麗だと思った。まるで絵画のようだと思う。それにキャラクターが魅力的であれば、売れるかもしれないと思ったのだ。
「こだわりは強そうな人だ。まだアシスタントをしないといけないくらいみたいだけど、一本いい作品がでればそれもしなくて済むんだけどね。だから君と組むって聞いたときは、あぁ売れるだろうなと俺も思った。だけど……正直、複雑だよ。」
「え?」
「君が俺の手を放れていくようでね。」
 デビューの時からずっと面倒を見ていた。しかし今度の話は、春樹は全く手を出していない。もしこの作品が売れるようであれば、本格的に春樹の手から離れるだろう。
「……離れないわ。」
 倫子は足を止めて春樹を見上げる。
「もし、担当を離れても、あなたとの繋がりはずっと持っていたいと思うの。……一番大事なところを教わったと思うから。」
 セックスだけではない。嘘でも愛していると口にしたのだ。倫子が意地でも口にしなかった言葉。それを春樹は言わせた。それはすなわち、本心からの言葉なのだ。
「そんなことを言われたら、帰したくなくなるな。」
 コンビニの裏手にラブホテルがある。いつか泉や伊織に隠れるようにしていったところ。
「今の時間なら休憩できるよ。」
「嫌よ。泉が心配なの。」
「泉さんには伊織君がついているよ。」
 確かにそうだ。倫子は言葉に詰まった。だが泉の顔色が相当悪かったのに、のこのこ春樹とラブホテルへ行ってセックスなど出来るはずがない。
「気もそぞろになるわ。集中できない。」
「させないよ。」
「すごい自信ね。」
 呆れたように倫子は言うと、春樹はそのサドルを握る手に手を重ねた。
「自転車を置いてくる?それから泉さんの様子を見てきてここに戻って来るとか。」
「……。」
 政近にキスをされた。それが嫌で、そしてそれを上書きして欲しいと思う。
「倫子が欲しい。」
 迷っていた。泉が伊織を選んだように、倫子も春樹を選ぶべきなのかもしれない。奥さんのことは気にならないわけではないが、自分がなにを求めているかと考えれば、答えはすぐにでる。春樹が欲しいと思ったのだ。
「自転車を置いて、泉の様子を見るわ。それからどうするか決めてもいい?」
 いつもなら嫌よ、と言って素直にならないのに今日は妙に素直なのは酒の影響だけではないだろう。政近とのキスが本当に嫌だったのだ。
 そのときだった。コンビニの裏手から、三人の男が出てきた。その男の一人を見て、倫子は驚いたように視線をはずせなかった。
「栄輝。」
 倫子の弟である小泉栄輝。金色の髪で、どこかのアイドルのような容姿だった。そしてその横にいるのもタイプは違って髭でがたいのいい男ともう一人はあまりその二人には合っていないような太ったスーツ姿の男だった。
 その男を見て、春樹も驚いたようにみる。
「鈴木編集長ですか?」
 するとその鈴木と言われた男は、春樹を見てさっと視線をそらせた。
 倫子も春樹も栄輝のバイトのことは知っていた。つまり、三人でするようなプレイをしたあとのことなのだろう。倫子は深くため息をつくと、足を家の方へ向けた。
「人違いね。藤枝さん。すいません。足を止めてしまって。」
「いいえ。俺も似たような人だと思っただけですから。」
 そういって二人はその場をあとにした。見なかったことにしようと倫子は震える手を押さえて家へ向かっていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

М女と三人の少年

浅野浩二
恋愛
SМ的恋愛小説。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
恋愛
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

処理中です...