守るべきモノ

神崎

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素直

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 帰って行く四人の後ろ姿をじっと見て、絵里子はため息をついた。そして昔のことを思い出していた。絵里子や未来が入社した頃、春樹はまだ一編集員だった。作家に対する思い入れが強く、作品のためなら時間を惜しむことも手間を惜しむこともない。その姿勢は作家に信頼をずっと得ているような気がした。
 作品が出来ない、書けないとの相談は今でも担当編集者をすり抜けて春樹の元へ届くようで、同僚の編集者にアドバイスをしていた。それは絵里子も一緒で、春樹から言われていたのは「もっと作家に寄り添える編集者になれ」ということで、絵里子はその辺がいつも淡泊なのを突っ込まれていた。
 しかし絵里子はどうしても作家個人にそこまで思い入れを持つことが出来ない。男の作家であれば絵里子に手を出そうという作家もいるし、女だったら嫉妬される。それがとても嫌だった。
 だから春樹の男と女という垣根を越えた信頼関係を羨ましく思うこともある。だが今の倫子との関係はその域すら越えているように見えた。
「本当に作家と担当編集者の関係だけなの?」
 最近、噂されていることだった。売れているが気むずかしい倫子を、どうしてそこまで手名付けることが出来ているのか、ほかの編集者には不思議なのだろう。だから噂では、倫子とただならぬ関係であるということも囁かれている。その噂は当の春樹の耳にも届いているはずだが、春樹はそんな噂を気にすることなく毎日未来の所に通っているらしい。
 未来だけなのだ。倫子など見ているわけがない。絵里子はそう信じながら、三人はタクシーで春樹だけは駅の方向へ向かっているのを見ていた。

 タクシーの中で倫子は携帯電話にメッセージを入れていた。春樹のことが気になったからだ。顔は赤いだけで酔っていないと思っていたが、足取りはそこまでしっかりしているというわけではなかったと思う。
「倫子はこのまま仕事をするの?」
 倫子は助手席に座っていた。携帯電話を閉じると、伊織の言葉に少しうなづく。
「そうね。」
「ボトル開けただけじゃなくて、グラスワインも飲んでたのに。」
 泉も呆れように倫子を見る。倫子の酒の強さを考えれば、あの酒の量はきっと「物足りない」くらいだろう。
「漫画雑誌のプロットを練り直したいのよね。それにしても制約が多すぎるわ。」
 月刊の漫画雑誌は、少年誌ではなく青年紙に部類する。ほかの作品を見ていれば、ヤクザものだったり全裸に近いような水着を着ている女のキャラクターが描かれている。だがセックスシーンは禁止だ。エロ雑誌ではないのだから。その他にも殺人をするシーンを直接描いてはいけない、キスシーンすら制約がある。
「……その分、トリックと心情を重視しないといけないわね。」
「心情ねぇ。人殺しが何を理由に殺すのかなんて、考えるのかしら。」
「生まれながらに殺人者はいないよ。」
 泉はそう言うが、伊織も倫子もそうは思わない。殺したいから殺したという人間もいるし、死ねばまた次が生まれるという人間もいるのだ。
「あ、運転手さん。そこで降ろしてください。」
 倫子が指定したのは、駅の前だった。
「どこかに寄るところがあるの?」
「泉。鍵を貸して。」
「鍵?」
「自転車。ここに置いているんでしょう?」
「あぁ。」
 泉の様子では自転車を引いて歩いて家に帰れないと思った。電車ほどではないが、タクシーの揺れでさっきよりも顔色が良くない。家に着いたとたんに吐いてしまうかもしれないのだ。
「伊織。ちゃんと寝かせてね。」
「わかってる。倫子もまっすぐ帰ってきて。」
 電車には春樹が乗っている。そのまま二人でどこかへ行くのも考えられなくはない。だから伊織は釘を差したのだ。
 だが倫子はきっと春樹よりも泉の方を大切に思っているところがある。その心配はないかもしれない。そう思いながら、タクシーを降りる倫子を見ていた。
「これでタクシー代払って。」
 伊織にお金を渡そうとした。しかし伊織はそれを受け取らない。
「食事も倫子が出しただろう?良いよ。」
「でも……。」
「良いから。これくらいは出すよ。」
 お金を結局受け取らず、タクシーは行ってしまった。そのテールランプを見て、倫子は少しため息をつく。
 もう泉は倫子の隣にはいないのだ。泉の隣には伊織がいる。誰よりも大切にしているから、滅多に手を出さない。恋人は性処理の道具ではないのだから。
 羨ましかった。二人きりになれば、常に手を出してこようとする春樹とは違う。それくらい大事にされているのだと思うと、嫉妬しそうになる。
「いつまでも平行線じゃないわよね。」
 いつか別れるのだ。そしてあの家だって、いずれ一人で住むのだと思う。そのために買った家なのだ。
 駅の前にはまだ人が多い。電車が通っているので、会社帰りの人や酒を飲んだ人らしき人もいる。飲み足りないのか、駅前にある居酒屋へそのままなだれ込む人や、スナックへ足を運ぶ人も居た。
「こんばんわー。おねーさん。一人?」
 声をかけられて、倫子は振り返ると、そこには軽薄そうな若い男の二人組がいる。耳にピアスをあけていたり、髪が金色だったりするのがどうも資料で見たAV男優に見えた。
「一人は、一人。だけどもう帰るの。」
「帰る前に一杯飲まない?」
「飲まない。」
 確かに酒は足りないようだが、こんな輩とは飲みたくない。仕事のネタにもならないし、ましてやセックスもしたくない。
「あ、俺らだけじゃないよ。そこの居酒屋に仲間が居てさ、男ばっかだしおねーさんがいたらいいなぁって思って。」
 だったら他の奴と飲めよ。倫子は心の中で悪態をつき、自転車置き場の方へ向かおうとした。すると、ぐっと上着の袖を引かれて、襟刳りが露わになる。そこからは黒い竜の入れ墨が見えて、男達は顔を見合わせた。
 デリヘル嬢か、キャバクラの店員かもしれないと思ったのだろう。だとしたら、二人まとめてやれるかもしれない。安易な答えに、男達は思わず笑い合う。
「服を引っ張らないで。伸びるじゃない。」
「あーごめん。ごめん。」
 上着を着直すと、倫子はふと駅の方をみる。すると電車が着いたらしく、降りてきた人の中に春樹の姿があるのを見かけた。
 男達を振り切って倫子はそちらへ駆け寄る。
「春樹さん。」
 声をかけられるとは思っていなかった春樹は、驚いて倫子の方を見た。
「倫子さん。帰っていなかったの?」
「えぇ。」
 そういって倫子はわざと春樹の腕を手に取る。その様子に男達は顔を見合わせて、他に降りてきた女に声をかけていた。その様子をほっとしたように倫子は見て、腕を放す。
「ナンパ?」
「わざわざこんなところでナンパしなくてもいいのに。」
 倫子は呆れたように、ため息をついた。
「で、何をしていたの?別にナンパを待っていたわけではないんだろう?」」
 ネタのためならそれくらいはしそうだが、今の様子では倫子の意志ではないのだろう。
「泉の自転車を引いて帰ろうと思っていたの。」
「あぁ……。」
 元々食事に行くつもりではなかったし、酒を飲む予定もなかった。だから泉達はそのまま帰ったのだろう。泉は明日自転車がなければ、不便だろうという倫子の気遣いだった。
「一緒に帰ろうか。またナンパが来ても悪いだろうし。」
「そうね。」
 泉が伊織を頼るように、倫子も春樹を頼って欲しいと思う。今の倫子は、とても不安定だと思うから。
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