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秘密
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おそらく一番あとに待ち合わせにくるのは春樹だろうと思いながら、倫子はカフェの一角でパソコンを開いていた。官能小説の続きを書いていているのだ。まさか涼しい顔をしてパソコンと向き合っている倫子が、男と女のあれこれを書いているとは思わないだろう。
ミステリーではないのでトリックなどはいらない。とすれば大事なのは心情だ。遊郭の中の遊女とそこで働く男衆との恋など、今の世の中に代えてみればソープランドの女性とその身の回りのことをする男のことだろうか。そう言った人たちは女性に手を出すことは許されないのは、どの時代でも一緒なのだ。
ソープランドでソープ嬢に手を出した男は、有無もいわずに辞めさせるらしい。確かに働いているのに恋愛関係などになってしまえば、トラブルの元になるのは目に見えている。それは、作家と編集者にも通じるところがあるだろう。
そう思うと倫子の手が止まる。こんなことは辞めなければいけないという誰かと、辞めたくないという誰かと、ずっと自分の中で葛藤をしていたのだ。今日も春樹は奥さんの所へ行ってから来るのだろう。
意識の無い春樹の奥さんは、眠ったままだったのに綺麗だと思った。このまま奥さんが起きたとき、倫子を見てどう思うだろう。汚く罵るのだろうか。それともせっかく起きたのにまた死を選んでしまうのだろうか。どちらにしても罪深い。なのに離れられないのは、自分の弱さだ。
手元にあるコーヒーに口を付ける。辞めよう。もう考えないようにして、とにかく自分の仕事をこなさなければいけない。そう思いながら、またパソコンのキーボードに手を伸ばす。そのときだった。
「倫子。」
声をかけられて、倫子は前を見る。そこには田島政近の姿があった。今朝とは違うジーンズ地のジャンパーと革のパンツが、さらにロックでもしているような容姿に見えた。
「こんなところで仕事か?」
「えぇ。待ち合わせをしているの。あなたは?」
政近の手にも紙のカップが握られている。そしてもう片方には大きなバッグが肩からかけられていた。おそらくその中は、画材やスケッチブックだろう。
「知り合いの所にアシスタントしてきた。」
「自分の仕事もあるのに、アシスタントもしているの?」
「あぁ。自分のだけじゃ食っていけないからな。」
そう言って政近は向かいの席に座った。そしてそのパソコンを覗き見る。
「辞めてよ。まだ書いている途中なのよ。」
「官能小説か?」
「そう。」
「あぁ。なんか書くって噂で聞いたよ。どこだったかで書いた官能小説が話題だったんだろう?」
「らしいわね。」
「気にしていないのか?」
「自分の手から放れたものに興味はないの。」
倫子の作品はドラマや映画になったこともある。映画は評判が良かったが、ドラマはイマイチだという意見だ。政近も見たことはあるが、イメージとかけ離れていると思っていた。
「浜田さんにプロットを見せたよ。」
「どうだった?」
「んー。クローズド・サークルも良いけど、最初は読み切りで様子見のつもりだから、違うもので攻めてもいいんじゃないかって。」
「……。」
主人公の探偵だけが姿が見えない。だとしたらどうすればいいだろう。
「叙述トリックってのはどうだろうか。」
その言葉に倫子は眉をひそめた。だが政近は、バッグの中からスケッチブックを取り出して、倫子に犯人の男のページを見せる。どこでもいるような気の弱い男だ。
「こいつが語り部。」
「叙述トリックは、犯人に見せないことが大前提よ。そうなると、あなたの腕にもかかってくる。」
「その辺は任せておけよ。」
「大した自信ね。」
倫子はそう言って少し笑った。そしてまたコーヒーに口を付ける。その赤い唇に、今日キスをした。無理矢理やったようなものだし、そのあと相当抵抗された。卑怯者とののしり頬をはたかれたが、その顔は赤く染まっていた。おそらくサディストのような容姿なのだが、根底はマゾヒストだ。それが一気に倫子自身に興味がでる。
「プロットが出来たら、また部屋に行っていい?」
その言葉に倫子は眉を潜ませる。部屋へ来れば、手を出してくるだろう。そういう男なのだ。
「嫌よ。他の住人にも迷惑がかかるから、これっきりにしてくれる?」
「富岡だろ?別にあいつ気にしねぇよ。」
そう言えば知り合いだったのだ。きっと倫子や泉よりも伊織のことをよく知っているだろう。
「泉がいやがるわ。」
「だったら、俺の家に来るか?」
家に来ればいい。そうすれば自由は利かないだろう。泣いても騒いでも、誰も文句は言わないのだ。首もとから伸びる入れ墨を見たい。泣いて懇願して求められたいと思う。
「こういうカフェにしましょう。他人の家もあまり好きじゃないの。」
「藤枝さんとはどこでしてんの?あの人、編集長だからしょっちゅうでてないと思ってたけど。」
春樹のことを出されると弱い。やっていることは不倫なのだし、こっちが弱いのは目に見えている。
「関係ないでしょう?」
「そうやって突っぱねてたら、どこから漏れるかわかんねぇよ。」
「脅す気?」
その言葉に政近は、少し笑う。
「悪いことをしてるって思うんだったら、俺の所に来いよ。あんたの家なら、他の住人が邪魔をするかもしれないし。」
「……。」
「いっとくけど俺には後ろ暗いところはねぇから、脅しは利かない。連絡しろよ。」
そのとき、店内に二人の男女が頼んだコーヒーを片手に倫子のそばに近づいてきた。
「倫子。待った?」
泉と伊織は、向かいに座っている政近を見て少し口をとがらせる。
「田島。また倫子さんに近づいているのか?」
伊織はそう聞くと、政近はコーヒーを手にして立ち上がった。
「別に見かけたから声をかけただけ。」
「どうだろうな。」
その言葉に政近は伊織の方を見て、ため息をつく。
「倫子。富岡が居て良かったな。」
「え?」
「連絡しろよ。」
そう言って政近は立ち上がると、カップを持って店外に行ってしまった。
「何だ。あいつ。」
「……。」
伊織はそう言って政近の座っていた席に座り、その隣に泉は座った。
「伊織。あの人、大学の時に何かあった?」
すると伊織はコーヒーを口に入れて、少しため息をついた。
「あまり気持ちのいい話じゃないよ。」
大学生活は悪くなかった。だが政近という汚点がいつも暗い影を落とす。そしてそれは政近も同じだった。
ミステリーではないのでトリックなどはいらない。とすれば大事なのは心情だ。遊郭の中の遊女とそこで働く男衆との恋など、今の世の中に代えてみればソープランドの女性とその身の回りのことをする男のことだろうか。そう言った人たちは女性に手を出すことは許されないのは、どの時代でも一緒なのだ。
ソープランドでソープ嬢に手を出した男は、有無もいわずに辞めさせるらしい。確かに働いているのに恋愛関係などになってしまえば、トラブルの元になるのは目に見えている。それは、作家と編集者にも通じるところがあるだろう。
そう思うと倫子の手が止まる。こんなことは辞めなければいけないという誰かと、辞めたくないという誰かと、ずっと自分の中で葛藤をしていたのだ。今日も春樹は奥さんの所へ行ってから来るのだろう。
意識の無い春樹の奥さんは、眠ったままだったのに綺麗だと思った。このまま奥さんが起きたとき、倫子を見てどう思うだろう。汚く罵るのだろうか。それともせっかく起きたのにまた死を選んでしまうのだろうか。どちらにしても罪深い。なのに離れられないのは、自分の弱さだ。
手元にあるコーヒーに口を付ける。辞めよう。もう考えないようにして、とにかく自分の仕事をこなさなければいけない。そう思いながら、またパソコンのキーボードに手を伸ばす。そのときだった。
「倫子。」
声をかけられて、倫子は前を見る。そこには田島政近の姿があった。今朝とは違うジーンズ地のジャンパーと革のパンツが、さらにロックでもしているような容姿に見えた。
「こんなところで仕事か?」
「えぇ。待ち合わせをしているの。あなたは?」
政近の手にも紙のカップが握られている。そしてもう片方には大きなバッグが肩からかけられていた。おそらくその中は、画材やスケッチブックだろう。
「知り合いの所にアシスタントしてきた。」
「自分の仕事もあるのに、アシスタントもしているの?」
「あぁ。自分のだけじゃ食っていけないからな。」
そう言って政近は向かいの席に座った。そしてそのパソコンを覗き見る。
「辞めてよ。まだ書いている途中なのよ。」
「官能小説か?」
「そう。」
「あぁ。なんか書くって噂で聞いたよ。どこだったかで書いた官能小説が話題だったんだろう?」
「らしいわね。」
「気にしていないのか?」
「自分の手から放れたものに興味はないの。」
倫子の作品はドラマや映画になったこともある。映画は評判が良かったが、ドラマはイマイチだという意見だ。政近も見たことはあるが、イメージとかけ離れていると思っていた。
「浜田さんにプロットを見せたよ。」
「どうだった?」
「んー。クローズド・サークルも良いけど、最初は読み切りで様子見のつもりだから、違うもので攻めてもいいんじゃないかって。」
「……。」
主人公の探偵だけが姿が見えない。だとしたらどうすればいいだろう。
「叙述トリックってのはどうだろうか。」
その言葉に倫子は眉をひそめた。だが政近は、バッグの中からスケッチブックを取り出して、倫子に犯人の男のページを見せる。どこでもいるような気の弱い男だ。
「こいつが語り部。」
「叙述トリックは、犯人に見せないことが大前提よ。そうなると、あなたの腕にもかかってくる。」
「その辺は任せておけよ。」
「大した自信ね。」
倫子はそう言って少し笑った。そしてまたコーヒーに口を付ける。その赤い唇に、今日キスをした。無理矢理やったようなものだし、そのあと相当抵抗された。卑怯者とののしり頬をはたかれたが、その顔は赤く染まっていた。おそらくサディストのような容姿なのだが、根底はマゾヒストだ。それが一気に倫子自身に興味がでる。
「プロットが出来たら、また部屋に行っていい?」
その言葉に倫子は眉を潜ませる。部屋へ来れば、手を出してくるだろう。そういう男なのだ。
「嫌よ。他の住人にも迷惑がかかるから、これっきりにしてくれる?」
「富岡だろ?別にあいつ気にしねぇよ。」
そう言えば知り合いだったのだ。きっと倫子や泉よりも伊織のことをよく知っているだろう。
「泉がいやがるわ。」
「だったら、俺の家に来るか?」
家に来ればいい。そうすれば自由は利かないだろう。泣いても騒いでも、誰も文句は言わないのだ。首もとから伸びる入れ墨を見たい。泣いて懇願して求められたいと思う。
「こういうカフェにしましょう。他人の家もあまり好きじゃないの。」
「藤枝さんとはどこでしてんの?あの人、編集長だからしょっちゅうでてないと思ってたけど。」
春樹のことを出されると弱い。やっていることは不倫なのだし、こっちが弱いのは目に見えている。
「関係ないでしょう?」
「そうやって突っぱねてたら、どこから漏れるかわかんねぇよ。」
「脅す気?」
その言葉に政近は、少し笑う。
「悪いことをしてるって思うんだったら、俺の所に来いよ。あんたの家なら、他の住人が邪魔をするかもしれないし。」
「……。」
「いっとくけど俺には後ろ暗いところはねぇから、脅しは利かない。連絡しろよ。」
そのとき、店内に二人の男女が頼んだコーヒーを片手に倫子のそばに近づいてきた。
「倫子。待った?」
泉と伊織は、向かいに座っている政近を見て少し口をとがらせる。
「田島。また倫子さんに近づいているのか?」
伊織はそう聞くと、政近はコーヒーを手にして立ち上がった。
「別に見かけたから声をかけただけ。」
「どうだろうな。」
その言葉に政近は伊織の方を見て、ため息をつく。
「倫子。富岡が居て良かったな。」
「え?」
「連絡しろよ。」
そう言って政近は立ち上がると、カップを持って店外に行ってしまった。
「何だ。あいつ。」
「……。」
伊織はそう言って政近の座っていた席に座り、その隣に泉は座った。
「伊織。あの人、大学の時に何かあった?」
すると伊織はコーヒーを口に入れて、少しため息をついた。
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大学生活は悪くなかった。だが政近という汚点がいつも暗い影を落とす。そしてそれは政近も同じだった。
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