守るべきモノ

神崎

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秘密

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 外出していたので、編集長業務がおろそかになっているなんて言われたくなかった。だからデスクにいるときは集中して仕事をこなす。カップの中のコーヒーはもうすでに冷たくなっていた。
 そしてやっと仕事が終わり、春樹はパソコンをシャットダウンしてぐっと伸びをした。時計を見ると少し残業をしてしまったようだが、それでもまだ泉は終わっていないくらいの時間だろう。
 荷物をまとめていると、隣に座っていた加藤絵里子も仕事が終わったらしく、資料をまとめていた。
「修正終わった?」
「えぇ。」
「明日チェックするよ。」
 珍しく絵里子が担当した作家の校閲がうまくいっていなかったのだ。絵里子もまた春樹ほどではないが、仕事量が多い方だ。疲れが溜まっているのかもしれない。
「加藤さんは有給残ってる?」
「えぇ。だから十二月の頭にまた使いたいと思ってて。」
 また外国かどこかへ行くのだろう。外国も悪くなかったが、どうしても妻を思い出す春樹はいいイメージがない。だが倫子と一緒なら楽しいかもしれないと思う。倫子が荒れこれ興味のあるところに足を延ばして、それを守るようについて行く。そういう旅行も悪くないと思った。
「どうしました?」
「いいや。俺も有給溜まってるしなぁ。どうするかと思ってて。」
「編集長だと難しいですよね。代わりも居ないし。」
「一日二日くらいならとれるけど、加藤さんみたいに二週間まとめてってのは無理だな。」
「外国にでも行きたいんですか?」
 そのとき隣にいるのは誰だろう。まだ未来は起きる気配が無いというのに、他の人と行くのだろうか。その女性とは倫子ではないかと疑ってしまう。
「んー。でもまぁ……この国でも行ったことのないところは沢山あるしね。外国にこだわることはないと思うよ。」
「そんなものですかね。」
 春樹はそう言ってほとんど飲んでいないカップを手にすると、給湯室へ向かう。そのとき、オフィスに官能小説の雑誌の編集長である夏川英吾が入ってきた。相変わらずちゃらい容姿だ。
「おつかれー。藤枝編集長いる?」
 カップを洗い終えて、春樹はオフィスに顔をのぞかせた。すると夏川は住ぐに春樹の元へやってくる。
「藤枝編集長。ちょっとお話があるんですよね。」
「良いですよ。俺、もうあがろうと思ってたんですけど。」
「帰る前に喫煙室で良いですから。」
 何の用なのだろう。そう思いながら、春樹は荷物をまとめたバッグを手にして、まだ残っていたライターたちに挨拶をする。
「キリの良いところで切り上げてくれるかな。君、残業時間がやばいっていわれているし。」
「これが終わったら帰ります。」
 悪いライターではないのだが、仕事が遅いのだ。こうしたほうがいいとアドバイスをしたこともあるが、あまり身になっていないのだろう。このままだと違う部署にとばされそうだ。
 そう思いながら夏川と一緒に、エレベーターホールの隅にある喫煙所に入っていった。もう定時は過ぎているので、他には誰もいない。もっとも週刊誌や、週間で発行している漫画雑誌はしょっちゅう校了が来るので、もっとハードなのだろうが。
「小泉先生の作品、どうですか?」
「文章にするとさらに凄いですね。プロットの時点で、リアリティがあるなとは思ってましたけど。」
 倫子が書いている官能小説は、今「月刊ミステリー」に掲載している遊郭の話の、外伝になる。本編でもキーになる遊女と男衆の恋の話だった。そしてその半分は濡れ場で、その男と女はSMの趣味もあるが、ここではそれを臭わせる程度にしている。
「本編では、霧島が三郎をSMプレイの果てに殺したという設定になってますよね。」
「えぇ。それが何か?」
「小泉先生もその趣味が?」
 見た目通り、倫子が春樹を攻めているのかと思っていた。つまりサディストなのかと聞きたいのだろう。
「いいえ。あくまで作品内の話ですよ。」
「少しだけ出来上がった話を今日送ってもらったんですけどね、ちょっと……部内でも割れてるんですよ。」
「どういった意味で?」
「つまり……小泉先生はほとんどメディアにでていない。映画かをする、ドラマ化をするという話があっても原作者として表舞台にたつことはない。」
「勝手な妄想が一人歩きしていると?」
 煙草の灰を落として、春樹は夏川に聞く。
「そういうことです。うちのSNSの書き込みにも、小泉先生が風俗嬢なのではないかという問い合わせもありますよ。」
 勝手にさせておけ。と言いたいところだが、必要以上に調べる輩もいるのだろう。そう言えば、浜田につれられてやってきた田島政近もどこから知ったのかわからないが、「隠微小説」にショートストーリーを書くということを知っていた。
 とすると、住んでいるところを知られるのも時間の問題かもしれない。そうなれば迷惑なのは、他の住人だろう。つまり春樹、泉、伊織の過去まで調べ上げられる可能性もあるのだ。
「この間、荒田夕先生と対談をしたと聞いていますが、そのないようってプライベートのことは?」
「ほとんど載せてませんよ。作品のことが中心です。」
 倫子が荒田夕の作品を読んでいて良かったと思ったが、その分二人とも辛口だった。
「この話を載せるのはかまわない。だけど、この話を載せることによって小泉先生の身辺が心配だということです。」
「それは困りますね。あなたも困るでしょう。」
「……俺のことはいいんですよ。」
 夏川には子供がいる。結婚はしていないが、夫のいる人と作った子供だった。その女性は夫の子供としてうまく育てているようだが、年を重ねるごとに夫に似ていなくなってきたと、少し心配なのだろう。
「うまく隠しているんですか?」
「まぁ……。俺のことはいいんです。小泉先生の作品をこのまま載せていいのかということですが。」
「載せて良いでしょう。」
「藤沢編集長。」
 あっさりと春樹がそう言ったのを見て、あまり作家のことは考えていないのだろうと夏川は思っていた。部数が上がればいい。本が売れればいいとでも思っているのだろうか。
「今更載せないと小泉先生にいえば、小泉先生がさらにへそを曲げますから。」
「あんたのこともばれるかもしれないのに?」
 その言葉に春樹は首を横に振った。
「ばれたところでどうするんですか。何もないんですよ。俺たちの間には。」
「……。」
 恋人でも不倫関係でもない。ただネタのために寝ているだけだ。そう言っていた。それが真実なら、本当に冷めた関係なのだろう。
「公に出来ることじゃないでしょう?体の関係がある時点で不倫ですよ。」
「だとしたら、風俗へ行く人はみんな不倫をしていることになりますね。」
「金銭が絡んでいたら別でしょう。」
「そう。だったら、俺らには作品が絡んでいる。作品は作家にしても編集者にしても飯の種です。」
 その言葉に夏川は言葉に詰まった。作品のために自分のことを話すこともネタにしてもらうこともある。だが春樹が倫子にしていることは異常だ。
「……藤枝編集長。もしかして……。」
「……何ですか?」
「本当に惚れてるんじゃ……。」
 感情が入ってしまえば不倫だ。それがわかっていても止められない。今すぐ倫子を抱きたいと思った。
「秘密の関係は燃え上がる。小泉先生が書いていましたよ。」
「マジか……。」
 いつか、秘密にならなければいい。もしも妻の意識が戻ったら、春樹は正直に言おうと思う。
 愛した人が出来たと。
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