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秘密
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十九時三十分にオーダーストップになり、二十時になると閉店になる。それまでにやれることはやっておくのだ。溜まったカップや皿を洗い、明日の仕込みをする。閉店になると、泉は店内の掃除や残ったカップや皿を洗い、礼二はコーヒー豆の選定や期限切れの食材やコーヒー豆を廃棄し始める。毎日していることは、そう長く時間をとらない。伊織に言ったとおり、二十時三十分にはここをでることが出来そうだ。
「食事に行くんだって言ってたね。」
モップをしまった泉に、礼二は声をかける。
「えぇ。」
「デート?」
「倫子たちも一緒ですよ。」
家族のように過ごしている人たちだ。おそらくデートなんかではなく、家族で食事に行く感覚なのだろう。血の繋がりはなくても仲が良い感じがする。礼二の家族とは違うのだ。
子供が産まれてから以降、妻は家族というよりもただ稼いで金を運んでくれる人くらいしか思っていないと思う。夜だって子供が気になるからといって妻に指一本ふれることはない。だから倫子に手を出したと言える。
倫子はいい女だった。体の相性というのはわからないが、あんなに反応してくれれば男冥利につきると思う。だからあわよくば二度目があればいいと思っていたが、それは無理だろう。どうしても亜美の目が気になる。そして、亜美から妻にばれるかもしれないという強迫観念がおそうのだ。
「焙煎どうですか?」
モップを片づけ終わった泉が礼二に声をかける。礼二は案外几帳面で、焙煎も仕込みも隙はない。それにキッチンスペースも常に綺麗に拭き上げている。
「いいね。これを出すのは三日後くらいだろうけど、最近豆もはじくの少なくなってきたし、これを飲む客はプラスの金をもらいたいくらいだ。」
「えー?試飲が楽しみ。」
味を見るために朝、一杯コーヒーを淹れる。それで今日のおすすめを決めるのだ。
「さてと閉めようかな。一階も終わったよね。」
「明日の入荷のチェックしてるでしょうね。あー。そう言えば明日、日向富美さんの本が出るんだよな。休憩のとき買おう。」
恋愛小説の第一人者の作家だ。倫子の書くものとはテイストが違う。倫子は本を選んで読んでいるようだが、泉は興味がない本でも良さを見つけていつの間にかはまっていることが多い。
それは人間関係にも言える。泉はきっと苦手な人がいないのだろう。男に対しては人見知りなだけでそれくらいその人の良さを見つける天才なのだ。それが羨ましいとたまに思う。
キッチンの中に電気のスイッチがある。泉がカウンターを出たのを確認して、礼二はスイッチに手を伸ばす。するとぱっと周りが暗くなった。もう夜の時間だし、カーテンを閉められているのでもう店内は真っ暗だ。一階に降りる階段から唯一、光が漏れているだけで足下は暗い。そのときだった。がたんどすんという音がして、礼二はすぐにカウンターを出る。
「いたっ。」
泉の声が聞こえる。
「どうしたの?」
「テーブルに足を引っかけちゃった。」
「大丈夫?」
「大丈夫ですよ。テーブルがずれただけ。」
手探りでテーブルを元の位置に戻す。そしてずれたいすを元に戻そうとした。そのとき、ふと手に温かいものが触れたのを感じて、一瞬泉は手を引っ込めた。
「あ……すいません。」
それは手だった。少し荒れていてがさっとした手だった。礼二の手も似たようなものだが、もっと小さい手だと思う。思わずその手にまた触れる。
「痛くない?」
「手は打ってないです。」
そのとき礼二は何を思っていたのだろう。その手を握りしめてその小さな体を自分の胸に引き寄せた。
「店長……。嫌。」
礼二には奥さんがいる。子供もいる。それを礼二がわかっていないわけはないだろう。なのに礼二はそれを止めなかった。
「阿川さん……。」
本当は泉と呼びたかった。だが泉はずっとその手から逃れようと胸に手を置いている。
「やです。店長。離して。」
「嫌。」
大きな手が泉の後ろ頭に置かれる。そして礼二は少しかがむと、その頬に唇を寄せた。
「や……。」
尊敬していた。男と女だということも、全て払って上司と部下になれると思った。だが泣いても抵抗してもやめてくれない礼二は、ただの男で、礼二はそのまま無理矢理のように泉の唇に唇を重ね、嫌がって閉じていた唇を無理矢理こじ開ける。
「……やっ……んっ……。」
彼氏がいるといっていた。昼間に見たあの男か女かわからないような綺麗な男。なのに、泉はそれに全く馴れていない。まるで処女のような反応だと思う。
唇を離すと、またその体を抱きしめようと体に手を伸ばした。だがその一瞬力が抜けたのを感じて、泉は礼二の体を押しのけると一目散に一階に行く階段へ向かっていった。
暗い店内で、礼二は少しため息をつく。無理矢理にでもしたかったのだ。自分の手から放れていきそうになっている泉を引き留めたい一死の行動に、礼二は少しうつむくと顔を上げて一階にある更衣室へ向かっていった。
急いで着替えを終えると、泉はロッカーについている鏡を見た。顔を赤くして、泣きそうだと思う。いや、本当は泣きたい。伊織以外にこんなことをしたくなかったから。
伊織は裏口で待っているという。こんなことをされたと気づかれたくない。泉は無理矢理笑顔を作り、ロッカーに淹れているバッグを手にした。
「あ、阿川さんもう上がり?」
更衣室に入ってきた本屋の女性は、パートで時間になればあがるのだ。あとは夜勤のバイトと社員の仕事なので、その女性はもう帰ってしまうのだろう。
「えぇ。お疲れさまでした。」
「ねぇ。阿川さん。昼間にさ、王子が来たでしょ?」
「王子?」
そう言えば伊織は王子とあだ名を付けられていたのだ。きらきらした外見がそう言わせているのだろう。
「阿川さん、知り合いだって言ってたじゃない?今度、合コンしないって聞いてくれないかしら。」
「……えー?」
面倒だ。それに伊織の周りには合コンをするような男がいるのだろうか。会社も女性が多いと言っていたし、そもそも興味がなさそうだ。それに伊織は泉の恋人なのだ。恋人が合コンに行くのを諸手をあげて送り出す人がどこの世界にいるのだろう。
「富岡さんは恋人がいるみたいですよ。」
自分と言わなければ大丈夫だろう。泉はそう言って断ろうとした。
「えー?やっぱりいるんだ。でもさ、合コンくらいだったら行くでしょ?ただの飲み会だよ?」
それでも行かせたくない。いっそ自分が止めていると言ってしまおうか。そのとき、泉の携帯電話が鳴った。それを取り出して相手を見ると、伊織からだった。もう裏口で待っているらしい。
「すいません。今日、私急いでまして、先に失礼します。」
泉は携帯電話を片手に、引き留める女性を振りきって裏口へ出て行く。
恋人は伊織だけなのだ。全て忘れてしまおう。礼二とのキスも、温もりも。そうではないと、明日からどんな顔をして仕事をしていいのかわからない。
「食事に行くんだって言ってたね。」
モップをしまった泉に、礼二は声をかける。
「えぇ。」
「デート?」
「倫子たちも一緒ですよ。」
家族のように過ごしている人たちだ。おそらくデートなんかではなく、家族で食事に行く感覚なのだろう。血の繋がりはなくても仲が良い感じがする。礼二の家族とは違うのだ。
子供が産まれてから以降、妻は家族というよりもただ稼いで金を運んでくれる人くらいしか思っていないと思う。夜だって子供が気になるからといって妻に指一本ふれることはない。だから倫子に手を出したと言える。
倫子はいい女だった。体の相性というのはわからないが、あんなに反応してくれれば男冥利につきると思う。だからあわよくば二度目があればいいと思っていたが、それは無理だろう。どうしても亜美の目が気になる。そして、亜美から妻にばれるかもしれないという強迫観念がおそうのだ。
「焙煎どうですか?」
モップを片づけ終わった泉が礼二に声をかける。礼二は案外几帳面で、焙煎も仕込みも隙はない。それにキッチンスペースも常に綺麗に拭き上げている。
「いいね。これを出すのは三日後くらいだろうけど、最近豆もはじくの少なくなってきたし、これを飲む客はプラスの金をもらいたいくらいだ。」
「えー?試飲が楽しみ。」
味を見るために朝、一杯コーヒーを淹れる。それで今日のおすすめを決めるのだ。
「さてと閉めようかな。一階も終わったよね。」
「明日の入荷のチェックしてるでしょうね。あー。そう言えば明日、日向富美さんの本が出るんだよな。休憩のとき買おう。」
恋愛小説の第一人者の作家だ。倫子の書くものとはテイストが違う。倫子は本を選んで読んでいるようだが、泉は興味がない本でも良さを見つけていつの間にかはまっていることが多い。
それは人間関係にも言える。泉はきっと苦手な人がいないのだろう。男に対しては人見知りなだけでそれくらいその人の良さを見つける天才なのだ。それが羨ましいとたまに思う。
キッチンの中に電気のスイッチがある。泉がカウンターを出たのを確認して、礼二はスイッチに手を伸ばす。するとぱっと周りが暗くなった。もう夜の時間だし、カーテンを閉められているのでもう店内は真っ暗だ。一階に降りる階段から唯一、光が漏れているだけで足下は暗い。そのときだった。がたんどすんという音がして、礼二はすぐにカウンターを出る。
「いたっ。」
泉の声が聞こえる。
「どうしたの?」
「テーブルに足を引っかけちゃった。」
「大丈夫?」
「大丈夫ですよ。テーブルがずれただけ。」
手探りでテーブルを元の位置に戻す。そしてずれたいすを元に戻そうとした。そのとき、ふと手に温かいものが触れたのを感じて、一瞬泉は手を引っ込めた。
「あ……すいません。」
それは手だった。少し荒れていてがさっとした手だった。礼二の手も似たようなものだが、もっと小さい手だと思う。思わずその手にまた触れる。
「痛くない?」
「手は打ってないです。」
そのとき礼二は何を思っていたのだろう。その手を握りしめてその小さな体を自分の胸に引き寄せた。
「店長……。嫌。」
礼二には奥さんがいる。子供もいる。それを礼二がわかっていないわけはないだろう。なのに礼二はそれを止めなかった。
「阿川さん……。」
本当は泉と呼びたかった。だが泉はずっとその手から逃れようと胸に手を置いている。
「やです。店長。離して。」
「嫌。」
大きな手が泉の後ろ頭に置かれる。そして礼二は少しかがむと、その頬に唇を寄せた。
「や……。」
尊敬していた。男と女だということも、全て払って上司と部下になれると思った。だが泣いても抵抗してもやめてくれない礼二は、ただの男で、礼二はそのまま無理矢理のように泉の唇に唇を重ね、嫌がって閉じていた唇を無理矢理こじ開ける。
「……やっ……んっ……。」
彼氏がいるといっていた。昼間に見たあの男か女かわからないような綺麗な男。なのに、泉はそれに全く馴れていない。まるで処女のような反応だと思う。
唇を離すと、またその体を抱きしめようと体に手を伸ばした。だがその一瞬力が抜けたのを感じて、泉は礼二の体を押しのけると一目散に一階に行く階段へ向かっていった。
暗い店内で、礼二は少しため息をつく。無理矢理にでもしたかったのだ。自分の手から放れていきそうになっている泉を引き留めたい一死の行動に、礼二は少しうつむくと顔を上げて一階にある更衣室へ向かっていった。
急いで着替えを終えると、泉はロッカーについている鏡を見た。顔を赤くして、泣きそうだと思う。いや、本当は泣きたい。伊織以外にこんなことをしたくなかったから。
伊織は裏口で待っているという。こんなことをされたと気づかれたくない。泉は無理矢理笑顔を作り、ロッカーに淹れているバッグを手にした。
「あ、阿川さんもう上がり?」
更衣室に入ってきた本屋の女性は、パートで時間になればあがるのだ。あとは夜勤のバイトと社員の仕事なので、その女性はもう帰ってしまうのだろう。
「えぇ。お疲れさまでした。」
「ねぇ。阿川さん。昼間にさ、王子が来たでしょ?」
「王子?」
そう言えば伊織は王子とあだ名を付けられていたのだ。きらきらした外見がそう言わせているのだろう。
「阿川さん、知り合いだって言ってたじゃない?今度、合コンしないって聞いてくれないかしら。」
「……えー?」
面倒だ。それに伊織の周りには合コンをするような男がいるのだろうか。会社も女性が多いと言っていたし、そもそも興味がなさそうだ。それに伊織は泉の恋人なのだ。恋人が合コンに行くのを諸手をあげて送り出す人がどこの世界にいるのだろう。
「富岡さんは恋人がいるみたいですよ。」
自分と言わなければ大丈夫だろう。泉はそう言って断ろうとした。
「えー?やっぱりいるんだ。でもさ、合コンくらいだったら行くでしょ?ただの飲み会だよ?」
それでも行かせたくない。いっそ自分が止めていると言ってしまおうか。そのとき、泉の携帯電話が鳴った。それを取り出して相手を見ると、伊織からだった。もう裏口で待っているらしい。
「すいません。今日、私急いでまして、先に失礼します。」
泉は携帯電話を片手に、引き留める女性を振りきって裏口へ出て行く。
恋人は伊織だけなのだ。全て忘れてしまおう。礼二とのキスも、温もりも。そうではないと、明日からどんな顔をして仕事をしていいのかわからない。
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