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秘密
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三人が仕事に出掛けて、倫子はそのまま部屋で資料を整理した。遅くまで打ち合わせをしていたので、すんなりと話は出来上がりそうだ。そう思いながら、スケッチブックを手にする。すると部屋に政近が入ってきた。トイレへ行っていたのだ。
「それにしてもただ寝てたって言うのに、凄い疑うんだな。」
「そうね。あぁ、このスケッチブック、コピーさせてもらっていい?」
「ここスキャナーとかねぇの?」
「この間から調子が悪くてね。プリンターが壊れたら複合機を買おうかと思ってたけど、そっちはまだ壊れないし。」
「ふーん。バラバラの方がいいよ。壊れたらそっちを買えば良いだけだし、複合機は高いからな。それに資料をデータにすればそれをパソコンの中で整理できるし。」
「そうね。伊織はそうしているみたいだけど。」
伊織とは随分会っていなかった。大学の時以来だっただろうか。
「富岡は、デザイン事務所だって?」
「そうね。私の本の表装をしたこともあるわ。」
「だろうな。富岡っぽい感じだと思ってた。ジェンダーレスな感じ。」
お菓子のパッケージでも、伊織がデザインしたんだろうなというものはすぐに目に付く。ぱっと見て目に付くものが多いからだ。
「この家いいな。古いけど、落ち着くわ。」
「そう?広いだけよ。」
「一人暮らしをしようと思って買ったにしては広すぎるよな。やっぱ誰か同居させたいと思ってた?」
「泉はね。伊織や春樹さんは流れで同居している感じだけど。けど……同居して良かったわ。」
「どうして?」
「どうしても一人では手が回らないこともあるから。たぶん、一人で暮らしてたら掃除もままならないと思う。」
「そんなものかね。」
口にはしないが感謝している。今日はやはり心配させてしまったと、倫子は三人が出掛けたあとに反省していたのだ。何かお詫びでもしないといけないな。倫子はそう思いながら、資料の整理を終えて煙草に手を伸ばす。
「あと……飯美味かったって言っておいてくれる?」
「あぁ。朝ご飯かしら。」
「味噌汁が美味かったって。」
泉が一番喜ぶだろう。だしからきちんととる泉の料理は、いつも美味しいからだ。
「伝えておくわ。さてと、私、そろそろ仕事をしたいわ。」
「官能小説?」
「そう。」
よくそんなに頭を切り替えられるなと、政近は感心していた。さっきまでずっと現代劇の話をしていたのに、もう時代物の話を考えるのだ。
強気で仕事をしているように見えた。だがそうではないようだ。弱いからこそ、強気でいないと嘗められる。きっと根底はその辺にあるのだろう。
パソコンを開いて起動を待つ間、倫子は煙草に火をつけようとしていた。すると政近は本棚に目を移す。そして一冊の本を手にした。
「これ、貸して。」
ずっと気になっていた本だった。目にしたことはあるが、買う価値があるのかと少し疑問に思っていたのでちょうどいい。もし気に入れば、自分でも買おうと思う。
「いいけど、やっぱり似てるのね。」
「え?」
「伊織も同じ本を手にしたのよ。貸して欲しいって。」
少し笑った。その顔に、政近はさっと視線を逸らす。見透かされたような気分だったのだ。
昼食をすませると、そのまま春樹は担当している作家の元へ行く。この作家は、倫子が住んでいる町よりももっと離れたところに住んでいて、最寄り駅からバスを使った方がすぐにこれる。
畑などが点在する中古住宅に住んでいる作家は、人間関係に疲れてこんな田舎に住んでいるのだという。過去には会社勤めをしていたこともあるが、激務で鬱病になったらしい。その上人間関係が得意ではなかったらしく、あまり人と会わないこの土地を終の住処と決めたのだ。
当然、春樹以外の担当者は受け入れられるわけもない。だが人気は倫子ほどあるわけではないので、上からは連載を終わらせてもいいとはいわれている。
「他のジャンルを書いてみませんか。よかったら口を利きますので。」
やんわりと春樹はその作家にそれを申し出た。だが作家は首を縦に振らない。このままだと他の雑誌からも煙たがられるかもしれないのだ。それを忠告のつもりで春樹はいうと、作家はうつむいたままいう。
「いいんです。作品がもう掲載されないなら、それはそれで……。」
何を考えているのかはわかる。作家の手首には無数の傷があったから。贅沢に思えた。妻は生きようとしてずっと治療を受けているのに、この作家は自ら命を断とうとしているのだろうか。だからといって春樹が何か言えるだろう。
もやもやしたまま電車に乗って、春樹は倫子のいる家へ向かう。その間にも携帯電話が鳴り、作家や同僚から相談が来る。
「うん。わかった。かえってそれは処理をするから、出来ることをしておいてくれるかな。ん?帰るよ。直帰はしない。」
倫子の家に行って、一緒に過ごせるのはわずかな時間しかないだろう。それでも一緒に過ごしたい。夕べ、あの男が隣で寝ていただけで腹が立つ。その上書きをしたいと思っていたのだ。
駅について、通い慣れた道を歩く。そして家にたどり着くと、家の鍵を開けた。倫子は普段家にいても家の鍵をかけておくのだ。それでも空気を入れ替えたいからといって縁側の窓は開けっ放しになっていることもあるので、防犯なのか何なのかわからないと最初は思っていた。
玄関の靴を見て、まだごついブーツがあるのに気がついた。まだ政近がいるのだろうか。昼までには帰っていると思ったのに、割と図々しい男だ。それとも倫子が引き留めたのだろうか。そう思いながら、家に上がり、倫子の部屋の前で声をかける。
「倫子さん。居ますか?」
「……あ……はい。」
慌てたような声だった。そして部屋のドアを開けると、政近はテーブルの上で何かを書いていて、倫子はパソコンの前で執筆をしているようにみえる。
「んー。倫子。出来たわ。」
政近はそう言うと、倫子に声をかける。そして倫子も振り返ってそのスケッチブックを受け取った。
「うん。いいんじゃないかな。あとは浜田さんに見せて。」
「OK。じゃあ、俺帰るわ。」
そう言って政近はテーブルに広がっていた消しゴムかすを片づけて、筆記用具を片づけた。そして春樹を見る。
「あれ?藤枝さんまた来たんですか?」
「作家先生のところへいっていたついでに、執筆中のものの様子を見に来たんです。」
「ふーん。毎日会ってるだろうに大変ですね。」
「プライベートではしないので。」
春樹は苦笑いのような笑いを浮かべて、そう答えた。
「政近。気をつけて。お互いあまり寝てないんだし。」
「そうだな。かえって一眠りするわ。それから浜田さんにメッセージ送っとく。」
その言いぐさがさらに春樹をいらっとさせる。寝ていないのはイコールセックスをしていたともとれるからだ。
「それにしてもただ寝てたって言うのに、凄い疑うんだな。」
「そうね。あぁ、このスケッチブック、コピーさせてもらっていい?」
「ここスキャナーとかねぇの?」
「この間から調子が悪くてね。プリンターが壊れたら複合機を買おうかと思ってたけど、そっちはまだ壊れないし。」
「ふーん。バラバラの方がいいよ。壊れたらそっちを買えば良いだけだし、複合機は高いからな。それに資料をデータにすればそれをパソコンの中で整理できるし。」
「そうね。伊織はそうしているみたいだけど。」
伊織とは随分会っていなかった。大学の時以来だっただろうか。
「富岡は、デザイン事務所だって?」
「そうね。私の本の表装をしたこともあるわ。」
「だろうな。富岡っぽい感じだと思ってた。ジェンダーレスな感じ。」
お菓子のパッケージでも、伊織がデザインしたんだろうなというものはすぐに目に付く。ぱっと見て目に付くものが多いからだ。
「この家いいな。古いけど、落ち着くわ。」
「そう?広いだけよ。」
「一人暮らしをしようと思って買ったにしては広すぎるよな。やっぱ誰か同居させたいと思ってた?」
「泉はね。伊織や春樹さんは流れで同居している感じだけど。けど……同居して良かったわ。」
「どうして?」
「どうしても一人では手が回らないこともあるから。たぶん、一人で暮らしてたら掃除もままならないと思う。」
「そんなものかね。」
口にはしないが感謝している。今日はやはり心配させてしまったと、倫子は三人が出掛けたあとに反省していたのだ。何かお詫びでもしないといけないな。倫子はそう思いながら、資料の整理を終えて煙草に手を伸ばす。
「あと……飯美味かったって言っておいてくれる?」
「あぁ。朝ご飯かしら。」
「味噌汁が美味かったって。」
泉が一番喜ぶだろう。だしからきちんととる泉の料理は、いつも美味しいからだ。
「伝えておくわ。さてと、私、そろそろ仕事をしたいわ。」
「官能小説?」
「そう。」
よくそんなに頭を切り替えられるなと、政近は感心していた。さっきまでずっと現代劇の話をしていたのに、もう時代物の話を考えるのだ。
強気で仕事をしているように見えた。だがそうではないようだ。弱いからこそ、強気でいないと嘗められる。きっと根底はその辺にあるのだろう。
パソコンを開いて起動を待つ間、倫子は煙草に火をつけようとしていた。すると政近は本棚に目を移す。そして一冊の本を手にした。
「これ、貸して。」
ずっと気になっていた本だった。目にしたことはあるが、買う価値があるのかと少し疑問に思っていたのでちょうどいい。もし気に入れば、自分でも買おうと思う。
「いいけど、やっぱり似てるのね。」
「え?」
「伊織も同じ本を手にしたのよ。貸して欲しいって。」
少し笑った。その顔に、政近はさっと視線を逸らす。見透かされたような気分だったのだ。
昼食をすませると、そのまま春樹は担当している作家の元へ行く。この作家は、倫子が住んでいる町よりももっと離れたところに住んでいて、最寄り駅からバスを使った方がすぐにこれる。
畑などが点在する中古住宅に住んでいる作家は、人間関係に疲れてこんな田舎に住んでいるのだという。過去には会社勤めをしていたこともあるが、激務で鬱病になったらしい。その上人間関係が得意ではなかったらしく、あまり人と会わないこの土地を終の住処と決めたのだ。
当然、春樹以外の担当者は受け入れられるわけもない。だが人気は倫子ほどあるわけではないので、上からは連載を終わらせてもいいとはいわれている。
「他のジャンルを書いてみませんか。よかったら口を利きますので。」
やんわりと春樹はその作家にそれを申し出た。だが作家は首を縦に振らない。このままだと他の雑誌からも煙たがられるかもしれないのだ。それを忠告のつもりで春樹はいうと、作家はうつむいたままいう。
「いいんです。作品がもう掲載されないなら、それはそれで……。」
何を考えているのかはわかる。作家の手首には無数の傷があったから。贅沢に思えた。妻は生きようとしてずっと治療を受けているのに、この作家は自ら命を断とうとしているのだろうか。だからといって春樹が何か言えるだろう。
もやもやしたまま電車に乗って、春樹は倫子のいる家へ向かう。その間にも携帯電話が鳴り、作家や同僚から相談が来る。
「うん。わかった。かえってそれは処理をするから、出来ることをしておいてくれるかな。ん?帰るよ。直帰はしない。」
倫子の家に行って、一緒に過ごせるのはわずかな時間しかないだろう。それでも一緒に過ごしたい。夕べ、あの男が隣で寝ていただけで腹が立つ。その上書きをしたいと思っていたのだ。
駅について、通い慣れた道を歩く。そして家にたどり着くと、家の鍵を開けた。倫子は普段家にいても家の鍵をかけておくのだ。それでも空気を入れ替えたいからといって縁側の窓は開けっ放しになっていることもあるので、防犯なのか何なのかわからないと最初は思っていた。
玄関の靴を見て、まだごついブーツがあるのに気がついた。まだ政近がいるのだろうか。昼までには帰っていると思ったのに、割と図々しい男だ。それとも倫子が引き留めたのだろうか。そう思いながら、家に上がり、倫子の部屋の前で声をかける。
「倫子さん。居ますか?」
「……あ……はい。」
慌てたような声だった。そして部屋のドアを開けると、政近はテーブルの上で何かを書いていて、倫子はパソコンの前で執筆をしているようにみえる。
「んー。倫子。出来たわ。」
政近はそう言うと、倫子に声をかける。そして倫子も振り返ってそのスケッチブックを受け取った。
「うん。いいんじゃないかな。あとは浜田さんに見せて。」
「OK。じゃあ、俺帰るわ。」
そう言って政近はテーブルに広がっていた消しゴムかすを片づけて、筆記用具を片づけた。そして春樹を見る。
「あれ?藤枝さんまた来たんですか?」
「作家先生のところへいっていたついでに、執筆中のものの様子を見に来たんです。」
「ふーん。毎日会ってるだろうに大変ですね。」
「プライベートではしないので。」
春樹は苦笑いのような笑いを浮かべて、そう答えた。
「政近。気をつけて。お互いあまり寝てないんだし。」
「そうだな。かえって一眠りするわ。それから浜田さんにメッセージ送っとく。」
その言いぐさがさらに春樹をいらっとさせる。寝ていないのはイコールセックスをしていたともとれるからだ。
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